ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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夕食はBBQ、だが──


34 夏の回廊

 

 

 太陽が西に傾くにつれて浜辺の人口密度は少なくなっていき、夕刻に近くなると大半の海水浴客は引き上げて人影は疎らになった。

 俺たちが着替えと食事でお世話になった海の家も、もう片付けに取り掛かっている。

 

 日中、女子たちはチャラい男供にナンパされまくってうんざりしていたようだが、葉山が颯爽と助けに現れたり、俺がパラソルの下から唯一無二の武器である腐った目を向けたりすると皆蜘蛛の子を散らすように退散し、それ以外は恙無くそれぞれの海を楽しんでいた。

 

 さすがに遊び疲れたのか、今は女子たちは皆で砂浜に寝そべったりして休んでいる。戸部と材木座は、理由は知らんがビーチマットに横たわる三浦と海老名さんの傍で正座をしている。

 葉山は、相変わらずの爽やかさで葉山をやっている。

 

 沖に目をやると、何艘かのヨットの帆が、西に向かって傾いた太陽の光を時折きらりと反射している。

 

 ──ふと気づいてしまう。

 自分が感傷に浸っていることに。

 それは今までの俺の世界には存在しなかった感情。感じえなかった思い。

 

 当然だ。俺の世界は常に俺の中にのみ在ったのだ。その世界は自分の器量、容量、想像力などの枠を超えて広がることは無い。

 

 エリートぼっちなどという、張子の虎よりも脆弱な鎧を纏って、それが俺の個性だと決め付けて、必要以上に周囲に対して排他的に振る舞い、独りであろうとした結果だ。

 

 だが今はどうだ。

 

 俺は今、確実に夏が終わるのを惜しんでいる。

 あいつらとの終わりを意識し、惜しんでいる。

 そんな感情を自嘲しながら、俺は眼前に広がる大海原と空と雲のパノラマを遠くぼんやりと眺めていた。

 雪ノ下雪乃は、結局砂浜には現れなかった。

 

  *  *  *

 

 夕食は海の家でのバーベキュー。

 今風にいうとBBQか。

 

「比企谷、雪ノ下を呼んで来てくれ」

 

 焼き網の上のサザエが香ばしさを漂わせて、もうすぐ食べ頃になるという絶妙に悪質なタイミングで、平塚先生は俺に対して無情の指令を与える。

 無論逆らえる訳は無いので、焼けたサザエの香ばしさに後ろ髪を鷲掴みにされつつ、渋々Tシャツを羽織った俺は集団に背を向けて砂上を歩き出す。

 サザエ、戻ってくるまで残ってると良いなぁ。

 

 雪ノ下はというと、ずっと海の家に併設されたカフェで読書をしているようだ。本当、こいつ何しに来たんだろ。

 あ、読書か。来る前に言ってたし。

 つーか有言実行にも程があるぞな。

 無言不実行を信条とする俺は、足の砂を雑に払って閉店間近であろうカフェのドアを開けた。

 瞬間、別世界のような涼しさに包まれる。

 その店内の一番奥の窓際の席。そこで彼女は読書に耽っていた。

 

 ────!

 

 しばしその光景に目を奪われる。

 知らぬ間に俺は、初めて奉仕部の扉を開いたあの瞬間の光景を想起していた。

 傾いた太陽光に照らされた彼女の左頬はオレンジ色に染まり、白い筈のワンピースは強烈な西日のせいで何色かを正確には判別できない。

 その印象派の絵画の様な空間に俺なんかが足を踏み入れるのは少しばかり躊躇したが、その無粋な行為を乗り越えなければ、俺を待つサザエは誰かの腹の中に収まってしまう。

 

「……よう、そろそろメシだってさ」

 

 不躾な言葉に応えるように、流麗な仕草でページに栞を挟んで本を閉じ、彼女はこちらを向く。

 こいつ、いちいち絵になるんだよな。悔しいけど。

 

「あら、もうそんな時間なの?」

 

 壁に掛けられた文字盤の無い時計を見遣る。

 

「……時の経つのって、早いのね」

 

