「綺麗に落ちがついたものじゃな」
「やっぱジョークなんてのは予告されない方が、真価を発揮するもんだよ」
皆がめいめい、雑談しながら帰り支度を始める。メディスンに先ほど「終わってせいせいしたよ(意訳)」とやけにあっけらかんとして言われたせいか、一発で解散の雰囲気が出来てしまった。
妹紅は「あれもジョークだろ」と言って慰めてくれたが、私には相変わらず冗談が分からないようだ。妖夢とちらと目が合って、自然と互いに苦笑いしたのは偶然だろうか。
「じゃ、先生。機会があればまたね」
「儂は忙しいから覚えておいてくれよ」
「……邪魔したな」
三者三様に挨拶を残し去っていく。さて私も片付けて寝る準備をしよう、と腰を上げた時だった。
「……あの、慧音さん」
上から遠慮深そうな声がした。見上げると妖夢が肩をすぼめて私を見下ろしている。
「? どうした?」
「夜分になってすいません。もう少しここにいてもいいでしょうか?」
……はて、構わないが、私に特別な用だろうか。冥界筋から私へそういうのも珍しい気がするが……。
「あー分かった! アンタ一人で帰るのが怖いんでしょ!?」
「なんならついてくぜ? 同伴なら竹林の案内で慣れっこだ」
重ねられた座蒲団に座るメディスンと、片付けていた妹紅がからかう。しかし妖夢はその声に「違いますっ」とやんわり怒って訂正すると、私に向き直ってこう言った。
「実はお迎えを頼んでいるんですが、少し遅れているみたいなんです」
「ああ、なるほど」
冥界まで行くとなると危険ではないとしても骨なのだろう。もし次回があるとすれば会場についても見直しをせねばなるまい。
「分かったよ。そんなかしこまらなくとも、一人くらいどうって事ないさ」
私がそう言うと妖夢はホッと表情を緩ませ、座蒲団を一枚拝借しようとする。が、メディスンがそれを掴み、笑いながら引っ張りあいを始めた。呆れた妹紅がメディスンの頭をはたくとメディスンはあっさり手を離し、妖夢が反動で尻餅をつく。
「あだっ」
「じゃ、私らは帰るぜ。本番頑張れよ」
「ちぇー」
妹紅が無造作をふすまを開け、メディスンが口を尖らせて後について行く。足音が遠くなり、玄関の戸が開いてやがて沿道で話す声がここまで聞こえてきた。
「お前の家って遠いのか?」
「まあね。……退屈だから何か話しましょうか? 怖い話とか」
「それは皆に話してやれよ。なんで今さら」
「一話ずつじゃ足んないってのよ。聞きたくないの?」
「はいはい、たくさん聞きますよ」
少しは打ち解けただろうか。里の外へと小さくなる声を聞きながら、しばし私と妖夢の表情は綻んでいた。やがて声も聞こえなくなり、残るは晴れて二人だけになる。
「ありがとうございます。お呼ばれ頂いた上にワガママを聞いてもらっちゃって」
「元は私の要望だ。気にするな。……それより、堅くならなくていいんだぞ?」
皆が帰り、私しかいなくなった今になっても妖夢はキッチリと正座していた。背筋が伸びて足も浮かせていないその様は寺子屋の生徒たちに見せてやりたいくらいだった。
「いえ、これはクセみたいなものなので」
そう言って妖夢はこれまた堅さの残る笑顔を見せた。私もよくお堅いと言われてしまうが、こうされてみると却って気まずい気がする。
「だったら、別の部屋に行かないか? テーブルとかあった方がいいだろう」
「……実は、足がしびれちゃって」
「……そうか」
妖夢の笑顔がちょっぴり恥ずかしそうなそれに変わったのを見て、私も観念して腰を下ろす。これ以上あれこれ世話を焼くのも無粋というものだろう。
しかし困った。互いに座って動く者が居なくなってからというもの、妖夢は時おり身じろぎする他は何もせず、一言も喋らない。元来無駄口は聞かないタチなのだろう。私とてそうだ。だから会話が弾む訳もなく、時計の音だけがコチコチと無情に時を刻む。
二人きりで無言。それが長く続くのは流石に辛いものがある。とはいえ何を話せば良いのかと言うと、石頭と名高い私には咄嗟に浮かばないものだ。怖い話という本題は終わってしまったし、妖夢とは仲が悪くこそ無いが親しい訳でも無いのだ。
「なあ、妖夢……」
