魔法少女デビューはメルヘンに非ず   作:氷の泥

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VSハシモト・デザイア・ノリユキ編(仮)

 前回までのあらすじ……第二の人生は大空からスタート。

 

 落下していることで風の抵抗が尋常じゃないことになっているけど、なんとか気合いで着信に出る。ここでスマホを落とし、なおかつ空を飛ぶ能力を自力で使いこなせなければ、これは死んでしまうなと確信していた。だから絶対にミスはしない。

「あ、もしもし? 今どこ?」

「知りませんよ! 落ちてます、真っ逆さまです! ていうかあなたがそうしたんでしょう!?」

「はっはっはっ、まぁそうなんだけどね」

 何を笑っているんだあのジジイしばいたろうか。

「さて、空を飛ぶ能力の使い方を教えるよ。よく聞いて生き残るんだ」

「生き残るって、ここで死んだ人いるんですか!?」

「安心しなさい、何度でもやり直させてあげるから」

「悪魔の所業!」

 あたしは一度死んだ……らしい。死んだという実感はないけれど、あの神様からあの空間に閉じ込められたということは、おそらくそういうことなのだろう。

 死んだという自覚に欠けるあたしは、自動的に生き返ったという自覚にも欠けている。はたしてこのまま落下死を遂げた場合、次にまたあの闇の中で目を覚ます時、あたしは何を思っているのだろうか。

 わからない。それはわからないけれども。でもなんとなく漠然としたイメージで、刃物をお腹に刺されるより高高度から地面に叩き付けられた方がよほど痛そうだ。死んでなるものか!

「さてそれではズバリ正解を教える。いいかい、空を自由に飛び回る自分の姿を想像しなさい」

「想像っ?」

「そうだ。そうすれば飛べる」

 嘘つけ、とは思わない。神様がなんでも出来るところは見てきた。ならば、あたしにそのような無茶苦茶な力を与えることだって可能なはずだ。あたしは今、想像するだけで飛べるのだ。

 飛べ、鳥のように。スズメやハトやカラスではなく、もっと飛行能力の高そうな……そう、猛禽類のように! そうさ飛ぶんじゃない滑空するんだ!

「……あっ! と、飛べた!」

 腕を広げてみると、なんとあっさり滑空できてしまった。強烈な風の抵抗でバタバタと服がなびくこともなく、すーっと滑るように空を移動できている。滑空というか、やはり得体の知れない力で空中を滑っている感じだ。

「飛べた、飛べましたよ!」

 ひじを曲げてスマホを耳に当てたけれど、空を飛ぶことになんら支障はなかった。鳥のような恰好はあたしが勝手にとっていただけで、飛ぶのに必要なのは本当に想像することだけらしい。

「おめでとう。ちなみに今君が飛んでいる場所は人間界ではなく、神様の作った仮想空間である。そこのところの把握はいいかい」

「あ、そうだったんですか。練習場をご親切にどうも」

「うむ。人間界で空を飛ぶと、思わぬところから人に見られていて大きな騒ぎになるので、今のようなことは絶対にしないように。もし君が魔法少女だと……というか人間を超えた何かであると他人にバレると、神様は君との契約をそこで破棄して君をあの世に連行しなくてはならなくなる。くれぐれも頼むよ」

「肝に銘じておきます」

 契約と言うだけあってなかなかシビアだ。万が一騒ぎを起こしてしまったら神様の力でなんとかしておくれよ、と思ってしまうが、それが出来る暇があればデザイア退治も神様自らがやっているというわけだ。

 それになにより、きっとあたしの他にも魔法少女は大勢いるのだから、わざわざ無能を雇う意味もないということだろう。人として生きても魔法少女として生きても、残念ながらそういうシビアさからは解放してもらえないらしい。

「それじゃあ飛べるようになったわけだし、今度こそ本当に人間界へ送るがいいかな?」

「いいともー!」

「ああ、もうそれも懐かしい物になってしまったね」

 そんなに熱心に見ていたわけではないので、特にあの番組についてコメントすることはないのだけれども。

 とにかく今度こそあたしの元いた世界へと戻るらしい。よし来いと身構えると、青かった空は雲を巻き込むようにしてねじれて歪む。竜巻のようにねじれの中心は鋭く尖っていき、あたしはその先端へと吸い込まれていった。

「うげ……ちょっ……」

 ものすごいGに襲われる。ジェットコースターなんか目じゃないほどのGを受けて、まさかここで死んでしまうのではないかとさえ思った。

 なんとか命を失う前に解放された。……と思った時には、あたしの足はしっかりと地面を捉えていた。アスファルトでできた、なんの面白みもない普通の地面だ。周囲を見渡せばいくつもの住宅が見える。

「おお……。帰ってきたんだ」

 相変わらずここがどこなのかはわからないけれど、少なくともあたしは日本のどこかには帰ってこられたらしい。それほど長い間離れていたわけではないはずなのに、なんだか感慨深い。

……が、余韻に浸る間もなく再びポケットが震えた。

「ああ、はい、もしもし? 無事到着したっぽいです」

「それは何よりだ。まあ、神様がミスをするわけもないんだけど」

「それでここはどこなんです?」

 たしか彼は、あたしを家に帰すことはできないと言っていたはずだ。けれどこうもあっさりまずは人間界に帰ってこられたのなら、あとはなんとかしてお金を稼いで交通手段を利用すれば、それなりの苦労はあっても帰れないとまではいかなさそうだけれど。

「千葉県だよ。ちなみに、某ネズミの国の近くだ。そこからまっすぐ進むとそこそこ大きな道路に出るんだけど、そこからなら例の大きな城が見えるはず」

 なんと、千葉にあるのに東京の名を冠しているあの有名なネズミの国が近くに? それは大変だ、現在地はあたしの家からそう遠くはないぞ。

「あ、本当だ見えました。……あの、あたしの家ここから電車に乗れば一時間かからないんですけど」

「帰っちゃダメだよ。空を飛ぶ話の時にも行ったけど、騒ぎを起こしたら即、あの世へ連行だ。死んだ娘が突然現れて冷静でいられる親がいると思うかい」

 それはまあ、大騒ぎになるだろうけど。でもそれは世間を騒がせるわけではないじゃないか。あたしの親は、娘が蘇りましたこれは奇跡です、とテレビで言いふらしたがる人間ではないのだ。……そういう人間ではない、はずだ。