 そりゃ読書してりゃ早いだろうよ。俺なんか結局日焼け止め塗らされたり、サンオイル塗らされたり、シーブリーズをぱたぱたさせられたり、戸塚とスイカ割りの野望を打ち砕かれたり、その後スイカ割りのスイカ役にされそうになったり、ほんと大変だったんだからな。

 まさに苦行の極みだったんだぞ。マジでマジで。

 本をトートバッグに仕舞い込んだ雪ノ下は、そんな俺の苦行など我関せずという顔で目を伏せて、何に納得したのかひとり首肯する。

 

「比企谷くん、食事の前に少し歩かない?」

 

 えー。

 焼けたサザエが網の上で俺の帰りを待ってるんですけど。

 でもまあ、こいつはずっと涼しいカフェで読書に勤しんでいた筈だからカロリーは消費してないよな。故に腹もあまり減ってはいないのだろう。

 しゃーねぇな、部長命令だし。

 

「へいへい、ちょっとだけな」

 

 先に食べ始めているであろう由比ヶ浜たちには、通りすがりに声を掛けておけばいいか。ついでにサザエを残しておいてくれるように頼んでおこう。

 

 ──そう考えていたのだが。

 雪ノ下は連中の目を避けるようにカフェの裏手に回り、海の家の裏側を通って集団から遠ざかるようにコンクリート打ちの防潮堤伝いに歩いていく。仕方ないので俺も追随するのだが、余りにもBBQの場所から離れ過ぎている。

 

 辺りに人影は無く、もう奴等のはしゃぐ姿も騒ぐ声も確認できない。

 まさかこいつ、また方向に迷って……そりゃないか。

 それから五分ほど様子を見ながら後ろを歩いたが、やはり別段迷っているという様子は無い。何なら総武高校御一行様から離れる意図だけが明確に感じ取れてしまう。

 この雪ノ下の奇妙な行動に、緊張と無言が俺を支配する。

 

 砂を踏む二人の足音だけが、穏やかな波の音に混じって耳をくすぐる。

 

 不意に雪ノ下が足を止めて振り返り、俺を見る。

 周囲に人影は無い。

 

 ようやく皆から離れ過ぎている事に気づいたか。今からならまだサザエに間に合うかも知れんし、戻ることを提案しようとした矢先、雪ノ下雪乃は俯きながら俺に視線を送ってくる。

 その目には、何かしらの決意のようなものが感じられた。

 つまりだ。俺をこんな人気のない場所まで連れて来たのには、やはり何かしらの理由があるのだ。

 

「どうした、何か人には聞かれたくない話か?」

 

 俯いたままの雪ノ下に水を向けてやる。相談事なら早い方が良い。網の上でサザエを待たせている都合上。

 

「その、笑わないでね」

 

 微かな声が波音を掻き分けて俺の耳に届く。

 

「何がだ?」

 

 雪ノ下には珍しい、主語の存在しない物言いに多少の違和感を抱きながら続きを待つ。

 

「せ、せっかく着たのだから、その」

 

 何だ。せっかく来たって、合宿にか。伊豆にか。

 それとも海にか? 

 つーか今のアクセントおかしくない?

 

「と、特別よ。感謝なさい」

 

 言い終えた雪ノ下は深呼吸して、白いロングワンピースの肩紐をずらす。

 

「お、おい──」

 

 しゅる。じー。しゅるしゅる。

 衣擦れの音と波音の中、雪ノ下は自身のワンピースの背中のファスナーを下ろしている。

 何これ、ゆきのんが実は着ぐるみだったなんて知らなかったよボク。

 などと冗談を言える状況ではなく、本来は制止するべきであろう、目の前で起こっている事象に言葉を吐けなくなっていた。

 

 砂に塗れた足はその場に縫い付けられたように動くことを許されず、心臓は誰かにぐいぐいと押されているかのように暴れて、脳内は充血と虚血を交互に繰り返す。

 ファスナーの音が止むと同時に白いロングワンピースが胴体をすり抜けて、すとんと雪ノ下の足元に落ちる。

 

「──!」

 

