ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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早朝のお散歩から帰った八幡を迎えたのは、天使の笑顔と地獄への誘いであった。


31 空色デイズ

 

 

 朝の散歩から戻ると、ようやく他の連中が起床し始めたらしく、エントランスに上がると人の生活音が微かに聞こえてくる。そこに、たぱたぱと可愛らしい足音が近づいてきた。これは天使の足音だな。

 

「おはよう、はちまん」

 

 洗顔の為かタオルを首にかけた戸塚はこしこしと目を擦り、欠伸を堪えつつも天使の挨拶で出迎えてくれる。

 朝の第一声が戸塚とは今日はいい事ありそう、ルン。

 ──などと思ったが、既に雪ノ下と言葉を交わしたことを思い出し、ついでに先程の雪ノ下との遣り取りをまた脳内で反芻してしまう。

 

「どうしたのはちまん、顔が赤いよ?」

「あー、それはきっと戸塚に恋したからだな」

 

 正確には「恋している」。現在進行形であり未来永劫形でもある。

 

「もうっ」

 

 からかわないでよー、と可愛さ全開の天使もとい大天使に肩をぽかぽかと叩かれる幸せを噛み締めていると、背後から容赦の無い冷気が襲ってきた。

 

「朝っぱらから気持ち悪い顔がにやけているわね。爽やかな朝の空気が台無しだわ。おはよう、戸塚くん」

 

 雪ノ下、おまえ何ちょっと時間差で帰ってきてんだよ。そんなに俺と一緒に帰ってくるのが嫌だったの?

 そうごちて振り向いた先に立つのは、ムカつく程に笑顔を輝かせる雪ノ下雪乃。

 

「雪ノ下さんおはよう。早起きさんだね。はちまんとお散歩してきたの?」

 

 これまた笑顔の戸塚は、雪ノ下に悪気の無い言葉を掛ける。しかしな、それは完全な引き金(トリガー)だ。

 

「おはよう戸塚くん。それは完全なる誤解よ。彼の四足歩行では私の速度についてこれないでしょ」

「おい、俺はイノシシかな何かかよ」

 

 まあ雪ノ下の言う通りなんだけど。決して雪ノ下と二人で散歩に出掛けた訳では無く、一碧湖の畔りで偶然会っただけなのだけれど。つーか四足歩行なめんな。チーターとか超速いぞ。高速道路でスピード違反になる位には。

 余談だけど、ここ伊豆では春に『イノシシ祭り』なる催しがあるらしい。なんでもホームページの情報によれば、シシ鍋が無料で振舞われるとかどうとか。

 ホントに余談だった。

 

「ごめんなさい、訂正するわ。六足歩行だったわね、ムシ谷くん」

 

 罵倒の文法例みたいな返しだな。やっぱりこれが通常営業、いつもの雪ノ下だ。

 

「ははは、やっぱりはちまんと雪ノ下さんって仲いいよね」

「どこがだよ」

「ええ、まったく。甚だ遺憾だわ」

 

 この罵倒に満ちた光景をみて微笑ましく思う戸塚って、思ったより強靭な心の持ち主なのかも知れない。

 優しさと強さと、眩いばかりの笑顔。戸塚マジ最強天使。キラキラシールよりも最強。

 

「あ、おはようさいちゃん、ゆきのんも」

 

 ふわわ、と欠伸をしながら由比ヶ浜がスリッパを引き摺ってくる。しかし俺ってば、朝の挨拶もされないほどのステルスなのか。

 ふっ、まるでツチノコ並だな、俺。もう伝説、下手すれば伝承の域だな。

 

「ヒ、ヒッキーも……お、おはよう……」

 

 よかったー、とりあえず見えてはいるみたいだ。

 

「よう」

 

 決して「おはよう」の「おは」を略したわけではない。いつも通りに挨拶しようとしたらこうなっただけ。

 そんな光景を眺めながらも、戸塚は相変わらず最強天使のキラキラ笑顔を放っている。

 

 さて。

 今日の朝飯の当番は、めぐりん先輩と川崎と……げ。

 誰だっ、こいつを食事当番にした命知らずな奴は。

 

「ヒッキーは何食べたい? 今日あたし朝食当番なんだ」

 

 由比ヶ浜の言葉に戦慄する。雪ノ下も同様らしい。戸塚だけはきょとんとしている。可愛い。

 だが今だけはその可愛さに(かま)けている場合ではない。非常事態宣言なのだ。

 俺が雪ノ下に目配せをすると、雪ノ下は無言のままこくんと首肯する。どうやら目的の共有は出来ているようだ。

 では、ミッションスタートだ。

 

「由比ヶ浜、城廻先輩と川崎が来るまで待て。決して一人でキッチンへ入るなよ。絶対にだ」

「なんか言い方がひどいしっ!?」

「いけっ、雪ノ下っ」

「──承知したわ」

 

 俺が由比ヶ浜を足止めする隙に雪ノ下は由比ヶ浜の脇をすり抜け、ダンっと床板を蹴ると、神速でめぐり先輩と川崎沙希を起こしに向かう。

 

「ゆ、ゆきのん!?」

 

 走れ雪ノ下。ここにいる全員の危機回避のために。屍の山を築かぬために。

 膨れっ面の由比ヶ浜の後ろで、さすがの戸塚も苦笑していた。

 

 

 

 雪ノ下と俺の、主に裏方的な活躍によって朝食は無事に美味しく出来上がり、ダークマターによって参加者全員が謎の死を遂げるという怪奇現象は避けられた。由比ヶ浜はぷんすかと膨れているけど、それは必要最小限の犠牲だろう。