「騒ぎにならなければいいんですか? ならこの鎌で両親の記憶から、あたしが死んだという部分を断ち切れば良いのでは」

「神様には君のことがそこまで信用できないね。どこかでしくじりそうだ。君が死んだという記憶を断ち切れば、記憶に大きな空白期間ができてしまうだろう。そこを上手く取り繕えるようなタイプには見えない」

「……まあ、言いたいことはわかりますけど」

 どこかでボロを出しそうだ、と言われれば悲しいかな強く否定することができない。大体頼りの鎌自体をどう説明するのかって話だ。神様からもらったなんて言ったら、それは別の方向で大騒ぎになってしまう。精神病を専門とする医師の客が一人増えるだろう。

「でもほら、やってみないとわからないって言うじゃないですか」

「もしダメだった時に地獄に落とされてもいいなら、まあ神様にこれ以上言えることはないけど。その覚悟はある?」

「あの世に連行されると地獄行き確定なんですか」

「君のわがままでそうなった場合に限っては、その通り」

 地獄。神がいたのだ、地獄もあるだろう。針山を登らされたり、釜で煮られたり、血の海で溺れさせられたり。そういう地獄が本当にあるというのなら、申し訳ないけれどあたしは、その仕打ちに耐えてまで両親に会いたいとは言えない。

 両親視点で考えてみても、地獄に落ちることと引き換えに会いに来られても困るだけだろう。確実に上手く取り繕いやりすごせる自信ができるまでは、やめておいた方がいいのかもしれない。

「……やめておきましょうか。地獄は怖いので」

「賢明だ。……それで早速になるのだけれども、今回のターゲットについて説明していいかな」

「ああ、はい」

 ターゲット。神様がデザイアと呼んでいる、人の欲から生まれる化け物。一口に化け物と言われてもいったいどんな物なのか想像もつかない。バルタン星人ではたぶんないだろう。

 空を飛べる、特殊な鎌を持っている。それだけで何か特別感というか、自分ができるヤツになった気分は正直それなりにある。けれどもその勢いで怪人だろうと怪獣だろうと倒してやりますよと言えるかと言われれば、全然そんなことはないのである。

「これから十五分後、君の前を一人の男性が通りかかる。黒髪でメガネをかけた、インドアっぽい青年だ。こちらの調べでは、本日中に彼からデザイアが発生することになっている」

「はあ」

「デザイアは人の欲望から生まれ、もちろんその欲望の影響を大きく受けた存在となっている。それを踏まえて言うけれど、君が彼と接触し情報を収集するのも、ぶっつけ本番で挑むのも自由だ」

「え、情報は神様がスーパーなパワーで調べて教えてくれたりしないんですか」

 電話の向こう側で、馬鹿の相手をするのは大変だぜという雰囲気のため息と、その後あたしを小ばかにしたような短い笑い声が聞こえてきた。顔が見えなくとも、面と向かって話していた時に負けず劣らずの不愉快さを与えてくるとは、奴め相当の手練れだ。

「あのね、まだ生まれてない物の情報なんかわかるわけがないでしょう。まったく予想外の存在が出てくることはないけど……そうだな、例えるならアレだ。君、ソシャゲのガチャとかやったことないかな?」

「いやに庶民的というか、人間的な例えですね……。了解です」

 言いたいことはわかった。ソシャゲのガチャにせよ商店街の福引にせよ、何が出てくる可能性があるかだけ把握できていて、それと同時にいざクジを引いてみるまでは何が出てくるかわからない。デザイアの発生いついて神様が把握できている部分というのは、そういう風なことらしい。

「手早く理解してくれて嬉しいよ。何度か言った気がするけど、神様も暇じゃないからね。いつ回るかわからないガチャのためにスタンバイし続けるわけにはいかないんだ。というわけで、デザイアの情報収集、発見、討伐はすべて君に任せる」

「え、見つけるところからなんですか。ていうかそれはさすがにそっちで把握できてるんじゃあ」

「発生したことはリアルタイムでわかるよ。どこに発生したのかまでは、詳しく調べようとしないとわからないね。いいかいもう一度言うよ、神様は」

「はいはいわかりました」

 うんざりしてきたので遮った。暇じゃない暇じゃないと嫌味な言い方だ、まったく。まるであたしは暇であるかのように聞こえるじゃないか。全然そんなことはないのに。むしろまだ見ぬ脅威に怯えているまであるというのに。

「君は理解が早くていいね、神様そういう子好きだよ」

「セクハラですよ」

「あ、いや失敬。顔が見えなくなるとつい」

 我が愛すべき故郷である日本には、権力を利用して異性に性的な関係を迫ろうとする外道共がそこかしこに存在するらしいけれど、それもこんな神様が作った世界だというのなら納得できる。

「ていうか神様あれですよね。見た目仙人みたいなおじいちゃんなのに喋り方がなんか若々しいというか、雑というか、もしかしてあたしが緊張しないようにしてくれていたりします?」

「いや? 神様言うてまだ人間でいうところの二十代後半くらいだし」

「仙人みたいな見た目で!?」

 そして、二十代後半にもなって女子高生との接し方がそれなのは大いに問題だと思うのだけれど、これはあたしの感覚がおかしいのだろうか。学校の先生はもっとこう、違う感じだったんだけど。

「いや神様は神様だからさ、見た目なんて自由自在に変えられるんだよ。仙人っぽい方が何かオーラ的な物が出るかなと思ってやってみたんだけど、ダメだったかな?」

「オーラ「的な」とか言ってる時点ですごく親しみやすい感じがします」

 ○○的なー? ××な感じっつうかー、ぶっちゃけー。……とか、プライベートだとさらに砕けてそんな喋り方をしていそう。そのノリは大学卒業くらいまでしか許されないのではとあたしは思うのだけれど、それで問題なく仕事をしていたのだから、きっとそのままで構わないのだろう。

「そっかー。じゃあいっそイケメンとかになっておいた方がよかったのかな」

「え、そんなことできるんですか。なんでもっと早く言わないんですか」

「なんでと言われても、突然見た目変わったら驚くでしょ? でもまぁあれだよ、その気になれば五人組のストームになれるし、何ジャニエイトにでもなれるし、無人島も開拓できるけど」

