五周目・一話目-魂魄妖夢
「え、私が最初なんですか? うーん、怖い話といえば……。ああそうか、まずは自己紹介からですね。
魂魄 妖夢と申します。冥界にある白玉楼で庭師、及び管理人である幽々子様のお世話をしております。
毎日亡霊を見ているので、さほど怖い事など無いのですが……。いえ、嘘です。かなりブルっています。今でも怖いです。なので帰らせて……え、駄目ですか? そんなぁ……。
あ、でしたら……何年か前にあった奇妙な体験をお聞かせしましょう。大丈夫です。ホラーには違いないですから。
―
何年か前に、私が里の乾物屋に買い物へ言ったのが始まりでした。いつものように商店街へ赴き、店頭を覗くと、何やら熱心に商品を覗き込む人間の影がありました。
それが男の方だったのですが、見るからに買い物に慣れていない様子で、頼りなく視線をうろうろさせて、棚の隅から隅まで舐めるように眺めておりました。中年かそれ以上であったようで、見回す度に禿げた頭のてっぺんがキョロキョロと、哀れなほどに光を反射させました。体は大きく、でっぷりと太り、おでんに入れたまま膨らんでブヨブヨになった、かまくら型のはんぺんみたいなだらしないお腹をしておりました。
私は、それを見て嫌悪の情とまでは行かなくとも、『邪魔だなぁ』と思いながら男の脇に入り、棚を見回しました。
すると、珍しくカツオ節の塊が置いてありました。海のない幻想郷では魚は貴重で、それも削ればたくさん使える塊があるとなれば買わない手はない。
そう思って、私は男と棚の隙間に手を差し入れ、カツオ節をかっさらいました。
すると突然、男がぐるんと振り向いて私を見つめました。知らない顔です。なのに男は何やら目を凝らしてジロジロと私を眺めています。
『あの……何か……?』
絞り出した声は震えていました。息があがり、足が木彫り細工のように固まりました。店の人は間が悪く奥に引っ込んでいます。何かあったら叫ぼう。そう思って構えていた矢先、男はゆっくりと口を開きました。
『あの……それって、どんなものに使うんですか?』
『え?』
意外と丁寧な物言いに、一瞬戸惑いました。男の視線が私の手の中のカツオ節に向いているのに、少し遅れて気づきました。
『こ、これは……まずカンナで薄く削りまして、おひたしや冷ややっこにまぶしたりとか、煮物や味噌汁に使ったりなんかしますね』
早口に、どうにか質問には答えていました。男は宙を向き、もっともらしく頷いています。
私は不審さが拭えず、一目散に逃げ出しました。振り返ると男は追ってくる訳でもなく、乾物屋の前で相変わらずぼんやりと立っていました。
その日から、彼をよく商店街で見かけるようになりました。八百屋でも、肉屋でも、金物屋などでも、どんな買い物をしているのかいつまでも商品を眺めるばかりで、次々と商品を持っていく奥様たちに取り残されていました。
私も用事は手早く済ませたいのですが、あいにく私の主人は健啖家といいますか、よく食べる方ですので買う品数も多く、必然的に遅くなります。
そんな時には、決まって例の男が声をかけてくるのです。別に変なことではありません。鹿肉の臭みの消し方だとか、山菜のアクの取り方だとか、料理ごとにどんな包丁が合ってるかだとか、他愛もない事です。私も無視などはしませんでした。
しかし、鈍重な出で立ちと厚い頬肉に隠れがちの、妙にキョロキョロした目つき、薄くなった頭などが妙に印象に残っていました。いえ、私が人見知りなだけかもしれません。しかし卑屈な笑みで馴れ馴れしく話しかけられると、嫌でも警戒してしまうのです。互いに名前も知らないのですから。
そんな日々が続くうち、奇妙な事が起こり出しました。最初に出てきたカツオ節ですが、私は塊を早く使ってしまおうと連日カンナで削って料理に使っていました。するとそれを呼応するかのように、男が痩せ細りはじめたのです。
カツオ節が無くなる程でもない、せいぜい一、二ヶ月の間です。その間に、男の腹が空気の抜けた風船のようにしぼみ、頬骨の形もおぼろげに分かる程になりました。
病にでもかかったかと疑いましたが、男は変わらず買い物が下手で、頼りない笑顔で料理の事を聞いてきます。偶然なのかもしれません。しかし私には、カツオ節を削る度に男の体が削り取られていくような、奇妙な想像が浮かんだのです。
あの時、手に取った、男が舐めるように見つめていたカツオ節に、もしかして何かあったのか。男が妙に気にしていたように見えたのは、私の知らない理由があったのではないか。
薄れかけていた気味悪さが、新たな恐れを以てまざまざと頭に蘇ってきました。カツオを削るシュリシュリという音が恐ろしく思えました。
それから何日もしないうちに、更に怖い事が起こりました。毎晩私の枕元に、知らない女性が立つようになったのです。白い着物を着て青白い肌。明らかに幽霊です。女性は長い黒髪を垂らすようにうつむき、寝ている私をじっと見つめています。
顔を背けようにも、体はピクリとも動かせません。手足の先まで床に縛りつけられたように硬直し、まぶたまで彫像のごとく意志がまるで通じないのです。
