幻想郷怪奇談 ~寺子屋で話す怖い話~   作:ごぼう大臣

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四周目・二話目-二ッ岩マミゾウ

 「む、次は儂か。どんな話にすべきか悩んだぞ。単に化け物が出たー、なんてのは割とありふれておるじゃろうし。

 

 いや、危なく無いとは言わんさ。子供が妖怪に遭ったりすれば、そりゃ命に関わる。当然じゃ。

 しかし例えば、『夜中に出歩いて、宵闇の妖怪や夜雀の妖怪に襲われました、怖かったです』と言われたら、先生、恐怖を感じるか? むしろ叱るじゃろ、バカな真似をするなって。

 

 怪談の恐怖というのは、もっとこう……よく分からないものや、非現実的なものから生まれる感情じゃと思う。これが幻想郷では存外難しいんじゃ。現代なら火の玉や幽霊で事足りるじゃろうが、こっちじゃ現実の一部だ。

 

 里に危ない妖怪は来ない、都会に熊は下りて来ない。

 狼藉者には巫女を呼べ、不審者が出たら警察を呼べ。

 

 ここにいる連中には分かりづらいじゃろうがな。現代にいた頃と同じように考えていたら、怪談なんぞ思いついても興ざめする事請け合いじゃ。儂も誘われてから後でキャンセルしようかと思ったくらいよ。

 だったら帰れ? まあ待て。儂もそれから考えた。

 そもそも怪談は、他人に怖いと思ってもらわにゃ始まらん。ところが妖怪やら幽霊やらじゃ怖がらせるネタとして弱い。そうなったらどうするか。

 

 もしかしたら、人間と妖怪その他を分けて考えるからいけないんじゃないか。両者が両者とも怖いと感じるものを見つけ出せば、悩みは解決するんじゃないか?

 そう思いついてからは早かった。何年か前にうってつけの話があったのじゃ。

 そんなの都合よく転がっているのかって? まあまあ、それは聞いてのお楽しみ。つまらないものかどうか、それから判断しておくれ。

 

 

 

 

 儂が寺に住み着いて、段々と幻想郷にも馴染めたかな、という頃じゃった。

 慣れていなかっただけで、昔から今まで不足は感じとらん。寺の連中は気のいい奴等が多いし、こちらの狸たちもさほど喧嘩を売ってきたりせず、慕ってくれた。むしろ現代でお目にかかれないような自然の野山はお気に入りじゃ。川の水をそのまま飲めるような場所、向こうじゃどれ程あるか。

 

 ただ思い通り、というのは違ってな。寺を取り仕切る尼……聖 白蓮(ひじり びゃくれん)という奴を知っとるじゃろう。奴がまあ、過去に並々ならぬ事があったらしいが、昔から『妖怪と人間の共に生きる世界を』と言って、幻想郷に流れ着いた後でも寺を建てて妖怪を悟りに導く為の活動に精を出しておる。

 

 しかし、その手法がな。仏教の、人間が己の悩みから解放される為の修行を、妖怪にも課しておるんじゃ。

 元来恐怖や負の念から生まれた妖怪からすれば、『お前は幻だ』と繰り返し聞かされるようなものさ。

 自身の存在そのものの否定に繋がるような言葉を、精神が要の妖怪が聞かされてみろ。心がもし立ち直れなくなれば肉体の活動も呆気なく止まり、最悪の事態に……なんて事もあるかも知れん。

 

 聖はだからこそ教えが真に届きやすいのだと言うが、儂にはそれが気にかかってな。彼女に前々からやんわり疑念を打ち明けたりしたもんじゃが、流石は聖者。『それは貴女の意思で決めていただいて結構ですよ』と微笑みながら言いおった。

 そうなると、賛同者も確かにいる事だし儂には何も言えず、どうにも釈然としないなぁと思いながら寺で暮らしていた。

 

 そんなある日の事じゃった。聖の弟子の一人が、儂に相談を持ちかけてきたんじゃ。

 封獣(ほうじゅう ぬえ)という妖怪でな。以前は地獄に棲んでいた。地底の異変を期に寺に入信したクチで、それより前は儂と一緒にいたんじゃ。最近になって久しぶりに会ったかと思えば、厄介な勢力が現れたから寺を助けてくれ、などと言って儂を幻想郷に引っ張り込んだ。曲がりなりにも聖たちは好いておるようじゃ。