「ワイルドが地球の裏側でマイルドになったり?」

「そうそう」

 神様の中で「イケメン=ジャニーズ」という式が完成していることはわかった。女性アイドルは全員48人のグループだと思っているくらい無茶苦茶な式だと思うけど、別に誰が困るわけでもないしいいか。

「っと、違う違う。そんな話をしたいんじゃないんだよ神様は。忙しいんだから。巧みな話術で脱線させてくるのはやめてもらえるかな」

「え、ごめんなさい」

 すごい理不尽な怒られ方をした。今のあたしは言いようによっては魔法少女という職業に就職したとも言えるわけで、もしかして今これは現在進行形で社会の厳しさと理不尽さを教えられているのだろうか。くそ、社会なんて嫌いだ。

「ターゲットの彼が来る前に、まだ話していなかったルールを手短に伝える。いいね?」

「は、はい」

「今回君が無事にデザイアを殺し仕事を終わらせることができたら、神様が次のデザイアが発生する場所にまで君を飛ばす。その後現地に着いたら、そこからおよそ三日間、君には休暇として自由時間が与えられる」

「え、一日働いて三日も休めるんですか」

 数字だけ聞けばすばらしい、夢のような話に聞こえる。しかし現実は、化け物と戦わなければならない仕事が三日置きにやってくるわけで。これが楽な真っ白労働なのか、それとも地獄の暗黒労働なのか、やってみなければわからない。

 けど、けれども! やっぱり三日も休みと聞けば、ときめいてしまうではないか!

「その代わり金銭としての給料はゼロだけれどね」

「え、そんな、どうやって生きていけと」

「魔法少女は何も食べなくたって死なないし、老廃物が出ないので風呂などの心配もないぞ。要するに最低限人間らしい生き方をするのに金はいらないんだ。それでも道楽としてそういうことがしたいのなら、例えば今回のターゲットの家にお邪魔させてもらって、そこで今日のところは面倒を見てもらえばいい。それに君には便利な鎌もあるじゃないか」

「えぇ……」

 そんなヒッチハイクの大幅レベルアップのような生活したくないです。いや、しなくてもそこそこマトモに生きていけるらしいから、嫌ならやめろよと言われればそこまでなのだけれど。

 でもあたしは今まで、お腹を満たすためだけにご飯を食べていたわけではないし。もちろんインスタ映えのためでもないけれど、でも美味しいものはやっぱり食べたいじゃないか。

「度重なる転勤と休暇についても説明したし、これで大体これからの君の生活については説明し終えたんじゃないかな」

 転勤て。デザイアが現れるとなれば、たぶん北海道から沖縄まであらゆる場所へ神の力で飛ばされることになるのだろうけど、それは転勤と呼べるのだろうか。半分拉致なのでは。

 まぁ、同意の上の拉致はただの旅行だ。特に異論はない。食の楽しみについては後々考えていこう。あ、あとお風呂とかの問題もあるけど、それも後で考えよう。デザイアを見てもいないのに、今後のことを考えても仕方がない。

「ああ、それとあれだ。君、生前の名前を名乗ることは許されないからね」

「えっ、そんないきなり。というか、なにゆえ」

 神隠しに遭って働かされる時みたいなあれだろうか。なんとかかんとかコハクヌシみたいな。

「いや、普通に君ニュースになってるし。名乗ったところから「あれ、なんか顔似てない?」とかの流れになって、最終的にバレちゃうでしょ」

「な、なるほど」

 名前を名乗ってはならないというか、地獄行きにならないための心得として釘を刺されたわけだ。要するに個人情報は過剰なまでに隠せということだね、憶えておこう。

「……それじゃあそろそろターゲットが通りかかる時間だし、神様電話切るからね? 今後はもうしばらく出られないよ。君がデザイアを倒す頃には出られるかもしれないけど、まあとにかく神様に頼れるのもここまでってことだ」

「あ、はい。……あれ、そういえばこのスマホってあたしが持っていたのと違うみたいですけど、いったい」

「プレゼント☆」

 ぶつっ、と通話が切れる。言い逃げだ、おそらく自分で思っていた以上に気持ち悪い声が出たからあわてて切ったのだろう。

 プレゼントと言っても、まさか神様が携帯会社と契約を結んでお金を払いゲットしてきたわけでもあるまいし。得体の知れないアイテムだけど、見た感じも使った感じもただのスマホだしありがたく受け取っておくか。

「さて……」

 一人にされると急に寂しく……はならないけれど、暇になる。あと五分もしないうちに黒髪メガネのインドア派青年が現れるらしいが、あたしはそれまでの短い間、とりあえずスマホをいじってみることにした。これも情報収集のようなものさ。

 まず暇つぶしの筆頭としてツイッターを思いついたが、これはあたしが使っていたアカウントを動かしてしまうと最悪地獄に送られるはめになりそうだ、やめておこう。サブアカという手もあるけれど、SNSなんてどこからどんな情報が漏れてしまうかわからないし、「指名手配犯になったつもりで慎重に」を信条に、ここは我慢しておく。

 さっきまでの電話で神様の番号は入手しているわけだが、他には何かないのだろうかと見てみると、これが綺麗さっぱり何もなかった。電話帳に「神様」一つだけって傍から見たら相当クレイジーな状態だぞこの端末。

 次にlineを確認してみる。連絡先に「神様」があった。というか、それしかなかった。声でも文字でも神様と連絡が取れるわけだ、やったね!

