「えー? あたいが三話目? どうしようかなー、怪談物なんて辛気臭いの、どうにも慣れないんだけど……。
ま、しゃーないか。遅かれ早かれ当たるんだしね。あたいは火焔猫燐。地霊殿に住んで怨霊の相手をしているよ。死の臭いが染み着いているけど、案外あっけらかんとして明るい場所さ。皆も一度遊びに来てみなよ。その時は歓迎するからさ。
ん? そんなしけた面をしないでよ~。本当に変な場所じゃないって。これでも旧都の中の掃き溜めと比べたら、天国かと思えるくらいさ。まあ、本当の天は真上の方向に気の遠くなる程離れてんだけどね。
家でネタ集めはちょいとキツイ、という訳であたいはちょいと足を伸ばして、知り合いの話を聞いてきた。キーワードはずばり"嫉妬"と"呪い"。もうこれだけでピンとくる奴もいるかもしれないけど、ちょいと聞いとくれよ。
―
三日前だったかな。どっかに怖い話を知ってそうな奴はいないかな、って街をぶらついてたのは。いつも目を引く甘味処や屋台を素通りして、知り合いでもいないかと探していた。
ところがその日に限って知る顔はついぞ現れなかった。まっすぐ旧都を突っ切って、気がつけば地底の入り口まで抜けて来ていた。
街の人々の雑踏や話し声、お店の呼び声……色んなやかましさもとっくに背中の向こうに消えて、目の前にはたった一つ、出入口の目印になるものがポツンとあった。
橋だよ。あのやたら長い縦穴を降りて、旧都の灯が見えてくると、風情のある橋が掛けられているんだ。少々年季が入っているが、石も鉄も無しに昔ながらの方法で作られたあの橋は旧都の賑やかさとの落差も相まって侘しいような、奇妙な魅力がある。チラチラと雪が降る日の夜にあそこで月見酒なんかやれば、さぞかし染み渡るだろうなぁ。
でもその場所は、いつも先客がいるんだ。というよりもう指定席かな。一人の女の子が決まって橋に立っているんだよ。その日もそうだった。
その名は水橋(みずはし) パルスィ。妖怪なんだけど、元々は異国の人間だったらしくてさ。茶色がかった黄髪と深い翡翠色の瞳が綺麗で、白い肌に物憂げな表情が似合うんだ、これがまた。体も細くてね、朱色の欄干にもたれ掛かった佇まいは、悔しいけどかなわないと思ったなぁ。
……ああ、妬ましい。
おっとゴメン、口に出ちゃった。あの娘は美人なんだけど、実は悪評がついて回るんだ。
というのも、彼女には『嫉妬を操る程度の能力』があってね。こいつは俺より金持ちだ、私よりも人気がある……。そんな嫉妬心がある奴に近づいて、心を操り、糧にするんだよ。それも誰だって安心は出来ない。彼女はほんの些細な事でも目をつける。理由も様々で、他人の幸せ、不幸自慢する安らぎ、あるいは不幸を受け入れる寛容さ……。他人のありとあらゆるものを妬む。
そういう性質だもんで、パルスィと気の置けない奴はほとんどいない。せいぜいが世間話程度で、腫れ物に触るように接していた。
だから橋の袂で見つけた時も、一瞬体が硬直した。言っちゃ悪いけど、回れ右して戻ろうかとも、一瞬悩んだ。怖い話は知ってそうだけど、つまらない用で嫌な顔されたくないし、何よりパルスィと二人きりで話すっていうのが、酷く神経を使いそうだった。
あれこれと考えている間、肝心の体はずっと固まっていたらしい。パルスィがフッと振り向いた瞬間、ばっちり目が合っちゃった。
そうなると踵を返して逃げるなんて訳にもいかなくてね、意を決して愛想笑いしながら近づいていった。
『やあ、パルスィ』
『ええ、どうも』
幸い機嫌は悪くないみたいで、微かに微笑んでくれた。のっけから本題を言うのは気が引けたから、一緒に橋の上に並んでしばらく最近の事を話した。こいし様が今度はどこに行ってきたとか、土蜘蛛のヤマメが風変わりな妖精を捕まえたとか。
意外かもしれないけど、ある程度打ち解けたらアイツ結構明るいんだよ。よく笑うし、それなりに話題も投げてくれる。
まあ、心中丸っきり穏やか、とはいかないけどね。表面は明るくても頭の中では嫉妬が渦巻いている時がままある、そうさとり様に聞いていたから。
緊張をごまかしながら話が弾んだ所で、ついに夏に絡めて怖い話を知らないかと水を向けてみた。ところが、パルスィは不意に言葉を詰まらせる。
