ENDLESS SUMMER NUDE   作:エコー

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ホワイトデー。
それとは全く関係ない、ただの蛇足です。
時系列的には、40話の直後となります。


番外編 アキレウスと亀

 

 

 駅へ向かう人々の向こう、雑踏に消えた雪ノ下の背中を脳裏に振り返りつつ、独り俺は汗を拭い夜道を駐輪場へと歩く。

 くそっ、遠いな。調子に乗ってあんな遠くに停めるんじゃなかった。

 

 左手の指に引っ掛けた参考書の重みを確かめながら街路灯の暖色の灯りが照らす歩道を歩いていく。

 コーヒーショップの手前に差し掛かったところで強烈な悪寒に襲われ、Tシャツの襟に染みた汗が冷たく感じた。

 これは、あれだ。虫の報せ。嫌な予感ってヤツだ。

 そしてその手の予感に限って、的中してしまうのも世の常なのだろう。

 

「ひゃっはろー」

 

 やはり、来たか。

 聞き覚えのある響きに、駐輪場へ向かう足が止まる。

 何故。

 何故この人の登場はいつも突然なのだろうか。

 (おのの)きながらも声の方へ目を向けると、コーヒーショップの入口に佇むのは作られた完璧な笑顔。

 ラスボス。

 魔王。

 おっかないお姉さん。

 いわゆる、雪ノ下陽乃である。

 

「──ども、では」

 

 目を合わせずに会釈だけして足早に立ち去ろうとする俺の左腕が後ろにぐいと引かれ、思わず転げそうになる。

 

「冷たいなー、昨日まで一つ屋根の下で暮らしてた仲じゃない」

 

 腕を掴むか細い手の主は、ぞんざいな扱いで行く手を遮ってくる。通りすがりのサラリーマン達が珍妙な物を見るような視線を浴びせる中、俺は今夏で一番盛大な溜息を吐いてしまう。

 

「誤解されるような言い方はやめてもらえます?」

「あら、誰に誤解されたら困るのかな~?」

 

 この人には何を言っても通用しないのは解っている。

 自分の目的を果たすまでは絶対に解放しない、暴虐の君主。それが雪ノ下陽乃の魔王たる所以(ゆえん)だ。

 魔王はコーヒーショップの入口を指差して笑顔を作る。

 

「コーヒー、付き合ってよ」

 

 合宿の疲れも残っているし、何より今は何年ぶりかに数学を学ぶ気になっている。その気を殺がれない内に帰宅したいのだが、それを魔王が許してくれるとは思えなかった。

 

 だが、足掻いてみるか。俺が嫌がっていることだけでも伝えたいし。

 

「遠慮します、って言ったら……解放してくれます?」

 

 陽乃さんは同じ濃度の笑顔を保持したまま、俺を見据えている。

 さて、評定は如何に。

 

「駄目に決まってるじゃない」

「……はぁ、そうですか」

 

 はいダメでした。まあ解ってはいたんだけど、それでも絶望という輩は訪れるらしい。

 

 人が悩み苦しみ嘆く時、纏う邪気とは正反対の極上の笑顔を作るのが雪ノ下陽乃という人物である。そうしてその作り上げられた笑顔の奥から威圧を放つのだ。

 やはり魔王からは逃げられない、らしい。

 

 流れ作業の如くコーヒーショップの店内へと連行され、飲みたくもないのに上級スキルの剣技のような長ったらしい名称の飲物を俺の分まで勝手に注文され、一番奥の席の壁際に追いやられ、出口を陽乃さんが座って塞ぐ。

 

 その間、わずか一分足らず。

 

 その淀みのない拉致から軟禁までの流れに、この人ってこういう荒事に手慣れてるのか、と邪推してしまう。

 完全に悪い意味だよね、拉致監禁に慣れてるって。

 

「合宿、楽しかったねー」

 

 俺の意思などお構い無しにつらつらと喋るのはいつものパターンだ。

 

