幻想郷怪奇談 ~寺子屋で話す怖い話~   作:ごぼう大臣

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二周目・二ッ岩マミゾウEND-『虚構の英雄』

 ……マミゾウの六話目が終わった。七人目は未だに来ない。それはそれとして、皆は無言だった。不機嫌という訳ではないが、やや重苦しい雰囲気に包まれている。

 原因はマミゾウの話した怪談、もとい寺で起こったいざこざの話にある。幻想郷というシステムに疑念を抱き、壊れかけた妖怪の話。

 今更だ、と鼻で笑う者もいれば、思う所があるのか宙を睨んで思考に耽る者、ばつが悪そうに俯く者と反応は様々であったが、共通しているのは『感想に困る』というものだろう。

 何しろその世界に暮らすものにとっては、『ちょっと面白い話しようぜ』と集まった筈なのにいきなり政治談義を始められたようなものだ。

 私個人としてはそういった話題自体は嫌いじゃ無いし、全くするな、等と言うつもりもないが……

 

 時と場合による。この気まずい雰囲気がまさに良い例だ。ことに、ニヤニヤと周囲を見渡すこの狸のように、自覚して敢えてやる場合はタチが悪い。

 

「あー……妹紅。七人目は結局誰だったんだ?」

 

 気まずさに耐えきれず、隣の妹紅に話を振る。彼女はつまらなそうな顔で振り向いた。

 

「いや……今更聞いて何になるんだよ」

 

 ……確かにそうだ。名前が分かってもこの場に来てくれない事には話が進まない。我ながらつまらぬ質問をしてしまった。自分の会話のセンスの無さを、ここに来て再び恨む。

 

「……まあいいか。寺子屋に誰かが来たら、私が対応しておこう。ここで解散とするか。

 皆、お疲れ様」

 

 自分なりの愛想笑いを浮かべて別れの挨拶をすると、各々がゆっくり腰を上げる。撤収となると怪談の雰囲気もどこへやら、飲みかけのお茶をそのままに帰り支度をする者や、逆に勿体ないからと一気に飲み干す者もいた。夜も更けあとは帰るだけとなった面々が、解放された面持ちでメンバーと軽くお喋りを交わしだす。

 

「大した怖く無かったわね」

 

「お嬢ちゃん、良ければ送っていこうか?」

 

「あの、むしろ、私をお願いします。怖いので」

 

「……あれ、酷い顔してるね剣士さん」

 

「古くなったジャガイモみたいだよ」

 

 ザワザワと和やかなのかよく分からん喧騒をよそに、私は杯をお盆にまとめ、座布団を隅に重ね、黙々と後片付けを進める。妹紅も手伝ってくれているが、少々運び方が雑だったりと心配になる。寺子屋の、放課後の生徒などもそうだが、自由になった途端に性分というのが見えてくるものだと痛感する。

 

「すまない、トイレだけ借りてもいいかな?」

 

「……ああ、右に曲がった突き当たりだ」

 

 赤蛮奇が近寄って来たから、手伝ってくれるのかと顔を上げればこの台詞である。恐らくトイレが済んだら一人でそそくさと帰るだろう。一番の近所なのだから少しくらい……。

 それを口に出そうか迷っている間に廊下の方に消えてしまった。せめて襖は閉めていかないか。

 

「先生、さよなら~」

 

「お邪魔しました……」

 

「おう、気をつけて帰るんだぞ」

 

 玄関口にいる連中に声を張り上げた直後、ガラガラと戸が開け閉めされ、一段の静寂が部屋を包む。粗方片付いた後は忘れ物などしていないか、一応部屋を見回して確かめ―……

 後は、妹紅の他に残った厄介者に目を向ける。

 

「ぷはぁっ」

 

 暢気そうな吐息を吐くその女、二ッ岩マミゾウである。彼女は私が解散を告げるなり部屋の隅の丸まった羽織を取り、くるまっていたとっくりを取り出してどっかと腰を下ろすと、あろう事か酒をあおり出したのである。私と妹紅がセカセカ動き回っていた間もずっとそうしていたらしく、既に頬に朱がさしている。

 

「マミゾウ、お前はまだ用があるのか?」

 