「何ですか?」
「紫のイタズラの話……本当に平気か?」
話題が思いつかず結局口に出したのは、未だ心の中で気になっていた妖夢の愚痴だった。皆は大して気に留めていなかったが、日々積み重なる鬱憤や表立って言及しなかった部分というものがあるかもしれない。そんな恐れを抱いての質問に、妖夢は目を丸くして口に手を当てた。驚いた様子だ。
「あ……まさか、最初に言ったあれですか?」
「ああ、余計な心配かもしれないが……。こんな機会少ないからな」
「うーん……」
私の返答に、妖夢はうつむいて言いにくそうに口ごもる。急がず、黙って答えを待つ。
妖夢には一緒にするなと言われそうだが、彼女はなんとなく一人で抱え込みそうな、近しい気性を感じるのだ。互いに人間の血が残っている故の体力面での懸念もある。
しばらくして、妖夢が顔を上げ、おそるおそる口を開く。
「実はあの話……続きがあるんです」
やはりか、と軽く身を乗り出す。皆に話した時は一種の冗談のようなまとめ方をされたが、一対一ならもっと深く教えてくれるかもしれない。真剣に聞くぞ、と態度で示すと妖夢は一つ頷き、ぽつり、と小さな声で言った。
「あれ、嘘なんですよ」
「へ?」
自分の中で張り詰めていた緊張の糸が切れ、ひと声飛び出したきり固まってしまう。妖夢はばつが悪そうに愛想笑いし、私が首を傾げるのに合わせて笑顔を傾ける。
「え、嘘?」
「はいそうです」
「どこからどこまでが?」
「最後ですよ、藍さんから告げ口されそうになる部分です」
ああ、あのまるで独裁下を思わせるような薄気味悪いオチか。という事は、紫を悪く思っていたからって罰を受けたとか、そういう訳ではないのだろうか?
「もしあんな事言われたら怖いなと思って、脚色したんですよ。笑われましたが……」
「ああ、よく分かるよ。慣れない冗談で引くに引けなくなったな」
「まあ、忙しいのは本当なんですけどね。愚痴ぐらいなら散々言い合ってますよ」
妖夢の口調に私への呆れまで混じりだして、とりあえずは安堵する。私が思うほど深刻な事態ではなかったという事だ。
「しかし、あのスキマ妖怪はどんな事をしてくるんだ? 愚痴だけで済む程度なのか?」
「ええ、大概がしょーもないイタズラです。よくやるのだと……そうですね」
心なしかウキウキした様子で、妖夢は頭上に視線を巡らせる。「よくやる」のが何種類もあるのか。
「靴の左右を逆にするのが今の所一番多いです」
「そいつ、急いでる時に困るだろ」
「全くですよ。ヒモを結ぶ靴じゃなくて良かったです」
むくれる妖夢を見て、左右の靴ヒモを結ばれたのに気づかずコケる様子が容易に想像できた。でも黙っておこう。
「雑巾がけの最中に足を掴まれたりもしました。派手に顔ぶつけましたよ」
「危ないなぁ、蹴飛ばしてやりゃ良かったんだ」
「そうしようと思ったんですが、スキマを弄られましてね。自分の足がぶつかりました」
頬を撫でながらたははと笑う妖夢。代わりに一度くらいひっぱたいてやろうか。
「あと一番びっくりしたのは、やっぱりお風呂場ですね」
「まだあるのか、何されたんだ」
「頭を洗ってたら、後ろから『綺麗な髪ね……』と急にボソッと言われて、うわっ! って鏡を見たら、背後に金髪の女が……」
「最初に紫の名前聞いてたら、全然怖くないな」
「本当。私でさえ『またか』って思いましたもん」
興奮して頬をほんのり染めながら、妖夢は大袈裟にそっぽを向いた。恐怖も何もなくただの悪戯者扱いされるまでになった紫に、私は幻滅に近い感情を覚えた。やってる事は子供みたいで、普段大妖怪だ賢者だと言われている姿とはあまりにかけ離れている。
一体そんなのが楽しいか……と聞けば、まあ標的が妖夢なら楽しいのかもしれないが、あんまり調子に乗りすぎれば被害者に気の毒だ。
こうして見ると同情の念を覚える程にも、また少しちょっかいをかけてみたくなる程にも親しみを持てた事を実感する。思えば妖夢がここまで喋るのを私は初めて見た。
「もう慣れっこになっちゃって……」
妖夢が尚も喋り続けようとした矢先、彼女の背後で突如、虚空にがばりと黒い穴が開いた。そして怪しげな笑みを浮かべた女性が顔を出す。
