本日のレッスンが終わり、高垣楓は帽子を深く被って居酒屋に入った。それに気付いた店員の一人が、接客して来た。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「いえ、知り合いと待ち合わせしてます」
「そうですか、失礼いたしました」
店員は下がり、楓はスマホの画面を見た。メッセージの画面には「入って左奥」と指示があった。それに従い、左奥に行くと一人で二人席で飲んでる男の姿があった。
「お待たせ。紅葉くん」
声を掛けるが、返事はない。よく見ると、耳にイヤホンがつけられていて、そのイヤホンは手元のスマホに繋げられていた。手元のスマホで、男……紅葉は音ゲーをしていた。
ゲームをしていた事によって無視された事にイラっとした楓は、紅葉のイヤホンを外すと息を吹きかけた。
ゾゾっとした紅葉は肩を震え上がらせて横を見た。
「うおっ……ックリしたぁ……。楓か。なに?どうしたの?」
「どうしたの?じゃないわよ。来たのよ約束通り」
「そうか。とりあえず生頼んどいたけど」
「えぇ。ありがとう」
お礼を言いながら楓は紅葉のお向かいに座った。すると、ちょうど良いタイミングでビールが運ばれて来た。
「お待たせしました」
二人の前にビールと料理が置かれ、楓と紅葉はジョッキを持った。
「はい、じゃあ今週も」
「お疲れ様でしたー」
気の軽い台詞と共にジョッキをぶつけて、二人はビールを飲んだ。ゴキュッゴキュッと喉を鳴らし、プハァっと息を吐いて楓はジョッキを置いた。それとは対照的に、紅葉は静かにジョッキを机に置くと、別の机で接客してて、戻ろうとしてる店員に言った。
「すいません、生お代わり」
「相変わらず飲むの早いわね……」
「まぁ、喉乾いてたしな。来るまで待ってたし」
「遅れちゃって悪かったってば。少し、みんなと話してて」
「別に怒ってねーよ。今日奢りな」
「怒ってるんじゃない。絶対嫌よ」
「とりあえず、焼き鳥と軟骨揚げと枝豆とタコワサ注文しといたから」
「あなたの食べたいものばかり頼んでおいて奢りはないでしょ」
「いや、好みはほとんど同じだろ」
「………そうね。今まで、なんでか好みや進路が合ってたものね」
二人は小学校から知り合いだった。と、言っても別に仲が良かったわけでもなく、6年間では一回も話すことは無かった。
中学に上がり、地元の小学校から中学校に上がったから、別に学校が別れることもなく、初めて同じクラスになった。それだけではなく、偶然同じ部活に入った。
中学一年では同じクラスだったものの、二年三年では同じクラスになれずに、卒業して高校に上がると、これまた偶然にも同じ高校で同じクラスで同じ部活に入った。三年間同じクラスで、二年の春の文理選択では二人とも理系に進学し、二年の秋には男女で部活の主将になり、卒業後、同じ東京の大学に入った。その頃から、楓はモデルの仕事も始めた。
そのまま大学で四年間、言うまでもなく同じサークルで過ごし、卒業後の進路はさすがにバラけ、週末に居酒屋で一緒に飲むようになり、楓がアイドルを始めて現在に至った。
「………ま、ここまで来ると腐れ縁どころじゃないわよね」
「そうだな」
お代わりのビールを飲みながら、紅葉は頷いた。
楓もビールを飲み、タコワサを摘みながら質問した。
「どうなの?仕事の方」
「まぁ、いつも通りかな。定時で帰った」
「ふーん、つまんなー。なんか、こう……良い子はいないの?」
「いない。大体、次元の多い女ばっかだ」
「当たり前でしょそれは……。なんで三次元で二次元の女の子探してるのよ」
「探してねーよ別に」
「ああそう……。まぁなんでも良いけど」
「そっちは?仕事どうなん?仕事っつーか……アイドル?」
「声大きいわよ。居酒屋でバレたら最悪なんだから勘弁してよ」
「ああ、悪い」
「こっちは楽しいわ。レッスンとかも楽しいし、歳下の子と話す機会が増えたから。学生の子もアイドルとかやっててね」
