~正邪と関わりを増やす~
「ほう、正邪と関わりを増やす、か? 中々穿った見方をするな。……だが、それが正解じゃ。彼は里の周辺をこっそりうろついたりして、正邪に会おうとしだした。
何故そんな事をしたか? まあ、儂にはその時の心情なんて想像するしかないが、天邪鬼は里でもろくでもない奴として有名じゃったから、嫌われ者を不憫に思ったんじゃろうな。聖の話を聞いて、妖怪と理解し合う事に憧れたというか。
あるいは、ある種の自信をつけようとしたのか。天邪鬼と友達になれたら、寺子屋での悩みなんて屁でもない、と。
とにかくそうこうしているうちに、つけ回されているのを察してか正邪の方から少年の前に現れた。弱いとはいえ妖怪と二人きりになった訳だが、少年は迷わず話しかける。
『今までの事を水に流し、仲良くしたい』と。
当然最初は怪訝な顔をされた。向こうからしたら好かれる道理なんて欠片も無かったんだからね。それでも少年がいじめられるままの関係は嫌だと突っ張るものだから、正邪も少しずつ興味を引かれていく。
まあ、興味といってもただの好奇心か何か知らないが、段々と聞き入ってきた正邪は、彼にこう持ちかけた。
『じゃあ、ちょっと私に付き合ってくれよ』
ちょっと強引な口調でニヤリと笑う正邪。少年は少しだけ警戒しながら『何をするの?』と尋ねる。
すると今度は声を潜め、こう囁く。
『なぁに、簡単な事さ。里の連中に嫌がらせをするんだ』
それを聞いて少年は眉をひそめたが、正邪はその内心を見透かすように瞳をジッと見据える。
『まあ聞いてくれよ。私は天邪鬼だぜ? 巫女や強い妖怪は勿論、妖精や人間にまで馬鹿にされてきたんだ。
憐れに思っておくれでないかい?』
『そ、そんな……』
目を逸らした少年じゃったが、正邪の誘いには幾らか動かされるものがあった。特に何もした覚えの無い自分を執拗にからかいオモチャにする寺子屋の皆に、正直腹が立っていた。
不意に顎を掴まれ、無理やり正邪の方を向かされる。その表情はまるで誘惑する蛇。ぐいと顔を近づけ、鼻先に触れそうな距離で舌を出す。
『やられっ放しじゃ悔しいんだよ。お前にも分かるだろ? 覚えているぜ、お前のベソかいた面を』
他でもない正邪がつけた傷を抉られて、少年はムッと彼女を見た。その視線に正邪は一歩下がり、わざとらしく肩をすくめる。
『そう睨むなよ。悪いとは思ってる。だからお前さんの仕返しの手伝いもしたいのさ』
『仕返し……』
『そうさ。私もどうせなら、ムカつく奴を狙おうと思ってんだ』
正邪への嫌悪感は消えない。じゃが、仕返しという言葉に押し殺していた悔しさが頭をもたげる。小傘や聖は優しいけれど、いや、じゃからこそ同じ事をやり返せだなんて言わんじゃろう。
嫌いな連中に少しくらいなら……。口車に乗るまいとしていた心が段々と怒りに傾いてゆく。正邪はそこに畳み掛けるようにペコペコと頭を下げた。
『頼むよ! 勿論冗談で済む程度にセーブするからさ! 悪いことは無いだろ!?』
少年はその勢いにうろたえた。が、大げさとはいえ哀れっぽく頼み込む姿には否応なしに気が引ける。見かけだけは少女の天邪鬼に目をやって、少年は数秒間巡視した後、無言で首を縦に振っていた。
『本当か! ありがとう~。一人くらい協力者が欲しかったんだ~』
両手を持ってブンブン振る正邪の、八重歯の覗く笑顔を見ながら少年は嬉しいような気味悪いような、複雑な気持ちだったらしい。
それから少年と正邪で組んでの仕返し、もとい悪戯の日々が始まった。具体的には嫌いな奴の机の中に蛙を入れたり、水筒の飲み口にワサビを塗ったり、梅雨の時期にわざわざ屋根に穴を開け、嫌いな奴の上だけ雨漏りするようにしたり……。
