「あたいが次かい? おっと、名乗るのを忘れてた。火焔猫燐だよ。気軽にお燐と呼んでおくれ。
まあ、そんなにしょっちゅうは出会う事ないだろーけど……。あたいは大体地底にいるからね。つー事は、うーん、やっぱり地底の話が良いのかなぁ。みんな多分あんまり縁がないよね。
しっかしなぁ……地底は風紀が悪いし、特にこの話は教育上よろしくないような……。
いやいや、エッチな話じゃないよ。あたいを何だと思ってるんだい。ああもう、分かったよ。話せばいいんだろう。そしたら分かってもらえるさ。ただし、ちゃんとお終いまで聞いてよね。
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あたいの暮らす地霊殿って屋敷に、さとり様って主がいる。みんなも噂くらいは聞いた事あるかな。心を読むさとり妖怪って種族で、今は怨霊の管理をしているんだ。
で、その妹にこいし様ってのがいる。地霊殿での立場は似たようなものなんだけど、こっちは色々と特殊でね。姉の方と違って心が読めない。だけど、代わりに"無意識を操る"力があるんだ。
みんな、何かに夢中になっている時、近くに誰かがいても気づかなかったりした事はないかい? 知恵の輪なんかに集中していたら背後に誰かがずっといたとか、ぼんやり空を眺めて歩いていたら誰かにぶつかっただとか。
そういうのは、"意識"の"外"にいるもの故に気づかないから起こる。その意識する範囲の内外に自由に出入りできるのが、こいし様の能力だ。
それだけなら忍者みたいでカッコいいんだけど、ちょっと困った所もある。こいし様自身の行動が、無意識に行われている、って所だ。
何かをしよう、しなきゃならない。そう思い立って行動する事が滅多にない。頭をかいたり貧乏揺すりしたり、そんな時ならいちいち頭で考えたりしないだろうが、一事が万事その調子だから、まるで行動が読めない。意思や目的ありきで行動するあたいらとじゃ、どうしても予想の斜め上を行かれちゃうんだ。
見る人によっては、興味を引くらしいけどね。したい、しなければ、って意識に縛られない人間ってのは、悟り……ほら、お坊さんのアレね。その域に近いものがあるんだってさ。よく分からないけど。
……で、長々と話しちゃったけど、ここまでが前置き。この先は地底のヤバイ事情も合わせて話さなきゃいけない。
地底の街でね、あるクスリが出回っているんだ。クスリと言っても病気の薬じゃない。ヤバイものさ。なんて言えばいいのか……使うとすごく気持ちいいんだけど、やりすぎると頭がおかしくなっちゃうんだ。それでも儲かるから、地底じゃこっそり、でもそこかしこで売られていた。
年端もいかない少年だって例外じゃない。明日の見通しもない不安感につけこんで、元気が出るとか言って売り付けるんだ。
ある時、何人ものカモにされた奴らがそうしたように、一人の少年が人気のない場所でクスリを使った事があった。街の隅の路地裏に隠れて、水で溶かしたクスリを注射器に仕込み、腕に注入する。
あたいは使った事がないから聞いた話になるけど、最初は本当に気持ちいいらしい。普段からは想像も出来ないほどの高揚感に包まれて、何もしなくとも天国にいるような心地になる。体がとても良く動くようになって、疲労も一気に吹き飛ぶ……ような気分にさせてくれるんだ。
ところが、そこである偶然が起きた。
クスリを使うとね、一時的に良い気分になると言ったけど、見方によっては、全ての悩みや苦しみから解放される。そう言えなくもないんだ。これを仏教の悟りと近いものだっていう人もいる。もっと言えば、さっき言った……こいし様の無意識の状態にも近づけるんだ。トリップとか言われるんだけどさ。
クスリが効いて、少年が何も考えずにフラフラしている時、彼は他の人に見えないものを、うっすらと目撃した。
それがこいし様だった。無意識を操り誰にも見えていないと安心して、気ままに街をうろついている。
単に妖怪が能力を使っているだけなんだが、知識のない少年には別のものに見えた。
快感に染められて何の苦悩も感じない精神状態、現実感のないモノの見え方、この世の全て、物質から自由になったような感覚。
様々なものにフィルターを歪められた少年には、何事にも縛られずにそこにいるこいし様が、こんな風に見えた。
『この子は、天使に違いない』
少年は天使を見失いたくない一心で、その後を追った。だけど、元からクスリを使った不完全な悟りの上に、第一人がごった返す街の中だ。すぐに見えなくなっちゃった。
その時は、神聖なものに近づきたいと思って追い求めるような心境だったんだろうか。どこにいるかも、ハッキリ見えるかも分からないこいし様を探して、街をさまよい歩いたらしいよ。
でも、いつまでもそうしてはいられなかった。知っている人もいるだろうけど、この手のクスリは気持ちよくなるだけじゃない。必ず反動がくる。寒気がしたり、吐き気がしたり、手が震えたり。