「はぁ……」

 想像してみてほしい。例えばあなたがスマホを壊してしまって、男友達が「俺が買ってやるよ!」と言ってきたら。すでにその時点で相当に嫌な予感はするが、うっかりお言葉に甘えてしまったとしよう。

 いただいたスマホの中には、その男の連絡先だけが登録されているわけである。あたしと神様は言わば上司と部下のような存在なので、男友達を例とするのは不適切なのはわかる。わかるけれども、なんだろう、理解してもらえるだろうかこの感覚。この、先が思いやられる感覚。

「……ん?」

 ため息を吐いて地面へ幸せをバーゲンセール並みにばらまいていたところ、一人の青年が目の前を通りかかった。

 青年というか、あの、なんというかその、アレだ。黒髪は確かに黒髪だけれども「何もしてないのにこうなりました」的な感じでボサボサだし、メガネは「視力が落ちたので仕方なくかけています」といった感じの人だ。あたしは神様に、言葉を濁すという概念があることを知った。

 インドアっぽいというのは要するにオタクという意味で、その青年はまさしく現代オタクの代表といった風貌だった。オタ芸が上手そうなわけでも太っているわけでも服のセンスが狙ったかのようにおかしいわけでも顔面偏差値がFランなわけでも……ないのだが。ないのだけれど、それでも彼はやばいタイプのオタク系だ。

 クラスに一人はいるだろう、見た目は中の下って感じだけれど、いざ話しかけてみると挙動不審すぎてこっちがドン引きしてしまうタイプの男子。そう、それだ。彼は間違いなくそれだ。

 いや、困ったぞ……。情報収集なんて、それこそ神の力が必要になるんじゃあないか……?

「あ、あのー」

 ダメ元で声をかけてみる。が、無視された。いや知っている、彼らのような人種は一言声をかけたくらいでは反応しない。勘違いして返事をすることの恥ずかしさや恐ろしさと、自分が声をかけられる頻度の少なさを知っているんだ。ああ、哀れなり。

「あの、すみません!」

 パーソナルスペースと思わしき距離に侵入してみるとさすがにあたしの方を見た。

「え、僕ですか」

「はい、あなたです。ちょっとお伺いしたいことがあるのですが」

 青年は二度三度と周囲を見渡し、何が起こっているのかわからない……という心情を見事に表情で表現した。ほら、これだよ。あたし嫌なんだよこういう挙動不審な人。

「……ええと、なんですか?」

「はい。あのですね」

 ……ん? いやちょっと待て、これ、なんて言えばいいんだ?

 デザイアを退治しに来た魔法少女です、情報収集にご協力を! あなたの欲望聞かせてくださいな! ……とか言ったら終わりだ、いろいろおしまいだ。あたしは羞恥心のあまりきっと永遠に笑顔を忘れる。

 しかし他の言い方も思いつかない。デザイアに関連した話をしようとすれば頭のおかしいやつになってしまうことは確実であり、その上あたし自身まだそのデザイアの実物を見たことがない。これでは頭のおかしいやつに見られない方が異常だ。そういう化け物がいるらしいんですけどーって、警察呼ばれるわそんなの。

「……ええと」

「道ですか」

「いや、迷子ではないんです。けど、その……」

 迷子ではないけど、迷子以上に困っている。お母さーんと泣き出してしまいたいくらいには困っている。どうしよう、どうすればいいのだろうこの状況。考えなしに行き当たりばったりで声をかけてしまったのはまずかった。

 何かの時に神様に言われた、馬鹿」という言葉が頭の中に浮かぶ。違う、あたしは馬鹿じゃない、ちょっと高すぎる行動力に技量がついていっていないだけだ。馬鹿じゃない。

「あ、そうだ! あたし無一文で困っているんです。お腹もぺこぺこで、もう三日も何も食べていないというか」

「いや、「あ、そうだ!」ってなんですか。なんで今思いついたようなことを」

「あ、あれです、空腹で意識朦朧、記憶不透明って感じなんです。だから助けてください」

 あまりのナイスアイデアな閃きに余計な声も出てしまったが、ここさえ誤魔化せれば声をかけた理由としては完璧だ。そうだ、無一文なのは間違っていない。今も、これからも。

「……警察に助けを求めてみるとか」

「え、警察ってご飯奢ってくれるんですか」

「いやわかりませんけど。というか中学の時に見たビデオで、かつ丼とか本当は出ないって言ってましたけど。でもほら、困ったらとりあえず警察だと思いません?」

 思わない。なぜなら、選択肢として警察が思い浮かぶほど困ったことがないからだ。ぬるま湯な人生を送ってきたのですよあたしは。でもそれが普通だと思う。

「警察に冷たくあしらわれたらどうするんですか、あたしもう餓死してしまいます。それにですよ、今こうしてあなたに声をかけたのだって、相当勇気を振り絞っているんですよ? 普段なら知らない人に声をかけるなんてとてもじゃないけれど……」

 嘘である。道がわからなければ知らない人にも普通に聞く。小学生の頃授業の一環で街角インタビューをしたこともある。そういうのは全然得意だ。

 けれどもここはあたしに「かわいそう、苦労している」というイメージを持たせ、なおかつ彼に「僕に声をかけてきた→僕だけ特別!?」といった感じの勘違いをさせなければ。そうでもしないと、もうどうしようもない他に方法が思いつかない。

「……でも、その恰好だとお店入るのも一苦労なのでは?」

 言われて自分の体を見てみる。そういえば黒いローブを着ていた。そんなもの、普通ハロウィンの日にしか着ない。それに背中には大きな鎌を背負っている。そうだ、鎌だ、まずいじゃないか。これこそ騒ぎを起こす物、銃刀法違反じゃないか。

 目の前の男が、あたしに声をかけられて挙動不審になっていた時の光景を思い出す。客観的に思い出す。そうだ、彼が挙動不審だったのは知らない人から声をかけられたせいでも、普段ほぼ話さないであろう異性から声をかけられたせいでもなかったのだ。単純に、不審者に目をつけられたからだったんだ。

「あ、いや、これはその……」

 上手い説明、もとい言い訳が思いつかない。そして大きさのせいでこの鎌は隠すことも叶わない。馬鹿なあたし、後先考えずに目立つデザインにしちゃって。そういえば髪もピンクだぞ。これはなかなか、すでに現時点で怪しい人じゃないか。怪しいというか、やばい人だ。

 でもだって、魔法少女と聞いたら、何かそういうのを想像するでしょう? まさかこんな地味かつ回避困難なピンチに襲われるなんて思わない。

「鎌は作り物なんです……! リアルでしょう……?」

「そうでしょうね。本物だったら銃刀法で捕まります」

 墓穴を掘ってしまった気がする。

「あ、そ、そうですよね。それとあと、あの、このローブはあれですよ。なんというか、趣味? 個性?」

「……まぁ、僕はそれでいいんですけどね。ただ入店拒否の判決を下すのは僕じゃないですし」

「で、ですよね……」

 確かにそうだ。あたしだって何のイベントがあるわけでもない日に、ファストフード店やらファミレスやらに入ってこんな格好した人を見かけたら驚く。もうちょっと両親の教育が悪ければ写真を撮ってツイッターに上げていそうなくらいだ。