「はあ、そうですね」

「比企谷くんは色々あったみたいだけど」

「はあ、そうですね」

 

 あえて同じ返答を繰り返すと、陽乃さんの表情は一瞬険しくなる。

 が、すぐに別の表情を貼り付けてくる。

 

「もう、そんなに警戒しないでよ。お姉さん、悲しいっ」

 

 涙を拭う仕草の演技をしても、俺の嫌悪は微塵も動かない。

 

「だったら警戒させるような行動は慎んでくださいよ」

 

 俺の心ばかりの抵抗は、スキンシップという名の絨毯爆撃により灰燼に帰す。

 

「照れちゃって、このこのー」

 

 しかし実際にスキンシップはされてる訳で、しかもそれは過度な接触面を左半身に作り出している訳で。

 結果、体温は上がり、汗ばむ訳で。

 その柔らかい接触面は、合宿の時の由比ヶ浜や川崎の柔らかさを想起させるのに充分だった。

 

「やっぱ照れてる。かわいいんだ」

 

 どうやら合宿の柔らかい記憶に赤面してしまったらしい。決して現在進行形で左腕に当たっている二つの連山のせいではない。

 絶対にだ。

 

「──誤解ですよ」

「あれれ? 誤解も”解”じゃなかったっけ?」

 

 言葉に詰まる俺の表情を満足気に眺め、それが終わると徐に身体を離す。

 どうやら注文の品が出来上がったようだ。

 

「お、俺が──」

「ダメ、どうせそのまま逃げる気なんだから」

 

 ──見抜かれたか。

 セルフサービスの店ならではの脱出方法を試そうとするも、陽乃さんの圧力に負けて席を立てない。そんな俺の心中とは対照的に、小走りで二人分の飲物を持って戻ってくる陽乃さんの足取りは軽い。

 

「はい」

「……ども」

 

 差し出されたカップのストローを吸うと、仄かな甘みと強烈な苦味が口内を駆け回る。しかも温い。まさか氷抜きかよ。底意地の悪さは天下一品だな。

 

「うげ」

 

 嫌そうに渋い顔をする俺を見つめながら同じ物を飲んでいる陽乃さんは満足気だ。

 そしてついに、魔王による尋問が始まるのであった。

 

「どう? 合宿のお誕生会は楽しかった? 嬉しかった?」

 

 良かった。まだ想定内の質問だ。帰りの車内で、平塚先生に答えた言葉を引用する。

 

「まあ、ほとんど初めての経験ですから。よく解りません」

「つまんない。もう一回」

 

 どうやら魔王はお気に召さないようだ。だが、知ったことではない。

 

「……あなたがつまらないのは勝手ですけどね」

「ふーん、ま、いいけど」

 

 飲物に逃げるも、再び苦味に襲われて顔が歪んでしまう。

 

「でも」

 

 まだ続くのね、やっぱり。

 

「比企谷くんが欲しかった本物って、あんな陳腐なものだったんだね。がっかりしちゃった」

 

 本物本物って、あんた何者ですか。いつ俺があれを本物だといいましたか。

 まあ、ちょっと嬉しかったのは事実だけど。しかし、しかしだ。

 

「陳腐、ですか」

 

 陽乃さんの言葉に違和感を覚える。

 由比ヶ浜が考え、雪ノ下や川崎、小町が賛同して用意されたサプライズ。俺を思って仕掛けてくれた、サプライズ。

 それをこの人は陳腐という言葉で断じるのか。

 

 ──冗談じゃない。全員が全員、あんたと同じ答えを持ってる訳じゃないんだ。

 思考の間も、陽乃さんは心を抉りにくる。

 

「だってそうじゃない。あの中で、本気で比企谷くんを祝ってくれた人間って、何人いるのかしらね」

 

 あー、もう我慢できない。

 そうだ、我慢する必要なんて初めから無かったんだ。

 勝ち負けじゃなく、俺の意思を伝えなければ。

 彼女等の意思を踏みにじる権利は、誰にも無いのだから。

 決意した俺は、静かに反撃の狼煙を上げる。

 

