ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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今回は雪ノ下雪乃視点でお送りします。


21 時をかける少女

 夏合宿二日目の夜半過ぎ。

 思考を巡らせながら歩く私は、木々に熱を奪われた夜風を浴びていた。

「──ここは、どこかしら」

 私、雪ノ下雪乃は……道に迷っていた。

 ペンションの前の一本道を左に歩いていって、今はそれを引き返してきた筈だ。

 迷う要素はどこにも無い。

 

「なのに、どうしてペンションが見えてこないのかしら」

 

 こんな風に、もうかれこれ一時間以上は異郷の山道を彷徨っている。

 携帯電話、スマートフォンは置いてきてしまった。

 つまり私は、千葉から遠く離れた異郷の地で孤立無援の状態にある。

 でも大丈夫。私はずっと一人だったのだから。

 

 それに彼も今頃は──

 

 ふと夜空を見上げる。

 木々の影に縁取られた夜空には幾千もの星が瞬いている。あの一際輝く星はデネヴかしら。

 星が瞬いているということは、上空の大気が不安定なのか、薄雲が懸かっているのか。天気が崩れなければ良いけれど。

 きっと……傘を持ってはいないだろうから。

 時に人は、無意味と思える行動をとる。

 私が今、星空を見上げている行為も、現状の解決という意味では無意味だ。

 つまり無駄。

 

 しかし最近、ふと考える。

 その無駄こそが心、気持ちの余裕なのでは、と。

 私は無駄の無いように生きてきた。しかしそれは、裏を返せば余裕の無い生き方だったのではないだろうか。

 彼と出逢って、私は変わった。変わらざるを得なかった。

 

 彼に出会う以前の私の世界は、自分とその他、だった。そこには明確な線引きがあり、その境界線を侵されることを私はひどく嫌っていた。

 自分の目の前に置かれた事柄を完遂することを目的とし、与えられた事象を一人で解決することを旨としていた。

 

 けれど今は違う。明らかに以前よりも、自分の思考に他者を組み入れることが多くなっている。

 それは奉仕部の面々や近しい人たちに限ってのことなのだけれど。

 彼の言動は歪んではいたけれど、その存在は私を肯定してくれた。寄る辺の無かった私に、自分の姿を見せてくれた。

 

 彼女と出会って私は変わった。

 最初は警戒していた。いいえ、警戒というよりも他人行儀だったのかも知れない。彼女はひどく不器用で、稚拙で、周囲を気にしてばかりいて。

 でも優しくて、友達思いで、純粋で、少しだけずるくて。

 何時からか彼女は唯一無二、掛け替えのない存在になっていた。

 思考を彼に戻す。あくまで現在の最優先で解決すべき問題は彼の件である。

 

「やっぱり、私は彼に──」

 

 その言葉の続きは口にしない。正しくは、口に出来ない。

 今の私にはその資格が無い様に思える。

 彼が怒る原因の一翼を担ってしまった今の私には。

 少なくとも彼が赦してくれるまでは。

 

「……無様なものね」

 

 現在の私を一言で表現するならば、無様という言葉しか無いだろう。

 常日頃から挨拶代わりに彼を罵っていたくせに、いざ彼が居なくなると寂しさに凍えそうになる。

 自業自得というより他に無い。

 冷たい夜風が無様な私の肩を、背中を、胸中をすり抜けていく。

 

「北極星でも探そうかしら」

 

 身震いしながら再び夜空を見上げる。

 無様な私には、ひとり知らない夜道を、肩を震わせながらとぼとぼと歩くのがお似合いなのかも知れない。このまま知らない土地に身を埋めてしまうのも。

 

 そうはいっても、私まで脱落したら平塚先生に更なる迷惑をかけてしまう。

 思い直して歩き出した瞬間、星が散りばめられた天に柔らかな声が響いた。

 

 『銀河ステーション、銀河ステーション』

 

