……メディスンの六話目が終わった。来るか分からないと言われた七人目が来ないので、その分の余韻が長く続く。
ただ、皆の表情を見るに怖いという感情とは違うように見えた。先程の話は何というか……現実離れと言おうか。自分の身に置き換えて恐怖を感じるというのが、難しいような気がするのだ。
「ねえお嬢ちゃん、そいつ、本当に夢じゃないのかい?」
燐が冗談めかして尋ねる。するとメディスンはムッと頬を膨らませる。
「本当よ! この目で見たもん」
「見た、かぁ……」
マミゾウがくつくつと笑う。幼さゆえの勘違いに気づかぬ振りをする時のような、勿体ぶった笑い。
他の面々も文句は言わないまでも、さほど恐ろしさは感じていないように見えた。メディスンの言った内容は一人きりの体験が主で、対外的に見れば"いつの間にか見知らぬ場所で寝ていた"というだけなのだ。今朝に霧がかかっていたなど、私もついぞ覚えがない。「操られているようだった」と称する魔理沙の言動も、メディスンの言を夢や幻ではないかと疑うのなら――特におかしいと思う部分もないのだ。
幻想郷の事だ。そういう妖怪に遭遇する可能性もあるだろうが……実害を被った訳でもない。何にせよ、反応がかんばしくないのは無理からぬ事だった。
「周りの人間が操られる、ですか……」
「するってぇと、私らも誰かに動かされてる、ってか?」
「冗談じゃない。私は自分で考えて行動してるよ」
周りもそれほどインパクトもない、作り話として受け取っているようだ。ふて腐れているメディスンを見て、すかさず話しかける。
「な、なあメディスン。操り糸が見えたとか言ったが……今も、誰かに見えてるのか?」
メディスンはキッと眉を寄せ、私を真正面から見つめてくる。しかし直後に目を伏せ首を横に振り、ポツリと言った。
「うぅん……今は見えない」
「じゃ、やっぱり気のせいだろう」
妹紅があぐらをかきながら呑気な声を出した。それに続いて他の連中も笑いながら冷やかしの声を入れる。
「おおかた、魔理沙の背中に蜘蛛の巣でも引っ掛かっておったんじゃろう」
「しかしそうなると、手というのは何だったのでしょうか?」
「影がそう見えたんだろう。たまたま変な具合に浮かび上がったのさ」
「朝方だってんで寝ぼけたんだなぁ、多分」
メディスンの言い分はてんで信じられていないようだった。次第にメディスンの口がへの字に曲がり、頬が紅潮していく。宥めようとした瞬間、彼女は立ち上がった。
「……やっぱり、信じないのね。分かってた。ダメ元で打ち明けてみたけど、やめときゃよかったわ」
腕組みをしてそっぽを向き、大きな声を張り上げるメディスン。皆が困った顔を見合わせる中、手をあげて割って入る。
「まあまあ。私たちが悪かったよ。また同じような事があれば、教えてくれないか? そうなりゃ皆信じるさ」
今回だけでは流石に鵜呑みにできないが、二度となれば話は別だ。普通なら気にも留めない奇妙な事が大事に繋がる可能性もある。その懸念も合わせて、この場ではとりあえず機嫌を直して欲しかったのだが……。
当のメディスンは私に振り向き、ふんと鼻を鳴らした。
「分かってないわね先生。私の言ってるのはそういう事じゃないのよ」
「どういう事だ?」
「操られた魔理沙は気のせいだって言った。ここの皆も同じ。これがどういう事か分かる?」
メディスンは答えを促すように部屋中を見渡すが、あいにく私にはピンとこない。他の面々も同じなようで、眉をひそめたり首をかしげたり、曖昧なしぐさをするだけだった。
しばらくして、メディスンが痺れを切らしたようにため息をつく。そして今までに輪をかけて大きな声を張り上げた。
「例の手はね、自分の存在を探って欲しくないのよ。その為に周りの住人を使ってどうにか"気のせい"って事にしようとしているの」
あまりに荒唐無稽な想像だったが、メディスンは真剣だった。今朝の奇妙な出来事を現実だと信じるなら、そういう考えに至るのだろうか。
しかし、やはりというか体験を共有していない他のメンバーには妄想としか受け取れないのだろう。私含め誰一人、メディスンの言い分に納得する者はいない。