どれも後から正邪が『自分達でやった』とバラしたんじゃが、あの少年にはその方が良かったらしい。悪事を心の中で笑うより、後から謝る方が結局性根に合っていたんじゃろう。
正邪は楽しそうだとしても、彼はそれで何の得があるのか。小傘なんかは気になって聞いてみたらしい。
すると、彼は苦笑いしながら、こう返してきた。
『元は向こうがやってきたし……。それに正邪ちゃんも悪戯程度に抑えてくれますから』
しかし、いくら正邪が喜ぼうが、アンタはむしろ慣れない悪事で苦しんじゃいないか。そう小傘は食い下がったが、少年は首を横に振るばかりじゃった。
『大丈夫ですよ、相手もやり方も選んでいますし。第一それで妖怪の女の子と上手くやれるんですもの』
そう言って彼は寂しく笑ったが、小傘には本音を隠しているように思えてならなかったらしい。
……そしてそんな事が一ヶ月程続いた後、ついに決定的な出来事が起きる。
彼が知ったのは母親の口からだった。
『ねえ、最近アンタ天邪鬼と会ってるんだって?』
母親は夕食の席で渋い顔をして聞いてきた。少年はまた悪い妖怪のイメージで判断していると早合点して、胸を張って言い返した。
『うん! あの子そんなに悪い子じゃ無いもん』
少年は母親の目を真っ直ぐ見た。親心で小言を言ってくるんだろう、そう考えていたがしかし、彼女は心配そうに眉尻を下げ、静かに箸を置く。
『そうは言うけどねぇ……』
思った以上に暗く嘆き果てたトーン。何か不味い事言ったかと少年が眉をしかめていると、母親はちゃぶ台に目を落として語りだした。
『あの天邪鬼、方々で酷い事をして回っているらしいのよ。石をいきなり投げつけたり、往来で服をはぎ取ったり、最近では散歩中の犬を蹴飛ばしたりさ……』
『な、何だよそれ!』
少年は思わず立ち上がった。どれもこれも、共謀していた悪さの中に全く覚えの無いものばかりじゃったからじゃ。
しかし、母親はため息をついて顔を上げ、言う。
『しらなかったのかい? 里では噂になってるよ』
冷静な口調で返されて、少年は呆然と突っ立っていた。頭の隅で何が原因なんだと問いかける。全部誤解だという線は薄いだろう。ならば、天邪鬼が知らない所でやったのか……。
あり得ない話ではない。彼女がそこまで信用できる子には、いや、疑いだすと途端にとんでもないウソつきに思えてくる。
しかし、でも、まさか……
『……それで、信じられない話だけどね……』
母親が恐る恐る言いかける間にも、少年はとっ散らかった頭でグルグルと自問自答を続けている。すると、不意に玄関の戸を叩く音がした。
既に日も沈んでいるのに、一体誰だろう。首を傾げながら母親は腰を上げ、愛想笑いに切り替えて扉を開ける。
外は雨が降っていたらしく、開けた途端にザアザアと叩くような雨音が飛び込んできた。その音に肩が跳ねて振り向くと、外にはずぶ濡れの女の子と、隣には父親らしき中年の男が二人立っていた。女の子はしくしく泣いて、中年は心なしか自分を睨んでいる。
少年は女の子を知っていた。寺子屋でいじめに遭う中、参加しないでいた数少ない生徒じゃった。ふと懐かしい思い出に気を取られていると、中年の怒鳴り声が響いた。
『もう勘弁出来ないぞ! あの天邪鬼、娘の傘を取り上げやがった!!』
天邪鬼、というワードに少年の視線が声の主に向く。すると目尻を吊り上げ真っ赤に怒った中年と視線がぶつかった。
中年は少年を見るなりシワを深くして、無言で怒りの雰囲気だけを伝えてくる。その表情に怯えながら、少年は震える声で尋ねた。
『あの……』
『あ?』
『天邪鬼……って正邪ちゃん、ですか?』
消え入りそうな疑問を聞くと、中年は大げさにハッ! と鼻で笑う。そして皮肉のこもった笑みを浮かべながら低い声で答えた。
『とぼけるんじゃない。奴は"お前に頼まれた"って言ってんだぞ』