 有名な物語、いいえ童話の一節。

 幻聴だ。幻聴に決まっている。

 そう決めつけながらも、恐る恐る声の方向に振り向いて目を凝らす。

 すると不意に何かが光った。明らかに人工的な光だ。

 駆け寄りたい気持ちと警戒心が交錯する。

 そんな私の思考など意に介さない光源は次第に近づいてきて、やがて私を照らした。

 眩しさで一瞬視界が白くなる。

 

「……あれ? 雪ノ下さん、かな?」

 柔らかい、聞き覚えのある女性の声音に少しの安堵を覚えて、返事をしてみる。

 

「どーしたの、こんな時間にこんなところで。もうすぐ夜中の二時だよ?」

 

 声の主は城廻先輩だった。

 

「私は……その、散歩です。城廻先輩こそこんな夜中に何処へいらしてたんですか?」

「あ、あはは……あたしも散歩。奇遇だね~」

 

 そこからは城廻先輩と並んで歩きつつ、道連れが出来たことに安堵して息を洩らす。

 だがその安堵は束の間だった。

 

「比企谷くん、帰っちゃったんだって?」

「はあ、まあ、その……はい」

 

 突然の問いに私らしくない歯切れの悪い返事をすると、城廻先輩はにこ~っと柔らかく笑う。

 

「青春だね~いいなぁ」

 

 何も良いことは無い。

 私は部員を怒らせてしまい、尚且つ合宿の途中で帰られてしまったのだ。要するに、部長としては失態であり、近しい者としては最低なのだ。

 城廻先輩には私の表情はどう映ったのだろう。少し私の顔をじっと見つめた城廻先輩は、尚も重ねる。

 

「互いに衝突して、和解して、また衝突して。立派な青春だよ」

「そういうもの、でしょうか」

 

 青春の意味は、勿論知っている。古代中国の五行思想の四季を表す言葉の一つだ。その四季を人生に当てはめて、若く未熟な年代に引用された言葉。

 

「そうだよ~青春はね、未熟なうちにしか体験できない貴重なものだよ」

 

 言葉として、知識として知っていても、私はその青春が指す内容を知らない。

 

「では城廻先輩は、もう青春とはいえませんね」

「どうして?」

 

 私の目に映る城廻先輩は、周囲と衝突することなく確実に物事を進められる人物だ。即ちそれは、私自身よりもずっと人間的に成熟している人物といえる。

 

「わたしもまだまだ、充分過ぎるくらい未熟だよ」

 

 思わず城廻先輩の顔を凝視してしまう。

 果たしてそうだろうか。それは単に城廻先輩が自身に満足していないだけであって、更なる向上心を持っているに過ぎないのではないだろうか。

 

「でもさ、雪ノ下さんや由比ヶ浜さんの気持ち、わかるんだよね~」

 

 心臓をきゅっと掴まれた気がした。

 

「比企谷くんって、なんか可愛いんだもん。ついつい構いたくなっちゃうんだよね~」

 

 可愛い? あれが?

 

「城廻先輩。お言葉を返すようですが、あれはまったく可愛くありませんよ」

 

 正しく言い直せば、数千億分の一ほどの確率で、可愛く見えないことも無い。でもどちらかといえば比企谷くんは頼れる存……けほんけほん。

 

「じゃあ雪ノ下さんの目には、彼はどう映っているのかな?」

 

 捻くれ者。目が腐っている。人嫌い。社会生活不適合者。でも。

 解りづらいけれど優しくて、他人の為に傷つくことを厭わない人。

 ──けほん。

 

「あたしにはね、はぐれメタルみたいに見えるんだ」

 

 は、はぐれ……メタル?

