ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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03 晴天の霹靂と呼べるものではない

 

 

 

 突如、熱気と湿気を多分に含んだ甘い風に包まれる。

 

「――着いたよ。起きて」

 

 甘い匂いを感じながら微睡(まどろ)みつつ座席の背もたれから身体を起こすと、すぐ目の前に顔があった。それに気づいた時には動きを止めることは叶わず、目の前の顔に俺の額が軽く当たってしまう。

 

「……あ」

 

 声に驚いて顔を引く。目の前で額を押さえているのは由比ヶ浜結衣。

 小さく漏れた由比ヶ浜の息が頬にかかる。

 甘く、熱く、心地良い息。

 

「ヒ、ヒッキー、痛いし、近いよ……」

「わ、悪りい……」

 

 思わず謝ってしまったがな由比ヶ浜、近いのはお前の方であるからして、近いのが嫌なら今すぐに離れなさいよ。現状を説明すると、助手席に座った俺におまえが覆い被さっている状態だからな。

 だから離れて。どうか離れてくださいな。

 大至急、速やかに、迅速に、ダッシュで!

 

「あー! 雪乃先輩っ、結衣先輩が抜け駆けしてますよっ」

 

 未だぼやける脳中に八釜しい後輩の声が響く。

 寝惚けていても”やかましい”を”八釜しい”と夏目漱石風に脳内変換してしまう俺マジ文学少年だわ。

 あと”難しい”は”六つかしい”または”六束しい”な。ただの当て字なんですけどね。

 

「慌てては駄目よ一色さん、あれはラッキースケベという類の現象らしいわ。いわば偶然の産物ね。大丈夫、どうせ比企谷くんには衆人環視の中でどうこうする度胸や甲斐性は無いから」

 

 幾度と無く浴びせられてきた罵声まじりの柔らかい声音に反応し、俺の寝惚けた脳は一気に覚醒する。

 刷り込みってこわい。パブロフさんとこの犬のキモチが痛いほどわかるね。

 ところで雪ノ下さん、その声の柔らかさとは真逆の冷たい視線を向けるのはやめてくれないかしら。つーか何処から「ラッキースケベ」なんて言葉を仕入れてきたんだユキペディアさんは。博識にも程があるぞ。

 

「うーん、たしかに。せんぱいのチキンっぷり”だけ”は信用できますからね~」

 

 論点違うぞ。あと、どう見ても信用されてるようには思えない。つーかチキンっていうな、リスク管理といえ。

 ろくろ回しでお馴染みの海浜総合の玉なんとか生徒会長風にいえばリスクマネジメント。ロジカルシンキングを論理的思考で重ねてリスクアセスメントを分析、評価すればベリーイージーに容易い事だ。

 ああ、難しい難題を考え過ぎて頭痛が痛いぜ。顔を洗顔したいぜ。夜の夜食は茹でたゆで卵を食べたいぜ。

 

「さ、先に行ってるから、ね」

 

 同じ意味を重複させる言葉遊びを無意味に脳内で繰り広げていると、呆れられたのか見放されたのか、既に誰もいなくなっていた。

 まさに独壇場である。またの名を置いてけぼりと云う。どうせなら出発前の段階で置き去りにして欲しかった。

 さて仕方ない、俺も行くか。

 

 どうでもいいことかも知れないが、最近、他人との距離が近いように思える瞬間が多々ある。

 

 元々由比ヶ浜は俺にビッチと言わせる程に物理的な距離は近かったが、その過剰なスキンシップは以前とは違っている。

 以前は勢いに任せて突進して来る感じだったが、最近はこう、より奥底の感情を擦り付けてくるように思える。それは猜疑心、恐怖心が入り混じる歪曲なものだ。

 

 雪ノ下に関しては表面上は変わらない。

 だが、たまに目が合ったりすると、そこに感情が透けて見えてしまうことがある。

 冷静な仮面の隙間から時折見える雪ノ下の感情は、ひどく独善的で、利己的で、排他的で、不器用で、壊れそうなほど頼りなくて真っ直ぐだ。

 