『え……えぇ!?』
少年の額からドッと汗が吹き出て、オロオロと中年、女の子、母親へと忙しなく視線を泳がせる。すがるように母親を見つめると、言いにくそうに母が口を開いた。
『正邪はね、悪さをすると決まってあなたの仇だって言うのよ。いじめをして、見過ごした罪だって』
『…………』
『ほら、最近一緒にいるって言うから、まさかと思って……』
少年はそこまで聞いて、草履を引っかけて飛び出した。母が呼び止め、中年が怒鳴る声も無視して、どしゃ降りの中を傘も差さずに、夢中で里の外へと駆けて…………」
「……待ってくれ」
声を絞り出して話を遮った。マミゾウがつまらなそうにこちらを見る。しかし周りの連中も続きが気になる風ではなく、気まずそうに顔を歪め、あるいは私の青ざめているであろう面を興味深く窺っている。
「その話……最後はどうなる?」
目だけを上げて聞いてみた。マミゾウはピクリと眉を震わせ、ため息混じりに肩をすくめる。
「それを先に言ってどうする? これからがクライマックスじゃと言うに」
興を削ぐな、そう言外に含まれて思わず手に力が入った。私に取っては教え子の話なのだ。それが良からぬ方向に転ぶのを聞かされ、平静で居ろというのか。
「……おい、言っとくが、こいつは寺子屋で話す怪談のネタ集めだぞ」
妹紅が苦虫を噛み潰したような顔で言った。対してマミゾウは私から目を離さず、こう言い放つ。
「いいや、聞いてもらう。こんな機会は滅多にない。人妖の集うこの場こそ、『問う』に相応しい」
マミゾウの目付きが鋭くなる。そうか、彼女の話は決して悪ふざけや悪趣味では無い。聞いてほしいと思ってやっている。
「無茶言うな、お前な……!」
「妹紅、よせ」
立ち上がろうとする妹紅を制し、ゆっくり周囲を見渡す。汗がまつ毛にポトリと落ちた。
「私は良い……皆は大丈夫か?」
無理しているように見えたのか最初は戸惑う者ばかりだったが、私が笑って見せると遠慮がちに一人、また一人と頷く。
「……すまない、邪魔してしまったな」
腹を決め、どさりと腰を下ろす。マミゾウは今更ばつが悪そうに脇を睨んだが、一つ頷くとまた話し出した
「それで……なんじゃったか。そう、少年はかつて正邪に会った里の外へと向かった。雨のせいで土はぬかるみ、風で木々が煩く振り回され、里のそばの河はゴウゴウと今にも溢れ出しそうに勢いを増している。
そこに正邪は立っていた。例の奪ったであろう傘を広げて。
『正邪ちゃん!』
呼び掛けると彼女は首だけ振り向いた。会った時はいかにも楽しそうだったが、今度は鬱陶しそうに目を鋭く光らせ、雨音に混じり舌打ちが聞こえる。
『何か用か?』
ぶっきらぼうに言い放つ正邪。少年は一瞬怯んだが、恐る恐る問いかける。
『その傘……どうしたの?』
正邪は一瞬頭上を睨み、『取り上げたんだよ』と吐き捨て、続けざまにこう言った。
『お前の組の奴さ。恨んでいるだろ?』
舌を出して笑う正邪。しかし少年は弾かれたように口を開き、怒りを露にした。
『あの子は見てただけだよ! ずぶ濡れで泣いてたんだ。どうしてそんな……』
詰め寄ろうとする少年を、正邪は傘で追い払った。
『大して変わり無いだろう。うるせえなぁ』
『なっ……』
馬鹿にしたように呟く正邪に、少年はとうとう爆発した。
『今まで、相手は選んでいたじゃないか! そうやって、一緒にやっていこうって、やり方だって……』
声に嗚咽が混じる。間抜けな音が出た。
『どうして……どうして、あんな事を……』
母親の言っていた、隠されていた悪事の数々を思い出し、少年は裏切られた気持ちで一杯じゃった。息を荒らげる彼に向けて、正邪はやっと向き直る。
『今更何て事ないだろ? どうせ今まで散々やり返したじゃねえか』
