「次は私か。私は赤蛮奇。普段は里で人間の振りをしているろくろ首さ。あんまり顔は合わせないかもしれないけど、とりあえずよろしく。
先生、貴女は寺子屋で勉強を教えているんだよね。読み書きとか算術とか、あとは妖怪の対処の仕方とか、かな?
ふぅん、やっぱり人間となると面倒臭いものを学ぶんだね。そこらの野良妖怪とか、学に縁が無さそうな連中だと会話さえ成り立つか知らん。
環境ってやっぱり大事だよね。子供の内から何を言われるかで、その後の人生って大きく左右されるからさ。
ん? 何がいいたいかって? まあそう慌てなさんな。内容を思い返して、改めてちょっとね。
ともかくは、話を聞いてもらわなきゃ始まらない。下手でも聞き流さないでくれよ。
―
迷いの竹林に、一人の臆病な妖怪がいる。普段はひっそりと暮らしているから、知らない人も多いかな? 今泉 影狼(いまいずみ かげろう)っていう女の子なんだが、狼女って種族でね。見た目は一見普通なんだけど、満月の夜にだけは全身に狼の毛が生える。
その時の姿に限っちゃ、ちょいと凄みがあるね。先生も満月の夜には獣っぽくなるらしいけど、向こうの場合は完全に人ならざる力強い姿だ。
ただ、肝心の本人は恥ずかしがっていたんだけどねぇ。『満月の日は毛深いから来ないで!』とか言って、おまけに人間を怖がってなかなか竹林から出ないわで、狼女といっても実際見たら、あんまし威厳は感じないと思うよ。……可愛いけど。
で、その彼女がしばらく振りに、人里へ足を運んだ日の事だった。買い出しなんかの用を済ませて、里の出口まで急いでいた時だ。
一人の女の子が、ポツンと里の端っこに立ってしくしく泣いていた。着物は汚れてボロ同然で、髪も肌もろくに手入れされていない、見るからに貧しい身なりの子。
先生、貧民窟の事は知っているかい。里の中でもいっとう貧乏で、隅っこに身を寄せあって暮らす、そんな奴等の溜まり場だ。里の住人でも近寄らない位だから、先生も詳しくないかな。とにかく見た目と見つけた場所からして、女の子が貧民窟の子供だとすぐに分かった。
影狼は何事かと駆け寄って声をかけた。乱れた髪の隙間から覗く目は涙も流さず、諦めるような淀んだ色に警戒心を湛えていた。
『お嬢ちゃん、何かあったの?』
再度問いかけて見たが、女の子は無言。辛うじて動く視線は影狼ではなく、一杯になった買い物袋に注がれている。
影狼はこれ以上深入りしても仕方ないと思ったのか、袋の中にあったお饅頭を一、二個取り出して渡して帰っていった。
名前も知らないし、お世辞にも愛着を持ってもらえたとは思えない。だけども影狼は何故かその子の事が気になった。偶然見かけたから、と言えばそれまでだが、放って置けなかったんだろうな。
その日から影狼は時々私も伴って、その女の子に会いに行った。住んでいる場所が近いのかいつも同じ場所に立っていて、次第に名前くらいは覚えてくれるようになった。
でも、何故女の子が最初に泣いたりしていたのか、その理由は聞けないままだった。『施しをやるだけじゃ何の解決にもならならいぞ』って、私は忠告したが、影狼もどうしたら良いか分からなくて、曖昧に頷くだけだった。
その内に一ヶ月近くが経ち、満月の日が来た。その日も影狼は気掛かりで、女の子の元へ走った。ただし妖怪の姿が顕になるのを恐れて、昼間の早い内にね。
貧民窟の一角にそっと踏み込み、いつもの姿を探す。すぐに女の子は見つかったが、その時ばかりは様子がおかしかった。
苦しそうにお腹を押さえて、今にも蹲りそうな程、ヨロヨロと頼りない足取り。影狼が咄嗟に支えると、顔は真っ青で血の気が引いていた。
これはただ事じゃない。そう思って肩を揺さぶって呼び掛けると、女の子は虚ろな目を微かに開く。
『おね……さん。』
その声は掠れていた。
『具合悪いの?』
『お腹……痛い』
言ったそばから表情が苦痛に歪む。少なくともただの腹痛じゃない。余程の病気だ。放って置いたらまずいと思った影狼は、すぐさま病院に行こうと言った。
けど、女の子は首を横に振る。
『どうして!?』
『……お母さんが……』
女の子はポツリと呟いた後、また無言になった。焦った影狼は黙って勝手に行けないならと、家を教えてくれと言った。
でも、女の子はまた首を横に振って、俯いてしまった。どうして駄目なの、このままじゃ治らないよ、って何度も頼んだんだけど、何も反応は返って来なくなった。
影狼は困り果てた。病院にも行けない、親にも会えない。強引に永遠亭に連れて行ったりしたら、妖怪の自分はどんな非難を受けるか分からない。それにしても、苦しんでいる他ならぬ本人が、ここまで対処を渋る理由は何なんだろう……。
苛立ちと困惑が頭の中をグルグルと巡り、ふとした瞬間に影狼は、自分を見つめる女の子の視線に気付いた。しかめた顔でも、目の奥は相変わらずどんよりと曇っている。
苛々しているのが伝わったか、そう慌てた影狼に、女の子はやっと口を開いた。が、その発言は今までの受け答えとなんら関係のないものだった。
『お姉さん。私、臭くない?』
『は?』
あまりに唐突な質問に、影狼は目を丸くした。しかし、女の子の表情は悲壮で、必死なように見えた。影狼も一時期、自分の臭いを気にしたりなんかしたが、そういう妖獣特有の悩みとも違う。気にかかって仕方なくなるような、精神的な偏りの気配がした。