 

「あ、ごめん。解り難かったかな。ドラクエとかやったこと無い?」

「ドラクエって……たしかテレビゲームですよね」

 

 私の言葉に城廻先輩は噴き出して笑う。

 

「あはは、今どきテレビゲームなんていわないよ~」

 

 こういうことを年上に言われるのは少しだけショックだわ。でもあの類のゲームを「ピコピコ」と呼んでいた父さんよりはマシだと思うのだけれど。

 

「あまりそういう方面の知識は無いものですから……」

 

 幾ら私でも、知らないことは語れない。彼ならこんな私に、ユキペディアさんも知らないことがあるんだな、とか憎まれ口を叩きそうだわ。

 

「はぐれメタルってね、可愛いんだよ~思わずつんつんしたくなっちゃう」

 

 へ、へえー、それはパンさんみたいなものなのかしら。

 

「でもね、中々姿を現さないし、すばしっこいから、すぐ逃げちゃうの。ね、比企谷くんに似てるでしょ」

 

 よし。ペンションへ帰ったらスマートフォンで調べてみよう。

 

「まあ、さ。きっと比企谷くんも後悔してるよ。怒りすぎちゃったな~って」

 

 不意に顔を覗き込まれて、戸惑う。

 

「……そうでしょうか」

「うん。だって、雪ノ下さんは後悔してるでしょ?」

 

 その通りなのだけれど、他人に心の内を言い当てられるのは少々癪だわ。

 

「ほら、すっごく後悔してるって顔してる」

 

 でもその柔らかい笑顔で言われると、反論する気を削がれてしまう。

 

「だから、早く仲直りしてね。わたしも奉仕部、大好きだから」

 

 私もそうしたいのだけれど、でも。

 

「それから、先輩としてひとつ忠告ね」

 

 びしっと人差し指を立てて、城廻先輩は私を見据える。

 

「優しくしてもらいたいなら、それより多く優しくしてあげなきゃ、ね」

 

 因果応報。

 情けは人のためならず。

 目には目を、歯には歯を。

 ……最後のは少し違うかしら。

 こんなことを考えていたら、また彼に類語辞典とかユキペディアとか言われてしまうわね。

 

「あ、比企谷くんのこと考えてたな~」

 

 言い当てられて、自分でもわかる位に顔が紅潮してしまう。

 月の無い闇夜で助かった。今の私の顔は見られたくない。

 でも城廻先輩って、こんなに強引に踏み込んでくる人だったのかしら。ほんわかしてて強引って、なんかずるいわ。飴と鞭の使い方が上手すぎる。こんな人には誰も逆らえないじゃない。

 

「大丈夫、きっとすぐ仲直りできるよ。で、仲直りの後は……もっと仲良くなれちゃう」

 

 この先輩にいわれると、あながち嘘ではないのだろうなと思えてしまうから不思議である。

 

「……善処します」

 

 何とか言葉を搾り出してみたものの、こんな形式ばった言葉しか返せない私って、やっぱり可愛くないのかしら。

 城廻先輩みたいな人のほうが、彼は幸せになれるのかも知れない。

 詮無いことを考えているうちに、ペンションに着いてしまった。私が迷っていた一時間は一体何だったのだろう……いや、忘れよう。私は気ままに散歩をしていただけ。

 そんな愚考を知ってか知らずか、城廻先輩は再び私の顔を覗き込んで微笑む。

 

「じゃあね、明日ちゃんと仲直りするんだよ~」

 

 そう残して城廻先輩は部屋に戻っていった。

 

「……あの、私も同室なのですが」

 

 城廻先輩の後を追って閉まりかけたドアを開けると、忘れていた懸案を思い出してしまった。

 

「そういえば……姉さんも同室だったわね」

 

 ベッドで胡坐をかいた懸案が笑顔で手を振ってくる。

 

「ひゃっはろー雪乃ちゃん、夜遊びはダメだぞ~」

「はあ……もう寝るわ」

 

 逃げるようにベッドに潜り込んでシーツを被ると、先程の城廻先輩の言葉が気にかかった。

 

 明日彼と仲直りって、どういうことかしら。

 




前回の八幡の間違い。
「左手は添えるだけ」は、赤木キャプテン(ゴリ)の台詞でした。
てか、実は私も勘違いしてましたw

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