「あの手の謎は一人で突き止めるとするわ。悪いけど、もう帰る」
「は、え? ちょっと待て!」
ぶっきらぼうに言って腰を上げるメディスンを、すかさず止めようとする。メディスンは鬱陶しそうに私を睨んだ。
「なによ、文句ある?」
「大有りだ。そんな得体の知れんものに、首を突っ込ませられるか」
メディスンは何か希少なものに好奇心をくすぐられるような感覚だろうが、危険な妖怪にだまくらかされている可能性も考えられる。というかその方が現実的、かつ危険だ。しかも様子からして、夜中の今時分から辺りをうろつく気かもしれない。
「あんたも邪魔する気なのね。みんなであの手の事を探らせまいと……」
「何言ってるんだ。そんなつもりはない」
即座に否定したが、当のメディスンはますますイライラを募らせるばかりだった。それが雰囲気にも表れ始めた頃、ようやく他の連中も苦笑いしながら集まってくる。
「ちょ、ちょいと落ち着こうよお嬢ちゃん。ね?」
「一人で冒険するなんて、そりゃ無謀だよ」
「冥界からなら、何か分かるかも知れませんよ。だからほら、今日の所は」
「やーだー、はーなせーーっ!」
皆でどうにか宥めようと、駄々をこねるメディスンを押さえる。しかしやはり子供に力づくには徹する事は出来ず、逆に目、鼻、みぞおち、あばらなどに手加減なしの拳を見舞われてしまう。
「きゃっ!」
「いてぇっ!」
「ふぎゃっ!」
「お邪魔するわよ~……あべしっ!」
それぞれの悲鳴に混じって、聞き慣れない声がした。その違和感に気づいたのか、メディスン含め全員の視線がその声の場所に集中する。
「お前さん……紫(ゆかり)か?」
「いったたぁ……何なのよ急に」
突然部屋の中に、次元を切り裂くようにして現れた異空間。そこから身を乗り出し、鼻を押さえて涙を浮かべているのは八雲 紫(やくも ゆかり)だった。
独特の導師服に帽子を被った金髪の少女。醸し出す胡散臭い雰囲気からは想像しづらいが、幻想郷の管理者を任される強力な妖怪であり、物質、空間、果ては概念まで……あらゆるものの"境界"を操る。今回のように物理法則を無視して現れるのも日常茶飯時だ。
「あ……」
メディスンは涙目になった紫を見て流石にばつが悪くなったのか、しばらく目を反らしていたが、すぐに口を尖らせて言い放つ。
「ふ、ふんっ。急に出てきたのはそっちでしょう。いきなり何の用よ」
強い口調で言われて紫は少し面食らったようであったが、すぐに飄々とした顔になり、肩をすくめる。
「やあねぇ。怖い話をしてって頼まれたから、わざわざ来てあげたんじゃない」
スキマから這い出ながらそう言うと、妹紅が隣で「ああ」と声をあげた。
「そうだった。七人目はお前さんだっけ」
「あんた、自分で誘っておいて忘れたの?」
「お前が来るの遅いんだよ」
紫の不満そうな声を妹紅はあっけなくはね除ける。
「だって、今日に限って藍の夕飯の準備が遅かったんだもん……」
そう呟きながら紫は憮然として息を漏らしたが、ふと、反対側のメディスンに視線をくれる。
「で……何かあった? さっき揉めてたみたいだけど」
やはり先ほど騒いでいたのは見抜かれていたのだろう。メディスンは一瞬目をしばたかせた後、ハッと思い立ったように紫に詰め寄った。
「そうだった! 紫ならあの手の事も知ってるかもしれない!」
「は? 手?」
「おいおい、もうその話はええじゃろ……」
マミゾウが億劫そうに声をあげるが、紫はそれを手で制する。メディスンはそれを了解の合図と受け取り、早口に先ほどの内容を語りだした。
霧の濃い明朝に謎の巨大な手を見かけ、追いかけるとどうしてか距離は縮まらない。そうこうしているうちに意識を失い、気づいた頃には霧は晴れたどころか無かった事になり、それ以来手のヒントも全く掴めずにいる……。
ヨタ話、そう切って捨てられる可能性もあった。しかしどういう訳か、一部始終を聞いた紫は顎に手を当て、無言でじっと考え込み始めた。その時間はやがて一分、二分と長くなっていく。
「巨大な手、ねぇ……」