いやだ、いやだ、見ないでください。口を利こうにも頬の筋肉がひきつるばかりで、女性は遠慮なく濁った死人の視線を注ぎ込んできます。その眉間には心なしかシワが寄っていました。
そして、ボソボソと、消え入りそうな声で言うのです。
『違う……違う……』
何が違うと言うんだ、私が何をした。心の中で何度問いかけても幽霊は答えてくれません。結局、私が力尽きてしまうまで幽霊は呟きながら私を睨むだけで、毎朝汗だくで疲れはてた体を起こす日々が続きました。
そんな中でも、私は重たい体に鞭打って買い物へ行っていました。従者は私だけなんです。大病でもなしに休む訳にはいきません。
ある日、フゥフゥ言いながら買い物を済ませ、さあ帰ろうと思った時。
一人の小さな女の子が、体に似合わない買い物袋を一杯にして、よろよろと歩いているのが目に入りました。右へ左へ足がよろめき前も見てられない様子で、いつ転んでもおかしくありません。
私も疲れてはいましたが、やはり放っておけずに声をかけました。
女の子はキョトンとして振り向きました。その拍子に買い物袋に引っ張られたので慌てて袋を代わりに持ち、『お父さんか、お母さんは?』と聞こうとしました。
その時です。
『ああ、すいませんすいません!』
聞き覚えのある声がしました。あの男です。しかし、顔を上げて私は目を疑いました。面相は確かに違いないのですが、体はあの太っていた頃の面影が少しもなく、痩せぎすといってもいいくらいに細く骨ばっていました。両の手に持った買い物袋がへし折れそうな体を更に引き立てています。見るのが久々だったら確実に別人と間違えていたでしょう。
あまりの変わりように私が呆然としているのに男は気付かず、女の子と話し始めました。
『勝手に居なくなっちゃ駄目だろう。もう……』
『おねーちゃんがもってくれたー』
娘さんは息を切らす男に構わず、私を指さしました。続けて苦笑いする男と目が合います。こうなると私も黙って帰る訳にはいかず、代わりに袋を持ってなし崩し的に男の家までついていきました。
その時の心情を正直に言いますと、恐怖と、興味が半々でした。
家に行けば、男の急変の理由も、毎晩の怪現象の原因も分かるかもしれない。無言で後をつけながら、私は悶々としていました。思えば男と会ってから全てが始まったのです。
しかし、同時に間近で見ても普通の人間にしか見えない男に、果たして関係はあるのだろうかと疑問にも思っていました。眼前では男と娘さんが並んで楽しそうにお喋りして歩いています。
やがて住宅地の一角で立ち止まり、二人は私を招き入れました。その敷居を跨ぎ、家中を見た瞬間、私はあるものに目が留まり、ハッと立ちすくみました。
玄関からまっすぐ向かいに、仏壇が置いてあったのですが、そこにあった遺影らしき写真。それには、三、四十代ほどの……紛れもない、毎晩私の枕元に立っていたあの女の顔が写っていたのです。
やはりこの家には何かあったのか。私はどこで恨みを買ったのか。しかめっ面して頭でぐるぐる考えたまま、その遺影から目を離せずにいると、男が首を傾げていました。
『どうかしました?』
『あ、いえその』
慌てて取り繕おうとしましたが、突っ立ったままで遺影を見つめる視線にはすぐに気づいたのでしょう。しみじみと男は目を落とし、こう語りました。
『妻が、少し前に亡くなってね……』
『あ……』
毎晩会っていました、なんて言えません。彼の奥さんだったとは知らずに、私は黙っているしか出来ませんでした。
すると、続いて言います。
『娘の世話も慣れなくてなぁ、だらしなかった体が、こんなになっちまった』
『え?』
呟いて腹をさする男に、私は思わず聞き返しました。男の急激な痩せかた。カツオがどうこうと怯えていたその疑問に、至極単純な答えが差し出された気がしたのです。ポカンとしている私に男は向き直り、柔和な笑みを浮かべ言いました。
『料理の事も手探りで、不躾に色々聞いて済まなかった。驚いたろう?』
『あ、ああ』
生返事しか出来ませんでした。私の頭の中では、今までの疑問がパズルのようにカチャカチャと、次々に解けていたのです。
この人は、奥さんに先立たれてからとても苦労なさったんだ。それこそ別人のように痩せてしまうまで。娘さんの健康を願いつつも知らない事だらけで、たまたま、切羽詰まって私を頼ったんだ。
カツオ節なんて、何も関係なかった。彼は変人でも、不審者でもなかった。だのに勝手に怯えられたら、そりゃ奥さんも違うと言って怒りたくもなるだろう。
そうだ。そうだったんだ。
私は一人で何度も頷き、恥ずかしさのあまり口を結んでうつ向いていました。親子が仲睦まじくしているのを見てなお一層恥じ入り、それでは、と形ばかりの挨拶をして、自分のぶんの品物も忘れて私は冥界へ飛んで帰りました。
食事の席で、幽々子様にこの話をしてみました。幽々子様は笑った後に、もうちょっと他人を公平に見てあげなさい、と叱られました。
それからは枕元に誰も出なくなり、娘さんも一人でおつかいをするくらいに大きくなりました。今でも付き合いは続いています。『お父さんの料理が美味しくないから、自分で覚えたい』なんて言ってたので、近々簡単なレシピでも教えてあげようかと思っている、今日このごろです」