ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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去年書いた物語です。



プロローグ

 

 

 軽便鉄道の車窓を眺めていた。

 夜空を走る鉄道の車窓に流れる銀河は幻想的で、それでいて何処かノスタルジックでもある。

 客車内を縦に分ける通路、それを挟んで左右に並ぶ座席には他の乗客のすがたは無く、客車内は貸切状態だ。

 

 俺はその列の右の一番後ろに腰を落ち着けたまま薄暗い車内をぐるりと見渡しては、また車窓の景色に目を移す。

 幻想的な光と闇に浮かぶ線路は緩やかな起伏をなぞり、右へ左へと大きな弧を描く。先頭の機関車は闇に浮かぶ線路を手繰りながら黒煙を吐き、力強く客車を引いてゆく。

 

 客車の壁、窓と窓の間の高い位置に並ぶ薄暗い暖色の照明は、オイルランプだろうか。その橙色の光は、まるで漆黒の銀河に遠慮がちに瞬く星のように控えめに客車内を照らしている。

 手元には、本も、雑誌も、新聞も無い。

 ただ垂直に立った固い背もたれに身を預けて、何をする訳でもなくぼんやりと外を眺めるだけの俺にとっては、まったく充分な明るさだ。

 

 通路の向こう、反対側の席の列を見ると所々ガラス窓が上がっている。

 宇宙って、空気無いんじゃなかったっけ。

 試しにと、おっかなびっくり自分の横の窓を上げてみると、ひんやりと冷たい風とともに舞い込んだ黒煙が鼻を刺激する。

 

 ドーナツ星雲の短いトンネルを抜けた処で、車両の下で(いなな)きのような高い金属音が響く。ブレーキを効かせたのだろう。やがて列車は速度を落とし、遥か前方に浮かぶプラットホームに滑り込み、若干のバックラッシュと共に停止した。

 

 停まったホームの駅の名は、立て看板の文字がかすれて読めない。ただ、YだのHだの、ローマ字と云うかアルファベットのような文字が見えることから、日本語の表記ではないことは推測できた。

 もしかしたら日本語をローマ字で表記してあるだけかも知れないが、それを確認する術は無い。

 車窓から見る限りプラットホームに人影は無く、降りた客すら見受けられない。ただそこには西洋ツツジの植込みが安穏と広がるのみだ。

 

 それにしても、停車時間がやけに長い。

 誰一人乗りも降りもしない駅なのに、かれこれ三十分は停まったままに感じる。感じると云うのは、ここには時計が無いのだ。

 もしかしたら、時間という概念そのものが無いのかも知れない。定刻通りに発着するのが日本の鉄道網の最大の売りなのに。

 ──失念していた。

 ここが何処かも分からなかった。何なら現実か夢かの判断も曖昧なのだ。

 考えても分からないことを考えても仕方ない。出来るかなとはひとつ、ただ列車の出発を待つのみだ。

 別段することも無い俺は、ぼんやりとホームに咲き誇る西洋ツツジの赤や白を眺めて時間を潰すしか無い。

 時折風が吹き、花の香りが鼻孔をくすぐる。季節は春、いや初夏なのだろうか。

 

 ふと車両内に目を遣ると、いつの間にか乗客が増えていた。

 通路を挟んで向こう側の二席ほど前、その席に一人の黒髪の少女が座っていた。その少女はその長い黒髪を風に揺らし、細く上げた窓の向こうを眺めながら発車を待っている。

 

 おかしい。

 この少女はホームにはいなかった。と云うよりもホームには誰の人影も無かった筈なのだ。

 では、この黒髪の乗客は他の車両から移ってきたのか。だとして、何故少女はそうしたのだろう。もしかしたらこの駅で車両の編成が変わって、行く先が分岐するのかもしれない。

 そこまで考えて、さらに重要なことに気付く。

 