 それにしてもナスの浅漬け、美味かったなぁ。夏はああいうさっぱりしたものがいいよな。お茶漬けにも合いそうだし。

 しかもこのナスってあの狭い畑で獲れたナスだよな。ということは、合宿の間に参加者の誰かが漬けたのか。

 一体誰だろう。あれだけ美味い浅漬けなら毎朝食べたいまである。何なら養って貰いたい。

 

「小町、ナスの浅漬けって誰が作ったんだ。やけに美味いんだけど」

「ああ、それはね──」

 

 小町の視線の先には、川崎沙希の姿。

 

「あいつか。すげぇな」

「それ、沙希さんに直接伝えてあげてね」

「は? なんで」

「いいから。沙希さーん」

 

 話の終わらぬうちに小町は川崎を呼んでしまう。

 

「──なに」

 

 相変わらず無愛想というか、ぶっきら棒な表情で川崎は答えるも、視線はこちらには向けられていない。

 

「お兄ちゃんがシェフにご挨拶をしたいみたいですよー」

 

 途端に顔を真っ赤にしてキョドリ出す。

 

「は、は、はぁ!?」

「ささ、沙希さんこちらへー」

 

 怪訝な表情を赤面に貼り付けて、おずおずと近寄ってくる川崎。

 

「おい小町──」

「いいから。お兄ちゃんは素直に美味しかったって言えばいいのっ」

 

 こほんと咳払いをひとつ。

 小町の後ろに立つ川崎に感想を述べる。

 

「あー川崎、あのナスって、おまえが漬けたのか?」

「そ、そうだけど……く、口に合わなかった?」

「いや、すっげぇ美味かった。あれなら毎朝でも食べたいくらいだ」

 

 川崎の顔が更に赤くなる。何これ、ちょっと楽しい。

 

「うわぁー、それって”毎朝俺の味噌汁作ってくれ”的なアレですかねー、沙希さん?」

 

 余計なことを言うなよ。川崎が耳まで真っ赤になるくらい怒っちゃって、こっち見なくなっちゃったじゃねぇか。

 

「あー、気にすんなよ。美味かったのはマジだから」

「ば、ばか……ありがと」

 

 おおっと、罵倒とお礼のコンボを頂きましたよ。

 その瞬間、食堂内に複数の冷気を感じた。

 ──何これ。

 

 朝食の片付けに立ち上がろうとした時、ぱんっと平塚先生が手を叩く。

 

「さて、今日は基本的に自由行動だ。午前中の自習も自由参加とする」

 

 と平塚先生はいうものの、この合宿に来てからの奉仕部の活動はといえば夕方の狭い畑に行くのみだし、俺に至ってはその畑の手入れも一回しか参加していない。

 それに、奉仕部以外の連中はこの三日間ほぼ自由だった気がする。特に戸部なんかは事ある毎に材木座とつるんで何かしら悪だくみをしている様だ。

 もう懲りればいいのに。

 

「……では希望者は十時までにエントランスに集合。昼食は向こうで摂る。以上だ」

 

 おっと。愚考の間に平塚先生の話は進んでいたらしい。

 どういう内容かは聞きそびれたが、向こうでリア充共が盛り上がっているのを見る限り、ぼっち勢にとっては良くない報せだろう。

 そう勝手に結論付けて、重ねた食器を持って席を立つ。

 

「ね、はちまんは、どうする?」

 

 戸塚が放つ天使の囁きが耳をくすぐるも、話の途中で愚考の泥沼に沈んでいた俺には何が何だか状況が全然さっぱり掴めない。

 だがしかし。

 

「ぼくは、行きたいな。はちまんと一緒に」

 

 戸塚にそうまで言われては断る理由は無い。何であろうと何処であろうと、戸塚と一緒に夏の思い出が作れるのだ。

 そんな人生最大級のチャンスをみすみす逃す俺ではないのだ。

 

「おし、じゃあ一緒に行くか、戸塚」

 

 内容はわからんけど。

 

「うんっ」

 

 弾ける笑顔。

 今、俺の心のデータフォルダは戸塚色に染まった。後ろから「我も、我も」という縁起の悪い声が聞こえた気がするが、千葉に帰ったら浅間神社で祓い落としてもらおう。

 

「へー意外だね、お兄ちゃんが自分から海に行く気になるなんて」

 

 おお、浄化の天使小町だ。これで神社も必要ないな。

 

「ばか、俺は戸塚と一緒なら海でも何処でも……え。海に行くの?」

 

 うそん。

 小町が呆れ顔で俺を見ているその横から、由比ヶ浜が口を挟む。

 

「ヒッキーも海行くんだ? じゃあ、ゆきのんも……」

「行かないわ」

「即答だっ!?」

 

 がびーん、と効果音が鳴りそうな顔で雪ノ下を見つめる由比ヶ浜。対して雪ノ下は涼しげな笑みを浮かべる。

 

「私はペンションに残って本でも読んでいるわ。暑いのは苦手だし、その方が有意義だもの」

 

 由比ヶ浜が唸り始めた。この後、如何にして雪ノ下を説得するのか、見ものである。

 

「ゆ、ゆきのんっ、本なら海でも読めるよ?」

「何故わざわざ海まで行って砂に塗れながら読書しなければならないのかしら」

 

 うん。一理ある。というか完全に正しい。 

 読書が前提条件ならば、だが。

 しかし、そこに思わぬ伏兵が現れた。

 

「あら、雪乃ちゃんも残るんだ。わたしも残るから仲良くしようね~」

 

 伏兵、もとい魔王の一撃。さあ雪ノ下雪乃の次の一手は。

 

「由比ヶ浜さん行きましょう。海に」

 

 おおっと。魔王から逃げることを選択しただと!?

 しかし……雪ノ下は気づいていないのだ。

 

 ──魔王からは逃げられないことを。

 




どうしてもサキサキ成分濃いめになってしまうのは筆者の悪いクセです。
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