反動から逃れる為にはどうするか……。更にクスリを射つしかないんだ。そうすればまた高揚感がやってきて、苦しみからは逃れられる。……一時的に、ね。これが儲かる理由だよ。軽い気持ちで始めても、必ずまたクスリを求めるようになって、苦痛と解放のループから逃げられなくなる。その中で数えきれない回数、額の売買があるんだ。
少年もご多分に漏れず、売人からクスリを買い漁った。苦しんで、逃れて、その中で何度も無意識を操ってるこいし様を目にした。死ぬような感覚から抜け出た瞬間に。天に昇るような心地と地獄に落ちるような絶望の狭間で、自分だけに見える女の子……。その特別感が、クスリの乱用に拍車をかけていた。
でも、それも長くは続かない。何度も使えば体は慣れてくる。最初はしっかり感じた効き目も段々と薄くなって、同じ量じゃ物足りなくなってくる。
対して、体のダメージは気づかぬうちに蓄積されていく一方だ。クスリが切れた時の苦しみは反比例するように増していく。皮膚の下に虫がいるような感覚がする。ありもしない化け物が目について離れない。恐ろしい声が『殺してやる』とささやいてくる。
端から見れば一人で転げ回っていても、本人には全て現実のものとして降りかかってくる。周りを認識する為の脳や神経がイカれちまってんだ。ここまでくると立派な禁断症状さ。やっと心の中でやめたいと思えるようになっても、今度は体が許さない。まるで餓えて水を欲しがるように、クスリの事しか考えられなくなる。
でもクスリを買うにはお金がいる。たくさん買わなきゃ効かなくなる。少年はお金が尽きると他から盗み、巻き上げた。それをためらう事も無かった。頭の中にあるのはクスリと……彼に限っては、名前を知らないこいし様だけだった。
あたいらが事を知ったのは本当に偶然だった。こいし様を追っかけてきたらしい少年が、地霊殿の屋敷に飛び込んできたんだ。
その時の彼は、酷いありさまだったよ。手足は震えて自由がきかず、体は痩せ細ってまともに歩けない。皮膚はカラカラに乾き、顔色は赤茶けて薄汚く、頬がこけてバサバサの髪の隙間から覗く目だけが、ギラギラ光っている。床を這いずって近づいてくると、開きっぱなしの口の中に歯が黄ばみ、抜け落ちている様子が見える。その奥からはあわあわと、呻き声のような意味を成さない言葉が漏れていた。
駆け寄ってみると、左右の腕から両足の先まで、いたる所に注射の痕があった。古いのから新しいのまで、隙間なく点が並んで生々しく、ミミズ腫れのようになっていた。
身元を調べようとさとり様が出向いた時、隣にはこいし様がいた。彼はそれを見るなり何も知らないこいし様が怯えるのも構わず、すがりつくように手を伸ばした。上手く動かなさそうな口を歪めてやっと会えた。やっと会えたって笑うんだ。能力が関係ない時ならいつでも会えたのに、少年はその時クスリを後悔していなかった。
身元を調べる最中、禁断症状で泣きわめいてもがく間も、こいし様を目で追っては助けを求めた。地獄烏が腹をついばむ、蜘蛛が血をすすり取っていく、怨霊が脳味噌を食い散らかして離れない……。そんなありもしない幻影を口にしながら、こいし様の手を握り潰しそうなほどに掴んで離さない。
さとり様がトラウマを和らげようとしていたけど、まるで効いているように見えなかった。
それどころか時々あらぬ方向を向いては、『ああ、こいしさん、そこにいらっしゃったんですね!』と豹変した笑顔で口走る。すぐ隣にいるんだよ。無意識もなにもないこいし様が。なのに。
次第にあちこちを忙しく見回して、『あ、こっちか。いや、ここにもいた。あはは、いっぱいいるぞ。こりゃいいや』なんて、よだれを垂らしながらケタケタと笑い続けた。
壊れた、そんな表現がピッタリだったよ。
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その子は、少し落ち着いてから地上の永遠亭に送られた。今ではなんとかクスリを断てているらしい。もっとも、ふとした拍子にまた禁断症状が出るかもって、医者は言ったけどね。恐らく……一生油断は出来ないって。
クスリの流通網は、さとり様もどうにかして絶とうとしているけど、なかなか上手くいってない。広い旧都、それも無法地帯の中で出来る事は限られてる。
それに、クスリといっても色んな材料を使った混ぜ物を売っていやがるから、封じ込めたと思ってもまた同じようなのが出回るんだ。粗悪なものでも、それでボロボロになる人がいても、ずっと同じ事が続いてる。
……ああ、それとね。話しておいてなんだけど、他人に広める時には地名とか人名にフェイクを入れといてくれないか。
みんな今回、初めて聞いたと思うんだけど、本当は秘密にしろと言われてるんだ。
なんでも、クスリの元締め連中にもし関わろうなんてヤツが出てきたら一大事だからね。まあ、ここにいる何人かなら返り討ちにも出来そうだけど……。
いやいや、冗談。首突っ込まない方がいいって。……行くなら止めないけどさ。
これ以上は話す事はないよ。あたいはここまで。残りは一人かな?」