ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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16 女神のパルス

 

 

 気が昂っている。熱く黒い血液が全身を駆け巡る。

 由比ヶ浜結衣、雪ノ下雪乃、それに妹、小町の三人に向かって怒気をぶつけた俺、比企谷八幡は、勢いそのままで平塚先生の部屋をノックした。今日の部屋割り上では自室でもあるのだが。

 返事を待たずにドアを開け放ち、つかつかと自分の荷物へと向かう。

 

「先生、俺はもう帰ります。奉仕部も退部します。ありがとうございました」

 

 それだけ告げると、缶ビールを落とす平塚先生を尻目に俺は荷物をまとめ始める。

 

「お、おい、比企谷……」

 

 何も言わずに黙々と荷造りをしていると、平塚先生に腕を掴まれた。

 

「待て、一体どうしたというのだ比企谷。話してみろ」

 

 ここで俺の悪癖が出てしまう。

 

「──解りました。出て行く前にちゃんと話しますよ」

 

 確かに理由を告げずに去るのは無責任であり卑怯だと思い、平塚先生に顛末を説明をする。

 平塚先生はいつになく真剣な顔で時折頷きながら聞いていた。話し終えて、しばしの沈黙の後に平塚先生は腕組みをして口を開いた。

 

「ふむ、事情はわかった。要は、彼女らとキミの速度と方向が少しズレていた、ということだな」

 

 え? そんなに簡単に説明できることなの?

 そんなに単純にまとめて良いことなの……?

 そんなはずは無い。俺は俺なりに心底悩み、その結果傷つき疲弊し、そんな俺を好き勝手に責め立てるあいつらを言葉で断ち切った。 

 でも先生の表現が正しいのならば、俺はまた間違ったのか。

 しかし、もう遅い。解は出てしまった。

 違う。解を出したのは俺だ。

 俺は自分の意思で最悪の解を出したんだ。

 

「……公平を期すために後で彼女たちにも話を聞くが」

 

 平塚先生は煙草を取り出し、火を点けて一息吸い込んで紫煙を吐き出す。

 

「ま、今の話を聞く限りでは比企谷、今回はキミは悪くないな」

 

 意外なことに平塚先生から出た言葉は、俺を擁護するものだった。

 

「まあ、若さ故の焦りというべきか夏の仕業か、はたまた残された時間を考えてしまったのか……ま、最近の彼女らの言動には少々目に余るものがあったのは確かだ」

 

 目を丸くする俺を目の前に、平塚先生の口は止まらない。

 

「それでもキミが許容するのならと思って静観していたんだが、まだキミには重荷だったか」

 

 静観……え、全部、知っていた……?

 

「とにかく、あいつらには少しキツく言って聞かせなきゃならんな」

 

 ちょっと待て。どうして雪ノ下や由比ヶ浜が叱られるんだ。こういう場合、いつも俺が責められて怒られて、それで終わりじゃないのか?

 

「あ、あの、先生──」

 

 だが目の前にいる教師は、この大人の女性は、俺に哀しくも優しい笑みを向けている。その眼差しはまるでどこかの寺院で見た仏像のような優しさを含んでいる。

 

「ふむ、少し策を弄するか……」

 

 肩に置かれた平塚先生の手は優しい。力強くもあり、温かくもある。

 俺は、この人に見られている。正しくは、この一年以上ずっと見守られてきたのだ。

 きっと将来、この人のことを俺は恩師と呼ぶのだろう。そうでなければ、歪んだ俺に対してこんなにも心を砕いてくれる平塚先生に対して失礼だ。

 少々巫山戯(ふざけ)過ぎるのは玉に瑕だけど。あと暴力も。

 

「……よし。比企谷、荷物を纏めて一緒に来たまえ」

 

 そう言うと平塚先生は煙草を灰皿に押し付けて、側に放ってあった薄手のパーカーと車のキーを掴み、悪戯っ子のような笑みを浮かべて俺の手を引いた。

 薄暗いエントランスで待ち受けていたのは、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣、そして妹の小町だ。当然の如く一様に何か言いたげな様子である。

