ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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今回は雪ノ下雪乃の視点でお送りします。
内容は引き続き暗いお話です。


17 残り風は冷たく厳しく

 

 

 熱帯夜だというのに寒々しい空気が充満したエントランスを後にした私、雪ノ下雪乃は考えていた。

 本来、わいわいがやがやと騒がしいと聞いていたはずの女子会。

 けれど、私をはじめ、この部屋に集っている三人の女子たちの口数は少なく、表情は一様に暗い。

 同席する一人である小町さんの部屋で話し合いを始めて小一時間ほど経つが、話し合いは堂々巡りで、決定打どころか有効打となり得る策すら何一つ出てこない。

 

「小町ちゃん……あたしたち、どうすればいいのかな」

 

 何度目だろうか。由比ヶ浜さんがこの問いを口にするのは。

 

「そう、ですね。おにいちゃんがあれだけ怒ったのを見たのは小町も数年振りですし。下手をすれば、いいえかなりの高確率で結衣さん雪乃さんを拒絶してくると思います」

 

 そう。議題は、今夜一人で帰ってしまった比企谷くんと和解する方法、である。

 

「そ、そんなぁ……」

 

 由比ヶ浜さんからは普段の押しの強さが微塵も感じられない。弱々しく呟くのみである。

 

「その状況を回避もしくは打破する方法は……あるのかしら」

 

 別に私は、本当にどうでも良いのだけれど……このままでは由比ヶ浜さんが可哀想だわ。

 ただ、私たちが間違えたのなら、それをきちんと理解し、正す機会が欲しい。

 謝罪の機会が欲しい。

 懺悔の機会が欲しい。

 奇しくもこのペンションの名称は『Confessione コンフェッシオーネ』。

 このイタリア語の意味は、懺悔。神に対して自分の罪を話す行為。

 

「んー、今回は小町も拒絶されそうですし……」

 

 それに関しては本当に申し訳ないとしか言い様が無い。私達のせいで、小町さんまで比企谷くんと険悪になってしまうなんて微塵も考えなかった。

 要するに、私は自分勝手だったのだ。

 

「だ、だいたいヒッキーがちゃんと相手してくれないから……いけないんだよ」

 

 そうなのよ。そうなのだけれど、その論理が彼を怒らせた原因の一端でもあるのよね。

 

「……結衣さん、それって本心ですか?」

 

 やはり小町さんは彼の妹、言うときは言うのね。これでもかというくらいにズバリと。

 

「う、ううっ」

 

 そして由比ヶ浜さんはまた頭を抱える。この光景も何度目かしら。

 

「──原因を作ってしまった小町がいうのは違うかもですけど」

 

 由比ヶ浜さんと私、二人の目は小町さんに集まる。

 

「小町が思うに、結衣さん雪乃さんたちが急接近して、おにいちゃんはどうして良いか解らない状態だったんじゃないですかね。けしかけてた小町が云うのもあれですけど……」

 

 その気持ちは解るわ。私も親しくなる前の由比ヶ浜さんに対してそういう心境だったもの。

 

「で、でもさ、自分から行かないと……ヒッキーからは来てくんないもん」

 

 由比ヶ浜さんの言にも一理ある。

 しかしそれも程度の問題。今回は彼の限度、許容量を超えていたのだ。そして、それに気づくのも遅過ぎた。

 勿論それは由比ヶ浜さんだけではなく、私にも言えることだ。

 むしろ、私の罪が一番重いとすら思える。だからこそ口を挟むのは憚られた。私が意見を述べる資格は無いと思った。

 でも。このまま結論が出ないのは……間違っている。

 

「では、こちらから必要以上の接触をしないことを明言するのは、どうかしら」

 

 意を決して発言したものの、それは何の打開策にもなりえない、下策も下策だ。

 

「それこそお兄ちゃんの思う壺です。結衣さん雪乃さんをおにいちゃんが忘れられる訳は無いですけど、忘れた振りをして普通に振舞いますよ。元通りのぼっちとして」

 

 小町さんの言うとおり、彼のとる行動は大方予想がつく。

 けれど、それでも何か方策を施さなければ、彼を更生するという当初からの依頼を遂行できなくなってしまう。

 ──嫌な女。

 この期に及んでも私は、そんな尤もらしい理由をつけてしまう。けれど、まだ私は正直になれない。正直になるのが、怖い。

 

「じゃあ、もう打つ手ナシじゃん。八方塞がりだよ~」

 