「いやぁ……なんだか、自分の中で収まりがつかなくてなぁ」

 

 仄かに酒の香りを漂わせながら、マミゾウはフッと目を伏せる。酔いが回って眠そうに目を細めていたが、その中にやりきれなさそうな寂しげな光が見て取れた。

 

「あの一件以来……儂が最近まで現代に居たせいかは知らぬが、何か引っ掛かってな」

 

 マミゾウは壁に背中を預け、天井を見上げた。特に面白そうでもなく、二、三度瞬きしたきり動かない。

 

「星の奴は、清濁併呑なんぞ苦手そうだからなぁ……」

 

 ぼそぼそ、呟くように言ってから、マミゾウは笑顔を消して目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきそうな顔だ。

 

「おい、何でもいいけど、ここで寝るなよ」

 

 妹紅が近寄って肩を揺らす。マミゾウは不機嫌そうに唸って薄目を開けると、強引に肩に担がれてしまった。

 

「む…………」

 

「慧音、こいつは私が送っていく。邪魔したな」

 

 妹紅は早口でそう告げると、よろめくマミゾウを支えながら出口へ歩いていく。

 マミゾウのやさぐれにも似た態度が気にかかりながらも、ぼんやり遠ざかる背中を眺めていた。

 

 しかしその時だ。

 

「嫌じゃあ。オイ妹紅、まだ慧音に話があるんじゃい。離しんしゃい」

 

「え? 私か?」

 

 ろれつの回らない口で名を呼ばれるが、妹紅はウンザリした顔で振り返った。

 

「放っておけよ、酔っ払いの戯れ言だ」

 

 妹紅はなおもマミゾウを引きずって行こうとするが、私はその横に駆け寄った。何も言わない内に私の肩にもたれ掛かるマミゾウの隣で、妹紅が怪訝な視線を向ける。

 

「……おい慧音」

 

「酔って万が一里で暴れられたら、私も困るからな。七人目には悪いが、戸締まりをしとこう」

 

 出任せ、という程でもないが、実際の所マミゾウの発言が気になる、というのが大きな理由だった。職業柄か、接触を求める人物を無下に扱うのは気が引けるのだ。酔っ払いは子供のようなものとも聞くが、それもあるだろうか。

 

 灯りを消し、戸に鍵をかけて三人で里の外へと歩き出した。とうにどの家も暗闇に溶けた時分とはいえ、夏だけに生ぬるい湿った空気が頬を撫でる。

 

「暢気に寝とるなぁ、人間ども……」

 

 マミゾウが低い声で喉を鳴らす。舞台の悪役のような、わざとらしい嘲りだった。

 

「言っておくが勝手な事するなよ。夜でも人間の住みかなんだからな」

 

「へいへい、分かっておるよ」

 

 妹紅が釘を刺すと、マミゾウはヘラヘラと肩を竦めた。首にぶら下げたとっくりがちゃぷんと音を立てる。

 

「その通り、里の外じゃあ、あやかしの時間さ。人を化かそうが、食おうがお咎めなしじゃ」

 

 独り言にしては大きな声だった。私も妹紅も見ちゃいないが、空を見上げる両目は雲に隠れた月に照らされ、薄気味悪く光っていた。

 

「但しぃ! もし馬鹿な小童が襲われても、先生は何もしちゃいかんぞぉ。馬鹿は教えても治らん、死んでも治らん。かっかっか」

 

「…………」

 

「……さっさと行こうぜ」

 

 寝静まった里の中で、マミゾウは賑やかに、しかしちっとも楽しく無さそうに笑って肩を揺らしていた。

 

 

 

 

 結局、私達は命蓮寺の方向を目指し、揃って細い林道を歩いていた。その間マミゾウが何を話したかと言えば、『一人で里を守るなんてご立派だ』だの、『今まで生徒が何人食われた』だの、いかにも煽るような口調と表情で言い続けるのだ。

 つまり何が言いたいのかと気にはなったが、それ以上に言葉の端々に悪意が見て取れた。のらりくらりと誤魔化してはきたが、里を出てからこっち、とうとう怒りが湧き始める。妹紅などはとうに額に青筋を作っていた。

 

「未来のある子も等しく犠牲になるのさ。我々妖怪の、代わり映えしない箱庭の未来……」

 

