「ん、あたいが二つ目? ふふ、もうちょっと聞くのも悪くないと思ったんだけど、ご指名とあらば仕方ないね。
火焔猫 燐だ。こう見えてもお喋りとかは嫌いじゃないから、また会った時は是非よろしく頼むよ。普段地底にいると毛嫌いする人も多くて、ちょいと寂しくなるんだ。
慣れれば良い場所なんけどね。堅苦しい世間体もなけりゃ、ギスギスした権力争いもない。信用できる人がいれば細かいこと抜きで飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ、そうやって笑い合えれば、それだけで幸せさ。
まあ確かに、やっぱり向き不向きはあるね。地霊殿の屋敷はともかく、街の中に出れば追い剥ぎや喧嘩も珍しくないし、酔い潰れてゲロ吐いたチンピラもよく見かける。
この前なんて、飲み屋でお尻触ってきたバカがいてさ、思わず張り倒しちまったよ。繊細な神経を持った人には、ちとキツいだろうねぇ。
ああ、気に障ったらごめんよ先生。別に皮肉を言ってんじゃない。上品で、不自由なく生きていけるならそれに越した事はない。少なくともあたいは人様を僻むなんてアホ臭い真似はしないよ。
あたいは、ね。芯が強くなかったら、そうはいかないかもしんないけど。
なんの話かって? そりゃあこれからの怪談に出てくる人の事さ。もっともかなり昔の事だし、時効と思って話すんだけどね……。
―
地霊殿の主を誰だか知っているかい? 古明地(こめいじ) さとりって方なんだけどさ。
さとり様は今でこそ地底の有名人で怨霊の管理に精を出しているが、その前は割りとハードな人生でね。
元々はただの心を読む覚(さとり)って妖怪の一人だったんだが、そいつらは本音を探られたくない人間達に迫害されて、さとり様は地底に妹と二人で逃げてきたんだ。
環境がガラリと変わって、戸惑う事が一杯あったと思う。人の冷たさや醜さに嫌って程に触れて、逃げ延びた先が無秩序で制度も未熟な、未知の街だったんだから。
住居の当ても、頼るつても無ければ路地裏か、精々空き家で夜を明かすしかない。食べ物も盗むか恵んでもらうしか無かったろう。時には馬鹿にされたり殴られたりしたかもしれない。
心を読めば恐らく地上と同じ、いやそれ以上の粗暴で下衆なものが見えたろう。
あたいの生まれる前の事だから詳しくは分からないけど、少なくとも聞いても話したがらないと思う。順応するまで、ルールの無い世界ってのは冷たいんだよ。他人様を大事にしてくれる保障なんか何処にも無いんだもの。
怨霊の管理を命じられて一定の地位を築いた後、さとり様はようやくその境遇から救われた。あたいが今の姿になれるようになった頃には、とりあえず明日の心配をせずに済むようになっていた。といってもお空はまだ人格が出来ているかも怪しかったがね。
しかし、平穏、という訳では無かった。いや、外敵がいたとかじゃないんだ。既にさとり様の力も知れ渡って、良くも悪くもあの方に関わろうなんてヤツはほとんどいなかった。問題はさとり様の心の中だ。
さとり様は当時、地上で忌み嫌われた体験と、地底での荒みきった環境、相変わらずの孤独にあてられて酷く凝り固まった考えを持つようになっていった。
『私は周りの奴等とは違う』というものだ。
地霊殿の主となったのも影響したんだろう。
繰り返しになっちゃうけど、地底は酷い場所でね、暴力も盗みも性の乱れも日常茶飯事だった。さとり様はそんな場所に居て、やむを得ない時に最低限の悪事をするだけだった。いや、もしかしたら大きな事をする力が無かったからかもしれないけど、それはさとり様のプライドを支えていただろう。
俗欲に耽る地底の連中を軽蔑するのとセットでね。
さとり様が狭量な人に思えるか……或いは、もっともな考えだと思う? それとも、経緯の方に同情するかい?