『どしたの?』
『いや、えっとね……』
歯切れが悪い返事をしてパルスィは目を泳がせだした。あたいは何かまずい事を聞いたかと身構えたよ。どんな切っ掛けで心の奥底の、暗い部分が見えちゃうか分からない。嫉妬心を恐れて、この怪談大会の事も隠しておいたくらいなんだ。
パルスィがなにやら考えはじめて十数秒。あたいも黙って言葉を待っていると、やがて向こうが遠慮がちにこう言った。
『私に聞くって事は……あれだよね。呪い関連よね』
『へ、ああ、まあ……』
別に内容はどんなのでも良かったけど、期待していなかったと言えば嘘になる。
彼女は昔、恋愛絡みで怨みを抱いて自殺し、呪いの力を持つ妖怪になった過去があった。
特に有名な"丑の刻参り"、夜中に憎い相手を思い浮かべて藁人形に釘を打つ、あの方法を開発して広めたのはパルスィだって話がある。
だから怪談に縁があるかな~、くらいには考えていたんだけど……先程の反応を見た後だと、怖い話自体アウトだったのかと思い始めた。
『そっか、まいったな……』
戸惑うあたいを余所にパルスィはため息混じりに天を仰ぐ。直後に向き直って放った言葉は、驚くべきものだった。
『あれ、実は嘘なのよ』
『は?』
『だから、全部デタラメ。呪いの力なんて無いの』
思わず聞き返しちゃった。嘘? だったら他人に見られて自分に返ってくるとか、そのせいで見た相手を殺そうとしてくるとか、そんな恐ろしい話の数々も全部嘘なの?
『という事は……効果なんて無いっての?』
『そうなのよ。呪われて死んだとかいうのは、みんな偶然か思い込み。藁人形で他人をどうこう出来るもんですか』
事も無げに言うパルスィを見て、報われないなぁって思った。今まで信じていた人々は元より、地底でも怨みのあまり釘を打ったなんて話を人づてに何度か聞いていたし、世話をした怨霊たちも『アイツを呪ってやりたかった』とか言う事が珍しくなかった。それらが嘘に踊らされていたなんて。
『……呪う時のエネルギーが、私の力になるのよ。私はそういう妖怪。生きる為に仕方ないのよ』
あたいの心情を読み取ったのか、パルスィは真っ直ぐ目を合わせて言った。あたいもそうだけど、妖怪は自らの習性を変えるのは難しい。いくら元人間でも、ひもじさを敢えて味わうなんてバカらしいだろう。
『それに、呪いが全部実現したら大変よ。死んでしまえだの病で生き地獄を味わえだの、子孫が続く限り貧しさに苦しめだの……。
自分じゃ妥当だと思ってるか知らないけど、好き勝手言うんだから』
後ろめたさがあったのか呪いの主たちを蔑んでいたのか、パルスィは薄ら笑いを浮かべていた。あたいは気持ちを量りかねて、愛想笑いしながら言う。
『信心ってのも楽じゃないねぇ』
『そんな大したものじゃないわ。呪ったと思い込んで、すっかり能天気に過ごす奴の方が多いし』
パルスィの声に苛立ちが混じりだした。このまま話してもお互い良い気分はしないと思ってね、適当に挨拶をして帰った。振り返ると、いつも通りパルスィは橋の袂で、物憂げな表情で佇んでいた。
……街に戻ると、時分はもう夜だった。飲み屋に灯りがつき始めて、早くも仕事を終えた奴等がたむろしている。
あたいもそういう喧騒を見ると、いつもは活力が湧いてくるんだけど、その日はモヤモヤした気分だった。取りあえずネタのストックにしようとか考えたんだけど、人が全身全霊込めて怨んでおいてああ言われちゃ、さぞ空しいだろうな、ってね。
浮かない気分をどうにかしようと飲み屋に入った。途端に中にいた男衆が歓迎して、話の輪に加えてくれる。
顔馴染みたちの間では、あたいはもっぱら聞き役だ。男が集まるだけあって愚痴が続く続く。喧嘩で負けただの、女にふられただの、博打で大損こいただの、酒に酔いながらの話題にいつも一緒に笑って応える。怨霊の話し相手をした経験のお陰で、すっかりお手のものだった。
だけど、パルスィの話を聞いた後だと、いつもと違う感情が湧き起こった。
『ああ、この人たちは人生が釣り合いの取れるものだと信じているんだなぁ』って。
よく、幸せと不幸は同じだけ来るとかいうだろ。誰が確かめたんだと思うけどまさにあんな感じでさ。
