「やあ、あたいが四話目? よぅし、じゃあちょいと友達の話をさせてもらおうか。
黒谷(くろたに) ヤマメって子を知ってるかい? 旧都に住んでる土蜘蛛の妖怪でね。蜘蛛糸を出したり、虫の蜘蛛と話をしたり出来るんだ。ちょいと病気を媒介しちゃったり、気味の悪い所も多いんだが、ま、本人もそれが妖怪らしさだって自負してる。
でも、悪い所ばっかりじゃないよ。外見はすごく可愛いし、性格も気さくですぐ仲良くなれる。だから"地底のアイドル"なんて呼ばれてんだ。両極端だよねぇ。
で、特技は大工仕事。これも小柄でよく意外に思われるんだけど、土蜘蛛の得意分野なんだってさ。長屋の雨漏りから新築まで、あっという間に済ませちまう。旧都じゃ色んな方面から頼りにされてるんだ。
これは、そんなヤマメに関する話だ。もう二、三十年前……。先生が赴任するよりずっと前の話らしいから、レアだと思うよ。
―
昔、ヤマメや鬼たちがまだ妖怪の山にいた頃の話だ。既に地上と不可侵条約を結んでいたかはハッキリしないけど、どっちにしろ易々と追い出される気はねーぞ、と突っ張っていたらしい。
その時のヤマメは、山の中の洞穴に巣を作って暮らしてた。
隠れていた訳でもなく化け蜘蛛の棲みかとして有名だったはずなんだが、そこにしょっちゅう子供が近くをうろついていた。
どういう訳かというと、当時も寺子屋らしきものはあったんだが、今ほど里の情勢は穏やかじゃなくてね。子供らもその影響を受けて荒んでいたんだって。
で、やはりというかイジメが流行っていた。中でも妖怪の棲みかに昼間に来て、ターゲットを一人で置き去りにして帰るってのが人気だったんだ。
ターゲットも大体決まっていた。毎日集団に小突き回されていたのは、気弱そうなチビの男の子。で、お決まりの場所はヤマメの住む洞穴の近くだった。
いじめられっ子は洞穴のそばに放り出されて、『戻ってくるなよ』と念を押される。そしていじめっ子たちが笑いながら去るのが見えなくなり、更に日がくれるまでの間、洞穴のそばでずっと泣いていた。
その洞穴がまた凝っていてね。ただですら暗い岩戸の奥の奥に、また深い深い縦穴を掘るんだ。流石に今の旧都への入口ほどじゃないにしろ、それでも幾ら目を凝らそうが底が見えない長さだった。覗き込むと冷たい風がひやりと頬を撫でて、その風が穴の壁を反響してウォオン、ウォオンと得体の知れない唸り声のような音を立てている。それを聞くとね、嫌が応にも震え上がっちゃうんだよ。
落ちたら一体どうなるんだろう。
この穴の底に住む土蜘蛛というのは、一体どんな姿なんだろう。よほど大きな蜘蛛なのか、それとも他の動物が混じったような姿なのか。
どんな風にして食われるのか。一呑みか、かぶりついて少しずつ中身を吸うのか……。
ヤマメは実際、我関せずでいたんだけど、いじめられっ子は時々穴を覗き込んでは逃げ出すのも忘れるくらいに青い顔をしてすくみ上がっていた。
それでも手を出さずにいると、次第に恐怖は畏怖に変わる。想像がどんどん膨らんで、洞穴の中に邪神がいるかの如く祈りの言葉を口にするようになった。
『あいつらを、どうか地獄に落としてください』
『僕を生け贄にしたって良いから、食いつくして二度と息を出来なくしてやってください』
『お願いします。お願いします……!』
苔むして湿った空気が充満する中で、いじめられっ子はどんどん陰惨な願いを口にするようになった。
とはいえ、その子が悪人かといえばそうでもない。妖怪って元来、人の負の念が大好きなんだけど、それがいまいち感じられなかったんだって。
優しい人間でも、境遇によっちゃ破滅を願うまでになるんだ。いやはや、過ぎた恐怖や憎しみってのは人を歪ませるものだねぇ。まあ、その願いは叶わなかったんだけどね。だって、閻魔様じゃあるまいし、ヤマメは人間の善悪なんてどうでも良かったから。
でも、全くノータッチって訳じゃ無かったんだ。ある日、ちょっとした揉め事があった。
いつものようにいじめられっ子が洞穴に連れて行かれたんだが、何度も続いてついカッとなったんだろう。座れと言われた場所で暴れだして、揉み合いになった。
所詮は一対多だから全員を返り討ちには出来なかったんだけど、必死になれば物凄い力が出る。普段は口ごたえ一つ出来ないガキ大将に掴みかかって、後先考えずに放り投げた。
その先が偶然、ヤマメの巣穴だった。ガキ大将は叫ぶ間もなく、気の遠くなる程深い穴の中へ真っ逆さまに落ちていった。
『あぁっ!』