 というか店以前に、今のあたしは歩く不審者。……いや不審者だってそりゃあ歩くけれども、とにかくまずい状態だ。なんとかしなければ。

「あの、でも本当にお願いします助けてください。何か食べさせてもらえれば、必ずお礼はしますから」

「そういう問題じゃないんですけどね……。まぁ、いいか」

 青年が諦めたかのような顔をする。何を諦めたのかといえば、たぶん危ないやつから逃亡することを。

「後々ニュースであなたの顔見ても後味悪いですし、何か奢りますよ」

「本当!?」

 なんだこいついいやつじゃんオタクくん! いや見た目で苦手だわーとか判断して悪かったよ本当に、ごめんなさい愛してる、嘘そこまでじゃない。

「誰かと一緒に歩いていれば服装というかその他諸々がアレでも通報しようと思いきる人はいないでしょうし、とりあえず僕についてきてください」

「な、なるほど!」

 賢いぞこいつ、賢い人は好き大好き、いややっぱそれほどでもない。

 と、冗談はさておき。真面目にこの人、思っていたより全然会話できるしめっちゃ友好的だし、何者なんだろうか。もしかしてこれって神様が作り出したチュートリアルモード?

 ともかく今は彼について行くしかないので、大和撫子らしく三歩引いて歩くことにする。いや、大和撫子を目指しているわけでも憧れているわけでもないけどさ。

「あ、あの」

「はい?」

「どこへ連れて行ってもらえるんでしょうか……?」

 背中越しに返事が返ってきていたが、質問した瞬間に彼は黙ってしまった。無視しているわけではなさそうだけれど。

「……僕の家、って言ったら」

「えっ」

「ごめんなさい冗談です」

「いや願ったり叶ったりですけど」

 思わず本音が出てしまった。だって彼の家、つまり公共から隔離されたプライベート空間に入り込むことさえできれば、あとはこの鎌を使ってどうとでもできるのだから。

 大衆の目を相手にすることはできなくても、彼一人程度なら神から授かった力を持つあたしの敵ではない!

 全面的に信用させて、欲望を赤裸々に語ってもらおう。そして来たる戦いに備えるのだ。

「……なんで僕の家に行くと願ったり叶ったりなんですか?」

「あっ。あ、えーと、ほら、やっぱりお店は入りづらいですし……?」

「なら普通の服を着ればいいのでは」

 うるせぇ、お前のメガネよりあたしの鎌の方がおしゃれだからなこんちくしょう。

 とは立場上言えないので、ここは大和撫子らしくおしとやかに、それもそうですわねオホホホホと笑って誤魔化しておこう。それもう大和撫子ではない何かになっている気がするけれど、そんなことはどうでもいいのだ。

「いやー、あたしもまさかこの格好をしている時に無一文になるとは思わなくて」

「何があったんですか」

「……ええと」

 何があったんでしょうね? 確かに今のセリフは三日ほどこの格好で野宿していたイメージを与えるので失言だった。口は災いの元とはよく言ったものだ。

 しかし、ここであたしは気が付いた。彼はこれまで会話をするのに一度も振り向いていない。なら、声をかけなければなおのこと振り返らないだろう。考えなしに吐き出してしまった言葉を取り繕うよりも、あたしには簡単で手っ取り早い手段が用意されているではないか。

「…………」

 背負った鎌を右手で握る。その後しっかりと両手で構え、彼に刃を振り下ろす。彼の記憶から、今の会話は断ち切られよ!

「あれ、今なに話してたんでしたっけ」

「え、さあ? 特になにも話していなかったような」

「……そうでした。すみません」

 刃は彼の体を通過し、見事正しく効力を発揮した。すごい、この鎌本当にすごい! あたし、今夜だけと言わずにこれからはずっと魔法少女なんだ!

「あ、着きましたよ」

 青年が住宅街の中の家を一つ指さした。あれが彼の家、すばらしきプライベート空間!

「お、お邪魔させてもらっても……?」

「そういう話で来たでしょう。というかお邪魔どころか三日分の栄養補給するのでしょう?」

「いや、そんなに食べるつもりはないですけど」

 思えばしばらくの間神様が用意してくれた飲み物しか口に含んでいなかったけれど、魔法少女パワーなのかお腹は減っていない。しかしまぁ適当言ってしまったし、満腹で仕方がないというわけでもないのでありがたく何かいただいてしまおう。

 と言っても彼が実は料理上手とか、そんな風には見えないし、本当に腹ごしらえをするって感じだろうけどね。

「おかえりー。売ってた?」

「いやダメだった」

「そっかぁ……」

 彼が玄関ドアを開けると、信じられない光景が視界に飛び込んできた。家の中から若い女性が、それも相当の美人が、彼女面して出てきたのだ。まさか、彼のオタクな執念が画面から女性の召喚を成し遂げ……いやいやいやあり得ない。

 でも、普通にかわいい彼女がいるというのもそれはそれで信じがたい。というか、家の中から普通に出てくるってよく考えたらおかしくないか、彼女が彼氏の家で留守番なんてするかな? 彼は買い物の帰りだったようだが、普通なら彼女と一緒に行かないか? デートみたいなものだぞ。

 ……もしや、まさかとは思うが、その綺麗な女性は彼女どころか妻だったり……? 彼は見た目の第一印象としては大学生か社会人なりたてくらいに思えたが、もしかしてあたしが思っているより歳いってる……?