「まあ、間違いなく雪ノ下さんは除外するとして──」

「ほう、わたしは真っ先に除外されちゃうんだ。悲しいなぁ」

「そりゃそうです。あんな冷めた目をしてたんですから。それと、もう一つ」

 

 一呼吸置いて陽乃さんを見据える。

 

「俺の求める本物をあなたが判断することは、異常です」

「そうかしら。本物だったら、誰が見ても納得するんじゃないのかな」

「それが間違い、なんです」

 

 時が止まった。

 

「──もしかして今、わたしを否定した?」

 

 陽乃さんの(まと)う空気が変わる。何なら店内の空気すべてが変わったとも感じられる。

 

「ええ、否定しました」

「ふぅん、否定するからには、わたしが納得できるだけの理由は……もちろんあるのよね」

 

 敵意丸出しで睨む陽乃さんの毒に耐えながら、俺はにやりと笑う。

 

「そんなもん、ありませよ」

 

 ひくん。陽乃さんの眉間が寄る。

 おおこわっ。

 ますます鋭くなる陽乃さんの視線に、俺は僅かに希望を見出していた。

 

「だったら、軽々しく否定なんてしないでちょうだい」

 

 はい来た、待ってましたよ。

 

「……思いっきりブーメランですよ、それ」

 

 耳慣れない表現なのだろう。陽乃さんは俺を睨みつつも首を傾げる。

 

「雪ノ下さん。あなたは自分の判断基準にそぐわなかったら他人を否定するでしょう。その当人が納得するしないに関わらず」

 

 ブーメラン。投げたら自分に帰ってくる物の喩えだ。

 言い換えれば”因果応報”。

 

「ええ、そうよ。それがわたしだもの」

 

 まったく。この人はいつまで高みの見物を続けるつもりだ。まあそれでもいい。それなら口出しせずに大人しく見物だけしていて欲しい。

 

「だったら、雪ノ下さん自身が納得出来ない否定も甘受すべきだと思います」

 

 陽乃さんの瞳孔が小さく絞られる。

 が、まだ俺の言葉を聞いていてくれるらしい。

 

「自分は嫌なことするけど相手にはされたくないなんて、ガキの論理ですよ」

「……つまんない、そんな一般論」

 

 へえ、この人の口からそんな言葉が出るとはね。それってある意味、敗北のフラグですよ。

 

「そうですか、でも続けます。あなたの価値基準なんて、所詮あなただけの──」

「つまんないって言ってるでしょ!」

 

 ついに陽乃さんは声を荒げて俺を睨みつけた。

 それは、初めて陽乃さんが見せた怒りの感情。

 実際は、少し声量を増しただけ。だがそれは、その強化外骨格に小さなヒビが生じたことを意味している。

 その小さな亀裂から見える陽乃さんの素顔を、俺は引きずり出してやろうと試みる。

 

「初めて見せてくれましたね。感情を」

 

 この表情まで演技だったら、もう俺には太刀打ちできない。

 

「──!」

 

 どうやら杞憂だったようで、俺を見る陽乃さんの顔は驚いているように見えた。

 俺は、出来る限りの笑顔を作って──いや、初めて見られた陽乃さんの感情が嬉しかったのかも知れない。

 

「それでいいと思います」

 

 俺は、自分でも驚くほど自然な笑みを浮かべた。

 そして出来るだけ語気を和らげて言葉を継ぐ。

 

「あなたは、人間を自分の中の正誤善悪だけで判断してるように見えます。でも、人間ってそんな簡単なものじゃないでしょう。人はオン・オフのスイッチじゃない。コンピュータみたいに二進数で動いているわけじゃない。小数点だって、分数だってある。割り切れない答えだってある。だから中途半端に悩み、迷い、時には妥協する。それが人間じゃないんですか」

 