 見てはいけない。目を閉じようとしたが……遅かった。

 稜線を縫って注がれた強烈な西日に照らされるのは、三角形が三つ、張り付いているだけの姿。

 茶褐色のビキニを纏っただけの、雪ノ下雪乃。

 透き通るような白い肌に張り付いたその茶褐色のビキニは、横から照らす強烈な太陽光のせいで陰影を成し、薄っすらと肌に滲み出た珠の汗は西日の光を巻き込んで、水晶のように乱反射を生じさせる。

 

 その光景は余りにも美しく、幾重にも織り重ねられた奇跡たちの集大成の如く、神々しい。

 眼前の奇跡は、俺の視線を、身体を硬直させるのに充分過ぎた。

 つまり簡単に云うと、凝視してしまった。

 

「──由比ヶ浜さんが選んでくれた水着、なのだけれど……どう、かしら」

 

 彼女が振り絞ったような弱々しい声は、俺の耳にはぼんやりと響くのみで、耳から脳に達して理解するまでに数秒を要した。

 そして。

 

「……と、尊い」

 

 そう呟くのが精一杯だった。もう、息を吸っていいのか吐いていいのかすら判らない。

 戸惑った自律神経が、ワルツだかサンバだか判らない変拍子を心臓に刻ませる。

 ただ、人生で初めて、時が止まるのを祈った。

 この光景を、目の前の少女の姿を、ずっと目に焼き付けていたかった。

 自律神経の制御を外れてしまった俺の心臓は、自棄になった様に更に無計画に脈動を打ち続けている。呼吸だって覚束ないままだ。正気を保っていられるのが不思議なくらいだ。

 

 だけど、目が離せない。踵も返せない。

 見つめていないと、そうしないと、一生後悔してしまう。そう思えた。

 

 雪ノ下は雪ノ下で、固まった俺の前で身を捩っている。その度に身体に落ちた陰影が入れ替わり、その滑らかな凹凸を俺に視認させる。

 

「あ、あまり見られると、その……恥ずかしいのだけれど」

 

 俯きながらも上目遣いで俺を見る雪ノ下。それを凝視している俺。

 強い西日のお陰で俺の顔色がカモフラージュされているのは不幸中の幸いだった。

 いや不幸じゃない。全部ひっくるめて、僥倖である。

 

「うるせえ。綺麗なもんは綺麗なんだよ」

 

 言うつもりは無かったが、自然と口が動いてしまった。その瞬間、雪ノ下の肩が小さく跳ねる。

 これはあれだな。今夜恥ずかしさで身悶えるパターン、かも知れないな。だがそんな俺の意に反して、またしても言葉が口から溢れ出る。

 俺のおクチって、ユルユルだな。ビッチだな。まさにビッチなボッチ。

 

「雪ノ下」

 

 声に反応して、またしても雪ノ下の肩が僅かに跳ねる。

 

「な、なに……かしら」

 

 恥ずかしそうに身を捩り俯く雪ノ下に、心ならず呟いてしまう。

 

「もしかしたら俺は、もう死ぬ……のか」

 

 波の音が聞こえなくなった。そして。

 口に出した途端、アマゾン川を遡上するポロロッカの如く押し寄せる後悔。

 だぁああああ! 何を口走ってるんだ俺はっ!

 しかも何で疑問形なんだよっ、ばーか、ばーか。

 ばっっっっっっかじゃねーの!?

 

「……馬鹿、私の水着を見たくらいで死ぬ訳がないでしょう」

 

 脳内のセルフ罵倒にダメ押しするように呟いた雪ノ下は、顔を背けながらも視線だけを俺に向けている。

 それが流し目っぽく見えて何とも艶っぽく感じてしまうのは、きっと夏のせいだ。

 けしからん。

 夏のヤローめ、マジ許さんっ。

 そして。今夜の身悶え、決定だな、うん。

 俺は、沈みゆく太陽を浴びながら本気でこの夏を、この光景を惜しんだ。

 

  

 

 騒がしかった夕食のバーベキューを終え、帰るまではしばしの自由時間となった。

 あれから一行の下に戻った俺は、結局サザエにはありつけなかった。一緒に戻ったはずの雪ノ下だけが何やらサザエらしき巻貝をの中味を頬張っていたのは、きっと夏の幻だろう。