 責め苦か謝罪か、はたまた懐柔か。その三名の女子による言葉が今にも火蓋を切らんとするところへ平塚先生の鋭い声が響く。

 

「なんだ、貴様らか」

 

 この先生は、理由も無しに生徒を貴様等呼ばわりはしない。それが今は、その呼称を怒気を含めて目の前の女子三名に放っている。

 続けて平塚先生は三人に冷たい声音を浴びせる。

 

「ちょうどよかった。雪ノ下、私は今から比企谷を駅まで送ってくる。比企谷は体調不良で帰るそうだ」

「えっ」

 

 誰かが小さく発した。

 先生の後ろに立つ俺は、誰とも目を合わせない。ただ足元、一枚の床板を見つめる。この床板が俺と外界を分かつ境界線になるんだ、と思いを馳せつつ視線を落とし続ける。

 

「先生、それはどういうことですか。体調が悪いのなら今夜はゆっくり休んで明日──」

 

 雪ノ下が噛み付かんばかりの勢いで先生に問う。だが最後まで喋らせる事無く、平塚先生は冷淡な言葉を被せる。

 

「今言ったままだ。比企谷は帰る。以上だ」

「ヒ、ヒッキー!?」

「お、にいちゃん……本当に?」

 

 一言も喋るなと先生に釘を刺されている俺は、その通りに無言を貫く。

 

「悪いな、比企谷は今キミたちとは話したくないそうだ。部活も辞める。顧問の私が承諾した」

 

 縁の切れ目。

 その境界線となったフローリングの床板を挟んで、俺と彼女らは沈黙のまま対峙している。

 空気が緊張する。

 

「では雪ノ下、後は任せた」

 

 一方的に放たれた言葉に、雪ノ下雪乃の表情が険しくなる。

 平塚先生、ちょっと度が過ぎてるんじゃ……?

 

「比企谷、キミは先に車に行っていろ」

 

 車のキーを握らされ、追い立てるように靴を履かされてペンションを出る。

 足早に砂利を鳴らして駐車場に回って預かったキーで車を解錠し、助手席に乗り込む。ほんの少し遅れて、つかつかと歩み寄る平塚先生の後を由比ヶ浜と小町が追いかけてくる。

 平塚先生はというと、二人を振り払って颯爽と運転席に乗り込んで、エンジンを始動させる。

 そして、ぱくっと煙草をくわえると、追ってくる小町や由比ヶ浜に目もくれずに車を発進させた。

 

 

   *  *  *

 

 

 夜の山道は他に車も無く貸切状態で、ワンボックスカーは快調に走っていた。

 

 この調子ならばあと10分ほどで最寄駅に着くだろう。助手席に座った俺は電車の時刻をスマホで調べながら、果たしてすんなり千葉に帰れるかを考えていた。

 熱海まで行ければ、そこからは千葉と同じJR東日本の管区内。東京までは直通の電車もある。夜行列車でもあればラッキーだ。

 

 まあ、今日中に着けないとしてももうペンションには戻れない。不退転なのだ。そしてすぐに、今日中には千葉に帰れないことをスマホが冷たく教えてくれた。

 仕方ない。今夜は駅で野宿か。

 まてよ、駅の中だと野宿ではないな。駅泊とでも云うのだろうか。

 

 まあ何でもいい。もう終わったことだ。

 これで家に帰ってリュックの中身を処分すれば、全て終えられる。

 小町とは気まずくなるだろうが、なるべく接触を絶つように配慮すれば何とかなるだろう。それも俺が大学へ行くまでの辛抱。なるべく遠くの大学を受験して、そこで独りで居を構えよう。

 

 なに、きっと大丈夫だ。マッ缶はネットで買えるし、あいつ等だって俺がいない方が円滑に日々を過ごせる筈だ。

 こんなヤツひとり消えたところで時間は淀みなく流れるし、世界は回り続ける。

 まったくもって大勢に影響は無い。

 そんな俺の破滅的思考を知ってか知らずか、平塚先生は煙草のフィルターを軽く噛んだまま吐息を漏らして笑う。

 

「どうだね、女子たちを振り切って立ち去る心境は」

 