 再び管を巻き始めた所で、妹紅がマミゾウを振り払い、道端に放り投げた。

 

「おわっち!」

 

 マミゾウは千鳥足になりながら木に手をつき、どうにか体勢を立て直した。それを見て長いため息をついてから、妹紅は私を振り返る。

 

「もう良いだろ。後は私一人でやる」

 

「あ、ああ……」

 

 その声が想像以上にドスが効いていて、思わずたじろいでしまった。何とも後味の悪さを覚えながら引き返そうとした時、背中にまたあの間延びした声が響く。

 

「待てぇ先生、あと一言」

 

 振り向くと、マミゾウが再びとっくりを傾け、私を睨んだ。その目は心なしか、今までで一番力があった。

 

「おい、いい加減にしろよ。もう何時だと思ってんだ」

 

「そう言うな。やっとこのムカつきの正体が掴めたんじゃ」

 

「……何だ?」

 

 妹紅は呆れた声を出すが、マミゾウは私をじっと見つめたままだ。鋭い目付きに忘れかけていた大妖怪の醸し出す気迫を感じ、ぴりぴりと肌が震える。

 

「何が腹立ったかってなぁ、お主じゃよ先生。里の守護者と言うが、僅かな犠牲に心を動かしたりしておるか?」

 

「……」

 

「割り切っておるなら良いさ。じゃがなぁ自分を善人だなんて思っとるなら傲慢じゃぞ。自分だけは別だなんて思っとらんかぁ」

 

 里とあまり関わりの無い彼女の言葉だが、何故か私は何も言えなかった。

 自分が善人か。果たして。

 

「死ぬ間際にお前さんを恨む小童も何処かに……ぐえっ!」

 

「ん?!」

 

 言葉が途切れて我に返る。見ると妹紅がマミゾウの襟首を掴んで引っ張って行く所だった。

 

「もう帰るぞ。ったく」

 

 マミゾウがジタバタするのも構わず、妹紅は早々に離れて行く。しかし途中で思い出したように振り向くと、言った。

 

「慧音、あんまり気にするなよ。お前が悩むと……その、キリが無さそうだ」

 

「あ、ああ……」

 

 何故か、生返事をしていた。妹紅はそれだけ言って、また歩き出す。

 

「……ゲー出そうじゃ」

 

「ああもう、分かったからこっち来い、な? ……はぁ、本当は私、帰り道反対なんだぞ」

 

 ぼやく声が遠くなり、二人の姿は夜闇の中に消えていった。後は明かり一つ無い道の真ん中に、私一人が残される。

 鳥の鳴き声一つしない。妖怪が何処に潜んでいても不思議ではない、幻想郷の暗闇。

 それは恐ろしいものの筈だった。自身に妖怪の性質があるとはいえ、一人の所を群れで襲われたら無事で済むか分からない。

 だが、どうだろう。今は不思議とそんな恐怖は湧いて来ない。ただ厭世感とでもいうのか、しばらくこのまま一人でいたいような、周りが自分の思考から切り離されていくような奇妙な感覚がしたのである。

 フラフラと帰り道を歩く。気まぐれに見上げた空は木々の隙間から星の光を降らせてくれたが、私は美しいとさえ感じなかった。

 ただ静かに見下ろしてくる景色を眺めていると、頭の中にマミゾウの言葉が蘇ってきた。

 

『割り切っておるなら良いさ。じゃがなぁ自分を善人だなんて思っとるなら傲慢じゃぞ。自分だけは別だなんて思っとらんかぁ』

 

 割り切っているか。

 改めて問われてみると、胸にザワザワと、砂を撒かれたような不快感、いや拒絶感が走る。

 寺子屋の生徒が死ぬのは稀だが、無かった訳ではない。死ぬ時は死ぬ。両親は嘆いた。表面では短い間でもお世話になったと言いながら、子供の死に涙を流していた。

 それから私はどうしたか。また教師の、守護者の顔に戻り、元通り歴史の編纂をしていたのだ。

 

 割り切っていたのではない。堪えていたのでもない。考えずにいたのではないだろうか。

 

 心が痛むから。

 

 紫や阿求は私を責めないだろう。幻想郷はそんな場所だと言うに違いない。

 