だけどどうしたって、生物学的に変わりようが無い以上、苛立ちは募るばかりだった。なまじ一度ドン底の生活をしているだけに、立派な屋敷も今の地位も、『別種の動物だ』なんて信念を保証してはくれない。そんなもの切っ掛け次第で呆気なく崩れ去る。
だから何かに追われるように、さとり様は仕事にのめり込んでいった。
あたいはと言えばまだ幼くて、心配はしても何も言えずにいた。
そんなさとり様が安らぎの表情を見せる時間は、専らペット達の世話をする時と、妹と触れ合う時くらいだった。
動物はあたいみたいに人格を持つのを除けば単純で素直だ。それに妹とは、単純に過ごした時間が長い。
その妹ってのが、こいし様って言ってね。今でこそ無意識の内にあちこち出歩いたりしているけど、元々は普通の覚妖怪だった。心を互いに読めるのにずっと一緒にいるって、よく考えたらすごい事だよ。偽りや打算が少しでもあったら片方が愛想を尽かすだろう。よっぽど信頼しあっている訳だ。
さとり様も、こいし様の事は本当に大事にしていて、差別意識にかられている間も小遣いを山程渡したり、豪華な部屋を用意したり、地霊殿の主ならではの今まで出来なかった甘やかしには事欠かなかった。
……ところが、そんな贅沢な環境に居たにも関わらず。
そのこいし様がある日、突如居なくなった。
さとり様はあたいに血相変えて、最悪死体になっていても良いから旧地獄を探してくれと頼み込んできた。事情が分からないあたいが何があったのかと聞いたら、さとり様は涙ぐみながら経緯を打ち明けた。
―
さとり様の部屋に、珍しくこいし様がやってきた。仕事が出来て忙しくなってからあまり訪ねてきたりはしなかったんだけど、その時は深刻そうな表情を浮かべていたらしい。
どうしたの、と口には出さない。代わりに心を読む為の第三の目に神経を集中させる。覚妖怪はそうして互いに思考を思い浮かべる事でコミュニケーションが取れるんだ。
さとり様にこいし様の思考が流れ込んでくる。その質問は予想だにしないものだった。
『お姉ちゃんは、私が邪魔じゃないの?』って。
さとり様はそりゃ動揺したよ。どういう意味よ、って心の声で叫んだ。するとこいし様はこう言い返す。
『だって、お姉ちゃんったら忙しくなった途端に、冷たくなったじゃない』
そんな事はない。いつだって貴女の事を気にかけていたじゃない。そう狼狽えるさとり様の脳に、こいし様のこれまでの思い出が、"こいし様の視点で"映し出される。
地底はうろつくな、人に話し掛けるなと怖い顔で言い付けて、そう言う姉は仕事ばかりで構ってくれなかったり、
昔はワガママを叱られたたのを、今は説教の代わりにお金を寄越されたり、
こいし様の失敗は何でも許す癖に、地底の妖怪達への心情があまりに高圧的だったり、気味悪がるようだったり。
その落差に、何か悩んでいるのかと心配して声をかけると、姉の言葉はいつもこうだった。
『貴女は気にしなくて良いことよ』
そう言われたこいし様は自分の部屋に引っ込んで、一人で居るには広すぎる部屋で玩具にも勉強道具にも興味を示さずに、その気になれば三人も寝られそうなベッドの上で膝を抱えて座っていた。
明かりをつけても、灯に暖かみは無い。今まで廃屋の中での蝋燭一本の明かりでも、たとえ皆が寝静まった路地裏で真っ暗な中で身を寄せあっても、大好きな姉が隣にいた。真夜中に見回りに行ったり、喧嘩をしたりして離れる事があっても、すぐに自分の元へ戻ってきてくれた。
今ではそんな優しさが感じられない。一つ屋根の下にいるのに遠くて、思い出すのは笑顔でも怒り顔でもない、見向きもしない背中ばかり。
貧しかった頃に妹の為としてきた事を、さとり様は知らず知らず忘れていた。裕福になって、与えられなかったものを与えてあげなければとがむしゃらになっていた。
心が読めるのにそんなすれ違いが起こるものか、って疑問に思うかもしれない。けどさとり様のように与えるのに必死になっている人って、自分ではすれ違っている自覚がないんだ。『誰かのため』って言いながら、『誰かに嫌われて自分が傷つかないため』に必死になるのに気付いてない。
かくしてこいし様だけに、心の隅の本音が聞こえていた訳だ。
『忙しいから私の見えない場所で好きにしてて頂戴』
そして良くも悪くも、こいし様は家を出るという思いきった行動に出た。