 ライターを点けながら悪戯っ子の顔で平塚先生は問う。

 

「はあ、うまく表現できないです」

 

 だって、こんな状況は生まれて初めてなのだから仕方がない。人間は経験のない事象に対してはすこぶる弱いものだ。

 気分が良くないのだけは確かだけど。

 

「そうだろうな。キミも、あの子たちもまだまだ未熟だからな。時に未熟な者どうしが衝突するのは当然だ」

 

 紫煙を吐き出した平塚先生は緩やかに速度を上げ、車は木々の間を順調に抜けていく。次第に速度が上がり、カーブの度にタイヤが高い鳴き声をあげる。

 

「せ、先生、ブレーキ!」

 

 迫り来る山肌に思わず声を張り上げる。

 というか今、車が斜めに滑ってなかったか!?

 

「な、なんすか今の!?」

 

 先生は口角を上げてニヤリと笑う。

 

「ほう、比企谷はドリフトは初体験か?」

 

 ドリフトって何だよ。昔、八時になると全員集合してたアレか?

 しまった。俺が生まれる前の話だった。

 ──うわっ、いま完全に横に滑ってたぞ!

 

「ひ、平塚先生、ちょ、危ない……」

 

 くわえ煙草の平塚先生は、ハンドル、いやステアリングをくいくいと動かしてワンボックスの大きな車体を自由自在に操って走らせ、いや滑らせている。

 もしかしてこれって、テレビだったら”危険ですので決してマネしないでください”とか”特別な訓練を受けています”ってテロップが出るヤツだよな。

 もっといえば、頭文字がDから始まる感じのヤツだよな。

 豆腐屋の息子が秋名山っていう何処にあるのか解らない峠道で、巧みな運転技術で溝にタイヤを落としたりする、アレだよな。

 その漫画の豆腐屋の馬鹿オヤジよろしく煙草を咥えながら鼻歌まじりでハンドル、いやステアリングを操る暴走教師を横目で見ながら、俺は身体を強張らせるしか出来ない。

 

「そんなにドリフトが珍しいか。なら、これはどうだ──」

 

 ノーブレーキで突っ込んだ右カーブの手前、まだ直線の部分で長い車体が横を向く。

 

「う……ぎゃああああああ」

 

 そのまま真っ直ぐな道を横滑りした車体は、ガードレールに迫っていく。

 

「あぎゃああああああああ」

 

 ガードレールに車体が当たるか当たらないかの処で車は前に進み、カーブを抜けた。

 

「今のが”直ドリ”だよ。覚えておくと良い」

 

 どこでそんなもん役に立つんだよ。大体なんだよ「直ドリ」って。

 直火焼きの地鶏の略称かよ。

 

「うん、まだまだドリキンには勝てんな」

 

 ──ドリキンって……誰?

 

 ペンションを発って十数分。次第にカーブは緩やかになって、それにつれて運転も通常に戻っている。どうやら平塚先生のストレス発散お楽しみゾーンは終了したようだ。

 道は長い直線の下り坂になり、遠くに街の灯りが見えてくる。

 

「さっきは偉そうなことを云ってしまったが──」

 

 短くなった煙草を灰皿に押し付けて、平塚先生は軽く紫煙を吐く。

 

「かく言う私も、未熟な人間の一人だ。正解より不正解のほうが多い」

 

 そんなことを教師が断言しちゃっていいのか。しかし恐らくは事実なのだろう。

 人は誰しも不完全だ。もしも完璧になったとしたら、その時点でもう人とは呼べない。

 完璧とは、空想の中でしか存在し得ない架空の物だ。

 

「だから、この行動がキミやあの子達にどんな影響を与えるのか、まだ解らないんだよ」

 

 ということは、今平塚先生が俺を連れて駅に向かう、この行動原理は何なのだろう。

 

「正解が解らないのであれば、解るまで責任を持ってやりたいようにやるまでだ。まあ、今は私に任せておけ。今回の責任は私が持とう」

 

 妙に沁みる言葉を耳に、今は平塚先生の策に身を委ねることにした。

 

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