 だから私は『出来るだけ』里を守る事に徹した。

 

 出来るだけ、なんと都合の良い言葉だろう。私はハナからどうにか『出来るようにしたい』という気持ちに蓋をしていたのだ。いかにも精一杯頑張っているという面をして。

 

「……ふふ」

 

 短い、不謹慎な笑いが漏れた。だって真剣に悩んだって仕方ないじゃないか。幻想郷で人間一人一人の命に執着していたらやってられないのだ。

 一個の人間なぞは呆気なく消える。そうして人間という種が妖怪に怯えるようにと幻想郷が創られたのだ。私は、その片棒を担いでいるという自覚が無かったに過ぎない。

 

 しかし、考えてみれば、『出来るようにしたい』なんて発想自体、幻想郷に馴染まないのではあるまいか。その発想、精神が支えてきたのはいわゆる科学という奴だ。人里からすればそれこそ、確実性の無いあやふやなモノではないか。

 

 ……待て。乱暴に言ってしまえば、もしかしたら、それらが作り出しているのは。

 

 即ち、『諦……ー

 

「慧音さん!」

 

「わぁっ!?」

 

 急に声をかけられ、思わず飛び退いてしまった。完全に苦悩に囚われていた脳味噌を切り替え、声の主を確認する。

 

「あ、あの……」

 

 そこには、子供っぽい瞳をキョロキョロと動かす、小柄な少女がいた。明るい色の髪を二つに結び、鈴を付けている。見た所、人間のようだが……。

 

「君は……本居?」

 

「やっぱり! 慧音先生ですよね!?」

 

 ぱぁっと顔を輝かせて駆け寄ってくる、その姿にはやはり見覚えがあった。

 本居 小鈴(もとおり こすず)。里の中の鈴奈庵という貸本屋の娘だ。普段は接客や掃除を明るい表情でこなしているが、その実仕草にも垣間見える、強い好奇心から危なっかしい噂も耳にする。それだけに、何故こんな場所を夜中に彷徨いていたのか気になる所だが……

 

「はぁ……良かった。このまま一人だったらどうしようかと」

 

「……なあ、一人って、一体何をしてたんだ?」

 

 額に汗をかいて安堵する彼女に、暗い不安がよぎる。小鈴はそれに気付かないのか、「実はですね……」と前置きしてから大して悪びれない様子で話し出した。

 

 聞けば小鈴は、妹紅が言った七人目のメンバーだったらしい。唯一の人間として参加すると楽しみにしていたものの、当日まで良さげなネタが見つからなかった。なまじ家の本に飽きるほど目を通していた分、怪談にも目は肥えていたのだ。相手はなんたって妖怪、余程のインパクトを用意せねば、と彼女は考えた。

 して、里の外、ほんの周辺にでも出てインスピレーションを得ようと、昼間からそこらを歩き回っていたらしい。

 

 と、ここまでは良かったが、妖精にちょっかいをかけられたり、夕暮れになればのさばり出す野良妖怪を避けたりしている内に疲れ果て、あろう事か身を潜めた茂みで眠りこけてしまったというのだ。

 

「思い付きで出掛けたら、やっぱりダメですね」

 

 彼女は小さく舌を出して笑った。私は運が良かったと心の底から思った。今こうして話している少女が、一歩間違えれば死んでいたかも知れないのだ。

 

「……全く聞かされてないぞ、私は」

 

「妖怪だらけの寺子屋に行くなんて、親に言えなかったんですよ~。大人達も行くの躊躇したんでしょう」

 

 変わらず軽々しい口調に、ヘナヘナと腰が砕けかける。何と言うタイミングの悪さだ。私の頼みが巡り巡って小鈴を殺しかけただなんて。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、小鈴はスタスタと、軽い足取りで先を歩いて行く。私と会って取り合えず生き残れそうだから気楽、とでも言うのだろうか。

 私にはその能天気さが分からない。貴女のせいだ、なんて責めてくれた方がマシだとさえ思えた。

 

「えぇー、マミゾウさんも来ていたんですか? 行きたかったなぁ……」

 