 へっ、ぼっちの俺が他人に対して”人間”を語るなんて、中坊の頃の俺からすれば想像すら出来なかったな。

 

「だから、もうやめにしませんか?」

 

 再び陽乃さんの纏う空気が冷たくなるが、もう以前の様には怖くない。

 

「──何を?」

 

 苦いコーヒーで喉を湿らせ、俺は言い放つ。

 

「雪ノ下を、他人をスクリーン代わりにして、自分を投影することを、です」

 

 言葉の足りていない俺の言い草に対して陽乃さんが押し黙ったのは、陽乃さんが俺の言葉を理解してくれた証拠だ。

 陽乃さんだって最初から完璧超人だった訳ではない。今まで考えて、悩んで、努力して、少しずつ現在の陽乃さんを作り上げてきたのだろう。

 

 もしも、今俺たちが悩むこの道を陽乃さんも経験してきたのならば、それは俺たちの歩みが陽乃さんよりも遅いだけに過ぎない。

 

 人には人のペースがある。

 

 雪ノ下雪乃は姉の背中を全速力で追いかけ、由比ヶ浜結衣は空気を読むという処世術を身につけた上で、ようやく俺たち三人の”解”を頭に描いた。

 俺に至っては、ひとつの季節(なつ)を惜しむまでに十八年もの歳月を費やしているのだ。

 

「もう」

 

 無言を貫いていた陽乃さんが呟く。

 

「もう、もう、もうもう、もう、もう、もう……」

 

 その呟きは確かな声となり、段々と強くなっていく。

 

「──もうっ!」

 

 最後に放った声は店内に響き渡った。

 肩で息をする陽乃さんからは、もう微塵の恐怖も畏怖も感じられない。

 

「牛ですか」

「違うわよっ」

 

 おおっ、さすがにツッコミは早いな。

 しかし素早いツッコミ空しく、項垂れる陽乃さんは両の腕もだらんと下げている。

 

「はあ、比企谷くんを甘く見ていたわ。まさか、わたしの心を抉りにくるとはね」

 

 いやいや、そんな気は──ちょっとしかないです。

 そんな事を正直に言える筈は無いので、やんわりと否定しつつ、本来の印象を伝えよう。

 

「そんな気はないです。ただ──」

 

 決めた筈なのに、心の中の誰かが制止する。

 

「──ただ、何よ」

 

 顔は俯いたまま、陽乃さんは恨めしそうな目線だけを向けてくる。その様子に思わず噴いてしまうと、陽乃さんは目線を横に外す。

 

「すみません。ただ、いつもどこか苦しそうに見えていたので」

 

 自分を演じるということは、素の自分を隠すということ。

 陽乃さんの場合は、友人、知人の前だけでもなく、きっと家族の前でも、その都度違う自分をその顔に貼り付けてきたのだろう。

 ならば素の陽乃さんに話すしかない。届くかどうかは別として。

 

「……それで、苦しがってる所へ追い討ち?」

 

 ああ、これが素の雪ノ下陽乃の考え方か。大して俺と変わらんな。

 

「まあ、間違ってはないですね」

 

 溜息をひとつ。陽乃さんは顔を上に向けて髪を掻き揚げる。

 

「もう、本当に……」

 

 そう呟いて向けられた陽乃さんの微笑はどこかあどけなさを残していて、可憐と云うに相応しい表情だった。

 きっと、この表情を他人に晒すのは悔しいだろうし、ましてや俺なんかに見せるのは屈辱以外の何物でもないだろう。

 

「色々と──すみませんでした」

「それ、何に対しての謝罪?」

「年上の相手に無礼な口を聞いた、その詫びですよ」

 

 本当の理由を言ったら、多分陽乃さんは傷つく。そのとばっちりが雪ノ下へと向いてしまうかもしれない。

 だから嘘を。詭弁を吐いた。

 

「──嘘つき」

 

 はは、やっぱバレてたか。

 陽乃さんは、ぼそっと呟いたかと思えばすぐに二の矢を番えて来る。

 

