「おう、儂の番か。二ッ岩マミゾウじゃ。もう新入りという程ではないが、この機に仲を深められたらと思う。どうかよろしくな。
……なあ先生、聞くところによると、お主は元々人間だったんじゃて?
……ふむ、そうか。なるほど。それなら納得じゃ。いや、人里の守護者なんて出来るのなら、そうじゃろうと思ってな。
なんせ、人間社会じゃ人間ならではの価値観があるからのう。儂も人里に行く時には姿を変えるんじゃが、やっぱり内面については戸惑う事が多い。やたらと死に怯えたり、そのくせ短い人生の中で怠けていたりな。慣れはしたが、溶け込むのは未だに性に合わん。
向こうで人間の振りをしている奴等は、果たして上手くやっとるかいの……。
ああ悪い、儂は思い出話をしたいのじゃない。ただ、半端に人と馴れ合おうとするのはやめた方がいいと、そう言いたかったのじゃ。
なんの、根拠があっての持論じゃ。というのも、これから話す実体験が、少々頭に残っていてのう……。ちょいと、聞いてもらえるか?
―
あれは確か、雪も解け始めて春の陽気が見えてきた、そんな頃じゃった。儂は里から魔法の森をブラブラ散歩していた。まだ桜は咲いていなかったが、目覚めの春というだけに色んな場所に兆しが見えてな。雪解けで湿った土の中から色んな植物が芽を出してくる。小さな雑草から、七草と言われる山菜まで。白銀一色に見慣れていると、ちょいと土気色が小汚なく見えるかもしれないが、それもまた生命の妙味を感じられて良いものさ。
もっとも、魔法の森に関しちゃ、あの場所は年がら年中化けキノコだらけじゃがな。日が差さずキノコの胞子と湿気で淀んだような空気の中に、ぴゅうっと時おり冷たい風が吹いて、まだ春には遠いかなぁと、肩を小さくしておった。そんな時じゃ。
『もし』
ボンヤリしていると、突然女の声がした。はて、儂以外に森に入り込むような物好きがそうそうおるかとキョロキョロ辺りを見回したが、人影のようなものは一人も見当たらない。空耳かと一瞬疑ったが、同じ辺りから、同じ女の声がまた聞こえてくる。
『すみません。ここです。ここ』
その方向によくよく目を凝らして見ると、人ではない。二、三歩さきの道端に座り込んで、上目遣いで困ったように儂を見上げる……狸が居ったんじゃ。儂のように人の姿をとっている訳でもない。毛むくじゃらで目の隅もそのままの、獣の姿の狸がいた。
なんだって儂に人間の言葉で話すかの、と目をパチクリしながら見下ろしていると、狸は鼻先をヒクヒクさせながらこう続ける。
『脚をくじいてしまったのです。どうか、私の家まで運んでいただけないでしょうか。ささやかながら、おもてなしもいたします』
それを聞いてピンときた。狸や狐が人を騙す時によくやる手口じゃ。妖術を使い綺麗な女に化け、豪華な屋敷に見せかけた巣穴に連れていき、料理と騙して馬糞や泥水を飲ませ、酒で酔わせて身ぐるみをはぎ、放り出す……。
同時に、自分が里から歩いてきて、人間の姿のままだったのに気づいた。その狸はおそらく、儂の正体を見抜けなかった上に化ける術が通じとると思ったんじゃろう。妖艶に身をくねらせ、涙ながらに芝居をする。人間の美人の姿ならさぞ引き込まれたじゃろうが、しかし目の前には一匹の狸。
恐らく妖力の弱い、群れから追い出されたような輩じゃろう。儂の顔を知らない事からも、狸の社会に馴染めていないのが窺えた。
『はぁ……それは気の毒に。さ、儂におぶさりなさい』
内心呆れながら、それでも気づかない振りをして背中を差し出す。騙されたふりをしても面白いかと思ったんじゃ。狸は儂の考えなど一向に読めぬようで、爪を立てながら四つ足で儂の肩に這い登る。
首の後ろにチクチクと毛の感触を感じながら、背中の狸の道案内に従った。そこを左、そこ真っ直ぐと指図されながら進むうちにどんどん木々は鬱蒼と繁り、人が滅多に入らないのを示すようにキノコが大小様々、色とりどりに、森にデキモノができたようにボコボコと増えていたが、構わず奥に進んでいった。