『あんな事まで頼んでないよ! 僕の為だって言う訳!? ねえ!』
いつまでも事も無げに返す正邪に、少年は苛立ちと悲しさが募っていく。とうとう少年は地面にへたり込んで、涙声で叫んだ。
『ねぇ……何かあったら言ってよ、皆に恨みでもあったの? それとも僕に? ねぇ、どうして……』
段々と弱々しくなる訴え。地面に目を落としていると、正邪が近づいてくる足音がした。顔を上げる前に、声が降ってくる。忌々しげに。
『アンタの為、ねぇ……』
気だるい余韻が残る。少年は本音を聞きたいと、耳に神経を集中させる。
じゃが、次の瞬間聞こえてきたのは、信じられない言葉じゃった。
『"君のいじめは関係ありません。陥れて遊んだだけです"。
……そう答えりゃ満足か?』
少年はハッと顔を上げて、ポカンとした顔で正邪を見た。ふざけていると思った。いや、そう信じた。しかし目の前の彼女は憮然として見下ろすばかりで、口も開かず、表情一つ変えない。
『何言ってんだよ……そんな、嘘でしょ?』
うわごとのように呟く少年。しかし正邪はさぞ軽蔑するような、長い長いため息をついた。
『やっぱり人間だな。あれこれややこしい理由をつけたがる。理由をつけて安心したがるんだ……』
意味が分からず呆然とする少年。正邪は躊躇いなくその顔に蹴りを入れた。
『あっぐ!』
くぐもった悲鳴をあげ、少年は地面に倒れこんだ。濁った水溜まりが背中一面に張り付き、その中をもがいていると、正邪が去っていく背中が見えた。
『待って! どうして、こんな……』
『また"どうして"か。一生聞いてろや』
その台詞を最後に、正邪の背中は遠くなっていった。未だ傷心の彼を残して……。
―
それから、彼がどうなったか?
偶然通りかかった儂に全てをぶちまけて、河に身を投げてしまったよ。止める暇も無かった。すぐに泥水に流されて消えてしまったんじゃ。
真実を今まで黙っていた理由はな……。儂の言がどこまで信用されるか心配だったのが、まず一つ。
そしてもう一つ。これこそが儂の聞いてもらいたかった事なんじゃが……。
これは、聞く相手によっては幻想郷の在りかたそのものへの疑問になりかねん。だから今まで黙っていた。
少し、話すと長くなるが…………
『妖怪』とはそもそも何か、考えた事はあるか?
儂の以前いた現代ではな、大した妖怪はいない。代わりに妖怪のルーツが古い時代の象徴として語られる。
しばしば、ネガティブなものとしてな。
例えば、狐憑は精神を病んだ人間、一本だたらは目や足を酷使した人間、天邪鬼は余所者や嘘つきの嫌われ者、海の向こうじゃ亜人のモデルは異人種だなんて話もある。
昔は知らない事だらけで、人間や何でもないモノを妖怪扱いする事も多かった。分からぬ事は恐怖の元じゃ。
だがそれらは時代と共に取り払われていく……。一面的に見れば無知と偏見が消え去っていった。人間が病気、障がい、他の人種、或いは周りの自然に理解を深めるにつれ、怖いと感じるモノは減っていった。
殊に、『自分をひたすら害する存在』なんてのはお笑い草じゃ。そんなものは擦り切れた人間の典型的な妄想さ。
……『現代では』、な。
幻想郷では違う。楽しいばかりじゃない。夢のようなものばかりじゃない。
あの小僧は妖怪が何なのか、最期まで分かっていなかったんじゃろう。だから早々にくたばりおった。もっとも、その方が幸せだったかも知れんが……。
いや、儂も現代が丸っきり幸せな世界だなんて言う気はない。今までこう話しておいてなんじゃが……。
最後に、正邪に向けて恨み言を吐く奴の顔は、それこそ妖怪みたいじゃった。いくら時代が変わろうが、切り離せない何かはあるのだろうな。
……儂の話は終わりじゃ。胸くそ悪ければ忘れてくれい」