 俺は、この列車の行く先を知らない。

 車両内を見渡しても路線図らしきものも無い。

 手掛かりを求めてポケットを探る。切符らしき物は見つからない。代わりに見つけたのは、青い石とピンクの石。

 

 汽笛が響く。

 いつの間に列車は駅を出て走り始めていた。俺の他、唯一の乗客である黒髪の少女は、窓から吹き込む柔らかい風に長い髪を泳がせながら、膝の上に置いた本に目を落としている。

 

 手の中で青とピンクの石を転がしつつ代わり映えの無い景色をしばらく眺めていると、線路の描く弧の先に次の停車駅のホームが見えてきた。

 大きな駅なのか、ホームには大勢の姿が見える。それにしては駅の周囲に建物の影も見えないのだが。

 ホームで列車が停止すると客車の扉が開き、瞬く間に閉じた。

 

 ……何なんだこの列車。幾ら何でも扉が閉まるのが早過ぎるだろ。さっきは無人のホームにあんなに停車していたのに。この列車は客を乗せるつもりは無いのだろうか。

 

 結局この駅で乗車出来たのは、明るい桃色がかった茶髪を肩まで伸ばし、その右側の髪だけ横に纏めた少女一人だけだった。

 ばたばたと(せわ)しく駆け込んで来たその少女は、客車の中をきょろきょろと見渡して黒髪の少女のすぐ前の席に腰を下ろす。前方の視界を遮られた黒髪の少女は、しばらく前の席を向いていたが、諦めたのか再び膝の本に目を戻した。

 何故そこに座るのだろう。他の席が幾らでも空いているのに。

 

 明るい髪色の少女はちらちらと後ろを振り返る。たまに黒髪の少女と視線がぶつかると、愛想笑いを浮かべては頭の横にお団子のように結わえた髪をくしくしと触り、ついには項垂れる。

 その繰り返しに飽きたのか、今度は俺の前の席に移ってきて同じ事を繰り返す。俺が応えずにいると、少女は甘酸っぱい香りだけを残してまた黒髪の少女の前の席に座って、窓の外を眺め出す。

 その姿につられて俺も車窓の景色に目を移す。相変わらず緩やかに流れる景色は幻想的で、セザンヌの絵画のように輪郭が曖昧な大小の光は、蛍みたいにゆっくりと明滅を繰り返している。

 

 急に列車が減速する。

 鉄の車輪が激しく線路を擦り、その金切り音が悲鳴のように客車内に響いた。

 その急制動の反作用、俺はつんのめって前の席の背もたれに身を打ち付けた。

 完全に速度を失った客車の中で痛みを堪えて元の席に座り直すと、何故だか二人の少女は申し訳なさそうにこちらを見遣って顔を伏せる。

 変な奴らだ。あの二人は悪くないのに。

 黒髪の少女は読みかけの本を膝に伏せて居住まいを正しながらも俯く。明るい髪色の少女は肩までの髪を触りながら上目遣いでこちらを見つめるが、そこにはもう取り繕う様子も、愛想を振りまく素振りも無い。

 

 気がつくと、列車は、速度を戻して順調に走っていた。

 遠くの前方、はくちょう座が見えてきた。尻尾の先に光るデネヴが嫌味なほどに眩しい。その嫌味な光をじっと睨んでいると、列車の速度が緩やかに落ちる。どうやら次の停車駅が近づいているらしい。

 列車が停車したのは、あまり広いとは云えないプラットホーム。そこで乗り込んできた客は、またしても少女だった。

 長身で均整のとれた体型、青みがかった長い髪。その長い髪は頭の後ろで一つに束ねられて背中に垂らしている。彼女は俺の二つほど前の背もたれの向こうに腰を落ち着けた。

 それ以外にも何人か乗車は増えているようだが、車内の照明が暗いせいで顔は分からない。故に表情も特徴も読み取れない。

 

 それをまったく意に介さずに外を、人が消えたホームを眺める。プラットホームの脇にはローズマリーだろうか、小さな花を幾つもつけた草花の茂る植込みが幾つか拵えてあった。