 ただ、真面目に過ごしているかといえばそうでもなく、皆が修行をしておる中でつまらなそうにサボる事も多かった。

 そんな気ままな輩じゃったから、ぬえが『話したい事がある』としょげた顔で切り出してきた時には、少々意外に思った。

 

『何じゃ、なんぞ悩みごとか?』

 

 聞くと、ぬえはボソリと、当時から三ヶ月程前の事だと言って語りだした。

 

 いつものように、ぬえが寺の縁側で座り込んでサボっていた時の事じゃった。ぼんやり脚を遊ばせながら空を眺めていると、やがて日が西に傾き、お堂での読経の声が止んで大勢が腰を上げる音がする。

 やれやれ、これで晴れて自由時間だ、とぬえが伸びをして立ち上がった時じゃった。

 

『ぬえ』

 

 後ろから厳粛な、聞き覚えのある女の声がした。ぎょっとして振り向くと、そこには聖が静かな大木のように立っていた。いつもの柔和な笑みは消え失せ、ただただ真摯に心配する真っ直ぐな瞳がぬえを見据えている。

 ああ、これは逃げられないな、とぬえは直感した。瞬く間に聖はぬえの手を引いて、小さな部屋に連れていった。ぬえの前に座布団を敷き、自身は正面に正座して経典の巻物をばさりと広げる。

 

『……何する気?』

 

 嫌な予感がしてぬえが尋ねると、聖はピシャリと言い切る。

 曰く、今までサボっていた分、貴女に特別に読経の時間を設ける。これを期に自分を見つめ直しなさい、との事。

 ぬえはゲッ、と嫌な顔をしたが自業自得の当人が抗弁出来る筈もなく、ストンと正座して手を合わせ、目をつむった。

 

 間もなく聖の経を読む声が部屋に響く。互いに一言も口を開かず、他人が見ればさぞおごそかな風景に見えたじゃろうが、ここに来てもぬえは真面目に修行する気はさらさら無かった。

 何しろしばらく経てば脚は痺れるし、肩は凝るし、おまけにお経は相変わらず妖怪にとって毒電波さながらの、吐き気がする程ありがたい内容。ぬえは背筋が寒くなり頭痛がするのを感じながらも、このまま石みたいに固まっていれば解放されるんだ、チョロいもんだよ。と、心の中で舌を出していた。

 

 ところが、その心境は突如一変する。

 

 次の時間割りに移ったのか、寺の当番が庭に備え付けられている大きな釣り鐘を、寺中に響くような音で。

 

 ごおぉん、と叩いた。

 

 その音を聞いた途端、ぬえは唐突に虚しい気持ちに襲われたという。お経はすでに忌々しいものですらなく、窓から抜ける隙間風みたいに、寒々しく耳を抜けていく。あの時は信心も罪悪感も苛立ちも消え、ただ大人しく座る物体に成り下がっていたと、本人は言っておった。

 

 いつの間にか読経は終わっていた。

 聖はそれからも一言二言何か言っていたようじゃったが、ぬえの心には響かなかった。あのお経が、それを尊ぶ聖が、周囲の寺が、急につまらなく、下らないものに思えて、一人でトボトボと、皆のいる広間へ向かった。

 

 出る頃には夕方になっていて、他の弟子たちが夕飯の支度やら風呂の用意やらでせかせか動き出した。

 いつもならぬえは食材をつまみ食いしたり風呂場のゲジゲジを追っかけ回したりして皆の邪魔をしたものじゃが、その日に限ってそんな気も起こらず、ただ言われるままにキャベツの芯など取って感心されていたそうな。

 

 だが、ぬえの内心は一向に晴れなかった。風呂に入って湯に沈んでも、飯を食べて腹が膨れても、あの鐘の音を聞いた時のような、何の感慨もない、ただ転がっている石ころにでもなったような気持ちが消えなかった。

 ぬえは体まで重くなるような気がしつつも、もう寝てしまおうと強引に布団を被り、珍しく一番に眠った。

 