 彼女は怪談大会の様子を根掘り葉掘り尋ねては、悔しそうに肩を落としていた。私は正直、笑えなかった。楽しさを共有したいとも、残念そうな彼女を慰めたいとも考えてはいない。

 感じるのは、親に絵本をせがむかの如く興味津々な、微塵も恐怖を見せない小鈴への、苛立ちだった。

 彼女にとって、今日の事は単なる日常なんだろうか。怖がる事も、恨む事も無しに。

 さしずめ私は、その日常を守る役目を持つ一人なのか。

 

 いつの間にか黙り込んでいた事に気付き、フッと息を吸い込んだ所で、小鈴がはしゃいだ声で言った。

 

 「そうだ! また今度で良いんで、怪談大会やってくれませんか!? 次こそ物凄いネタを掴んでみますから!」

 

 さも楽しいイベントを望むかのように、あっけらかんとした笑顔を向けてくる。他の事なら気にせず頷いただろうが、私にはまた里の外をうろつくと宣言されたように感じた。

 

「……小鈴」

 

「え?」

 

 呼び掛けた瞬間、小鈴の表情が固くなる。やっと気付いたか、と頭の片隅で毒づいた。

 

「お前、また同じ事を繰り返すつもりか? 言っとくがな、今頃死んでいたって、何の不思議も無いんだぞ!」

 

「え、えぇと……」

 

「そんな幸せそうな顔する位なら、里から一生出るな、ここは幻想郷だぞ!」

 

 気がつけば大声を張り上げていた。息を荒げ、肩を大きく上下させる私とは対照的に、小鈴はキュッと息を詰まらせ、肩をすぼませている。

 

「あ……その……」

 

「……ごめんなさい」

 

 謝ろうとした所で、先に頭を下げられた。その姿は叱られての反省ではなく、怒鳴りつけられて怖がる時のそれだった。

 ……まずいな、苛立ちをぶつけてどうなるというのだ。今は彼女を里に連れ帰るのが先決だ。説教など後でも出来るじゃないか。

 マミゾウの捨て台詞を聞いてから、どうも落ち着かない。とにかく立ち止まっていても仕方ないと、大袈裟に咳払いした。

 

「私から離れずついて来てくれ。いいな?」

 

「は、はいっ」

 

 ひきつりながら小鈴は言った。背を向けて先を歩くと、少し遅れて小さな足音がついてくる。

 

 ざくっ、ざくっ。

 

 さくっ、さくっ。

 

 二人分の足音。規則正しくもう一人がついてきてくれる音。それが何故か妙に嬉しく、しかし頼りなく思えた。

 振り返れば実は自分一人しか居ないんじゃないか、この他の一切が無音で、目指している里さえも灯を消している夜にあっては、そんな不安さえ頭をよぎる。

 何度も後ろを振り返り、小鈴の姿を確かめる。彼女はそんな私を怪訝そうに見つめながらも、一定の距離でついて来てくれた。

 

 小柄な、妖怪への対抗手段を持たない彼女。さっきまで真後ろに立っていても、次の瞬間には消えていそうな危うさ。

 前に向き直るのが、何度目かで怖くなった。ジッと見つめていると、小鈴はやがて困惑の表情を浮かべた。

 

 私が不気味なんだろうか。それでも目を逸らせなかった。この世界では彼女は容易く消えてしまう。そうならなかったのは奇跡に近いのだ。

 

 近づくと、一歩、二歩とたじろぎ、下がっていく。待ってくれ、離れるなと言っただろう。一人になれば、今度こそ妖怪に襲われる。そうに決まっているのだ。一瞬の内に、私の希望など無にしてしまう恐ろしい場所。

 

「あ……―」

 

 今だって、ほら、後ろに。

 

 闇夜に光る、二つの紅い眼。それが急速に小鈴の背後で大きくなったかと思うと、怪物はその姿を現し、大きく牙を剥いた。

 

 ばり、と肉の裂ける音がした。

 

「きゃああァーーッ!!」

 

「小鈴!」

 

 叫んだ時には一瞬遅かった。肩口を血に滲ませながら、小鈴が蹲る。その傍らで金髪の幼女がケラケラと笑った。

 ルーミアだ。闇に紛れ、真っ暗な夜には決まって現れる妖怪。見た目はただの子供だが、その気になれば躊躇いなく爪と牙を顕して人間を喰らう。寺子屋でも度々注意換気している妖怪だ。