今でこそこんな風に振り返られるけど、聞いた時には背筋が寒くなって、しばらく言葉が出なかった。
なんたって今まで地底にはなるべく関わらないようにしていたし、いわんやこいし様なんて過保護も良いところで、友達どころか知り合いもいない。何かあっても無法地帯に警察なんかいないし、さとり様の今までの態度のお陰で、地霊殿の身内に良い印象を持たない奴等が沢山いた。
その中に、こいし様はたった一人で。
下手したら死体すら拝めないかもしれない。誇張抜きにそんな考えがよぎって、すぐに捜索を始めた。
あたいと数だけは揃えたゾンビ妖精はフル稼働。さとり様も仕事を繰り上げしまくって寝食を忘れ、幻想郷の何倍も広い地底を駆けずり回った。地霊殿の周りから、飲み屋街、長屋、裏通りのごろつきの吹き溜まりまで。
一週間過ぎ、二週間過ぎ、一月経ってもこいし様は見つからなかった。さとり様は眠れない日々が続いてゲッソリ痩せて、あたいは『死んだんじゃないか』と囁くゾンビ妖精達を縁起でもないと叱り続けた。内心、そうかも知れないと思いながら。
そして季節が変わり、宿無しが道端で凍えて死んでいるのを見ては冷や汗をかいていた頃。
突然、こいし様が出ていった日の格好のままで、ふらりと地霊殿に帰ってきた。服はボロボロで目は虚ろ。さとり様は見つけるなり取りすがって、怪我はないか、私の事が分かるかと肩を揺さぶった。こいし様はしばらくぼんやりと宙を見つめていたけど、やがてポツリとこう答えた。
『よく覚えてない』
そんな答えはないでしょう、どれだけ心配したと思ってるの、って、さとり様はもう泣き叫ぶみたいに外聞も憚らずに言った。こいし様が居なくなったあの時みたいに。こいし様の前でそうなったのは、もしかしたら随分久しぶりかもしれない。
そしたら、こいし様は赤ん坊みたいに無邪気に笑って、何でもない事みたいに言ったんだ。
『やっぱりお姉ちゃんが好きだから、戻って来ちゃった』
なんか妙だと思って、その時気付いたんだ。こいし様の、心を読む為の第三の目。それがピッタリ閉じられている事に。
―
それから、こいし様は心を読めない代わりに、『無意識』を操るようになっていた。何故、第三の目を閉じて、人の無意識の中で動くようになったのか……。
その理由は結局聞けず終いだった。どうしても隠れていたかったのか、それとも心を読むのが耐えられない程の何かがあったのか。
とにかくそれ以来、こいし様は自分でも気づかない内にあちこちを出歩いたりするようになった。
理由は決まって『無意識』。何がしたいとか、しなきゃいけないとか、そう意識して行動する事は滅多にない。あるとすれば、さとり様のいる地霊殿に帰る時だけ。
お姉ちゃんが好き、それ以外はまるでハッキリした思考がない。ともすれば始めから居なかったみたいに消えちゃいそうな、掴み所のない別人になっちゃった。
さとり様はしばらく後悔し通しだった。あの子にとんでもない事をしちゃった。もう少し早く気付いてあげれば。
またふとした切っ掛けで消えてしまわないか、そんな不安にかられ、埋め合わせをするようにさとり様はこいし様に何度も尋ねた。したい事はないか、欲しいものはないか。
その時の答えも決まっていた。
『何も要らないよ。お姉ちゃんのお節介』
さとり様の猫なで声もどこ吹く風で、悟りを開いたお坊さんみたいに満たされた顔で笑うんだ。心が見えずにさとり様が怯えるのを、まるで嘲笑うように笑うんだよ。
今ではさとり様も交友を広げて、以前より幾らかタフになった。こいし様も奇行が時々話題になる程度で、話せる相手が増えたようだ。後に生まれたお空は地霊殿が冷えきっていた頃を知らない。
だけど、あたいは……。
たまに今でも夢に見る。こいし様の第三の目がまだ開いていた昔に、必死でさとり様に呼び掛ける夢を。
もしああなる前に関係を直せていたら。本音をぶつけ合えていたら。そう願ってその先が見えるという所で、いつも夢は終わる。
そうしたらまたいつも通りの、夢と少しだけ違うこいし様とさとり様がいるんだ。
本人達を差し置いて何だけど……すっかりトラウマになっちゃったよ。
皆、もし大事な人がいたら、しんどくても凝りが残らないようにしなよ。心が通じるっていうのは、多少なりとも重たいものなんだから。
あたいの話は終わりだよ。次は誰が来るのかな?」
お姉ちゃんは多分シスコン。