ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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前回までのあらすじ。
八幡は、いろんなおっぱいを堪能しました。
あと、小町とお散歩しました。
今回は合宿4日目の早朝から始まります。


30 天使のウインク

 合宿四日目の早朝。

 ペンションは昨夜の、主にリア充共の喧騒が嘘のように静まっている。といってみたものの、まだ五時にもなっていないのだから、静かなのは当然か。

 

 同室の川崎大志と材木座を起こさないようにベッドを抜け出した俺は、これまた気配を消して独りペンションを出る。両腕を天に向けて伸びをすると、運動不足のせいか寝相のせいか、骨がパキパキと音を立てた。

 

 ペンションの前を通る道は、朝露のせいか所々アスファルトの色が斑になっていた。路肩に生える背の低い草の間を足が擦り抜けると、素足のくるぶしあたりが露に濡れた。

 不思議と悪い気分ではない。不思議だ。

 この合宿中、幾度も訪れた一碧湖の方へと足が向く。然して理由は無い。ただ他に適当な場所は知らないし、片道二十分程という距離は散歩に丁度よかった。

 

 東の空には昨日より少し太った白い月が浮かんで、俺の背後をつけて来る。どうやらステルスヒッキーも圧倒的な質量を誇る天体には効力が無いようだ。

 ここ数日で幾度となくお世話になった湖の入口の自販機の前に立ち、常連客気取りでミネラルウォーターを買う。それを歩きながらこくこくと二口ばかり喉に流し込むと、喉から食道へと冷たさが落ちていく。

 

 あの自販機に飲料を補充しに来るのはどこの人なのだろう、と詮無い事を巡らせながら湖面を望める辺りまで近づくと、靄の向こうに先客らしき人影がちらりほらりと見えてくる。

 

 きっとここは、近隣の人たちの散歩のコースになっているのだろう。或いは俺たちと同じく、伊豆高原に点在するホテルやペンション、キャンプ場、別荘などに宿泊した来訪者たちの憩いの場なのかも知れない。

 

 ポケットからスマホを取り出す。いつものように手に構えると、掌の中を違和感が埋める。昨日の夜、由比ヶ浜に着けられたでっかいストラップのせいだ。

 その”ちょんまげロボ”の違和感を指先で弄びながら、さらに歩を進める。

 

 他の観光客の邪魔をする気なぞ毛頭ないので、侵害しない程度に適当な距離をとって立ち止まり、湖面を眺める。

 対岸のほう、ボート乗り場の向こうでは釣竿を振っている姿が薄っすらと見える。何でもこの湖はブラックバスが釣れるらしい。

 食べない魚を釣ってはまた逃がすだけのスポーツフィッシング。人間にとっては遊びかも知れないが魚達にとっては命がけ、いい迷惑である。

 釣り人を避けるように位置を調節し、スマホのカメラで湖を撮影する。思い出の一枚という奴だ。

 

 まったく、長閑だ。

 ともすれば自分が受験生であることも、異郷の地に居ることさえも忘れてしまいそうになる。それだけこの景色は沁みていた。現在の俺ランキングでは千葉の次に好きな土地だろう。まあ千葉以外ほとんど知らないのだが。

 朝靄の中、湖畔の遊歩道を歩いて来る人影に横目を向ける。

 女性だ。

 観光客だろうか。それとも近くの別荘に避暑に来ているどこぞの御令嬢だろうか。

 白いワンピースを身に纏ったその人影は俺に向かって次第に大きくなり、ついには表情まではっきりと見える距離まで近づいて来た。

 

「おはよう、比企谷くん」

 

 雪ノ下雪乃、だった。

 

「──おう」

 

 いつものように短く答えると、それきり二人それぞれ湖面に目を向けた。左の茂みから水鳥が羽ばたいては湖面に舞い戻るのを見て、また銀河鉄道の夜を思い出す。

 ジョバンニとカムパネルラが銀河を走る軽便鉄道の客車で出会った鳥獲りの男。その男が捕まえた平べったい鳥は、お菓子の味がしたんだっけ。

 あの時のジョバンニは、その銀河鉄道が夢だとも、もうじきカムパネルラがいなくなってしまうとも、露ほどにも思わなかったんだろう。

 

 それは俺との大きな相違だ。

 俺は、この時が永遠でないことも、人はいなくなることも知っている。偉そうに云ったがそんなもの誰でも知ってる筈の決定事項だ。

 生はその瞬間から死へと動き出し、出会いはその瞬間から別れへと時を辿る。

 だがブラックボックスの中、黒歴史に塗れながら永遠を期待してしまう愚かしい自分も確かに存在するのだ。

 時間を、空間を、人を、手放したくないと、分不相応にもそう思ってしまった時──人が、俺が取るべき正しい行動は何なのだろう。

 結論の無い愚考を重ねていると、ふわりと視線を感じた。

 

「……何を考えているの?」

 