 

 知識として知ってはいた。だが、いざ目の前で襲う現場を見ると体がすくんでしまっていた。私が必死に足を進めようとしている内に、今度は。

 腕が、ばきりとひしゃげる音がする。

 

「いやアァー!」

 

 響き渡る二度目の悲鳴。この目の前の光景は、まるで悪夢だ。私が何度も頭の中で思い描き、都度押し込めていた悪夢が、現実になって降りかかる。見たくなかった、目を逸らしたかった、"幻想郷"の姿だ。

 

「止めて、やめて……! 先生!!」

 

「……っ離れろ!!」

 

 小鈴の悲鳴に弾かれるように、ルーミアに拳を振るう。が、ルーミアはひらりと身をかわし、黒い闇を被るように景色の中へと消えてしまった。

 

「くっ……」

 

 目を凝らし姿を捉えようとするも、動く影一つ見当たらない。油断するとまた来るかもしれない。そんな不安にかられて右へ左へ視線を泳がせる。その時、今度は背後で土を蹴る音がした。

 慌てて振り返ると、小鈴が一目散に道を駆けて行く。待ってくれ、一人じゃ危ない。気持ちが逸り、足をもつれさせながら必死で後を追う。

 

「小鈴! 待ってくれ!」

 

「……ひ……」

 

 息を切らしながら叫ぶと、小鈴は泣きそうな顔で振り向き、しゃがんで何かを拾ったかと思うと、こちらに向けて放ってきた。

 

「来ないで!」

 

「ぐっ!?」

 

 目蓋の辺りに重い衝撃。続いて鋭い痛みに目を押さえると、カタリと硬いものが転がる音がした。

 下を見ると、小さな石があった。痛む目から熱いものが流れ出し、石を投げられたのだと理解する。その直後に、小鈴は見えない程遠くに行ってしまっていた。

 

 パニックになっていたのだろうか。ズキズキと痛みは続くが構ってはいられない。向こうはもっと重傷で、無力なのだ。一刻も早く見つけてやらなければ。

 

 しかし、視界は明滅し、足取りは頼りない。こんな場所で倒れたら、私も……。

 

 がくり、と空が揺れた気がした。

 

 

 

 

「……ん……」

 

 意識を取り戻すと同時に、酷い倦怠感に襲われた。目を開けると、眩しい光が射し込んでくる。

 

「目が覚めた?」

 

 落ち着いた女性の声。続いて銀髪の誰かが覗き込んできた。次第に目が慣れ、その人物の顔がはっきりと見えてくる。

 

「永琳……?」

 

「ああ良かった。ちゃんと分かるのね」

 

 八意 永淋。竹林の医者兼薬師が頷いて顔を上げると、視界に白い天井が映る。どうやら私は寝かされているらしい。

 

 体を起こす。重くはあったが、痛みはない。永琳は手助けするでもなく、私を見つめながら淡々と言った。

 

「妹紅が道すがら見つけてくれたのよ。ラッキーだったわね」

 

「妹紅が……そうか」

 

「目はもう平気よ。特に外傷も無いけど……」

 

 目……そうか、あの時の怪我が本当だとすると、やっぱり夢なんかじゃ……。

 

 待て、だとすると、あいつは……!

 

 ボンヤリしていた頭が一気に覚醒し、永琳の肩を掴む。対する彼女は予測していたようにビクともしなかった。

 

「小鈴は!? アイツは来てないか、怪我をした筈なんだ!」

 

 肩を揺さぶる手が止まらない。あの血が滲む肩やあらぬ方向に曲がった腕が頭に浮かび、無事を確かめたい気持ちで頭が一杯になった。

 しかし永琳は静かに手を払い、私を一瞥する。

 

「あの子なら大丈夫。命に別状は無いし、後遺症も残らないわ」

 

「そ、そうか。良かった」

 

 ホッと胸を撫で下ろし、大きく息を吐く。私の至らなさで取り返しのつかない事になれば、小鈴やその家族に申し訳が立たない。ただでさえ昨日、幻想郷での人間の死に深い罪悪感を感じていたのだ。その上知人が死んだりしたら私は壊れてしまう。