「比企谷くんはさ、そんなにわたしのこと嫌い?」

 

 なんだこの可愛い年上。

 この人ってこんなにあどけない顔だっけ。このタイミングでその顔って、少々卑怯過ぎやしませんかね。

 

「嫌いではないですよ。ただ、相容れないかな、とは思ってます」

 

 間髪入れず返した俺に向けられる目は、少しだけ潤んで見えた。

 

「どう、して?」

「俺がまだ未熟だから、じゃないですかね」

 

 陽乃さんは身を乗り出し、少しだけ左半身への圧力が大きくなる。

 

「じゃ、じゃあ、もし比企谷くんが今よりも成長したら──」

 

 およそ陽乃さんらしくない問いだ。これも仮面を外した素、なのだろうか。

 もしもの仮定に対する答えなど、何の言質にもならないというのに。

 そんなこと、俺でも理解していることなのに。

 それだけ素でいる事に慣れてないって事か。

 いや待てよ。

 もしも、今の陽乃さんも仮面だとしたら──

 超怖ぇよ、それ。

 上目遣いで目を潤ませる陽乃さんなんて、他の男子が見たら興奮し過ぎて座りしょんべんしちまうぞ。

 

「ねえ……」

「だあっ!」

 

 うわっ、あっぶねっ。危うく惚れそうになったぞ今。

 

「しょ、正直……先のことは解りませんよ。俺がもし成長出来たとしても、その時は雪ノ下さんも今より成長してるでしょうから」

 

 陽乃さんの雰囲気が変わった。

 いや、戻ったというべきか。

 そこにあるのは、さっきまでの顔。仮面を再装着した通常運転の雪ノ下陽乃だった。

 

「そっか、そうだね」

 

 いや、全然惜しいとか思わないよ?

 もうちょっと素の陽乃さんを見ていたかったなんて、全然思ってないんだからね。

 苦いコーヒーを最後まで飲み干して、強化外骨格を装備し直した陽乃さんを見据える。

 

「今から余計なことを言います」

「余計なことだったら、言わないほうが良いんじゃない?」

 

 はは、いつもの陽乃さんだ。

 超怖い笑顔してるもん。もうそれ鬼だもん。

 それでも俺は伝えたい。これを伝えたところから全てが始まるとさえ感じている。

 

「そろそろ、捻くれたシスコンから雪ノ下を解放してやって下さい」

「あら、身内でもない比企谷くんが、わたしに命令?」

 

 さっきまでの可愛らしい素の顔はどこへやら、目の前の陽乃さんは強烈な鬼気を放っている。

 しかし負ける訳にはいかない。ここで負けたら勝機は今後も期待できないだろう。

 逃げ出したいのを我慢して、俺は腐った目で陽乃さんを見つめ続ける。

 

「命令じゃないですよ。同級生の親族に対するお願いです」

 

 鬼気が消えた。

 

「はあ、もう……比企谷くんに勝てなくなっちゃったのかな、わたし」

 

 再びテーブルに突っ伏して無防備な顔を覗かせると、陽乃さんは勢い良く上体を起こした。

 そして溜息ひとつ、ぽしょりと吐いた。

 

「……今すぐには無理かも。わたしにも、姉としての今までのスタンスがあるから、ね」

 

 やっぱりこの人、筋金入りのシスコンだ。

 

「急がなくたっていいですよ。急に解放されたら雪ノ下も戸惑うでしょうし」

 

 呟くように、そうね、と漏らした陽乃さんは、俺から顔を背けている。

 ほんの一時とはいえ、俺みたいな目の腐った捻くれ者の青二才ぼっち野郎に仮面を剥がされたなんて、陽乃さんにとっては屈辱以外の何物でもないだろう。

 伝えたいことを云い終えた安堵を抱きつつ、飲み干したカップの底に解けた氷水を啜っていると、俺から顔を背けたまま、陽乃さんが呟く。

 