「あれ、その人は?」

 女性があたしの存在に気付く。警戒しているようだったが、そりゃあこんな恰好をした知らない人が買い物帰りの彼氏に付属してきたらそうなる。

「行き倒れの死神」

「なにそれ」

 笑えない冗談だ、と彼女が表情で言っていた。別に怒っているわけではなく、純粋にあたしを警戒している。

「無一文で餓死しそうなんだと」

「警察に頼った方がいいんじゃあ……」

「俺もそう言ったんだけど、それで突き放して後々ニュースで顔見ても嫌だろ?」

「それは、まあ、わからないこともないけど……」

 そう言って眉をひそめる彼女は、あたしがニュースに出るとしたら「奇妙な恰好をした女性が餓死」ではなく「不審な出で立ちの女性が強盗」あたりを想像しているのだろう。そういう顔をしている。

「というわけで何か食べさせてあげてくれない?」

「……いいけど」

 よし来い! と彼女もしくは妻持ちのオタク系リア充な青年は、あたしにジェスチャーで示しながら家の中に上がっていった。あたしは、しばし唖然としていた。

 なんとか気を取りなおしてお邪魔すると、彼女さんがあたしを手招きしてきた。おとなしく吸い寄せられることにする。

「それじゃあ俺、部屋でゲームしてるから」

「はいはい」

 あたしの目的、というか目的を達成するための情報源である青年は、階段を上り二階へと消えた。……いや、あたしが言うのもなんだけど、こんな不審者と彼女を二人きりにさせるとか正気か!?

「あなた、名前は?」

 リビングに招かれると、彼女がそんなことを訊いてきた。玄関であれだけ醸し出していた警戒心オーラは、なぜかほとんど消え失せている。

「名前は……」

 君の名は、と訊かれても困る。神様に言われた通り、ここで答えるわけにはいかないのだ。だけどここで記憶喪失にでもなったフリをすればあたしのことだ、またどこかで墓穴を掘るだろう。

 であるならば、もう強行突破しかない。刃の先をかすらせでもすれば、全て解決するんだ。背中の鎌に手を回す。

「なにするつもり」

「ひっ」

 鎌に触れた手が彼女に掴まれていた。お互いパーソナルスペースからはほど遠い場所に立っていたはずなのに、いつの間にか彼女が急接近してあたしの手を押さえていたのだ。まったく動きが見えなかった。

 なんとなく、あの青年が不用心にもあたしから目を離した理由がわかった気がした。あたしが今しがた身をもって知ったことを、彼は知っていたのだ。

 この女性、綺麗な顔をしてそこらの男よりもよほど武力的に強い。殴り合いをすれば勝てないどころかたぶん殺される。あたしの本能がそう訴えている。彼女の握力が尋常じゃない。

「い、いや、ちょっと気になっただけで。ごめんなさいそうですよね、警戒しますよねごめんなさい悪気があったわけじゃないんです」

「ふぅん……?」

「ほ、ほんとです。この鎌偽物だし、というか本物なわけないし。危害を加えようなんてしてないです本当です信じてくださいごめんなさい」

 正直、終わったなと思った。もう地獄行きだ。せめて神様への命乞いくらい考えておこう。

 あたしが短かった魔法少女人生の終わりに涙を流しかけたところ、あたしの腕を掴んでいた力が少し緩んだ。

「ちょっとその鎌見せて?」

「え、あ、はい」

 思わず反射的に渡してしまった。鎌から手を放してから、これ没収されてしまったら八方ふさがりだと気付いた。が、時すでに遅し。

「へぇー、本当ね。刃が偽物」

「で、でしょ? そうでしょう?」

「しかも異様に軽い」

「そ、そうなんです。素材とかは企業秘密ですよ」

「確かにこんなのじゃ武器には……いやーしかし、ほほーん」

 厳重な持ち物検査でも受けているような気分だったが、なんだか彼女が危険物を見る目ではなく、何か別の興味で鎌を見つめている気がしてきた。

 あたしが不思議そうにしていることを察したのか、彼女の方から語ってくれる。

「あぁ、わたし趣味でコスプレとかしててさ。扮するキャラクターによっては武器とか持つことあるから、なんか見入っちゃって。この鎌すごいよくできてるなーって」

「あ、ありがとうございます……?」

 なんと、コスプレイヤーの方だったとは。美人、強い、レイヤーの三拍子。レイヤーが良い点なのか悪い点なのかは個人の価値観によるところだけど、ともかくこんな高スペックな女性がなぜあの青年と付き合っているのか、いやはやまったくわからない。

「ごめんね、はい」

 鎌は無事返ってきた。おかえりあたしの相棒ちゃん、もう君無しではあたし生きていけないよ。これからは寝る時だって一緒よ。

「あーそれで、おなか減ってるんだったよね。何が食べたい?」

「え、あ、なんでも大丈夫です」

「そんなこと言うと昨日の残りのカレーになるわよ」

「カレー食べたいです!」

 おいしく食べられればある程度なんでもいいとは思っていたけれど、カレーと聞くとなんだか気分がカレーに寄って来た。もしかしてずっと前からあたしはカレーを求めていたんじゃないか、と思えるほどに。

「いや、ごめんごめん冗談、そんな物はないわ。カレーがいいなら作るけど」

「あ、いえ、なんでも大丈夫です」

 嫌だいやだカレーが食べたい! あたしはカレーの気分なんだい! とはさすがに言えない。将棋で29連勝した中学生だって五目炒飯からワンタンメンへ文句も言わずに切り替えていたらしいじゃないか、高校生としてあたしもここは大人にならなければ。

「じゃあわたしがパスタ食べたいからパスタにするけど、それでいい?」

「もちろんです!」

 パスタと言われればパスタが食べたくなってきた。なーんだ、あたしの舌は大人だなぁ臨機応変の権化のようだ。

「すぐ作るから座って待っていて」

 四つの椅子が配置された足の長いテーブルへ目線を流しつつ言われたので、そこに座っておとなしく待つことにする。背もたれとぶつかって鎌が邪魔になってしまうので下ろして近くの壁にたてかけておいたのだが、鎌に触れた時また確実に彼女が殺気を伴う視線をこちらに向けていた気がする。

「…………」

 パスタを作ってもらっている間、ただボケっとしているあたしではない。この後どうするべきか、どうやってこの状況を、彼女の目を突破するべきかを考える。

 彼女がか弱い一般女性であったなら、みすみす二階へ上がり孤立した青年は恰好の獲物になっていた。彼女に不意打ちの鎌をくらわせ、あたしが青年と話しに部屋へ行くことに対する、あたしに不都合な思考や感情をすべて断ち切ることができたはずなのだ。

