大河の国々と緑の帯を結ぶ荒野、そこはかつて枯れた大河の跡地であったが、つい最近再び大河と接続し分流の一つとして復活した。
元々、枯れた大河を利用した行商路として使われていたが、徒歩よりも荷物を多く詰める船の運航が開始された事により流通が強化され、干ばつと戦乱で荒れる大河に久しい吉報であった。
分流復活の初期のころは濁り水が流れるだけであったが、暫くすると藻類が生え始め、そこから更に水草が生え、それを餌とする小魚が進出し始めた。
川が流れ始めてから陸も地面が湿り気を帯び、地表を草が覆い始め、行商人が馬やラクダに草を食ませる事が出来るようになり、家畜の糞が干乾びずに微生物の餌となり、ますます大地は植物の生育に適した土壌に整えられる。
降水量は昔に比べて随分と減ってしまったにもかかわらず、迷宮核の尽力のお陰か、大自然の齎す神秘の力か、干ばつによって浸食してきた荒れ地は、生命の息吹に押し戻されるように後退していった。
従属核が地形操作によって再接続した水脈が大河の分流を復活させた影響を確認するため、迷宮核は緑の帯の集落にある従属核を調査に向かわせ、地質・生態系の調査を行うのであった。
(行商路が水に沈んでからそれなり経つけど、それでもこの短期間に随分と変わったもんだなぁ。)
陸路を履帯型フレームで移動した後、魚型フレームに換装して水中移動する従属核。
(水深の深い主流程ではないけど、色んな種類の水生生物が生息しているな、この魚は鰓呼吸の魚か、岩山オアシスには生息していないな。)
砂漠の集落に生息している魚類は、乾季が迫った時に粘膜を分泌して繭を作り、次の雨季が来るまで仮死状態で過ごす肺魚のみで、鰓呼吸の魚は一切生息していなかった。
(大昔は、今砂漠の場所も草原が広がっていて、川や沢に普通の魚も生息していたらしいけど、大河が浸食作用か何かで移動を続けて現在の地形になったらしいんだよね。)
(しかし、代を重ねてるとは言え人間が認識できる速度でそれ程の地形の変動が起こると言うのは生前の世界では考えられないな、まぁ魔法なんてものが存在している時点で物理法則も自然の法則も大分違うんだろうけど。)
薄緑色に濁る水中を水流推進で移動する従属核フレームは、小魚の群れと共に川をさかのぼる。
(幾つか見覚えのある魚がいるな、私の一部になった魂の記憶か、この魚とあの魚は食べられるな?)
(後、この水草は岩山オアシスや動植物保護区に生息していない種類だった筈、それと巻貝も。)
その時従属核は、緑の帯に非常に近い位置に出現した大河の分流に進出した生物群に強い興味を持ち、その幾つかを生体資料として採集する事にした。
(砂漠に本来生息していない生物だから上手く生育するか分からないけど、ちょっと持ち帰って研究してみようかな?)
魚型のフレームを水底の泥を素材に外殻を拡張し、水流操作で小魚や水草などを吸引して内部に格納する。
そして、そのまま上陸した後再び履帯型フレームを形成し、緑の帯の集落に生体資料を持ち帰るのであった。
「あれ?気のせいかな、何か色が違う魚が泳いでいる様な気がする。」
「そんな事ないだろ、此処には一種類の肺魚しか生息しておらん。」
「うーん、気のせいかな、深い所に逃げちまったからもう分らんが、確かに変わった魚が居た気がしたんだが?」
「ふむ、そう言えば何となく泉の気配が違うような、具体的に何がと言われたら答えられんが・・・・。」
「砂漠の神様がまたこの泉に奇跡を齎してくれたのならば良いがな。」
「違いない。」
緑の帯の集落にある泉は、村の重要な水源の為に、変化に早く気付く住民も居たが、本来生えていない種類の水草だったり、砂漠には居ない鰓呼吸の魚などであり、その違和感の正体に気付くのはそこそこ時間を要した。
緑の帯の住民が違和感の正体に気付くまでの間に、何度か従属核フレームが生体資料をピストン輸送するも、運搬途中に死滅してしまったり、巨大蠍などの襲撃で内容物を砂地にぶちまけてしまったりと何度かの失敗を経験した。
その反省点から水槽にエアレーション装置を増設したり、外殻を分厚くしたりとフレームを改良しながら、緑の帯の泉に放流し続け、地下水脈を通じて各集落にその生息域を意図的に広げていった。
(結構失敗も多かったけど、緑の帯の泉が随分と賑やかになってきたな。)
(成魚を運搬するよりも、水草に絡んだ状態の卵の方が運搬しやすくて比較的死滅しにくいみたいだね。)
(砂漠に元から生息している肺魚は砂鮫含めてほんの数種類しか確認できていないから、砂漠の民が食べれる魚って結構少ないんだけど、もしこの魚を持ち込めたら砂漠の民の食が少しは豊かになるんじゃないかな?)