影狼も狼の特長を持ってて鼻が利くから、仕方なく女の子の体を嗅いでみた。確かに貧しい子らしく不衛生ではあったが、特段気になるものでは無かった。
『何も臭わないわよ。大丈夫』
『本当? 本当に?』
影狼は微笑んでみせたけど、女の子はしつこく聞いてくる。いい加減あしらう訳にもいかず、思い切って尋ねてみた。
『ねえ、どうしてそんなに気にするの? 何かあった?』
影狼の問いに、女の子は弱々しく目を逸らして、小さく震える声で言った。
『……お母さんが……私は、動物だって……』
『動物……』
それっきり、女の子は口をつぐんでしまった。相変わらず要領は得ないが、影狼はしかし動物という言葉に思い当たるものがあった。
もしかしたら自分と同じように、獣の姿に変わる習性があるんじゃないか、と。教育の行き届かない貧民窟のこと、妖怪の特徴を持ってしまった子供に酷い扱いをするのは、あり得ない話ではなかった。
ましてや満月の日となれば、体調に変化があるのも頷ける。
影狼はとりあえずまた明日来ると伝え、こっそり私の家に来てある事を頼んだ。
夜の間に、変わった事が無いか見張ってくれ、と。
影狼の見立てではやはり満月の、それも夜がどうしても怪しいという事だった。影狼が変身してしまう夜の間、私に女の子の事を頼んだんだ。
臭いを嗅いだお陰で、影狼は臭いを辿って女の子の家を突き止めていた。私は正直、面倒臭かったけれど、今まで付き合ってきた手前で断ることも出来なかった。
んで、日が暮れてから私は例の家の周りに隠れた。少しばかりは工夫を凝らしたよ。私がスペアに持っている首を使って、場所を取らずに色んな隙間から家を覗いたんだ。土間に台所、寝室に風呂場、何処で何が起ころうがこの目で確かめられるのさ。
そうやって……見ることが出来たんだ。女の子の元気が無かった訳を。
彼女はまさに『悪魔の子』だったんだよ。
食事は獣のように這って、箸も使わずに床に置いたものを食べた。
風呂に母親と入っても、お湯に終始おびえて震え上がっていた。体を洗う様子も、安らぐ様子もない。
寝る前も満月を惚けたように見つめて、朝まで眠らずに過ごしていた。ずっと身をよじるようにして、体を強ばらせていた。
明らかに普通の生活は出来て無かったよ。家族とろくに会話もなく、唯一目だったのは警戒するような、怖がるような、そんな動物的な視線だけだった。
まあ、家族といっても、いつもは母親と二人だったようだが。久々に帰ってきたと言う父親は、娘の傍で寝ていたけど、私は心中とても穏やかじゃなかったねぇ。
その次の日から大変だったよ。影狼に訳を話して、竹林の医者に手を回して、往診の体を演じてもらって……。どうにか診断をでっち上げて永遠亭に連れて行った。何かあってからじゃ遅いからね。
今でもその子は家に帰れていない。満月の夜には唸るような声をあげて苦しみ、兎には噛みつきそうな睨みを利かせて、風呂にも嫌がって入ろうとしない。
それどころか最近は理由もなく暴れだしたり、理性の乱れも深刻なようだ。
恐ろしいのは、目立たない場所にいくらでも、同じような子がいておかしくないって事さ。目もくれずにいた他人が、ふとした瞬間に牙を剥いて、人とは思えない事をしでかす……。今回は医者に預けられたけど、まだ……まだまだ、地獄から出てきたような連中が潜んでいるだろう。
明日、自分がやられるかもしれないよ?
―
……ん? 何だいその目は。何か隠しちゃいないかって?
……はは、やっぱりバレてたか。余程ニブくなけりゃ気づくよねぇ。
結論から言おう。
女の子は普通の人間だった。妖怪の気配なんて欠片もない。
ただ、栄養失調気味で……体が、生傷だらけだった。何ヵ月も前のものから、最近まで。
察しはつくだろう。……虐待さ。
皆に嘘は話しちゃいない。
ただ、床のものを食べるのは母親に命じられて、生ゴミや腐った味噌汁を。
風呂ではお湯に怯えたそばから浴槽に顔を沈められた。
そして、彼女の父親がね。中々忙しい奴だったんだ。仕事で何日も帰れず、ちょうど娘と顔を合わせるのが一月ごと……満月がまた丸くなるまでかかるらしかった。
その満月の夜に、父親は娘の近くに寝る。それこそ、手が届いて……身体中を撫で回せる位に。
繰り返すが、女の子は人間だ。それこそ毛なんて少しも生えていない、まっさらな、ね。
言ったろう。『"悪魔の"子』だって。
女の子は苦痛から他人を信じられず、決まった日の夜に悪夢に苛まれて、おまけに食らわされた暴力を学習して、周りに振り撒くまでになった。
知らない奴が見たら人間じゃないと思うかも知れない。そうさせたのは親だ。あの子を産んで苦しめた、二人の畜生なんだよ。
そして女の子が気にした自分の臭い……。医者が言うには、自分が愛される自信がない、そんな時に出る妄想の体臭が、あの子を未だに苛んでいる。
なあ先生、もしかしたら今後、里で行方不明者が出るかもしれない。だけどどうか騒ぎを大きくしないで欲しいんだ。
これでも随分悩んだんだよ。だけど、どう考えたってあの両親は生かす価値を感じない。むしろ血の繋がりが重荷になったら迷惑だ。
とっとと死んじまった方が良い。先生や影狼に止められようが、この手でぶっ殺してやる。
本気か、だって……?
くく、まあ今はどうでもいいじゃないか。それより次の話をしよう」
読者を騙す……のは中々出来そうにない