そうやって歩いて十分ほど。やがて道を狭めていた木々がふと途切れ、少し開けた場所に出た。そこで背中の狸が言う。
『ありがとうございます。あれが私の家です』
そう言ってひょいと背中を降り、トテトテと先を走っていく。それを追いかけて視線を動かすと、山の中から岩が顔を出して口を開けたような、ちょっとした岩屋があった。
『どうぞ、おいでください。お茶をお出しします』
ちょこんとお辞儀する狸。茶と称して一体何を出されるやら。そう思って苦笑しながら歩いていく。
近づいてみれば岩屋は案外広いようで、奥の暗闇が、穴が遠くまで伸びている事を示していた。はぐれものの癖に良い場所に住んでいるなと思いながら、『良い家じゃな』と言うと、『死んだ父さんが道楽で建てたのです』と笑っていた。
中ほどの広い場所に通され、葉っぱの敷き詰められた場所を勧められる。座布団だと思う事にしてどっかと腰を下ろすと、今度は葉っぱに乗せた饅頭、それに竹筒に入ったよく分からない液体が運ばれてくる。液体は濁った黄色で、水面には白っぽくドロリとした澱が浮いている。
顔がひきつるのを感じながら狸を見ると、キョトンと首を傾げる。茶菓子はともかく、お茶に見せかけているつもりなんじゃろうか。騙されたふりをするのも楽ではない。
お茶だけ奇妙なのは気になったが、このまま付き合ってもろくな事は無さそうだ。さっさと茶だけ飲んで退散しよう。そう思って急いで竹筒を持ち上げた時。
つん、と鼻を突くような臭いがした。
思わず竹筒を離し、恐る恐るまた臭いを嗅いでみる。小便を飲ませるイタズラの類いとか、そういうものではない。森を歩く最中、ずっと嗅いで慣れていた筈のあのムッとする臭い……。
化けキノコの胞子が、森の空気とは比較にならない程の濃度で大量にぶち込まれている。鼻が麻痺するかと思って顔をそむけると、常人なら耐えられない筈の森の空気が、その時ばかりはまるで緑豊かな山を想わせる爽やかなものに感じられた。
『おい、なんじゃこれは!』
思わず竹筒を突き返して怒鳴っていた。狸は驚いて飛び退き、オロオロしながらこう言った。
『え……お茶、ですけど……』
『ふざけるな! 言っとくがな、貴様の妖術はハナっからお見通しなんじゃ!』
目の前で妖怪の姿に戻ってみせると、狸は目を白黒させて、しばらくしてガックリとうなだれた。
『そうか……あなたは、人間ではなかったのですね』
『どうしてこんな真似をした。普通に騙すならいざ知らず』
いくら妖怪でも、むやみに危害を加えても良いことはあるまい。年のせいか、そんな気持ちで質問をぶつけていた。すると狸は恨めしそうに儂をじっと見て、ぼそりとこう言った。
『人間じゃない貴女には、想像出来ないでしょうね』
『なぬ?』
『……お話ししましょうか。私の、大間抜けな失敗を……』
そう呟くように言って、狸は自分の事を語りだした。
……元々、そいつは人間に酷い事をするのを躊躇する性格だったらしい。そして案の定仲間から腰抜け扱いされ、一人で森にひっそり暮らすようになった。
一応、人を化かして騙す事はあったらしい。しかしそれは、夜に一人で出歩くような馬鹿者が行き倒れないように、巣穴に案内して保護していたんじゃ。もちろん立派な家も豪華な料理も見せかけだけで、朝になれば全部バレてしまう。それでも大体の奴らは感謝してくれたんじゃ。
幻想郷じゃ妖怪に食われなかっただけで幸運じゃし、ことに冬には岩屋の屋根も、抱き枕になってくれた狸もとてもありがたいと、助けられた連中みんなが口にした。
じゃが、ある夜……。
狸はその時も迷った人間を、娘に化けて連れて行こうとした。しかし、いつもならホイホイ着いてきてくれるのじゃが、その人間は出し抜けに、こう言った。
『千代……お前、千代じゃないか!?』