慌てて穴を覗いても後の祭り。どれだけ身を乗り出して目を凝らしても、視界にはいつも通り風の唸り声がする筒形の闇が、ポッカリと口を開けているだけだった。
しばらく無言の時間が続く。ガキ大将の姿はちらりとも見えてこない。汗ばんだ手が小石にぶつかり、カラカラ音を立てて穴に落ち、遠くなっていった。
誰かが唾を呑む音がいやにハッキリ聞こえて、無言に耐えかねた奴がガキ大将の名を叫んだ。けれども返事はなく、エコーがかかって繰り返されるばかり。
子供たちはいよいよ青ざめて、額に汗を浮かべながら例のいじめられっ子を睨んだ。
睨まれた方は周りの視線に気づいて目を伏せる。こんなつもりじゃなかった。そんな目で見ないで。必死でそう叫ぼうとしたが言葉が出てこない。
けど、同時に心のどこかで安心してもいた。これでいじめられなくて済む。どうせバチが当たったんだ、ざまぁみろとね。頭を抱えてブルブル震えながら、未だ意志通りに動かない口が、自分でも気づかないうちにニヤリと歪められた。
けどその時。
『よっと』
不意に呑気な声がしたかと思うと、黄髪の女の子がフワリと浮かんで地面に降り立った。茶色の服を着て、どことなく奇抜な雰囲気を漂わせている。
子供たちの頭に『?』が浮かんだ。あの吸い込まれそうな土蜘蛛の巣穴から、苦もない様子で下から出てきたこの女の子は、何者なんだろう、と。
一方、女の子は背中に視線を浴びながらも知らんぷりで、片手を手の甲を上にしてスッと掲げた。すると五本の指先に白い糸が垂れ下がっている。糸は巻き取っている訳でもないのにズルズルと動き、指に吸い込まれて短くなっていく。
それを見て、子供たちも流石に気づいて震え上がった。こいつは黒谷ヤマメだ。ここを巣にしている妖怪本人だ、とね。そうこうしているうちに糸は吸収されていき、それに掴まったガキ大将が姿を現した。
『だ、大丈夫か!?』
子供たちが次々に駆け寄ると、ガキ大将は眩しさに顔をしかめた後にポカンとして頷いた。特に怪我もしていなさそうな様子に子供たちは一斉に胸を撫で下ろす。そんな中でいじめられっ子だけが、未だ信じられないという目付きでヤマメを睨んでいた。
しかし、ヤマメは彼に目もくれず、いじめっ子の方を向いて言った。
『借りは返したよ。これっきりだけどね』
ガキ大将は相変わらず困惑していたけど、少なくともヤマメは理由があって助けたらしい。そう勘づくや否やいじめられっ子はヤマメに詰め寄った。
『なんで助けたんですか、なんで!?』
声が震える。そこでハッキリと自身の中に渦巻くどす黒い感情を自覚した。けどヤマメは興味がないのか涼しい顔で、肩口からもぞもぞ動く物体を取り出した。それは手の平台の大きな蜘蛛だった。
ヤマメは蜘蛛を横目に見ながら言う。
『ずっと前に、このガキンチョが蜘蛛を助けたんだよ。だからお返し』
ヤマメが微笑むと、蜘蛛は返事するように脚を振り上げる。はたから見たら和む光景だが、いじめられっ子には怒りを煽るようにさえ見えた。
『そんな、つまらない理由で……』
ぼそりと呟くと、ヤマメが面倒臭そうに振り向く。いじめられっ子はガキ大将を指さして、洞穴に響くような怒鳴り声をあげた。
『知ってるんですか!? アイツはずっとイジメをしてるんですよ!! もう何ヵ月も、僕の前には他の子だって……! 誰も止められなかったんですよ!?』
もう周りのいじめっ子たちは意識から消えていた。ただ誰にも言えずに燻っていた感情を、目の前のヤマメに当たり散らす。
『やっとバチが当たったと思ったのに……。助けるなんて、思ってなかった……!』
最後の方では、怒りというより悲しみがこもっていた。何度も巣穴のそばで捧げていた祈りを、裏切られた悲しみ。
だけど、そこまで言っても返ってきたのは、ヤマメの困ったような苦笑いだった。
『そう言われてもさ……。私はお釈迦様じゃないんだ。知らないよそんなの』
いじめられっ子は理不尽な思いで一杯だった。良い所があるなら自分にも良い事をしてくれると信じていた。悪い人間には自分にも見える場所で裁きが下ると信じていた。おかしな話だよ。自分でもイジメを見てみぬ振りをしてたんだろうに。
そっけなく言って、ヤマメは他の連中に向き直ると、一転して陽気な声で言った。
『で、あんたら。もうここには来ない方が良いよ。私に近づき過ぎると病気になる』
さっさと帰んな、と手で払われ、子供たちはいそいそと背を向ける。いじめられっ子だけがヤマメの後ろで苛立ちを堪えていた。