 そうすれば、おそらく自分の部屋で宣言通りゲームに没頭しているはずの青年を、部屋という密室内で鎌の標的にすることができた。鎌さえ当てられれば、あたしが魔法少女であるということだって、説明すればすんなり理解してもらうことができる。

 ……が、完璧と思われたその作戦は現在この有り様だ。彼女へ鎌を当てられる気がしない、間違いなく返り討ちに遭う。ということはプランを変更し、ここはなんとか話術のみで青年のいる部屋へ自然に、あくまで自然に向かうようにしなければいけない。

 神から授かった力におんぶに抱っこなあたしが、そんな芸当をこなせるのだろうか。正直現状で鎌を使うことと同じくらい困難なことに思えるけれど、それでもやるしかない。万が一上手くいかなくても、すぐに不審者として通報されるわけではない分会話での解決を試みる方が良いはず、それが最善解であるはずだ。そう信じるしかない。

「あ、何か苦手な食べ物とかある? 辛いものが苦手とか、そういうのも含めて」

「大丈夫です。むしろ辛いの好きです」

 彼女が作ろうとしているのはペペロンチーノだ、手にしていたパスタソースのパッケージを見てわかった。あたしが強力な視力を持っているわけではなく、文字が見えたわけではない。あたしの母がパスタを作る時は大抵ペペロンチーノだったので、絵として見覚えのある物だったのだ。

 我が家でパスタが出てくる時は必ず二種類が同時に出てくる。そのうちの一種類がほぼペペロンチーノに確定していたわけだけど、それは母の味覚的な趣味だったわけではない。何を隠そうあたしの希望だったのだ。そう、つまりあたしは十八年間パスタといえばペペロンチーノという生活を続けた、ペペロンチーノマイスターなのだ!

 ペペロンペペロン言い過ぎてゲシュタルト崩壊を起こしそうだけれど、とにかくそういうことなのである。マイスターを唸らせる一品ははたして登場するのだろうか……とか考えているあたしは一体何様なのでしょうか? 誰にもわからない。

 よくよく思えばマイスターが日本語でどういう意味になるのかも知らないや、と考え始めたあたりで、ついに今日の昼食が完成したらしい。

「はいどうぞ」

「い、いただいてもいいですか……!?」

「そりゃそうでしょ」

 何気に人様の家でごちそうになるのは初めてのことである。高校生の金銭感覚で、友達と適当な店へ食べに行ったことは数えきれないほどあったけど、友達の家でご飯を食べたことは一度もない。けれどもまさか、友達でさえない人の家で昼食をいただくことが初めてになるとは思わなかった。

 そして、このドキドキ初体験によって早くもあたしは、他人の家でご飯を食べることの恐ろしさを知ったのである。

「じゃあ、いただきます」

「はいはい」

 手元にある道具はフォークだけ。スプーンがないと上手に食べられないよぅ、本場イタリアではスプーンを使うのは子どもだけみたいな話をバラエティ番組で聞いたことがある気がするけど、それでもあたしはスプーンがほしいんだよぅ。……と、いう話ではない。

 お恥ずかしい話、そう、あたしはそれがお恥ずかしい話だということに今初めて気が付いたのだが、とにかくだ。あたしは、パスタをフォークで食べたことがない。だって家では箸で食べることが普通だったし、ファミレスには傍に箸が置いてあるんだもの。

 明らかに不審者であり、この家に住む男女二人の良心によってのみこの場での存在を許されているあたしが、いったいどうすれば「お箸あります?」と言えたことだろう。これは試練だ。

「……あれ?」

 アニメや漫画で見た記憶を頼りにフォークでくるくる巻いてみるけれど、巻けば巻くほどパスタは無限に付いてきて、これを一口で食べられるのは星の戦士くらいのものだぞという大きさになっていく。フォークを周回しながら大きくなっていくパスタの束が、塊魂という懐かしいゲームを思い出させる。

「お箸つかう?」

「えっ、あ、ごめんなさいお願いします」

 ものの数秒で箸が現れた。ペペロンチーノマイスターはもうしばらく麺類とフォークの組み合わせを見たくないです。

 気を取り直して今度こそいただく。フォークなんて初めからなかった。

「んっ!? なにこれうまっ!」

「そう、よかった」

「あ、いや、えーと。……はい」

 マイスターに品性の欠片もないことが証明されてしまった。フォークも使えないし、もうあれだ、今だけは脳内辞書から「恥」の項目を消そう。あたしの心の健康を防衛するにはそれしかない。

 それはともかく本当においしい。調理風景をじっくり眺めていたわけではないしそんな余裕もなかったけれど、あたしの母が使っていた材料とそんなに違いはなかったはずだ。そのはずなのに、なぜかワンランクくらい上のおいしさがある。ミステリーである。

 美人、強い、その上料理も上手い、あとレイヤー……の以上四点セットを備えたこの女性、末恐ろしい。そしてその女性をわが物としたあの根暗パンピー極まる青年、彼はもっと恐ろしい。世の中何があるかわからない。

「ふぅ……」

 うまいうまいと食べていたらあっという間に皿が空になっていた。神様が言っていた通りあたしが母に会うことは困難なのだろうけど、しかしこのおいしさの謎はぜひお母様に解き明かしてほしく思います。いつか会えたら今日の日のことを話そう。

「本当におなか減っていたのね」

 彼女が笑った。それほど切羽詰まった空腹状態ではなかったはずなのに、そんなことを言われてしまうと恥ずかし……いや違う、恥の概念は今あたしの中にない! そう、誰がなんと言おうとないのだ! ないったらないの!