 可笑しなものである。

 感情をその言動を以って真っ直ぐに表す由比ヶ浜に歪曲を、感情をひた隠しにして論理とはかけ離れた屁理屈のような持論を展開する雪ノ下には真っ直ぐな印象を受けるとは。

 偶にだが、川崎沙希からも同種の印象を受ける時がある。

 あいつの場合は逡巡とか怯えとかだ。だが時折見せる悲哀や慈愛の顔は、心の邪魔な出っ張りを逆撫でされるようで、それでいて暖かいから何とも始末が悪い。

 

 一色は、果たして他人との距離を測りかねているのだろう。

 あざといことに違いは無いが、時に成熟した計算高い顔をし、また時には幼子のような危うさを感じる。自己中心的でありながらも他人の顔色を窺うような弱さが見て取れる。

 考えてみると、随分と他人の為に思考を割く時間が増えたものだ。

 よし、ここは瞳を閉じて戸塚のことを考えて、気分をリフレッシュしよう。

 戸塚は天使、戸塚は大天使、戸塚は熾天使、羊が一匹……

 

「おにいちゃん! こんなとこで二度寝なんてありえないからっ」

 

 我に帰ると目の前にはもうひとりの天使が降臨していた。

 危なかった。天使が二人揃ったらパトラッシュと一緒に連れてかれちまう。

 いつの間にか寝ていたか、などと愚考の時間を誤魔化して今度こそ助手席から降りる。

 さて、敷き詰められた砂利を鳴らしながら建物の表に回ると、そこは小さな洋館の入口だった。

 

「ふははは、よく来たな八幡っ!」

 

 外観は地中海風、いやイタリア風だろうか。小さめの洋館というか大き目の一軒家と評するべきか。白を基調とした外観は異国の空気を醸し出す。窓はぽっこりと外側に飛び出していて、入口から見て左側には塔のように六角錐の屋根が突き出ている。

 まさにリゾート、非現実を演出する趣だ。

 入口の脇、狭いけれど手入れが行き届いた花壇にはローズマリーが咲いており、普段はこれをハーブとして料理にも使うのだろうか。

 

「えーとプチホテル、コン……フェッション、エ……? ゆきのん、これスペル違くない?」

「遅いぞ八幡!」

「これはイタリア語よ。コンフェッシオーネ、懺悔という意味ね」

 

 おいおいリゾートに来てまで懺悔かよ。どんだけ罪深いんだよ俺ら。とは云うものの、確かに人間ほど罪深い生物はいない。そもそも他の動物には罪や懺悔という概念は無いのだろうが。愉悦の為に人を欺き、陥れるのは人間の専売特許だ。

 

「ゲ、ゲフン……遅いぞ八幡っ!」

 

 いつまでも爽やかな葉山隼人の周りに纏わりつく三浦優美子は、ペンションの可愛らしい外観がお気に召したようだ。

 

「へー、いい感じじゃん。隼人ぉ、あーしら一番景色いい部屋キープしよーよ」

 

 え? 何なの? 男女一緒の部屋になるの?

 もう「男女七歳にして席を同じうせず」の精神は絶滅してしまったの?

 そんなことを言い出したら日本の義務教育を根底からひっくり返さねばならなくなるが。

 俺としては「七歳にして他人と席を同じうせず」を推奨したい。全員ぼっちになればクラスカーストもヒエラルキーも、メラゾーマや召喚獣と同じく全て空想上の現象となる。

 即ち平和が訪れるのだ。

 良い例が一蘭の”味集中システム”だ。あのシステムのおかげで他人のペースを気にすることなく食することが出来るのだ。

 本当、家の近くに一蘭が無いのが悔やまれる。

 つーか戸塚と一緒に異国の熱帯夜を過ごすボクの計画は……?