 朝になり、ぬえはまた珍しく夜が白んでいる内に起きた。いつもはギリギリまで寝ていたくて、半分目覚めてはまたトロトロ眠るような事を繰り返していたようじゃが、その日は特にそうも思わず、顔を洗おうと洗面所に向かった。

 

 ところが、そこには先客がいた。まだ足元が冷え冷えとして、張り詰めた空気で肌が痛むくらいの時分なのに、桶に水を張って顔を洗う一人の少女がいた。

 

『あ、ぬえ。おはようございます。今日は早いんですね』

 

 そこにいたのは寅丸 星(とらまる しょう)。寺の毘沙門天の代理で、財宝を集める妖怪じゃ。彼女は冷たい水にかぶりを振りぱしゃぱしゃと水滴を飛ばして、頬を赤らめて微笑んだ。

 

『おはよう』

 

 ぬえはぶっきらぼうに言って、星の前の桶から水を拝借しようとした。

 ところが、星はその手をスッと止める。

 

『駄目ですよ、他人が使ったのなんて、ばっちい。後でまた井戸から汲んできますから』

 

 そう言って星は、桶を見ながら髪をパサパサいじりだした。首を傾げるぬえの視線に気づいて、星が振り向く。

 

『今日は里人への説法がある日ですから、髪を整えているんです。だらしないと恥ずかしいですから』

 

 へえ、人前に出るのは大変だね。なんて言うと、星が呆れたように笑った。

 

『ぬえだって少しは気を遣ってください。女の子なんですから』

 

 言われてひょいと目を落とすと、桶の水に自分が映っていた。確かに寝癖が結構ひどい。恥ずかしくなってグシグシと髪の毛を引っ掻き回すと、星が手を添えてくる。毛づくろいみたいに優しく撫でられるうちに、段々とマシになってきた。

 

『元が良いのにもったいない。少しのおしゃれで可愛くなれるのに』

 

 桶の水面に後ろで立つ星の姿が見える。屈託なく笑って言われると本当にそんな気がしてきて、ぬえは自分の顔を見ながら微笑んだ。

 おしゃれをしてみようか。ふとそんな興味が湧いた。色んな髪型や、服を試してみよう。付け爪なんかも良いかもしれない。寺では質素なのが理想かもしれないけど、聖なら少しくらい大目に見てくれるだろう……。

 ぬえはとりとめの無い妄想で胸を膨らませていた。気がつくと自分の表情が、一層口角を上げて目を輝かせているのに気がついた。

 

 しかし、その時。

 

 ごおぉん、と、またあの鐘の音が聞こえた。朝の起床の合図だったか、または気のせいかも知らぬが、確かに聞こえたのだという。

 

 その瞬間、そこには桶を見ながらにやついた、寝癖が直らない一人の女の子が立っているだけじゃった。

 ぬえの胸はスッと冷たくなり、酷く興ざめした。不思議そうにする星に振り返って微かな目ヤニを発見して、彼女が慌て出した間に使い古しの水を掬って被り、乱暴に腕で拭って立ち去った。

 

 あの鐘の音の呪縛は、解けていなかった。それどころか日を追う毎にいたる場面で聞こえるようになったのじゃ。

 

 また別の日に、ぬえは昼下がりに雲居 一輪(くもい いちりん)の姿を見かけた。いつもは紺色の頭巾を被っているのに、それを脱いで膝に乗せ、何やら弄くり回している。

 

『何してんの?』

 

 気になったぬえが覗くと、一輪は顔と右手を上げた。その手には小さな針があった。

 

『見て分かんない? 頭巾直してるのよ。破けちゃってさ』

 

 一輪は答えるなり視線を戻し、黙々と手を動かす。よく見ると目立たない青色の糸が細かく巡っている。

 ぬえがボンヤリ眺めていると、一輪はそれが気になったのか何度か視線を行き来させ、やがてポツリと言った。

 

『やってみる? あと少しだけど』

 

『え? いいの?』

 

 ぽんと渡された頭巾に戸惑いつつ、言われるがままに手を動かす。最初は針の先をあちこちに滑らせて慌てたが、次第に要領よく糸を通していく。集中して黙り込むぬえに、一輪は横から声をかけた。