「……雪乃ちゃんが羨ましい」

「俺なら、こんな捻くれた男に好意を向けられるのなんて真っ平ですけどね」

 

 あれ。

 今、どでかい墓穴を掘った気が──

 

「やっぱり、雪乃ちゃんのこと好きなんだね」

 

 既に仮面を装着した陽乃さんがにやりと笑う。

 くそっ、詰めが甘過ぎた。

 

「ど、ど、どうでしょうかね」

 

 一度のミスが命取り。あっという間に攻守逆転だ。

 

「でも、ガハマちゃんも好きなのよね~」

「な、な、何を仰って──」

 

 動揺を隠せない俺に、今までの仕返しとばかりに悪い笑顔を向けてくる。

 

「比企谷くんのスイッチは、二股だったのかなぁ~?」

 

 何なんだこの強烈な意趣返し。まさかここまで含めて陽乃さんの計画通り、なんてことないよな。

 ないと云ってくれ、マジで。

 でなければ益々人間不信になっちまう。

 

「こ、答えは出しますって」

「本当に~?」

「本当です。さっき雪ノ下にも約束しましたし……あ」

 

 おうふ。墓穴再び。

 

「ふむふむ、雪乃ちゃんが一歩リードか」

 

 もう何を言ってもダメだ。勝てない。

 そもそも勝とうとしたのが間違いだった。

 

「ま、答えは出しますよ。雪ノ下さんが納得するかは知らないですけど。あ、コーヒーご馳走様です」

 

 そう告げながら、空になったカップを二つ持って席を立つ。

 

「安心していいよー。両方に振られちゃったら、わたしが養ってあげるから」

 

 引き止められはしない変わりに、とっても怖いことを提案された。

 

「勘弁してください。それが一番のバッドエンドなんで」

 

 苦笑を残して立ち去ろうとする俺の背中に、陽乃さんの呟きは届いてしまう。

 

「……あーあ、振られちゃった、か」

 

 

 

 

 

 未だ終わる気配を見せない夏は、これから残暑と呼ばれる季節に突入する。

 東京湾から吹いてくる夜の潮風は生温く、じっとりと湿っている。

 

 街の灯りと雑踏の喧騒を背に自転車を押して歩いていると、剥き出しの腕や首筋に生暖かい湿気が纏わりつく。

 自転車に乗らないのは単なる気分。今は歩く速度が自分に相応しいと感じたからだ。

 

 大きな橋に差し掛かると、湿気は一層不快さを増したように感じる。

 橋の上。からからと音を立てて車輪が回る。上流の鉄橋にはシルバーに赤いラインをあしらった京葉線の勇姿が見えた。

 

 俺の狭小な人生観は、あの京葉線の三駅ほどの範囲で培ったもので、それが正しいとか間違いだとかは、今ここで断ずるには早計だろう。

 だが、俺にはそれしかない。その僅かな経験しか無い。

 

 ならばそれを胸に、現在抱える問題の解決に進むしかない。今のところ、俺の武器はそれしか無いのだから。

 

 俺が通ってきた道。俺たちがこれから進む方向。

 きっと、間違いだらけなのだろう。

 だが、それでも進むのだ。進まなければならない。

 過去に戻れないのなら進むしかない。

 ならば、少しでも良い方向へ。

 例え全てが等しく満足出来なくとも、せめて納得できる方向を探し、目指しつつ。

 

 進もう。

 今は街灯りで見えない、二つ星を目指して。

 夜空を見上げると、宵の明星の横を、流れ星が掠めて消えた。

 

                    了

 




以上、合宿中のはるのん伏線回収話でした。

これにて、
「やはり高三の夏に合宿なんてするのはまちがっている。」改め、
「ENDLESS SUMMER NUDE」の投稿を終了させていただきます。
更新停止期間も含めて約7ヶ月のお付き合い、本当にありがとうございました。

また違う物語でお会いしましょう☆
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