喧嘩で負けてもいつかは見返せる。
女にふられてもいつかはまた出会いがある。
博打で大損してもいつかはひっくり返せる。
……そんな風に幸せが代わりに舞い込んでくる、もっと言えば幸せが実感出来るはず、そんな考えがにじみ出ているんだよ。
呪いに頼る奴も結局はそういう心境なんだろう。自分を苦しめた奴は、同じように苦しまなきゃいけない、とね。実際どうなるかは、神のみぞ知るなのにさ。
あたいだって別に偉そうな事は言えないよ。でも酒を呑みながら惨めったらしく管を巻く姿を見てたら、『人生なんて所詮博打さ。機転と運と環境でどうにでもなっちまうんだよ』、なんて諦めの心理に傾いていった。
まあ、本人たちの前では言えないけどね。あたいはそれ以上はいたたまれなくて、酔いもそこそこに地霊殿に帰って、すぐに床に入った。
布団の暖かさに包まれながら、人生は不公平だなぁとか、あたいは恵まれてるなぁとか考えながら、いつの間にかまぶたを閉じていた。
……次の日、あたいはまた橋に行った。パルスィに聞いた話を他人に話しても良いか、許可を取るのをうっかり忘れていたんだ。
また明るく応じてくれたら良いんだけどなぁ、って不安を抱えて走っていると、やがて目的地が見えてくる。
だけど、そこではたと足が止まった。パルスィはまた橋の上に立っていた。だけど明らかにいつもと様子が違ったんだ。
あたいから見て背を向けて仁王立ちして、両手をこう、額に当ててるんだ。更に周りには、妖力が緑色の波になってパルスィから放出されている。遠くからでもハッキリと目に見える程で、心なしかドクンドクンと心臓の鼓動のような音さえ聞こえてきた。
一瞬遅れて我に返り、忍び足で近づく。不審ではあったけど、万が一怨霊にでも取りつかれてたら大変だ。徐々に体が軋むような気がしたけど、手の届く場所まで来て思い切って声をかけた。
『パルスィ! 何やってんだい!?』
『わっ!?』
予想外に大きな声が出て、パルスィが飛び退く。その途端やっと重圧から開放されて、腰砕けになった。
『な、なによお燐。脅かさないでよ』
『えへへ、ごめん……』
目を丸くして大きく息を吐く姿は、ごく自然体だった。取りつかれた訳じゃないらしい。取り繕って話しかける。
『いや、じっと向こう見てたから何かあるのかなって……』
言いながらパルスィの背後を見るけど、特に変わりはない。目を凝らすあたいの頭の横で、パルスィが『ああ』と呟いた。
そしてピースサインを両手で作り、手の甲の面から額に当てる。恐らく最初に見た時と同じ格好をしてから、ポツンと言った。
『これ、呪いなのよ』
直後、また妖力の波が肌を叩く。近づいた分足が酷く震えて、脂汗がにじむ。全身の毛が逆立ち、生唾を呑む音がやけに大きく聞こえた。あたいがおののく目の前で、パルスィは涼しげに言い放つ。
『今まで丑の刻参りをしてきた奴等を、皆呪うのよ』
丑の刻参り? だってあれは効果が無いって、自分の力になるって言ったじゃないか。それに今やってる呪いは、明らかにコケおどしじゃない。何の因果でそんな事を。
重圧で言葉すら発せずにパルスィを見つめていると、彼女は不意に眉に深い深いシワを刻んだかと思うと、底冷えするような低い声で言った。
『私は呪いの為に人間を捨てたのに、呪っておいて幸せに生きる奴等がいるなんて、不公平だわ』
不公平、真剣な響きでもってパルスィがそう言った時、あたいの頭の中に、パルスィ自身の言葉が蘇った。
"自分じゃ妥当だと思ってるか知らないけど、好き勝手言うんだから"
パルスィがどんな呪いをかけたかは知らない。ただ、丑の刻参りと違って現実のものになるのは間違いないだろうね。
―
……それから、身の回りや付き合いが変わった訳じゃない。あたいが呪われる事は、よっぽどが無い限り大丈夫だろう。
ただ、呪いなんかに頼りたくはないね。他にいくらでもやれる事はある。幸せ者、なんて言うなら勝手にすればいいさ。皆いつかは死体になるんだ、幸せを享受して何が悪いってんだい。
……あたいの話は終わりだ。皆はくれぐれも怨みを引きずったりしないようにね。多分良い事なんかありゃしないからさ。
さあ、お次は誰だい?」