 

「お前らイチャつ……ハメ外すのもいい加減にしろ。部屋割りは後で発表する」

 

 溜息まじりで平塚先生が窘めるのも何のその、三浦のテンションは上がる一方だ。その横で、葉山と俺を交互に見ながら違う方向にテンションを上げている海老名姫菜には触れたくない。

 それはきっとパンドラの箱だから。最後に残るのは希望ではなく、きっと薄いBL本だろうから。

 待てよ。

 今ここに来ているのは奉仕部の三人に天使二人、あとは一色、川崎姉弟、葉山、三浦、海老名、戸部、陽乃さん、城廻先輩、それに平塚先生の十五人だ。

 そうなると三人ずつがベストか。勿論俺は小町と戸塚と同部屋で。

 ところで、そもそも何人部屋なんだ。二人部屋だったら相部屋は小町一択になるのだが。 

 

「おーい、はちまーん……」

「十五人だと、どういう割り振りになるんですか」

「……そろそろ気づいてやれ、比企谷。ただでさえ丸い材木座が必要以上に丸くなってるぞ」

 

 ちっ、完全無視を貫いてやろうと思ってたのに。つーか、何故材木座だけ現地集合なの? 

 果てしなくどうでもいいけどねっ。

 

 

 

 ペンションの玄関先でワイワイダラダラとやっていると、平塚先生の号令が伊豆の山に響く。

「おーい、全員集まれ。挨拶するぞ」

 集められたペンションのエントランス、平塚先生の横には若い夫婦が並んでいた。

 

「こちらがこのペンションのオーナー、今泉瑞樹、舞夫妻だ」

 

 おお、平塚先生の同窓生ということでかなり粗暴な人物を想像していたが、中々どうして優しそうな雰囲気を持った好人物である。これ勿論奥さんの印象な。

 旦那さんの方は、何というか……とりあえずデカい。山男、いや熊か。オーバーオールが果てしなく似合っていて、顔は髭面だが眼鏡の奥の優しそうな目からは温厚な印象を受ける。

 ニコニコしながら大盛りカレーを飲み干しそうだ。

 

「こんにちは、ようこそ伊豆高原へ。この子たち全員、静の教え子?」

 

 奥さんが興味深々な目で俺たち、いや葉山たちを見る。

 

「ま、そうだ。一部を除いて皆、問題児だがな」

 

 一斉にきょろきょろし出す。誰もが自分は問題児ではないと仮定して、群れの中から問題児を選んでいる。

 ま、自覚を持って問題児と名乗れるのは、俺と雪ノ下雪乃くらいか。

 と思っていたら、当の雪ノ下は済ました顔でその場をやり過ごそうとしていた。

 

「雪ノ下雪乃、一色いろは、ちょっとこちらへ」

 

 自覚症状の乏しい問題児部長と、あざとさマックスハートの生徒会長が手招きされる。

 さながらトップ会談、というところか。雪ノ下雪乃は奉仕部の部長、一色いろはは生徒会長だ。この一行の代表者になるのは当然だろう。

 

「あと……比企谷も由比ヶ浜も来い」

 

 え? 俺って下っ端じゃなかったの? なんなら備品、ホチキスと同等じゃないの?

 

「この子が比企谷君? 静に聞いてたとおりだね〜」

 

 見ず知らずの人たちにどんなことを吹き込んだんですか平塚先生。

 

「つーか、何で俺まで」

「今回は本来、奉仕部の合宿だからな」

 そうだった……あれ、なんで由比ヶ浜はそんな後ろにいるの?

「あ、あたしは難しいハナシ苦手だから……」

 

 少し寂しそうな笑顔を浮かべて胸の前で両手を振る由比ヶ浜の姿を見て、僅かな痛みを覚える。

 

「ダメだ。おまえも前に来い」

「あ、あん、ヒッキーそんな強引に──」

 

 ぐいと由比ヶ浜の腕を引いて、雪ノ下の横に並び立たせる。

 

「……あー、もういいかね」

 

 心なしか平塚先生の表情も寂しそうだ。まだあの見合いの件を引きずってるのかな。

 

「でだ。今回、施設を利用させてもらう際の注意事項をだな──」

 

 平塚先生に促されてオーナーの奥さんがにこやかに話し始める。

 説明や注意事項は殆ど雪ノ下雪乃が聞いていた。

 簡単に言うと、建物内の案内とかだった。

 

「では初日の部屋割りを発表するぞ」

 