「へぇー。スクールアイドル的な?」
「違うから。ていうか、真面目に聞いてないでしょあんた」
「聞いてるよ。しかし、学生の間にアイドルなんて、その子も大変だな」
「えぇ。レッスンの休憩時間に課題やってる子もよく見かけるわよ」
「ふーん。良かったな、学生じゃなくて」
「まぁね。私もあと三年早かったら、卒業研究しながらアイドルしてたかもしれないのよね……」
「その頃には卒研しながらモデルやってたじゃん」
「いや、まぁそうだけどね?ほら、アイドルは踊りとか歌とかあるじゃない」
「あーまぁな。でも、俺がいなかったらお前、卒研終わらなかったじゃん」
「う、うるさいわよっ。あれは本当に感謝してるけど」
「そういえばあの時『終わったら何か奢るから!』って言って俺にせがんだよな。あれいつ奢ってくれんの?」
「あ、あら?そうだっけ……?ま、まぁそんな約束時効よね?」
「中一の二学期の期末、あの時も英語教えろってせがまれたな。マックのポテトと引き換えで」
「え、そ、そうだっけ……?」
「高二の三学期の期末の古典、風邪引いてて試験勉強出来なかったから、お前の家に泊まり込みで勉強教えたよな。次の日の昼飯代出すからって」
「ち、ちょっと待っ……」
「あと、大学受験までの間、化学教えてやったのは誰だ。大学受かったらゲーム買ってあげるからって言って」
「わ、わかったわよ!ていうか、よくそんな細かく覚えてるわね」
「……………」
言われて、紅葉は困ったように首の後ろを掻きながらビールを飲み干して、息をついてから言った。
「………まぁ、楓との約束だからな」
「………えっ?」
「俺が得するタイプの」
「一言余計よ!………ああもう、わかったわよ。今までの分、まとめて今度奢るから。それで良い?」
「つーか、今日の飲み代でいい」
「何、ピンチなの?」
「今月は、ちょっとな……」
深刻そうに紅葉は両手を顔に当てた。
「課金しすぎて………」
「私の心配を返して。ていうか、まだゲームに課金してるの?」
「人生は課金だ。楓だって健康値、スタミナ、HPのために課金したり、装備整えるのに課金したりするだろ。それと一緒」
「食事と服にかけるお金は課金とは言わないわよ……。ていうか、ゲームにかけるお金と一緒にしないで」
「じゃあ、とにかく今日頼むわ」
「はいはい……」
「すみませーん、イカチヂミとフライドポテトと焼き鳥の7本セット」
「ちょっと!奢りと確定した直後に頼み過ぎよ!」
「あ、あとこのキャベツの塩揉み……」
「はいそこまで!そこまでにして!」
楓に止められて、紅葉はとりあえずメニューを閉じて机の傍に置いておいた。
「まったく……いきなり遠慮が無くなるんだから」
「美味ぇー他人の金で飲む酒美味ぇー」
「あんた……あっ、そうだ」
「何?」
「来週、私この週末の飲みちょっと予定あって……」
「………予定?」
ピクッと紅葉の眉がほんの一瞬だけ吊り上がった。それを楓は見逃さなかった。
(………あれっ、私何かまずいこと言ったかしら)
そう思いながらも、楓は一応説明した。
「来週の土日、かな子ちゃんと温泉レポートに行くのよ。その準備とかで色々あってね」
「かな子って、三村かな子?」
「そうよ?」
「………楓が、三村かな子と温泉?」
「何よ、どういう意味?」
紅葉の視線が、楓の胸元に落ちた。直後、楓は紅葉の目を覆うように頭を掴み、コメカミを圧迫するようにギリギリと力を入れた。
「………どういう意味か、一から説明してくれる?高山紅葉くん?」
「…………す、すいませんでした高垣楓さん………」
謝られると手を離し楓はビールを注文し、紅葉は両手で顔を覆った。
「……目ん玉飛び出るかと思った………」
「だから、来週はちょっと来れないって事」
「……それって、男も来んの?」
「? 来るわよ?プロデューサーさんとか」
「…………ふーん。何、ヤキモチ?」
「…………」
(あ、あれ………?)