 その通り。

 彼は、押さば引く。けれど、きっとこちらがどれだけ引いても、押し返してはこない。

 

「……今、小町たちが打てる手があるとすれば一つだけです」

 

 小町さんの云うとおり、残された方法はひとつ。でもそれを口にするのは私には出来ない。

 何故なら。

 

「お、教えて?」

「それは、何もしないことです」

 

 そう、何故ならそれは方法でも何でもなく、ただ時が過ぎるのを待つだけなのだから。

 こんな消極的な、打開策とも呼べないような策しか思いつかないことが歯痒い。

 三人寄れば文殊の知恵、というけれど、もしかしたら神仏でも今の彼の怒りを鎮める方法は思いつかないのかも知れない。

 それほどまでに彼の表情は怒りに満ちていた。本当に怖かった。

 

 戸塚くんに頼んでみようかとも何度か考えたけれど、そんなことをしたら今度は戸塚くんまで同じ憂き目に遭いかねない。

 まったく、面倒な事この上ない人間だわ。それは私も同じなのだけれど。

 

「それって、結局打つ手ナシってことじゃん……」

 

 面倒なのだけれど、何とかせねば。

 けれど。

 

「……私も、それしかないと思うわ。少なくとも、今は」

 

 小町さんの意見に不本意ながら賛同したところでドアが開いた。

 

「おう、邪魔するぞ」

 

 平塚先生だ。比企谷くんを駅まで送ってきた帰り、なのだろうか。

 普段のそれとは違い、平塚先生の語気は明らかに強い。

 

「先生、ノックを……」

「馬鹿者、人の痛み苦しみを解らぬ奴らにノックなど必要ないっ」

 

 暴論ともいえるその一言に、一瞬にして狭い部屋の空気が固まる。

 叱りこそすれど、この先生が怒鳴る場面など殆ど見たことが無い。それだけ私たちに対して怒っているのだ。

 叱るのではなく、怒っている。だけど、その怒りに飲まれていても何も解決はしない。まずは事実を正しく認識しなければ。

 

「……比企谷くんは本当に帰ってしまったのですか」

 

 ぎろりと私を睨む先生の目は、本気の怒りに溢れていた。

 

「自分の目で確かめればいい。ペンションの中、車の中、隅々まで探して、比企谷が居ない事を確かめろ。そして現実を思い知れ」

 

 情け容赦の無い先生の怒号に気圧される。

 

「そ、そんな……ヒッキー」

 

 彼はもう此処には居ない。それはいわば最後通牒。

 言葉もない、絶縁の通告。

 現実を耳にした由比ヶ浜さんは、座っていたベッドの淵からずり落ちて、力なく床にへたり込んでしまった。

 

「私はな、怒っているんだ」

 

 平塚先生の表情は、平静のそれではない。先生の言うとおり、明らかに怒っていた。

 こんな表情を見るのは初めてで、由比ヶ浜さんも直視できなくなって俯いてしまっている。

 しばしの沈黙を打ち破ったのは先生の冷たく厳しい声。 

 

「確かに比企谷を奉仕部に強制参加させたのは私だ。それに関しては、反省はしているが後悔はしていない」

 

 自嘲気味に語る先生の語気は相変わらず強い、

 

「奉仕部に入ってからの比企谷は、少しずつ変わってくれた。時に君達と協力し、時に反目し、良い関係を築いていた様に思う」

 

 それは、私も思っていた。

 彼と出会い、自分とは違う思考に呆れ、感心し、反目もした。

 でも、楽しかった。

 奉仕部で三人で居る時間がずっと続けば、と思っていた。

 

「比企谷に対する最近のお前らの態度、あれは何だ。比企谷はお前たちの便利な道具でもないしペットでもない。それにだ」

 

 じっと私たちを、いいえ私を見据えて平塚先生は言葉を続ける。

 当然だ。悪いのは私なのだ。

 

「最近のお前たちは自分の行動をあいつに押し付けることしかしていない。お前たちも知っているだろうが、元々あいつは一人を好む人間だ。一人で居たいときも少なくないだろう。その時間を、お前たちは悉く潰してきたんだぞ。断れないあいつの優しさに胡坐をかいて、みんなで寄ってたかってあいつを食い潰していたんだよ。お陰であいつの自我はもう崩壊寸前だ」

 

 言葉が終わり、再び静寂が空間を支配する。

 平塚先生の言ったことは、多かれ少なかれ私達の中に思い当たる節があることだ。今ここにはいない一色さんも同様なのだけれど、今はそれは云うべきことではない。

 何故なら、悪いのは私なのだから。

 

