四周目・一話目-赤蛮奇
「ん、私が最初を話すのかい? ま、いーけどさ、つまらないかもねぇ……。
私は赤蛮奇。人里に住んでいるしがない妖怪だ。この先会うことがあるかもしれないけど、挨拶はほどほどにしといてくれ。私はあまり目立ちたくないタチでね。下手に親しい人を作りたくないんだ。
変わってる? それこそ人間の決め付けだね。いつも群れているクセして面白くもなさそうな顔を何度もする。ああいう連中を下らないと思う奴はそこかしこにいるものさ。覚えておくといい。
で、本題なんだけど……もう五、六年前になるのかな。霧の湖ってあるだろ? あの紅い館の隣の、いつも霧に覆われた大きな湖。
あの場所に知り合いがいるんだよ。わかさぎ姫といってね、下半身が魚で、着物を着て蒼い髪を生やした、美しい人魚なんだ。いつもは湖のほとりで歌をうたい、綺麗な石を集めたり、のどかに過ごしている。その子から聞いた話。
ある日、昼下がりに姫が湖の景色を眺めていると、人がいるのが目に入った。そいつがどうも小さな子で、湖のそばで水面を見ながらパチャパチャやっている。
子供が一人きりで湖に来るなんてのは、そりゃ珍しかった。里と違い妖怪は普通に出るし、あの辺りは強力な妖精もいる。姫はともかく他に見つかればひとたまりもない。日の暮れる前に帰らせなければ、そう思って姫は子供の元へ泳いでいった。
その内近くまで来ると、水音でビックリした子供が振り向いた。背の低い男の子で、肩をすくませて気弱そうな瞳をくりくりさせた。
『こんにちわ』
その少年は妖怪に声をかけられて後ずさった。だけど姫が何もせずにいると、ようやく『こんにちわ』と小さく返す。
『ボク、何が御用? なるべく早く帰った方が良いわよ。暗くなると危ないわ』
姫が問いかけると、少年は悲しそうに目を伏せた。答えを待っていると、下を向いたまままた小さな声で言う。
『用は、無いです……。ここで一人でいるの、好きなので』
その答えに、姫はやや首をかしげた。確かに自分も好きな景色だけど、少年はお世辞にも楽しんでいる風じゃなかった。笑顔は明らかに作られたもので、冷たい湖畔の風のせいか目元が微かに光っている。
とりあえず、一人じゃ確実に危ないと思って『お友だちと一緒に来てみたら。そうしたらもっと楽しいわよ』と笑って見せた。けれど、少年は顔を上げると、黒曜石みたいに黒く寂しげな瞳を真っ直ぐに向け、戸惑う姫にポツリと言った。
『僕、一緒に来るような人がいないんです』
『あ……』
彼女は口に手を当ててしまった、と思った。友達がいないならば一人きりなのも悲しい表情も合点がいく。偶然とはいえまずい事を聞いてしまったが、もう遅い。
しばし気まずい沈黙が流れた。少年は 膝を折り畳んで黙り込んでしまい、姫も何も言えずに俯いていた。
しかし、しんとした空気の中で少年はふとたどたどしく、こわばった声で、こう尋ねた。
『どうしたら……仲良く出来るんだろう』
一人で呟いただけなのか、それとも姫の優しい雰囲気に惹かれて勇気を出したのかは、分からない。だけど姫はお節介にも頭を捻り、少年にちょっとした話をする事にした。
まず少年に湖面を見るように言い、互いの顔が映るようにしたまま話し続ける。
『今の君、ちょっと悲しい顔をしてるでしょ?』
『はい……』
『見てるとだんだん悲しくなってこない?』
『……そうですね』
次に、怒った顔で拳を振り上げてみろと言う。
『こうすると、どう感じる?』
『殴られそうで、怖いです』
『向こうも、そう思うでしょうね』
次に棒切れを拾って、水面に向けて構えてみろと言う。
『他人とこうなったら、どうする?』
『逃げます。じゃなきゃ先に叩く』
『向こうも、そう思うでしょうね』
少年は次第に姫の意図が掴めず、ムッとしだした。結局何をやらせたいのかと、不満げに姫の方を見る。
すると姫は、少年にふっと顔を近づけて、こう言った。
『ごめんね、ここからよく聞いて?』