 

 つーか、俺たちって受験生なんだよな。戸部とか由比ヶ浜のはしゃぎっぷりを見ていると、自分の置かれた立場に自信が無くなる。

 小町もはしゃいでいるが、こちらは総武高に合格して最初の夏だ。許してやろう。

 大志? もちろん許さん。

 辺りがすっかり暗くなると、戸部が騒いで走り出した。戸部って本当は夜行性なのかな。それとも何かの病気かな。今度リア充の生態に詳しい由比ヶ浜に聞いてみよう。

 

「ヒキタニくーん、花火やるっしょ!」

 

 どこで仕入れたのか、両手に花火の袋を持って戸部が砂浜を蹴り上げて戻ってくる。

 こいつ、夏を満喫しまくってやがるな。もう味のしなくなったガムをさらに噛んで旨味を全部吸い尽くす、そんな感じだな。

 うん、喩えが解りづらいな。

 

「ね、ヒッキーも花火しよ。せっかく戸部っちがヒッキーの為に用意したんだからさ」

 

 ほよ? そんなこと聞いてませんけど?

 

「戸部っちね、ヒッキーだけ花火大会にいけなかったの、ずっと気にしてたんだよ」

 

 いやいや、あの時は雪ノ下も残ってただろ。とツッコむ前に戸部が慌ててカットインする。

 

「あー違うって、ほら、ゆーても俺も花火したかったし、夏だし」

 

 ま、まさか……戸部が俺に気を遣っている、だと?

 動揺を狙ったかの如く、破裂音が響いた。

 びくっと身を竦めるのと同時に、天に向かって光の筋が延びていく。

 

「おー、結構綺麗じゃん。ね、ヒキタニくん」

 

 破裂音の元を辿ると、砂にしゃがんだ材木座がメガネを光らせてニンマリと笑っている。そして熟達した放火魔の如く、地を這いながら砂に刺した筒に次々と着火していく。

 放たれた光の粒は中空で弾け、大輪とはいかないが夜空に幾つかの花が咲いた。

 

「ね、綺麗っしょ」

 

 ニンマリと笑いながら戸部はサムズアップを向けてくる。

 

「ああ、そうだな」

 

 戸部は戸部なりに考えて、俺を気遣う行動をしてくれた。

 由比ヶ浜や雪ノ下、一色、川崎、それに小町は、こんな俺の為に誕生会を企画してくれた。

 平塚先生は俺を理解した上で諭してくれた。めぐり先輩は一時といえ俺の寄る辺になってくれた。

 結局、ずっと一人で歩んできたつもりが、そうではなかったらしい。

 

 バムッ、バムボムッ!

 

 再び数発の花火が上昇し、夜空に花を咲かせては消えていく。

 つーか打ち上げるなら事前にお報せして欲しい。ぼっちは臆病な生き物なんだぞ。ぷんぷん。

 打ち上げ花火が一段落すると、各自それぞれに手持ち花火を楽しみ始めていた。 

 

 小町は戸塚と火を分け合ったりしている。何故か材木座は、両手に花火を持った一色に追いかけられている。戸部は指の間に花火を挟んでいっぺんに火をつけ、海老名さんはそれを苦笑しつつ眺めている。大志は三浦に捕まって、川崎はそれを阻止しようと躍起になっている。

 まったく、わけの解らない奴らだ。

 

「いちばん訳わかんないのは、ヒッキーだけどね」

 

 こいつ、ナチュラルで俺の心を読みやがった。

 

「うるせ」

 

 よし、そろそろ用意してきた仕返しをしてやろう。

 

「由比ヶ浜」

「ん?」

「十分後、雪ノ下と二人だけで海の家の自販機の前に来てくれ」

 

 そう告げて、俺は持参したリュックを肩に掛けつつ、海の家の自販機に向かって歩き出す。

 

 




BBQの話と見せかけて、ゆきのんの水着回でした。
そして次回から3話ほど、筆者の独り善がりの回となりますw
ただ、その3話が一番読んで欲しい部分です。
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