なんでこうなるんだ。たかが一度蜘蛛を助けただけじゃないか。そうだ。その蜘蛛がそもそも悪いんだ。蜘蛛がいなけりゃ……。
いじめられっ子の視線が、次第にヤマメの肩に乗った蜘蛛へ向く。そこからほぼ衝動的に、いじめられっ子は蜘蛛を手で払い除けていた。
『わっ!』
ヤマメが驚いて振り向く。蜘蛛は存外勢いよく飛んで、子供たちの眼前を通りすぎて岩壁にぶち当たり、体液の跡を残して地面を転がった。
『うわっ……』
子供の一人が顔をしかめた。蜘蛛はぴくりとも動かない。気まずい空気が流れる中、いじめられっ子だけが、振り返ったヤマメと目があった。
『ひっ!?』
いじめられっ子は息を呑んで固まった。ヤマメの目は怒りさえもなく、ただ黒く塗り潰したような光のない瞳が、ギョロリといじめられっ子を捉えていた。ちょうど蜘蛛の複眼を間近で見たような、無機質な目だった。
いじめられっ子は何も言えなかった。口は開くそばから情けない吐息が漏れるばかりで、足がガタガタと芯から震え出す。そんな彼を、丸っきり無価値な物を見るように、ヤマメは黙って見据えていた。
『おら、行くぞ!』
いつまでも動かないいじめられっ子に痺れを切らし、子供の一人が無理矢理連れ出した。いじめられっ子は山道を引きずられながら洞穴の方を振り返ったけど、そこにもうヤマメの姿はなかった。
次の日。
ヤマメと顔を合わせたせいか、洞穴に行った子供たちは揃って熱を出して体調を崩していた。寺子屋の教師は一旦授業を休みにしようかとも考えたけど、そこに真面目ないじめられっ子が出席してきて、頭数が揃ったからと結局普段通りに授業を始めた。
いじめっ子たちは最初調子が悪くて大人しかったんだが、いじめられっ子の方は様子が違った。陰険な目付きで時折辺りを睨み、気付かれると頬杖をついて知らぬ振りをする。昨日死ななかった事を根に持っているように、ガキ大将の目には映った。
それが面白くなかったのか、ガキ大将はまたしても絡みに行った。『お前のせいで結局授業が始まっちゃったじゃねーか』とか言ってね。それでも意地になって無視していると、とうとうガキ大将は怒り出した。
『おい、何とか言え!』
そう怒鳴ると、初めていじめられっ子が向き直った。そこでやっと、その顔が汗ばみ、目には酷い隈が出来て、唇まで紫色になっているのが分かった。
『だって……家にはいられない……』
消え入りそうな声でそう言われて、ガキ大将はギョッと仰け反った。いじめられっ子はよく見ると何かに怯えているようで、手をついた机をカタカタと細かく振動させていた。
『ど、どうしたんだよ』
辛うじてそう尋ねると、口だけがほんの微かに動く。
『だって、蜘蛛が、いる……』
そこまで言った時に、急に天井の板が音を立てて外れた。子供たちが驚いて上を見上げると、大人の背丈程もある、まだら模様の何かが突き出てきた。
丸太ほどに太く、先が鷹の爪のように尖って、蟹のような殻が全体を覆ってその上に毛が生えている。パキパキと枯れ枝が折れるような音を響かせながら、生き物のように何かを探って緩慢に蠢く。それらが何本もぬうっと下に垂れ下がってきたかと思うと、いじめられっ子を抱え上げ、するりと天井裏に引っ張りこんだ。
それっきり何の音もしなくなり、いじめられっ子は姿を見せなかった。後で大人たちも一緒になって探したが、とうとう痕跡一つ見つからなかったってさ。
―
……ねえ先生。これを聞いて、ヤマメが残忍な奴だと思うかい。
隠さなくったっていいさ。結末からしていじめられっ子は死んでるかもしれないし、もし加害者の口からこんな話が出たらそりゃ苦言の一つも出てくるだろう。
でも、誤解のないように言うとね。これを話してくれたの、実はヤマメじゃないんだ。
じゃあ誰かって? それが名前は分からない。ヤマメの大工仲間の一人がコッソリ聞かせてくれたんだ。それがまた、奇妙な奴でね。見た目はあたいの半分くらいの背丈しかない、子供なんだよ。男の子でね。それでいてベテラン並みに手際がいい。
いじめられっ子本人? そんな訳ないと思うなぁ。だって明らかに妖怪だよ。オデコにこう、蜘蛛の複眼みたいな点々がついてるし。第一さっきの話は二、三十年前だよ? 人間の子供が知るわけないじゃん。
やけに被害者目線なのが気になる? そんなの演出、で片付くってば。じゃなきゃ……作り話さ。
……でも、万が一、聞かせてくれた妖怪が件のいじめられっ子本人だとしたら……。
何があったんだろうね。
あたいの話はおしまい。モヤモヤを残すのもテクニックだって、その子は言ってたよ」