話から察するに、狸の化けた娘が、偶然にも昔に亡くした子供にとてもよく似ているらしい。こうなると人の好い狸は夢を壊す訳にもいかず、『お久しぶりです、父さま』と応じた。
道中、物好きな方の屋敷に拾われたのだとか言って、見せかけの金持ちな家に案内し、見せかけの豪勢な食事を振る舞い、精一杯幸せな娘を演じる。人間も妖術と嘘に騙され、狸のでっち上げを信じて安らかな顔で床に着いた。
その夜までは、狸は深く考えていなかった。夜が明ければ正体はバレてしまうが、その方がいい。私は事実、死んだ娘さんではないのだ。現実は変わらないのだ。この人間も一夜の夢だと笑ってくれるだろう。そんな風に思っていた。
しかし、夜が明け、傍らの狸と、周りの変わり果てた風景に気づき、全てを聞かされた人間は……。
『なんで騙してまで助けたんだ! 娘に会えたと思ったのに! 幸せでいたのだと思ったのに、何故あのまま死なせてくれなかった!?』
……そう言って激怒した。そして狸が弱虫なのを良いことに、さんざん山の中を追い散らして、自分は森の奥に消えてしまったんじゃ。
『……あれ以来、私は気づいたんです。人間は結局夢を見るのが好きだって。そしてそれは普通の人間には出来ない……』
いつの間にかうつむいたまま、ポツポツと話す狸。その不気味な雰囲気にたじろいでいると、不意に顔を上げて儂を見据えてくる。
どんよりとした、光のない目。そして後ずさる儂をにらんだまま、パチパチと火花のような音を立てて、全身の毛を逆立てはじめた。まるで針ネズミのような異貌。紫色の小さな雷のようなものが、激しく明滅して狸にまとわりつく。
妖気を高めている。そう察した瞬間、奴は風のように迫り、何かを振り下ろした。
焦って飛び退くと、着物が爪で引っかかれ、まっすぐ切り裂かれていた。狸をみると、さっきとは打って変わって、目をらんらんとギラつかせ、地面には目玉を容易く抉り取れるような爪を立てて、牙を剥いてその隙間からシューシューと音を鳴らしている。
まるで別人のような様相に呆然としていると、狸は顔を歪めて口を開け、今までとまるで違う地の底から響くような声でこう言った。
『お前のような、心ない妖怪は邪魔なのだ……!』
そう言って唸り声をあげ、毬のように襲いかかってきた。儂はすぐさま背を向けて逃げた。同族とやり合うなんぞゴメンじゃし、理性が効いているようには到底見えなかった。
四つ足で音を立てて駆け回り、辺りの木の皮を見境なく爪で抉るそいつを相手に、儂はとにかく撒いてしまおうと右へ左へ逃げ回った。そんな事をずっと続けて日も落ちかけ、ようやく見失ってくれたかとホッとした頃……。
念のため周りをキョロキョロ見回していると、小さな岩屋がまた見つかった。位置から思い出すに、最初に見た狸の巣穴が、そこまで前後でトンネル状に繋がっていたのじゃろう。
そこを何気なしに、フッと覗いた。その時。
人間が何人も積み重なって倒れていた。暗がりでハッキリとは分からなかったが、下に押し潰されたようになった人間は白骨になったり、土色に腐って虫がたかっていたり、枯れ木のように痩せ干そっていたりした。そして目を凝らした瞬間、一番上にいた人間が、『うぅん……』と唸って……"寝がえり"を打った。
その表情を見て言葉を失った。白目を剥き、髪はボサボサ、ボンヤリ開けた口からはヨダレを垂らして、うわごとのように何かを呟く。肌も服も薄汚れて、何日もそうしていたのが窺えた。
寝ているんじゃない。明らかに何かをされている。頭の中に、あの化けキノコの胞子が入った液体が浮かんだ……。
―
……それから、儂は結局逃げ出して以来、詳しいことは分かってない。だが、あの狸は今どうしているかの……。直接聞いてみたら、真相も分かるかも知れん。儂はやりたくないがな。
先生、もし狸に招かれる事があったら、用心するといい。化かされるだけならまだしも、もっと酷い事をされるかもしれんからのう。ほっほっほ……。
儂の話は終わりじゃ。次はどなたかな。」