 

『上手いじゃない。筋が良いのかな』

 

 もしかしたらお世辞かもしれぬが、褒められて悪い気はしない。

 

『雲山なんか不器用でさぁ。手が無骨なのよ、やっぱり』

 

 たはは、と笑う一輪を見ながら、ぬえは針仕事が楽しいと思い始めていた。

 

 それから二、三週間はその趣味が続いたらしい。村沙の帽子や響子の靴下、小傘のハンケチなんかを預かっては穴を塞いでいた。そういえば儂も一度、スカーフを直してもらったっけ。

 皆は取り立てて急ぐ訳でもなく、直してくれるなら、という程度の気持ちじゃったが、ぬえは自分なりにキッチリと仕事をした。糸の色や細さにも気を遣い、当て布で似合うのが無ければお忍びで里へ出向いたくらいじゃ。頼んだ奴等も仕事ぶりに感心し、彼女を見直したものよ。

 しかしいつの間にかやらなくなっていた。ハッキリした理由は本人にも分からなかったらしい。ただ、儂のスカーフを縫いながら、フッと自分の指を見て、そんなに細いのかな、とか考えながら糸を留めようとした瞬間。

 

 ごおぉん、とまたあの鐘の音が聞こえた。障子を開けて庭を見てみたが、誰もいない。今度は完全に、しかし現実感のある空耳じゃった。

 

 振り返ると、完成寸前の、糸と針がそのままになったスカーフがあった。あとほんの三十秒程で終わる、自分の仕事。

 しかし、それは最早どうでもよくなった。床に転がった白いスカーフがふやけたワンタンみたいに見えて、自分の物でもあるまいに何でこんなのを細かくチクチクやっていたんだろう、と傍らの諸々の裁縫道具も戸棚に仕舞い込み、ため息が一つ出た。

 何故ほぼ直った物を『後は自分でやって』と手渡されたのか、その時ようやく分かったよ。

 

 またある時、今度は村沙に声をかけられた。ちょうど午前の暇をしていた頃で返事をするのも面倒だったが、村沙はお構いなしの笑顔で、分厚い紙束を見せてきた。

 見ると

 

"妖怪のえん罪主張の権利及び裁判権を求める呼びかけ"

 

というタイトルに必要性を訴える説明文が長々と書いてあり、その下に住所氏名を書く為の空欄、それらが印刷された紙が何十枚も山になっている。

 

『何これ?』

 

『署名よ。今から里で集めに行くから、手伝って』

 

 村沙はざっと紙束を二つの袋に分けて突っ込み、片方をぬえに持たせる。話を呑み込めないぬえが待って、と言う前に、村沙は早足に駆け出した。

 

 里に着くまでに村沙は詳しい話をしてくれた。

 曰く、巫女の判断による制裁では、万が一誤解があった場合に妖怪が抗弁出来ない可能性がある。

 それを防ぐ為、望む者に限り証言する場と調べる人と弁護する人、総合的に判断する人がいる所謂、裁判制度を作ろう。寺でそんな話が持ち上がったという事だった。

 

『で、第一段階として、賛同する人妖の名を募るという訳』

 

 村沙はそう言ってはにかむ。ウキウキした表情と対照的に、ぬえは署名用紙を担ぎ直して顔をしかめた。

 

『ずいぶん気の長い計画だね。巫女やスキマ妖怪が聞く耳持つかな』

 

『直接言うよりは望みがあるでしょ。人数が多い程に、さ』

 

 望み薄、それ自体は村沙も否定しなかった。にも関わらず彼女は表情を曇らせるでもなく、むしろ楽しそうに鼻唄なぞ歌い出す。その様子が何故か気に食わず、ぬえはムキになって質問をぶつけた。

 

『だからって、そんなに多く書いてくれる保障は?』

 

『さあねー。期待はしてるんだけどさ』

 

『そんで仮に制度が出来て、活用する奴が何人いるのよ』

 

『制度が出来る前は皆そー言うの』

 