黙り込む紅葉を見て、狼狽える楓。紅葉はビールを飲むとボソッと呟いた。
「いや、男の視線が集まりそうにない楓が哀れで……」
「………聞こえてるんですけど」
「痛たたたた頭弾けるから離してごめんなさい」
「………あなたねぇ、普段女子社員にも同じようなことしてるわけ?」
「あの、痛いから話しする前に離してくんない」
「はいはい……」
手を離してもらうと、注文した料理が先に並べられた。キャベツを齧りながら、紅葉は天井を見て思い出そうとする。
「……んー、どーだったかな」
「……まさか、話してるの?」
「いや、そもそも俺と話すような女子社員いねーわ」
「……………」
「こちらビールになります」
それを聞いて悲しそうな顔になると、ビールを飲みながら楓は聞いた。
「………あなた、ちゃんと会社に友達とかいるの?」
質問されて、紅葉は「どうだっけ……」とまた思い出し始めた。
「……いや、いねーな。入社当時とか、同期の中で俺だけ異常に仕事出来て、いつも定時で帰ってたら友達できなかった」
「………学生時代から何も変わってないのね……」
「まぁ、人間そう簡単に変われるもんでもねーしな」
「ねぇ、人の胸見ながらそういうこと言うのやめてくれる?次は手加減しないわよ」
「……えっ、さっきので全力じゃなかったんだ……」
楓が指をゴキゴキと鳴らし始めたので、紅葉は慌てて謝ると、野菜を摘みながら言った。
「………まぁ、別に人間関係とか無くても支障は出てないし、コミュ障ってわけでもないから、話し掛けられても返事は出来るし、全然困ってはないけどな」
「………いや、でもマズイわよ。紅葉くんはこれからもずっと、その会社で仕事を続けるんでしょう?」
「まぁ、そうだな。転職は面倒臭そうだし」
「なら、少しくらい友達とかいた方が良いんじゃないかしら。学校と違って、数年で終わるわけではないのよ?」
「……………」
言われて、紅葉は少し顎に手を当てて考えた。そう言われれば、学生時代には友達はいたし、今まで寂しさを感じなかったのは、毎週末にこうして楓と飲んでいたからかもしれない。
「……ま、楓の言うことも分かるけど」
「でしょ?なら、会社でも友達を作りなさい」
「………ま、考えとくわ」
「素直に『うん』って言えないの?」
「いや、だってよく考えたら俺、友達の作り方知らねーし」
「………はっ?」
「今まで学生時代の友達って、楓が連れて来た友達ばかりだったじゃん」
「…………確かに」
あれ?これまずくない?と楓は思った。紅葉は入社して既に三年経過している。ここから友達を作るってだけでも至難の技なのに、友達作りスキル皆無の紅葉には難しいどころか、下手をしたら完全に孤立する気がした。
「………ま、なるようになるだろ」
「や、やっぱり待ちなさいっ」
呑気なことを言い出して、孤立する気がする所か確信した楓は、反射的に止めた。
「は?」
「……あの、やっぱり練習しない?」
「練習?何の?」
「友達作りのよ」
「いや、良いよ別に。トモコレ制覇してるし俺」
「ゲームと現実は違うから。ていうか、すぐにゲームを持ち出してくるのやめてくれる?」
「大体、友達作りの練習って言ってもどうするの」
「んー……そうね、じゃあ再来週からのこの飲みに、私が知り合いのアイドルを連れて来るわ」
「………はっ?」
「その子で練習しましょう?良いわね?」
「良いけど……その子には迷惑じゃないの?」
「それくらい、ちゃんと見極めて連れて来るわよ」
「……なら良いけど」
「じゃあ、再来週にまたここでね」
「………おう」
そう約束し、とりあえず飲みを再開した。
ー
楓と紅葉は店から出た。あれからも結構飲んだ紅葉は、それでも顔を赤くすらしていない。一方の楓は結構飲んだのか、割と顔を赤くしていた。
「っ、ふぅー。やっぱり週末の飲みは外せないわ。普段、アイドルの子達と飲みに行くときはやっぱり、飲みより会話メインになっちゃうから」
「ふわあ……そいつはどうも。来週はないんだけどな」
夜、楓を家に送る途中、紅葉は欠伸をしながらそう返した。
「冷静に考えると、私と紅葉くんの関係ってすごいわよね。小学校からずっと一緒なんて」
「関わり始めたのは中一だけどな」
「それはそうだけどね……。あーあ、こんなに関係が続くのなら、小学生の時も少しは絡んでおけば良かった。……ま、絡んでなくても一番付き合い長いけどね」
少し酔ってるのか、いつもより饒舌だったが、毎週の飲みではいつもの事なので、紅葉は何も言わないでおいた。
「やっぱり紅葉くんとの飲みは外せないわ」
そう微笑みながら楓は言うと、紅葉の先を歩いた。もう深夜の0時を回っている。そんな時間に楓のマンション付近の公園を通り過ぎ、自宅に向かっていた。
変装してるとはいえ、他人に見られたら変な勘違いをされそうなのに、紅葉は無言で楓の後を続いていた。
しばらく、酔った楓の長台詞をテキトーに頷き返して歩く事数分、楓のマンションに到着した。
「………おっ、ついた。じゃ、紅葉くん。また飲もうね」
「……………」
「紅葉くん?」
「来週は、温泉なんだよな」
「そうよ?」
「……………」
紅葉は真顔で楓を見つめた。真顔なのに、楓には何処か寂しそうで儚げな表情に見えた。その表情のまま紅葉は言った。
「お土産、何処のお土産屋にある生チョコ饅頭で」
「了解っ。またね、紅葉くんっ?」
「またね」
それだけ挨拶して、楓は胸前で軽く手を振ってマンションに入っていった。その背中を眺めながら、「酔ってる時はバカで良かった」と紅葉は思った。