(正直、砂漠のオアシスは生態系が少し偏っていると言うか、かなり危ういバランスの元で回っている感じがするんだよね。)
(人間だけじゃない、無数の命の集合体である私が本能的に自然的な釣り合いの何かを感じているのか、今のままではいけないと魂たちが訴えかけている。)
(大河の生き物を岩山オアシスに持ち込むのが正しい事なのかはまだ分からない、けれど、今の姿が最適解じゃない事だけは分かる。)
(正直、分身体の外殻を特注品にしたから運搬コストはかなりかかるけど、何とか大河の動植物を無事に届けたいな。)
大型の履帯フレームを用いた大掛かりの運搬作戦は、迷宮核にとっても大きな挑戦であった。
野生動物や盗賊などの襲撃に備えて外殻は分厚く重量がかさみ、内部の生体資料を活かすためにエアレーション装置などを常時稼働させ、事前に地面に埋め込んだ魔石を回収し動力とし、荒野から砂地に出たあたりでその重量のせいか、何度か足を取られ生体資料に負荷をかけてしまった。
積み荷の生体資料から得られる余剰生体エネルギーも吸収して動力に利用しているが、あくまで補助程度にしかなっておらず、魔力の充填を待つほどの時間的余裕も無かった。
途中で魔力を充填した従属核を向かわせる案もあったのだが、本体である迷宮核も岩山オアシス周辺の管理に忙殺されて分身体を追加する余裕も無かったので、そのまま強行軍で砂漠を突破させた。
移動の負荷で、生体資料の一部は死亡したり瀕死状態になってしまっていたが、動植物保護区に増設された泉に移され、暫く隔離状態で繁殖させた後、新たな生態系の一部として放流された。
その結果、食性の被る鰓呼吸の魚に草食性の肺魚が一部縄張りを追われたが、持ち込まれた大河の水草に新たな生息域を見出し、共存する事が出来るようになった。
砂鮫の水中適応形態である沼鮫も、新たな食料を得られたお陰か更に丸々と太った個体が現れるようになり、砂漠の民の貴重な資源として狩られるようになった。
(大河の民には何の利用価値も無い水草でもやはり、この岩山オアシスには必要な植物だったんだな、肺魚も今まで以上に産卵しやすくなったし、孵化に成功する卵も沢山増えた。)
(流石に砂鮫を岩山オアシスの巨大湖に移す訳には行かないけど、大河から持ち込んだ水草と小魚は彼方に移しても良いかもしれないな。)
(思えば、この地が本来草原だった頃にはもともと生息していたかもしれない魚だからね。)
(外来種による在来種の淘汰という問題はあるかもしれないけど、生物的多様性という点においては、むしろ砂漠では生物の進出こそが重要なのかもしれないな。)
(岩山オアシスや動植物保護区は、唯の箱庭なのかもしれない、けれど、この小さな風景がこの砂漠の奥へと地平の先へと広がって行って欲しいな。)
大河から持ち込まれた水生生物は暫く動植物保護区で観察され、小規模な実験場でその安全性が確認された後、岩山オアシスの巨大湖に移された。
「これは、見た事も無い水草だわ!」
「盲点だった、ずっと岩山の上を散策していたけど、水草にはあまり注目していなかったわ!」
「ら、ラーレお姉ちゃん、服!周りに人も居るのに服脱いで水に飛び込まないで!」
「ん?見た事も無い魚が、気になるけど専門外だし他の子呼ぼうかな?それよりも水草!水草よ!」
「ラーレさん!何やっているんですか!」
「ルルちゃん、ごめん任せるよ、お母さんかアイラお姉ちゃん呼んで来るね。」
「ちょ、ジダン!?あーんもう!普段恥じらいのあるラーレさんが下着姿で暴走するなんて!」
騒ぎを聞きつけた岩山オアシスの住民たちが、唖然とした表情で村長の次女の暴走を眺め、生物学系の学士が次女の暴走に加勢し次々と湖に飛び込み、駆けつけてきた村長が制止するまで騒ぎが収まる事は無かった。
次女はその場で両親の鉄拳制裁を食らい、暫く自室で謹慎し、姉と弟に呆れられるが、冷静さを取り戻すと改めて自らの痴態を自覚し、自発的に籠る事になった。
「うぅ、恥ずかしくて外に出られない。」
「元からあまり外に出なかったでしょラーレ。」
「本当だよ、こう言うのはアイラお姉ちゃんのやる事・・・・ふげぇっ!?」
「ジダン、後で覚えておきなさい。それよりも、ラーレ、魔術研究所の方で正式に巨大湖の調査が許可されたから今度は暴走しないようにね。」
「えっ!本当にっ!?」
「ラーレお姉ちゃんあれから籠っていたからねー、あの時ラーレお姉ちゃんと一緒に騒いでいた学士さん達も結構怒られてたみたいだけど、これだけ大きな変化が起きたからには調査しない訳にも行かないしね。」
「そう言う事だから、今度はちゃんとした格好で調べなさい、見てた私も何か恥ずかしかったんだから。」
「ご、御免なさい・・・・。」
「湖の調査には男衆の人達が試練の沼で使っている水中用装備を改良したものが用意されているよ、だから今度は大衆の面前で濡れた下着姿を晒すのは・・・へぷぅ!?」
「ジダンの言い方は兎も角、今回はラーレが悪いわよ。」
「あ、うん・・・つい。」
「もー!なんなの!知らないんだから!」
「そう言う訳だから、予定日が来るまで準備しておきなさいね。」
その後、砂漠の民の定期会議で生態系調査の正式な許可が下りた魔術研究所は、多数の人員を動員して巨大湖の調査を行い、その結果大河に生息している動植物が確認され、岩山オアシスの集落は大騒ぎとなった。
最初は緑の帯でその変化が噂されたが、それから暫くして岩山オアシスにも本来生息していない種類の、それも鰓呼吸の魚が確認され、その多くが食用となる種類の魚であったため、砂漠の民は改めて恵みをもたらしてくれる砂漠の神に祈りをささげるのであった。
元から食用可能な物であれば大河で雑草と扱われる野草でもサボテンでも関係なく、蠍や芋虫も平気で食料とする砂漠の民に新たな品目が加わり、砂漠の食生活がまた少し豊かになるのであった。