紫が人前でこうも考え込むというのは珍しく、次第に周りも興味が湧いてヤジを飛ばし始める。
「まさか、何か知ってるんですか?」
「嘘でした~、とかやめてくれよ」
「まさか本気にしとるんじゃなかろうなぁ」
しかし紫は一切それらに取り合わず、額を指でつつきグリグリと押さえると、ぽつんと、驚くべき事を言った。
「見せてあげましょうか。"この場の全員"に」
「なに!?」
妹紅がすっとんきょうな声をあげる。私もつい身を乗り出してしまった。
「ちょっと待て、紫。そんな事が出来るのか?」
「ええ、出来るわ」
紫は振り返り、事もなげに言った。周囲もメディスンまで含めて半信半疑といった様子で眉をひそめていたが、紫は意に介さず縁側への障子を開け放ち夜空を露にすると、右手を掲げる。
「私はね、現代だけじゃなく、あらゆる世界の境目すらも見通せる……。メディスンにはたまたま見えたんでしょうけど……」
やっと聞き取れる程度の声でブツブツと呟きながら、掲げた右手で一つ。
パチン、と指を鳴らした。
その途端、その場にいたほぼ全員が驚愕の表情で目を見開く。
「うわっ!」
「なんだありゃ!?」
それぞれの悲鳴があがる。紫が睨む、縁側からの夜空の向こうには……。
メディスンが言ったような、人間の巨大な手。それも霧や雲に写った影だなどと言い訳のきかない、肌色の見える手のひらが。今にも寺子屋ごと私たちを握りつぶしてきそうなほど間近にあったのだ。
「ま、幻じゃ、ないんだよね……?」
「そう怖がる事ないわ。見えないだけで、ずっといるんだから」
紫は巨大な手をじっと見つめたまま、つまらなそうに言う。見た目に反して、案外危機的な状況でもないのだろうか。
「じゃ、じゃあ害はないんだよな? そうだよな?」
「…………」
念を入れて確認してみる。が、紫は振り向きもせず、手を見つめたまま黙っていた。それに一瞬、嫌な予感を覚えた時。
直後、手がフッ、と何かを手放すようなしぐさをした。
「え―ー」
途端、場にいた何人かが一斉に床に転がった。二人、三人、次々と糸の切れた人形のように倒れ、動かなくなる。そして私も、急に体の自由を失った。
「うっ……」
全身をしたたかに床に打ちつける。手足が動かないどころか、口さえ利けない。だんだんと意識まで朦朧としてくる。その中で、あの手に向けて喋っているであろう、紫の声を聞いた。
「今度は私が七人目、か……。藍の準備が遅れたのも、貴方のせい?」
やけに冷静な、全てを諦めたような声。何故だ? あの手について、何を知っている?
「まあいいや。結局ここで終わるのだもの」
終わる……?
まさか、私たちは死ぬのか? どういう因果だ。何をされた? 何が起こっているんだ?
頭の中で次々と質問が浮かぶ。しかしそれらを一つも口に出せないまま、私の意識は闇に落ちていった。ごとり、と最後の一人が倒れた音を最後に……。
―
「……やっぱり、こうなるのね」
別世界を覗いていたスキマを閉じ、私はため息をついた。
偶然見つけた、立て続けに現れた世界線。その中では例外なく夏ごろで、幻想郷の住人に限りなく似た者たちが怪談話をしていた。
集まるのは七人。話をするのは六人だ。その六人が話し終えると、決まって何かが起こる。
しかし奇妙なのは、その後だ。六人の話の後に珍事が起こった。そして……。それらの世界は何もない、"無"と化してしまう。これも例外はない。誰もいない、草木の一つもない……片づけられて照明を落とした舞台のようになってしまうのだ。どの世界も、一つ残らず。
一体、何のために存在しているのだろう。幻想郷で生きているかのように振る舞うのに、あるタイミングで湧いて出て、跡形もなく消えてしまう。
そういえば、私は呼ばれていないけど、里で今夜怖い話をするとか言ってたっけ。
「……誰か、どこかで見ていたりするのかしら。いやぁねぇ」
呟きには、諦めが混じっていた。自分にだけは見えるのだ。誰もが消え去る未来が。
「紫さま、ご飯ですよ」
藍の声がする。今度はいつも通りの時間だ。
……いつも通り?
「……バカみたい」
呟きは、風に吹かれて消えていった。