 てんで調子が変わらない。ぬえは意気揚々とした村沙の背中を見ながら、彼女の生い立ちを思い出した。

 地獄にいた頃からの古い付き合いの彼女。しかしそれ以前から村沙は聖の教えに傾倒していた。船幽霊として人を襲う荒んだ日々を過ごしていた所を、聖に救われたんじゃ。

 

 ぬえはその時の事を知らない。村沙が見たであろう人妖の別け隔て無い社会が、ぬえには想像もつかない。

 やがて里に着き村沙が道行く人に声をかけ始めても、ぬえは隣で白けた顔をして突っ立っていた。

 妖怪にあるまじき明るさを敬遠され、署名の内容を話せば煙たがられ、ある時は無言であしらわれる。それでも彼女は一向に挫けない。

 それを支えるのは信仰か、意地か、はたまた義務感か。どれもぬえには縁遠かった。だからやってみな、と用紙を渡された時には聞かれぬように毒を吐いた。

 

 とりあえず仲間が見ている手前、形だけでも真似なきゃいけない。一人目、二人目……ことごとく残念賞。もはや惰性で決まった文句を繰り返す。

 しかし、一人だけ、見知らぬ老婆が引っ掛かった。人の良さそうな婆さんで、おぼつかない手つきで名前を書いた後、『頑張ってね』と微笑んでくれた。

 その時、急に気分が晴れやかになった。自分の手に残った一筆のサインが、とても誇らしく、気高いものに見えてくる。

 村沙が『やったじゃん』と背中を叩いてくる。彼女の望んだ社会が、ほんの少し分かりかけた気がした。自分達を平等な目で見てくれる人がいるのだ。理解してくれる人がいるのだ。この調子でもう一人。

 そう思って足を踏み出した。しかしその時。

 

 ごおぉん、と鐘の音がした。最早またか、という心地じゃった。

 

 改めて周りを見渡せば往来にはいつも通り、様々な人が行き来している。誰も自分には目もくれない。だのに怒りも湧いてこない。

 手元の用紙に目を落とすと、まだ名前の書いてないのがつらつらつらつら、山になっている。『明日もやろうね』なんて言われたが、寂しく灰の舞うような心中には欠片も火の気が戻らなかった。

 寺に戻ってからナズーリンに『星の監視って、給金とか出るの?』と聞いてみた。

 

『はぁ?』

 

 怪訝な顔をされただけじゃった。

 

 ……長いあらましを語り終えてぬえは、深いため息をついて肩を落とした。

 人間なら鬱や気の迷い、そんなものを想像するじゃろう。しかし儂にはぬえの苦悩の訳が分かったのじゃ。彼女の背中が、うっすらと色が薄くなっていたのが見えた。

 

『お主、存在が危うくなっとりゃせんか?』

 

 口に出した瞬間、ぬえは素早く顔を上げた。その瞳はリンの焔が燃えるようで、不安と恐怖にせき立てられ、しかしその日で一番真剣そうな色を宿していた。

 心なしか早口で、ぬえが呟く。

 

『正体不明だなんだ言って、自分が何なのか分からないんだ。人を脅かしたいのか、共にありたいのか……。

 聖のせいじゃない、ただどうでも良くなったんだ。化け物に戻るのも、乗り越えるのも』

 

 話す内にぬえの視線は下がっていく。体はともかく、心が死んだら妖怪はどうなるか、儂にも分からない。奴の体はつついたら倒れそうだった。

 しかし同時に、仮にも格のある妖怪がこうまで弱くなるものかと、いぶかしんだ。

 

 そして、ふと目を泳がせた瞬間。答えは向こうからやってきた。

 

『やあ、元気かい』

 

 寺の誰とも違う、気に障る甲高い声。見るとそこにはいつの間にか一人の少女が立っていた。肩までの黒髪に白と赤の毛がそれぞれ混じり、小さな日本の角を生やしている。

 天邪鬼、鬼人 正邪(きじん せいじゃ)だ。

 

 嘘つきで嫌がらせも大好きな、目障りな妖怪じゃ。危険度はともかく、幻想郷中から追われて日に日に悪評が広まっているような輩じゃった。

 

『……何か用か』

 

 儂の声も自然と険が混じった。それでも奴はケタケタ笑って、ぬえを指さした。

 