「こんばんは~」
「ひゃっ!?」
妖夢が悲鳴をあげて飛び退いた。対して初めから見えていた私は相変わらずだ、と思わず呟いた。
「あれ、リアクション薄いわね」
そこにいたのは八雲 紫。さっきまで話していた妖夢の主の、友人だ。なるほど、空間を自在につなぐ紫なら、冥界へのお迎えだろうが一瞬という訳だ。
「ああ、さっきまでお前の話をしていたからな」
「あら、ゆかりんそんなに美人?」
「そんな話はしとらん」
扇子を優雅に振りながらわざとらしく目元を細める。長い金髪が微かに揺れた。確かにこの白々しさやその他色んな事を除けば美人なのだが……言い出せばキリがないので割愛する。
「紫様、お迎えいただきありがとうございます」
「大した事ないわ~。大事な友人の従者だもの」
すっくと立ちあがり深々とお辞儀をする妖夢。意外と裏表があるのか、否、これは切り換えの早さというものだろう。さぞかし目上のものに対しては生真面目な正直者であろうとしているのだろう。先ほど素の状態を目の当たりにしていた者としては、少々気の毒にも映る。
「お前なぁ、だったら仕事中にイタズラするの止してやれよ」
「え?」
紫が何の話、とでも言いたげに瞬きをする。こいつはとぼけているのか、それとも普段は頭から抜けているのか……。
妖夢が横から「もういいんですよ」とやんわり静止してくるが、私は構わずさっき聞いた内容をそのまま話した。
「靴の左右を入れ換えだとか、雑巾がけの邪魔をしたとか……」
「あぁ~、その事ね」
紫は今思い出したかのように大袈裟に手を打った。目の前でそうされると流石に怒り出さないか、そう思って隣を見たが、妖夢は苦笑いするばかりだった。いつもの事らしい。
「ごめんねぇ妖夢。貴女があたふたしてると面白くて……」
「あ、あはは。気にしないでください」
酷い理由だ。妖夢も一瞬笑顔がひきつったが、しかしこの場ではどうしようと二人でやりとりが完結してしまう。そう思っていると、妖夢がフッとうつむき、遠慮がちに言った。
「でも……お風呂場に入って来るのは、流石に恥ずかしいです……」
「そ、そうだぞ。いくら見知った仲でも、思春期の女の子に」
「……私、一応歳上ですよ……?」
便乗して窘めようとしたら、逆に妖夢からジト目を向けられた。ええい、私の言動は余計なお世話か。いやそうなのかもしれないが、とにかくこの紫の、人をバカにしたような態度が気に入らない。一度くらい真摯に、ごめんなさいと頭を下げて……。
……などと思っていたら、ニヤニヤしていた紫の顔が、すぅっと眉を寄せ、怪訝なものに変わる。何か変なことを言ったかと、私と妖夢はキョトンとして顔を見合わせた。対して紫は不振そうに視線を巡らせた後、妖夢を睨むようにして言った。
「ねぇ妖夢……お風呂って何?」
「は? いえ、一週間くらい前に脅かしてきたでしょう。忘れたんですか?」
紫の声色が急に真剣になり、妖夢は焦りながらも念を押して説明する。しかし紫の表情はついぞ変わらず、冷静に首を振って言った。
「私……覚えがないわ」
「えぇっ!? だってあの顔は確かに紫様……」
「本当よ。他のイタズラなら覚えてるけど、お風呂は本当に知らない」
妖夢は驚き、淡々と答える紫の前で、次第に怯えだした。私も話を聞くだけで紫が犯人だと思っていたが、その前提が覆るとなると、一体……。
「ああ、でも……お湯のせいで確かに見えにくかった……。けど、屋敷に金髪なんて、他に誰が……」
自問自答し、混乱する妖夢。フィクションの怪談とは違う、身近に、現実に迫っている恐怖。気づけば目に見える程に足はすくみ、頭を抱える。紫は、そんな妖夢にそっと近づき、背中を撫でて……。
一言、こう言った。
「いやぁ~、やっぱり妖夢は面白いわ~」
「おいっ!!」
「う、嘘だったんですか!? 紫様の意地悪っ!!」
夜も更けた里の寺子屋に、二人ぶんの大声が響く。すでに時刻は丑三つ時へと差し掛かっていたが、一人きりで眠ることに微塵も恐怖を感じそうにない。ただ、ゲラゲラ笑われながら引っ張られる妖夢にだけは、同情の念を禁じ得なかった。