デートを前に、リタは着替えのため自室に一度戻った。
これから森の中にある湖に向かうつもりだ。
ロランの住人もそこを利用しているらしいが、野鳥や小動物の憩いの場というイメージの方が強い。
心を休めるにはうってつけのスポットだ。
しばらくすると、リタが降りてきた。
つば広の帽子に白のワンピースというシンプルな姿だったが、細身のリタにはそれが良く似合っていた。
「おまたせ、ちょっと地味だったかしら?」
「いや、そんなことはない。似合っていると思う」
「フフッ、ありがとう。じゃあ行きましょうか」
「そうだな、じゃあ行ってくる」
「ゆるざねぇクヒッ……ゆるざねぇだよ……こんな結末さ認めねぇだ、クヒヒッ」
アシュリーから邪神のような妖気を感じるが一体どうしたのか?
美味しいものでも買ってくれば機嫌を直してくれるだろうか。
後ろ髪を引かれる想いで家を後にした。
湖まで飛んでいってもよかったが、歩いても一時間程度の距離だ。
時間はあるので、のんびり歩いて行くことにした。
草原の道は土と命の匂いに染まっており、それは不思議な豊かさを与えてくれる。
辺りは色とりどりの花が咲き乱れ、蝶や蜂が集まっているのが見える。
お互いに景色の感想を述べていると、黒い影が素早く横切っていった。
「ねぇ、今のアシュリーじゃない?」
「本当だ、森の奥に向かって飛んでいったな」
「……嫌な予感がするわね」
「何かトラブルでもあったのかもな」
「トラブルが起きたのか、あるいは起こしに行くのかもね」
リタが謎かけのような言葉を残して歩いていく。
オレは首を傾げつつ後を追った。
ほどなくして湖に着いたが、付近の住民や動物が全く見当たらない。
オレ達はすぐに異変に気づいた。
「なんだこれ、クッサ!」
「ほんと、鼻が曲がりそうよ」
「クケケ、くっさい臭いで雰囲気をぶち壊してやるですよー」
「アシュリー、やめろ!」
「クケーケケッ! まだまだ序の口ですよー」
アシュリーの嫌がらせは何度追い払っても執拗に続いた。
それからというもの、突然大きな破裂音がしたり、力の抜ける音が絶妙なタイミングで聞こえたりと、ムードを台無しにされてしまった。
このままじゃリタが可哀想だ……よし!
「ワン公、出てこい!」
「主よ、お呼びで」
「向こうにだだっ広い平地がある。そこでアシュリーの相手をしていろ。」
「承知しました」
「あまり怪我の無いようにな」
アシュリーを口にくわえたグレートウルフ・ロードは、奥の方へと猛然と駆け去っていった。
これでようやく静かになるだろう。
「すまんな、騒がしくって」
「アルフのせいじゃないわ、謝らないで」
『てんめぇー、そこを退きやがれですぅ! 人の恋路の邪魔すんなよーです!』
『そうはいかぬ、賢人殿。主の命は絶対である』
「まぁ、騒がしいのはいつものことか」
「フフッ、ほんとよね」
『この犬ッコロがぁー、内臓引きずり出して後悔させてやらぁーですー!』
『ぬぅ、やるな。だが狼王相手にその程度では足らぬ!』
「いつものこと、か?」
「比較的賑やかね……あら?」
気がつくと周りには小動物が集まっていた。
オレにではなく、リタの方に。
リタはここへ何度も来てるらしいから、懐かれているのかもな。
「あらあら、怖かったわねぇ。私が守ってあげるから大丈夫よ?」
そう言って、フワリと抱き締めるように動物たちを両手で包み込んだ。
慈愛に満ちた、美しい笑み。
オレは素直にそう思った。
なんとなく動物達とシルヴィアを重ねてしまい、慌てて否定した。
今さら母親になんて、うまくいくわけ無いだろう。
ひとしきり動物たちの頭を撫でてあげると、
みんな湖の方に向かった。
気分が落ち着いたから、今度は水を飲みに行ったんだろう。
その光景を眺めていると、リタがオレの手に指を絡めてきた。
ギュッと握るのではなく、添えるだけ。
彼女の奥ゆかしさに、胸の奥がズキンと痛んだ。
どちらからでもなく、長椅子に並んで座った。
さっきよりも少しだけ握る力が強くなり、少しずつ汗ばんできた。
リタはそれを嫌がる事もなく、柔らかい笑顔を向け続けている。
向けられた眼差しに引き寄せられながら、抗いがたい引力を感じた。
二人を阻むものは何もない。
ただ、拳一つ分の距離があるだけだ。
「ねぇ、キスしてみようか?」
「え、急に何を」
「そんなに構えないで。ちょっと試しに、ね?」
「試しにって、お前」
リタが顔を上気させながら、小悪魔っぽく笑った。
こんな表情は初めて見たかもしれない。
「難しく考えないで。挨拶だと思ってくれればいいから」
「いや、でもそんな突然言われても」
両手をオレの頭の後ろに絡ませて、顔を近づけてきた。
咄嗟に下がろうとしてしまうが、その手が邪魔で逃げられない。
少しずつ寄せられてくる、吐息、体温、そして唇。
睫毛が長くてキレイだと、あまり関係の無い感想が頭を過った。
そして……
リタが止まる。
オレも止まる。
世界が止まる。
色を、音を失っていく。
どうやらモコの呼び出しのようだ。
オレは安堵と憤りを感じながら、複雑な想いでそれを受け入れた。