 起き抜けのせいか雪ノ下の当たりは柔らかい。更に云えば一つひとつの角を丁寧に面取りしたような、そんな丸さをも感じられた。きっと雪ノ下なりに気を遣っているのだろう。

 

「どうでもいいことだよ」

 

 どうでも良くは無い。良く無いのだが、具体的に話して聞かせるだけの材料が揃っていなかった。それが歯痒くて仕方が無い。

 

「ところで、そのストラップ──」

 

 手持ち無沙汰になって引っ張り出したスマホ。その下にぶら下がるのは、若干邪魔なちょんまげストラップ。

 

「あ、ああ。夕べ由比ヶ浜に付けられた」

 

 俺の言葉に、はぁ、と溜息を吐いた雪ノ下の表情は次第に緩んでいき、果てには笑みを浮かべる。

 

「……そう」

 

 笑みを浮かべたまま返された。それきり会話は途絶えてしまう。

 

 あれ? 途絶えて「しまう」だ……と?

 

 雪ノ下雪乃と俺。

 この二人の間には会話なぞ要らなかったのではないか。沈黙が心地良い筈ではなかったのか。

 なのに俺は何故そんな表現を用いたのだろう。

 どうかしている。

 

「な、なあ雪ノ下」

 

 考えが纏まらずに吐いた言葉は、隣に立つ少女のその名のみ。衝動だけを頼りに話し掛けてみたものの、一体何を話したいのかまったく解らず、二の句が継げない。

 雪ノ下は、俺の話の続きを待つようにこちらに視線を送り続けている。

 それでも言葉が出ない。

 何が国語学年三位だ。聞いて呆れる。

 

「比企谷くん」

 

 今度は雪ノ下が話し掛けてくる。俺は視線を雪ノ下に移して後に続く言葉を待つ。だが、言葉は発せられなかった。

 しばしの沈黙の後、再び雪ノ下が口を開く。

 

「お返しよ」

 

 微笑とともに小さく返されるその言葉に違和感を覚える。

 

「……なんだよそれ」

「目には目を、よ。聖書にも出てくる同害報復の法、知らないの?」

「なんだそれ、俺に呼ばれるのは害なのかよ」

 

 ちなみに「タリオの法」と呼ばれるその言葉は、正しくは「目には目で、歯には歯で」である。目を傷つけたら自身の目で償い、歯を傷つけたら自身の歯で償う。即ち、過度な報復を防止する為の法なのだ。そんなことは今はどうでもいいな。

 

 思えば、俺と雪ノ下の間には常に他の何かが存在していた。部室では本や携帯電話が、それ以外では依頼や用事、時には確執があった。それは由比ヶ浜結衣とも同じだ。

 

 つまり丸腰同然で理由も無しに一人の人間同士で雪ノ下と接した経験はほとんど無い。簡単に言うと手持ち無沙汰、だな、うん。

 俺は横に向き直って、今度は明確な意図を持って発する。

 

「雪ノ下、雪乃」

 

 予想通り雪ノ下は怪訝そうな顔を向けてくる。

 

「……何かしら、気持ち悪いわ」

 

 話し掛けた意図。今までに経験したことの無い感情。

 

「わるい、ただ名前を呼んでみたかっただけだ」

「そ、そう」

 

 雪ノ下も困惑するだろう。ただ名前を呼びたかったと言われても、返す言葉なんぞ無い。

 そうしてまた湖面に視線を戻す。先程より少し湖面が明るく見える。

 

「比企谷……八幡」

 

 またしても雪ノ下が発する。そしてまたしても俺は言葉の続きを待つ。

 だが、そこで途切れる。焦れて視線を雪ノ下に向けると、くすっと笑われた。

 

「……お返しよ。私も呼んだみたくなっただけ」

「それも同害報復かよ」

「そうかも知れないわね」

 

 気がつけば先程より雪ノ下との距離が二歩ほど近い。同時に、マッカンの一割にも満たないくらいに、ほんの少しだけ朝の爽やかな空気が甘く感じられる。しかしこの爽やかな空気も、太陽が調子に乗って出てくりゃ数時間で蒸せ返るような草いきれに取って代わられる。

 

 終わるのだ。

 人の関係と同じく。

 

 人生に於ける出会いとは、偶然の産物だと思う。それは、たまたま同じ列車の同じ車両に乗り合わせたようなもの。それぞれの目的が、降車駅が来れば降りていく。そこまでの区間の関係だ。

 鳥獲りだって鷲座の手前で忽然と姿を消した。かおる子たちも南十字で下車して行った。最初からの道連れだった同級生のカムパネルラでさえ、途中で忽然と姿を消してしまったのだ。

 残った乗客はジョバンニだけ。そういうものなのである。

 

「……好きなのね」

 不意に投げられた言葉と、それに伴う微笑みに心を乱してしまう。

 

「な、なにがだ?」

「銀河鉄道の夜よ。あなた、ジョバンニって呟いてたの、自分で気づかなかった?」

 

 くっ、ぼっちの四十八のチャームポイントのひとつ、無意識の独り言が発現してしまったか。あと四十七個はって? 考える時間をください。

 