 こんな時には永琳の冷静さが頼もしい。そう思って顔を上げる。

 

 ところが、永琳は不審そうな面持ちで私をジロジロ見つめている。何だろう、何か変な物でもついているんだろうか。

服を払い、手元を睨み、念のため臭いまで嗅ぐ。

 何ともないぞ、そう視線に含めて向き直ると、永琳は少し呆れたように一つ頷き、口を開いた。

 

「えぇと、小鈴の事は置いといて、実は貴女に……」

 

 言いかけた時に、ガチャリ、とドアの開く音がする。見ると永琳に付き従うウドンゲが部屋に入ってきた所だった。彼女は私に気付くと、一瞬永琳と同じように顔を曇らせ、しかしすぐに永琳に向き直る。

 

「小鈴の方は輸血終わりました。今は安定しています」

 

「そう、ありがとう」

 

 極めて事務的に報告を終えると、ウドンゲはまた私を見つめる。二人とも私の何が珍しいのだろうか。外傷は特に無いと言ってたし、検査で偶然ガンでも見つかったか?

 

「なあ、さっきから私の方を見てどうした? 感じ悪いぞ」

 

 二人を見渡しながら言うと、二人は揃って顔をしかめ、目を見合わせる。一瞬あって、永琳が屈んで神妙な表情で言った。

 

「ちょっと聞いて良いかしら? 昨夜どんな事があったのか、教えてもらえない?」

 

「ああ、良いけど……」

 

 私は怪談大会の帰りの経緯を話す。とは言っても特段永琳たちが驚くような要素は無い筈だ。夜中に妖怪に襲われ、幸いにも死を免れた。かいつまんで言えばそれだけだ。幻想郷ではよくある事だろう。

 しかし、聞き終えた二人は無言で宙を仰ぎ、微かに唸るばかりだった。まるで途方にくれたようなうんざりした仕草だった。

 

「どうしたんだ、おかしな部分でもあったか?」

 

「それって確かなの? あやふやだったりしない?」

 

「ほんの昨日だぞ? 大体珍しくも無いだろう、夜中に妖怪に襲われるなんて。それが幻想郷なんじゃないのか!?」

 

 あまりに続く不可解な態度に、つい苛立ちが口調にも出てしまう。その内心にはマミゾウのあの問いかけが未だ影を落としていた。

 幻想郷での人間の立場はあまりに弱い。私一人にどうこう出来るものではない。

 だから目の前にいた小鈴でさえあんな目にあってしまった。生きて帰れたのは、本当にただ運が良かっただけ。

 

 運が悪ければ死ぬ。それは"周知の事実"だろうに、何を根掘り葉掘り聞き出そうというのか。

 死にかけたんだぞ。それも不思議でも何でもない、幻想郷での"当たり前"なんじゃないのか。わざわざ突っつき回す必要は無いだろう、違うか!?

 

 怒りが頭の中をグルグルと蠢き、口から飛び出そうとする。それをどうにか押し留め、座ったまま目を伏せていた。

 どの位そうしていただろう。私の意識を引き戻したのは、永琳の長い溜息だった。

 

「……頭の中で『当たり前』が膨らみ過ぎたのね」

 

「……ん?」

 

 今、何と言った? 頭の、中で?

 

「慧音、貴女は……」

 

 

 

 

 "……今日、驚くべき事があった。親友の小鈴が大怪我をし、永遠亭に運ばれたというのだ。

 それだけでも息が止まりそうになったが、驚きはこれだけに留まらない。永琳からこっそり聞いた所によると、『慧音先生が突然襲いかかってきた』と小鈴はいうのだ。

 

 里の守護者たる彼女が、まさかそんな凶行に及ぶとは信じられなかった。永琳は動機や原因をゆっくり探ると言っていたが、どうも強迫観念のケがある、らしい。

 

 思えば、慧音は少々潔癖だったような気もする。何らかの割り切れない事柄があれば、気に病む場合も有り得なくは無いだろう。本人を前にしてはとても言えないが、長年の付き合いで想像が立つ。

 

 ともかく、今は二人の友の回復を祈ろう。……"

 

 稗田阿求 八月某日の日記

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