 私のせいだ。部長の私が彼をぞんざいに扱ってしまったせいだ。

 確かに最近、由比ヶ浜さんや一色さんが事ある毎に彼を誘っているのは承知していた。だからと云って、私も同じことをしたら益々彼の時間は削られる。

 そんな簡単な引き算に気づかなかったのだ。

 

 それは多分、私の余裕の無さが原因だ。彼に劣っているという気持ちが私を焦らせて、その一方で彼に依存しつつあると気づいてしまったこと。

 ──私の弱さだ。

 

 でも彼の顔を見ると、どうしても罵詈雑言を吐いてしまう。それに対して嫌な顔をしつつ応えてくれるのがこの上なく嬉しかった。

 だけど。

 それが彼と私の唯一のコミュニケーション方法だと、いつから決め付けていたのだろう。

 

「誰と出かけたから今度は私の番、だと? 巫座戯るな。それがまかり通るならば比企谷は連日連夜、お前達に振り回されるんだぞ。それでお前たちは満足だろうが、その満足はな、今まで比企谷の優しさと犠牲の上に成り立っていたんだぞ」 

 

 平塚先生の視線の先は由比ヶ浜さんに移っていた。

 

「そんな自分勝手なお前たちに、これ以上あいつの事を教えてやる義理は無い。比企谷のことは反省材料として残りの合宿を全うしろ。以上だ」

 

 そこまで言うと、平塚先生はスリッパを大きく鳴らして部屋を出て行った。

 

 残された私たちの中に、彼が本当に帰ってしまったという揺ぎ無い事実が残される。

 平塚先生が出て行ったあとも、沈黙が続く。

 誰も、何も、発さない。発せない。口を開く勇気が出ない。時計の針だけが生きている、凍りついた空間。

 その空間を弛緩させたのは、弱々しいノックの音だった。

 

「失礼、します……」

 

 ノックの主は一色さんだった。

 

「せんぱい、帰っちゃったんですか……?」

 

 先生の怒号にも似た説教を聞き、気になってこの部屋を覗きに来たのだろう。

 私が弱く首肯して事の顛末を説明すると、一色さんの顔も暗くなってしまった。

 

「と、とりあえず、ヒッキーにメール送り続けてみるっ」

 

 由比ヶ浜さんはすでに幾度か比企谷くんにメールを送っている。しかしその返信は未だ一通も返ってきてはいない。

 つまりそれは、返信する意思は無いという、無言の意思表示。

 

「あ、あまりメールを送り過ぎるのは……逆効果ではないかしら」

 

 私の発言に一色さんも同調する。

 

「そーですよ、結衣先輩。少し冷却期間を置くべきです」

 

 私と一色さんの制止を聞かずに由比ヶ浜さんは「う~」と唸りながら携帯をポチポチと操作している。

 ダメだわこの子、猪突猛進し過ぎだわ。実力行使しかなさそうね。

 

「……ああっ、ゆきのんっ!」

「だめよ。これ以上比企谷くんを追い詰めたら、本当に居なくなってしまうかも知れないわ」

 

 由比ヶ浜さんの手から携帯を奪い取ると、それを小町さんに託す。

 

「一時の感情に流されて、このまま永久に彼を失っても……由比ヶ浜さんはいいの?」

 

 私は嫌。だからこそわざと大仰な言い回しを用いた。

 

「……ごめん」

「謝ることはないわ。由比ヶ浜さんはいつも一所懸命なだけだもの」

 

 そうだ。由比ヶ浜さんはいつも健気で懸命だ。ただそれだけなのだ。

 

「ゆきのん……ありがと。でもヒッキーが心配で。だって昼間、倒れたばっかなんだもん」

 

 それに関しては私も懸念している。確かに心配だわ。

 せめて帰り着くまで彼が無事であれば、と切に願う。

 彼がいない今、私にはそれしか出来ないから。

 

「そーなんですよね。ちゃんと家に帰れていれば良いんですけど」

「……そうね。比企谷くんが無事かどうかだけ、あとで平塚先生に聞きに行きましょう」

 

 そうとなれば、私たちに出来ることは決まってくる。

 比企谷くんが謝罪を聞いてくれる気になった時、いかに謝意を伝えるか。

 その頭と気持ちの整理の為に、私はひとり夜の森に散歩に出掛けた。

 




人は誰しも間違える。
八幡も、結衣も、もちろん雪乃も。
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