そして目を真っ直ぐに見つめて、柔らかく笑う。不意に向けられた曇りの無い笑顔に、少年はひょ、と目を丸くした。それを見て姫は白い歯を見せる。
『笑って見せたら、どう? 嫌な気分にならないでしょ?』
姫に言われて、少年は口ごもった。目を逸らした先には水面があって、自身の顔が映る。
その顔はしかめっ面だった。眉の間にシワが刻まれ、唇が貝の口みたいにきっぱりと閉じている。その顔がおかしくて、少し吹き出した。瞬間、綻んだ表情がわずかに姫に似ていた気がして……。
ぎこちない顔の筋肉を動かしながら、じわじわと口角を上げていく。苦労の末笑顔が出来上がると、姫と顔を見合わせる。いつの間にか苛立ちは消えていた。
『皆に向けて、にっこり笑ってごらん。お友達もきっと出来るわ』
そこで初めて本心から笑いあった頃、時分は既に夕暮れに近くなってきた。何度かまた湖に向けて笑顔の練習をした後、姫に礼を言って少年は去っていった。
私は、その日の事は知らない。後から姫に聞いたんだ。少なくともその時は清々しい一コマとしてね。
だけど、私もその少年と直に対面した事がある。姫が最初に会ってからもう半年も経った日の事だった。
その日はどんより曇っていた。私は姫とお喋りしていたんだけど段々暗くなってきて、今日はもう帰ろう、と姫は湖に潜った。それを見て、私も降ってこないか心配になりながら背を向けた。
その時。
どぼん、と重たい水音がした。姫じゃない、もっとずっと遠く。音の方向に目を凝らすと、湖面に微かに波紋が残っている。
まさか飛び込みか、そう思った瞬間に姫が泳ぎだした。私も岸から走って追いかける。ほどなくして姫が一人の少年を抱えて水から上がる。
早く寝かせろ、と私は叫んだ。だけど姫は、少年の顔を見て、言葉を失いまた離してしまいそうになった。彼が以前話した、友達作りに悩んでいた子なんだと、姫は早口に言ったよ。
とにかく放ってはおけないから、陸に引き倒して頬をひっぱたいた。姫が泣きそうな顔で覗き込む下で、少年はうすぼんやりと目を開けた。
『あ……』
姫がかける言葉を探し出す。その間に少年は寝ぼけているようにむっくり起き上がると、姫を薄目で見つめたまま、立ち上がりもせず黙っていた。
『私を覚えてる?』
姫が問いかける。少年は二、三度瞬きして頷いた。姫は乏しい反応がもどかしかったのか、がばりと肩を揺すって悲痛な声で言った。
『ねえ、何があったの? まさか自分から飛び込んだんじゃないわよね!?』
孤独に苦しんでいた事から、姫の中でも嫌な予感がしたのかもしれない。確かめるような言葉でも、口調に願望が混じっていた。
そしてその願望を裏切るように、少年は何も言わず、ふて腐れたように目を逸らした。
姫がそれを見て、感情を爆発させる。
『どうして!? 笑ってみるって言ったじゃない! まだ子供なのに、これからいくらでも仲良くできるでしょうに、なんでこんなバカな事!!』
音が鳴りそうな程に強く肩を掴んで、姫はまくし立てた。少年は一言もしゃべらず、座ったまま魂が抜けたように揺さぶられている。
しばらくして姫がやっと我に返り、地面を睨んで息をしながらそろそろと少年から手を離す。今度は姫が怖がるように、少年に目を合わせずにいた。
私は口出し出来ず、沈黙が続いた。
しかしややあって、姫は少年に向き直ると、悲壮な表情を抑えてにっこり微笑んでみせた。少年も笑顔を返してくれるだろう。多分、そう期待して。
だけど、期待は裏切られた。少年は姫の笑う顔を見ると、その消え入りそうだった表情に突如怒りを燃え上がらせた。眉をひび割れのように歪ませ、口はわなわな閉じも開きもせず痙攣し、私の眼下ではギリギリと拳を握りしめていた。
姫は拳に気づいていないのか、困惑の色を浮かべた。その一瞬。
『イタッ!』
少年は拳を姫の頭に見舞った。訳が分からず目を丸くする姫に向かって、少年はなおも拳を振り上げる。
『いた、痛いってば! やめてよ!!』