 皆の視線が平塚先生に集まる。平塚先生に配布された一枚のプリントには今日の部屋割りが書かれていた。

 そこには飛び入り参加の筈の葉山たちの名前もある。やっぱ計画通りか。案の定というべきか、材木座だけは手書きの文字だった。

 

 自分の部屋を確認する前に、部屋割りに納得のいかないご様子の獄炎の女王が感情を顕に騒ぎ始める。

 

「ちょ、先生。これって横暴じゃないー?」

 

 三浦は海老名さんと同じ部屋になっている。じゃあ誰と一緒なら満足だったんだよ。

 まさか教師同伴の合宿で、葉山と同室になれるとでも思っていたのか。

 金髪縦ロールの恋愛脳恐るべし、だな。

 

「三浦、前にも説明したがこれは奉仕部の合宿。いわば学校の管理下の行事なのだよ」

 

 普段ならその言葉で沈静化するのだろうが、何故か今回は三浦は矛を収めない。

 

「あーしら別に奉仕部じゃないしー」

 

 そこへ、満を持して氷の女王雪ノ下雪乃のご登場だ。

 

「奉仕部の合宿であることを承知で参加したのだから、顧問の平塚先生の指示には従ってもらうわ。いいわね三浦さん」

「ちょ、雪ノ下さん、あーしらはただ遊びに……」

 

 見るに見かねたリア充の王、葉山も獄炎の消火活動に参加する。

 

「まあまあ優美子、今回は俺たちが勝手に参加した立場なんだから」

「は、隼人がそういうなら……」

 

 すげえな葉山。三浦の怒りの炎を爽やかさだけで鎮火させやがった。超高性能消火器じゃん。

 ま、おかげでパンクハザードの悲劇を繰り返さずに済んだけど。

 

「よし。あらためて本日の部屋割りの発表だ。まず……」

 

 さて。

どうしてこうなった。

 なぜか俺が割り当てられた部屋、303号室には川崎大志、そして──川崎沙希がいる。

 

「な、な、な、な、な……」

 

 動揺するなよサキサキ。こっちまで激しく動揺しちまうだろうが。

 

 初日の部屋割りは以下の通りだ。

 まずは四人部屋(401)に戸塚彩加、葉山隼人、戸部翔、材木なんとか座の高3男子勢。

 そして三人部屋(301)に雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、比企谷小町。

 もう一つの三人部屋(302)に雪ノ下陽乃、城廻めぐり、一色いろは。

 二人部屋(201)に三浦優美子、海老名姫菜。

 平塚先生は教師の特権で、二人部屋(202)を一人で独占するらしい。

 で、なぜ残りの三人部屋に川崎姉弟と俺なんだ?

 

「――以上、部屋割りだ。あと、空室が二部屋あるが、それは気にしないように」

 

 いや気にするって。何なら俺がその空室を占拠したいんだよ。

 そして戸塚と小町と……ぐふ。

 しかしおかしい。何がって、川崎沙希だ。こいつなんで何も文句言わないんだよ。

 

「お兄さん、お邪魔だったら外に出ますからいってくださいっす」

 

 なんだその”ワイは気ぃ使えまっせ”みたいなノリは。

 

「ありがとうな大志、では早速千葉に帰ってくれ」

 

 小町と同じ緯度経度に存在するな、大志。と、違う群れから甲高い声が響く。

 

「これおかしいって! なんでヒッキーと沙希が同じ部屋なの? 沙希も何か言ってよっ!」

 

 声高に異論を唱える由比ヶ浜に平塚先生の言葉の刃が襲う。

 

「いやー、まさかこんなに大所帯になるとは思っていなくてな。計画では八人だったし。いやぁ、八人だったらこんな部屋割りにはならなかったんだがなぁ。なあ由比ヶ浜」

 

 いやそれ部屋割りには関係ないよね?

 無意味に痛いところを突かれた由比ヶ浜が「ぐぬぬ」と唸り声を上げて、何故か俺を睨む。雪ノ下は今にも雷撃を放ちそうな顔を俺に向けている。

 小町だけは目を輝かせている。

 つーかさ、平塚先生が川崎沙希と同部屋になれば解決、だよね?

 口に出せない俺の正論は誰にも届くことは無い。

 

 

 

 

 

 

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