「特別好きという訳でもない。最近読み返してたからよく頭に浮かぶだけだ」

 

 何がツボに入ったのか、雪ノ下がぷっと笑い声を上げる。

 

「それを、好きというのではないのかしら」

 

 うん、違うんだよな。好きというよりも、惹かれるというか脳裏にこびり付くというイメージが合致するのかも知れない。すなわち。

 

「そんなこと言い出したら、おまえのことも結構よく考えてるぞ」

 

 軽い意趣返し。

 考えてるからといって別段好きという訳ではない。そういう屁理屈を込めて吐いた一言だったのだけど。

 俺の言い回しがおかしくて意味が理解し難いのか、雪ノ下が機能停止した。正しく表現すれば「固まった」だろう。

 てってれー。

 はちまんは”フリージング”のとくぎをおぼえた。

 つーか、どうしよう。自分の発言の解説を詳らかに喋るほど悲しく寂しいことは無い。だが、雪ノ下が理解できなかったのなら、やっぱり俺の言い回しは変だったのだろう。

 しかし、いつものこいつなら──「あらさすがに来日したばかりでは日本語は難解な様ね。さっさと故郷に帰りなさい。ワシントン条約に抵触するわ」──とか云う筈なんだが、それすらも無い。

 

 思考を逃がし、少しだけ面映い心地を誤魔化しながら視線を湖面に移す。靄は薄くなり、もう釣り人は居なくなっていた。散歩の人影も見えなくなっていた。

 俺もそろそろペンションへ戻ろうかと思案していると、呟く声色が空気を震わせる。

 

「誠に遺憾なのだけれど……奇遇ね」

 

 雪ノ下の声だ。

 何がだ、と怪訝な目を向けると、そこには見たことのない柔和な表情で微笑む雪ノ下がいた。

 

「私も、同じよ」

 

 笑顔で片目を瞑りながらそう残して、雪ノ下は湖岸から離れていった。

 

 一人残された俺は、耳の奥にこびり付いて消えない雪ノ下の呟きを、仕草を反芻していた。

 あれって、一般的にはウインクってヤツだよな。だが、雪ノ下はおよそ一般的とは言い難い。したがって今のアレも、アレは、あれ?

 ふと、去年の秋の記憶が甦る。

 

 ── 今はあなたを知っている ──

 

 文化祭が閉幕した後の夕方の部室。

 ペンを片手に呟いた雪ノ下は、それまで見たことの無い柔らかな笑みのまま、片目を瞑ってみせた。

 それがどんな意図を持っているかは未だに解らない。つまり、あの時以上に柔らかな笑みで片目を閉じた、今の雪ノ下の意図も不明だ。

 

 いや違う。解らないままの方が楽なのだ。

 雪ノ下の笑みも、由比ヶ浜の優しさも、その裏にある感情まで手を伸ばしてしまえば、もう後戻りは出来ないと直感してしまう。

 

 確かに俺は知りたい。が、理解してしまうことには酷く恐怖を感じる。失う恐怖。壊してしまう恐怖。

 違う。真に怖いのは、拒絶されることだ。

 それは奇しくも俺自身が昨日しでかした行為。彼女を、彼女らを拒絶してしまった俺に、彼女らからの拒絶を恐怖する資格は無いのだろう。

 しかし──。

 

 頭の中で迷宮に迷い込みそうになって、もう一度スマホを見る。

 

「……そろそろ他の連中も起きる頃か」

 

 来た道を引き返すと、湖の入口、お得意様の自販機の前に、俺よりだいぶ早く去ったはずの雪ノ下がいた。

 その背後を言葉も無く通り過ぎようとする。すると、自販機とにらめっこをしていた雪ノ下も踵を返して俺に続く。

 

「何も買わなくていいのかよ」

 

 距離感がわからずに、ついぶっきら棒に声を掛ける。

 

「いいのよ、気にしないで」

 

 雪ノ下も淡々と答える。

 ペンションに戻る道を黙々と歩く間に、ふとある可能性が浮かんだ。

 

「おまえ、まさか」

「言わないでちょうだい」

 

 確信した。

 やっぱこいつ、ペンションまでの帰り道が解らなかったんだ。ひとり納得して苦笑すると、足を止めた雪ノ下は鋭い眼光を俺に向ける。

 

「……何か?」

 

 いつもなら萎縮してしまいそうな雪ノ下の冷たい眼差し。しかし今は何も怖くは無い。可愛いとさえ思えてしまう。

 

「いいや。やっぱり雪ノ下雪乃だな、おまえは」

「あら、そういうあなたは、むっつり谷八幡くんね」

 

 それきり会話は無く、雪ノ下は俺の三歩ほど後ろを着いて歩き、無事ペンションに戻った。

 木々の枝では早起きの蝉が大合唱を始めていた。

 




ゆきのんとの朝のお散歩の話でした。
てか八幡、散歩ばっかw
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