 風が舞い、香りが漂う。

 その花の香りと共に発車間際、駆け込んできたのは一人の天使。風貌は天使のそれと思わしき可憐さを誇示しているが、その背に天使の象徴たる対の翼は無い。

 それでも天使であることは概念として理解出来た。

 列車が発車する衝撃でよろけながらも天使は歩を進めてきて、俺の真横に当たる通路を挟んだ向こう側へと座った。

 

 それから暫くは列車は止まることなく、小気味良い律動を線路のつなぎ目で刻みながら銀河の間を走ってゆく。

 

 左右に揺られる客車の中、黒髪の少女は時折桃色の髪の少女と談笑し、長い髪を馬の尾の如く後ろで束ねた少女は時折こちらを窺い見ては視線を逸らす。

 客車を半分に分かつ通路の向こう側では天使が微笑んでいる。

 

 車窓の遥か遠く、水晶の柱がきらきらと光を反射しながら群生している。その向こうには(あまね)く星々が大河の様な流れを形成し、その両岸にはベガとアルタイルが互いを意識し合いながら光を放っている。

 

 大河の隅っこでは、一艘(いっそう)の舟が水面に向けて網を投げている。水鳥でも獲っているのだろう。

 車両内に目を戻すと、顔の判らない乗客たちは景色を眺めたり本を読んだり、菓子を食べたり喋ったりと、各々勝手に過ごしている。その中で、桃色のお団子髪の少女だけが忙しなく動き回る。顔の判らない集団と笑っていたと思ったら不意に俺の横に立ち、甘酸っぱく熱い吐息だけを残して他の席へと移ってゆく。

 

 その様子を見ていると、何だか可笑しな気持ちになる。同時に温かくもなる。見ると、黒髪の少女もその様子を見つめては温かい笑みを浮かべて、膝の本に視線を戻す。

 

 こじんまりとしたプラットホームが見えてきた。列車の速度がみるみる遅くなると、その減速した客車に飛びつく影が二つばかり見えた。

 危ないな、と思いながらも二つの影の無事を車両内に確認出来た俺は、再び景色に視線を移す。

 さっき飛び乗った二つの影。その一つは俺よりも少し年下らしき少女だ。

 作り笑顔を振り撒きながら通路を歩くその後ろには、俺よりも少し年上であろうお下げ髪の女性が柔和な笑みを湛えている。

 

 この客車も混み合ってきたなと思った刹那、座席の大半を埋めていた顔の判らない乗客たちは綺麗さっぱりと消え失せ、客車内は偶に数人の衣擦れが聞こえるだけの空間となる。相変わらずこの列車の辿り着く先は判らないが、不思議と不安は無くなっていた。

 

 今怖いのは、この客車に独り取り残されること。

 しかし、それは仕方の無いこととも云える。

 此処の全員は、偶々(たまたま)乗り合わせただけの人々なのだから。俺だっていつこの列車から降りることになるか解らないのだ。

 だから俺は、せめて今此処にいる、同じ客車に乗り合わせた面々の顔を覚えようとする。いつかまた違う列車で会った時に迷わぬように。

 

 列車は南十字に差し掛かった辺りで速度を緩め、大きな弧を描いて巨大な駅舎に向けて滑り込んでゆく。

 大きな駅舎に不釣合いな雑草だらけの狭いホーム。

 そのホームから乗ってきたのは、兄妹だった。

 

 痩せ型の猫背で鈍い光を放つ目。癖っ毛の立った厭世的な少年と、その兄とは真反対の輝きを瞳に宿し笑顔で少年の手を握る、背の低い少女。

 やけに懐かしい匂いがするそいつらの顔を見た瞬間、視界は白に染まる。

 

「銀河ステーション、銀河ステーション」

 

 俺の銀河鉄道の旅は、そのアナウンスと共に終わりを告げた。

 

 




次回から物語は始まります。
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