姫が叫んでも、手で遮っても、少年は同じ場所をポカポカ殴り続けた。かんしゃくを起こした子供みたいに。
あんまり理不尽だったから、私はしばらく呆気に取られていた。我に返り止めに入った時には、慌てて予備の首を全部動員したくらいだ。
『おい、何やってんだ!』
肩を掴んで振り向かせると、途端に少年の顔が青ざめるのが見えた。そこで生首をいくつも見せちゃったのに気づいて後悔したんだけど、今さら隠せやしない。構うものか、少しくらい怯えさせた方が落ち着くだろう。そう考えて、たくさんの首と一緒に、彼を睨みつけた。
でも、それからの反応がなんというか、予想外だったんだ。ひゃああぁ、って掠れた悲鳴をあげたかと思うと、パッと背を向けて、湖に視線がぶつかった。水面に映った自分と、私の首を見るや、今度は手の平で顔を覆って、その場にうずくまってしまったんだ。
『どうしたのよ、急に……』
姫が声をかけても、少年はびくともしない。ダンゴムシみたいに丸まって、まるで触らないでって訴えてるようだった。
しばらく、姫はなすすべもなく彼を見つめていた。私も、かける言葉が見当たらない。
落ち着かないまま、ソロソロと首を仕舞った。その時ようやく少年が、ぽつり、ぽつり、と微かな声で話し出したんだ。
『皆、僕を笑うんです』
『え?』
姫が怪訝な顔をすると、少年は上半身を跳ね上げて、地面に生えている草を掴みブチブチと千切りながら、涙ながらに叫んだ。
『皆、取り囲んで僕を笑うんですよ! 笑顔を作っても、殴ろうとしても、棒っこを振り上げても! ニヤニヤしているだけだったんです!!』
そう言ってから、彼は嗚咽を漏らしていつまでも動こうとしなかった。私も姫も察していたたまれず、ぼんやりその場に突っ立っていた。
しばらくして私が里に送っていったが、何も話した記憶はない。覚えているのは、少年の心を表したような曇り空。雨も降らずただただほの暗い、ネズミ色の曇天だけだ。
……何故、何年も前の話を、それもホラーって訳でもない話を今さらしたか。
実はつい先日、合ったんだよ。向こうは背も伸びて大人っぽくなってたけど、あの気弱そうな目つきだけは変わっていなかった。
声をかけてみると、向こうも私の顔を思い出したようだった。寺子屋は無事卒業したか、今どうしているか、なんて他愛もない話をする間、彼は普通に笑っていた。
そして最後に気がかりだった事をおそるおそる尋ねてみたんだ。あのトラウマみたいな事は、もう起こってないかい、とね。
そうしたら、何でもないと答えた。その返事に胸を撫で下ろす。でもその直後に、機械みたいな平坦な声で、彼はこう付け加えたんだ。
『今はもう、誰もいませんから』
そして急に解放されたような、晴れやかな表情になったかと思うと、グニャリ、と姿が歪んだような気がした。その光景に瞬きする私を尻目に、彼は音もなく脇をすり抜けて……。
色が瞬く間に薄らいで、そのまま、消えるようにいなくなった。
後には、誰もがいつも通りの里の喧騒があるばかり。彼の事なんてだれも気にかけちゃいなかった。
多分、生きてやしなかったんだろう。
―
……あの時の印象からしてね、彼はとうの昔に死んだんじゃないかと思う。あの解放された、未練のなさそうな顔からして幽霊にでもなって、彼岸にも行かずに第二の人生を楽しんでるんだろう。
問題だ、って? まあ確かにね。亡霊はともかく、幽霊なんて空気みたいなもんだ。虫みたいに湧いて出て、いつの間にか消えてしまう。人間みたいには暮らせないだろうさ。
でも、それが彼の望みだったんじゃないかなぁ。誰とも関わらず、一人で気ままに漂う。生前は望んでも出来なかったろう。
大体、考えてごらんよ。人間の里も、寺子屋も一つしかないんだ。居場所も世代も、生きていたらほとんど変わらない。私が人間なら息がつまるよ。まるで金魚鉢だ。
良いんじゃないか、妖精も妖怪も神様ものさばってんだ。空気みたいな生き方もさ……。
まあ、今話す事でもないか。私の話は終わりだよ。お次は誰だ?」