『いやぁ、隣の方が相変わらずしょげていらっしゃるようで、様子を見に来たのですよ』

 

 白々しい慇懃な口調。それでもぬえは黙ったままじゃった。相変わらずという言葉からして、前々から何か追い詰めるような事をしていたに違いない。そう推察した直後に、奴はその所業を尋ねるまでもなく、良く回る口でもって見せつけてくれた。

 

『可哀想にねぇ、昔は京で一目置かれる妖怪だったのに、今や見る影も無いねぇ』

 

『おい』

 

『仕方ないか、もう人間の方が覚えてくれて無いもんね。だからこっちに来たんだもんね。しかも寂しいからって寺に居座って、巫女にも住職にもお目こぼしいただけるしょーーーもない悪戯で糊口を凌ぐ日々だもんねぇ』

 

『何の用かと聞いた!』

 

 堪らずに身を乗り出すと、天邪鬼はひょっ、と肩を竦めた。そして儂を舐めるように見つめた後、鼻を鳴らしてまたべらべらと喋り出す。

 

『おいおい、狸さんも他人事じゃないぜ? 隣の奴の義理で寺に居るんだろうけどさぁ、正直アンタだって教えを信じちゃいないんでしょう? だのに中途半端に里に溶け込んでさぁ。

 早い話がくすぶってんじゃねぇか。妖怪として開き直りもしないで、消えちまわない程度に騒がなきゃならねぇんだ。大変だね、辛いね』

 

 あんまりまくし立てるものだから黙って聞いていると、正邪はかくんと首を傾げ、ぬえの方に視線を移す。

 

『妖怪の寿命って長いんだっけ、百年、千年? その間、今みたいな中途半端な生活を続けるわけ? でもそうしないと消えちゃうのかな? 平和な世の中で嬉しいかい? 災いを演じて楽しいかい?』

 

 もしかしたら実際には、もっと色んな事を言ってたのかもしれん。じゃが、そんな事は重要じゃない。儂はその時聞いてみた。

 

『お前はそんな憎まれ口を叩いて、何が楽しいんじゃ?』

 

 そう言うと正邪は鼻白み、やれやれと首を振ると、またぬえを指さした。ぬえは反応するのも面倒そうに黙ってうずくまっている。

 

『楽しい楽しくないじゃ無いんだよ。

 

 私はこの為に生まれたんだ。……辛そうだねぇ』

 

 そう言って正邪はさっと背を向けると、ネズミのように素早く去っていった。儂はぬえと縁側に取り残され、言葉も出ずに抱き寄せて慰めていた。

 気づけばもう、空は茜色に染まっていた。

 

 

 その次の日、儂は舎弟の狸たちの元へ出向いた。目下の奴等の集めた金を確認せにゃならなかったんじゃ。

 正邪への苛立ちが消えずムシャクシャしている儂を見て、狸どもは震え上がって金を差し出した。一般人なら滅多に目にしないであろう、ずしりと重い札束。それを一枚一枚数えなから、儂はどうにかぬえの悩みを払拭してやりたくて、頭の中で色んな事を考えていた。

 

 ……世の中は金じゃ。安心も満足も買う事が出来る。俗だと言われようが構わん。理想や平和なぞ糞喰らえじゃ。

 

 苛立ちのせいか酷い言葉を思い浮かべて、また札束を見たら今度はとっぴな思いつきをした。

 仮に儂がこのまま影響力を広げ、金の力で幻想郷を牛耳ったらどうなるか。いわゆる拝金主義を持ち込んで、神も仏もない混沌を作ってやれば、面白いんじゃないか。そうすればぬえの生き方への見方も変わりゃしないか。そんな発想がそぞろに浮かんできたんじゃ。

 そこからなんだかウキウキしてきて、二枚三枚まとめて数えたりなんかして、最後の束に手を伸ばした。

 

 その時。

 

 ごおぉん、と。儂にも聞こえてきたんじゃ。寺の鐘の音が。

 

 それからは積み重なった金がもうどうでも良くて、なんでこんな物に執着していたのだろうと虚しくなった。

 それきり仕事を勝手に切り上げて、戸惑う舎弟を無視してトボトボ寺に帰ってしまった。

 

 昼過ぎに寺に着き、まだ皆がバタバタ動き回っているのを尻目に、儂は縁側でキセルをふかしたり酒を飲んだり、ダラダラと過ごしていた。ちっとも美味く無かったが、他に何をする気も起きなかった。

 そのうち雨が降りだして、あっという間にザアザアと大雨になった。寺の面々は部屋の中に次々と引っ込んで、縁側に居るのは儂一人になった。

 遠慮なしに風があたり、体が冷えてくる。それでも動く気にならず空を見上げていると、またごおぉん、と鐘の音が、雨の中なのにハッキリと聞こえた。

 

 儂もぬえのように消えるかも知れぬ。そんな恐れがふと浮かんで、こっそりと庭に出て、鐘の場所へ走った。

 傘もなく瞬く間にずぶ濡れになり、草履はぬかるんだ地面に容易く埋まる。それでも構わず本堂づたいに回る。

 そこで見えたんじゃ。鐘の下に正邪が立っていた。傘も差さずに、しかし気にも留めず悠然と立っている。

 

『お前が鐘を突いたのか』

 

 奴は答えない。一歩一歩近づいて行ったが、逃げもしない。

 

『答えろ』

 

 儂がまた言っても同じじゃった。ただ、水滴がついた眼鏡の向こうで、三日月みたいに口を開いた気がした。

 

『辛そうだねぇ』

 

 憐れむような、あの時とそっくり同じ口調。どういう意味だ、と聞くよりも早く、奴はまた聞いたことのあるような台詞を口にした。

 

『私はこの為に生まれたんだ』

 

 鬱陶しくなって、撞木を取って正邪にぶつけるような勢いで振り抜いた。ドゴォン、と間近で青銅の震える音がして、正邪は驚いたように走って逃げていった。

 それでもムシャクシャは治まらずに、意味もなく何度も、やたらめったらに鐘をついた。憎しみに任せて打ち鳴らしたせいか、割れて軋むような音が混じりだした。

 

 周りも気にせず、我を忘れていた所で、誰かの驚いた声が響いた。

 

『何をしているんですか!?』

 

 見ると正門から、いつの間に出かけていたのか笠を被った聖が走ってくる。無我夢中に鐘を打ち鳴らす姿がよほど異様に見えたらしい。目を見開いて息せき切らしている。

 

『いや、さっきそこに正邪がいたじゃろう? ちょっと嫌な事をされてな、ストレス解消じゃ』

 

 我ながら下手な言い訳じゃと思った。しかしそれ以外にどうとも言えなかったんじゃ。

 じゃが、聖は儂の言葉に瞬きすると、怪訝そうに眉を寄せた。儂も無言になられると戸惑い、しばし雨の中二人で見つめ合っていた。

 

 しばらくして、聖が口を開く。その言葉を聞いて儂は頭が真っ白になった。

 

『さっき帰ってきましたが、私には誰も見えませんでしたよ……』

 

 そんな馬鹿な、そう思って辺りを探したが、雨でぬかるんだ地面には確かに儂と聖の足跡が残っていたのに、正邪の足跡だけが、いくら探しても見つからなかった……。

 

 

 

 

 ……あの時に見たのが、何だったのかは分からん。ただ、正邪のやつが時々羨ましくなる時がある。『この為に生まれたんだ』なんて中々言えたものじゃないからのう。

 ……ああ、鐘の音か。相変わらず聞こえておるよ、今でも……。

 

 ……この際、言ってしまおうか。この場に来てから、ひっきりなしに鳴っているんじゃ。こんな集まりに参加するつまらなさ、バカらしさが、どうにも我慢しがたくての。

 

 それでも、ポンと放り出す気にはなれんのじゃ。今は聖の説法を聞きたくなる時もある。

 なにしろ、儂らは人間みたいな生き方は出来ん。心が死んだら、そのまま跡形もなく消えてしまうかも知れぬのじゃ。聖の言った事も、まんざら間違っていないのかも知れぬな。

 

 ……儂の話は終わりじゃ。長くなってすまなかったのう」




太宰治の「トカトントン」を読んで書きたくなった話です。妖怪があの立場になったら危ないのではないかと思った次第。
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