「ごめんなさい、ごちそうさまでした」

「そういう時はありがとうって言うの」

 諭すようにそう言うと、彼女は食器類を下げてすぐにそれを洗い始めた。そのままお客様として座っている勇気があたしにはなかったので、それくらい自分でやりますと立ちかける。

「ところで明日からどうするの」

 彼女が背中越しに投げかけてきた問に、あたしは思わずその場で固まってしまう。

「行き倒れって言われていたけれど、帰る場所はあるの? それともお腹が減ったらまたウチに来るつもりなのかしら」

 最後のセリフが冗談であることを示すように彼女は笑う。話術でこの場を突破するしかないとは思ったが、こんなに早くターニングポイントが来るとは。チャンスもピンチも今ここにある、なんとなく本能でそれは理解できた。

「帰る場所は、ないです。……でもこれ以上迷惑をかけるつもりは」

「確かにウチで面倒見てあげることはできないから、そんな立場で言うのもおかしいとは思うけど、でもさ……後々結局本当に行き倒れて死んでしまいました、じゃあそれも立派な迷惑よ。後味悪いじゃない」

「それは、まぁ……」

 あたしをただのかわいそうな人間だと思って接してくれる彼女の言葉は良心にひびく。異能の鎌で何もかもを出し抜いて目的を達成しようとしている、あたしの本性を知らない彼女の言葉を聞くと、責められているようでとても心にひびく。

 大したやり取りをしたわけでもないのに、すでに話術というか、会話でさえも彼女を出し抜ける気がしなくなってきた。

 そしてそれと同時に淡い希望が見えてくる。もしかして真実をそのまま話してしまった方が、彼女は信じてくれるのではないかという気さえしてくる。

 でもそれは罠だ、困難から逃げだしたいだけの心が適当言っているだけだ。あたしは自分の良心が軋むからといって、それを理由に地獄へ行きたくはないぞ。

 ……と、ここで一つ、あることを思いつく。くだらない思い付きだけど、試さなければ確実に事態は好転しない。やってみよう。

「でも、確かに帰る場所はないですけど、お金を稼ぐ方法ならちょっとだけ知ってるんですよ」

 壁に立てかけていた鎌を手に取り、洗い物の手を止め振り返った彼女に刃の部分を向ける。

「パフォーマンスです。試しに刃の部分を握ってみてください」

 彼女は手に付いた洗剤の泡を洗い流し、タオルで水を丁寧に拭き取ってから指示通りに刃を握った。真剣白刃取りのように刃の側面を手のひらで抑えるのではなく、先端の細くなった部分を確実に握った。

 それを確認した瞬間にあたしは鎌を引く。突き刺さった物を引き抜くかのように思い切り引いた。刃は、彼女の手をすり抜ける。

「……で?」

「で、あたし実は魔法少女をやっているんですけど、この鎌は特殊な能力を持った特製の武器なんですよ」

 彼女は間の抜けた顔で口を開けたまま、へぇーとリアクションしたきりだった。それは、そんな職業の人初めて見た、という反応でしかない。だって鎌の能力は発動したのだから。

 この鎌はあたしが「何か」を「断ち切る」よう意識していない時は、実際に触れて確かめた彼女が言っていた通り、形だけの刃を持った、物を切れない玩具の刃物でしかない。彼女はそれを確かに知っていたから、なんの躊躇もなく刃を握った。握りしめた。

 能力を発動した鎌の刃は全ての物をすり抜ける。彼女の手だって当然すり抜ける。そしてそうすればこれも当然、通過した物から任意の物もしくは概念を断ち切ることができる。あたしは第一ミッションを成し遂げたのだ。

 しかし、なんとも姑息。素直にバンザイして喜べない程度には姑息だった。相変わらず良心は痛む。あたしを警戒しても鎌は警戒していなかったようだな馬鹿め、と言って高笑いできるような神経が今だけ欲しい。

「それでわけあって、今二階でゲームに没頭中の彼と二人きりで話したいことがあるんですけど」

「はぁ、魔法少女ってそういうものなの?」

「そういうものなんです」

「ならどうぞ、ごゆっくり」

 彼女は手を振って、リビングから去るあたしを見送ってくれた。あたしも、行ってきまーすとか適当な返事をして手を振り出ていく。

 鎌を握りしめて階段を上りつつ、これはとんでもない物を手にしてしまったとあたしは実感していた。

 彼女からは、あたしに不都合な思考すべてを断ち切った。その結果があれだ。この鎌は恐ろしい物だ、人格にさえ干渉できる。まさしく神の道具と呼ぶにふさわしい。その神と直接話し、勝手なことをすると地獄に送ると釘を刺されていなければ、神を信じる前のあたしが偶然この鎌を手にしていたら……清廉潔白な人生を送っていた自信はない。

 とにかく、今はこの鎌を正しく、魔法少女として正しく使っていくしかない。地獄には落ちたくないからね。デザイアとやらを倒すためにだけ使うのだ。そのための情報収集に使うのも、もちろん魔法少女として正しい。あたしは正しいことをしている。

「…………」

 最後に手を振ってくれた彼女は、それより数秒前の彼女と同一人物だったのだろうか。鎌を使わずに真実を話していた場合、彼女があたしに向けた態度は別のものだったのだろうか。

 断ち切ってしまったものを元に戻す手段をあたしは知らない。正しいことをしたはずなのに罪悪感に襲われる。それと最後にあたしを見送った彼女を思い出すと、気味が悪くて。正しいことをしたはずなのに、困難を乗り越えたはずなのに、なぜあたしはこうも気分を悪くしているのだろう。

 あたしの気分には構わず、中からゲームの音が聞こえてくる部屋を見つけたのでノックする。

「すみません、ちょっとお話ししたいことが」

 少し待つとドアが開いた。

「なんですか」

 無防備にドアを開いた彼へと刃を振り下ろすのに、もはや躊躇はしなかった。一度やってしまえば二度も三度も変わらない。それにあたしは、もうこの件に関して引き下がることができない。

 そういえばあたしを刺した通り魔は、すぐ近くでまた誰かを刺したようだったけれど。きっとあいつも二度目には人を刺すことに慣れていたのだろう。

「あたし魔法少女をやっているんですけど、あなたから聞きたいことがあるんです」

「僕に? ……まぁとりあえず中に入ってください」

「どうもです」

 あっさり部屋に上げてもらう。まぁ、家に上げてもらえた時点であっさりも何もないとは思うけれど。入って真正面に置いてあったテレビの画面を見ると、彼がどうやらガンダムのゲームで遊んでいたことがわかった。ちなみにあたしはガンダムの話題になると、ガンダム以外にはザクくらいしか知らない。

 彼が無造作にそのまま床へ座ったので、あたしも適当な場所に座ることにする。座布団なんて家では使ったことがなかったので、むしろこっちの方が落ち着けていい。

「それで、聞きたいことって?」

「デザイアという人の欲望から生まれる化け物がいるんですけど、あなた……ええとお名前は」

「橋本紀之です」

「橋本さんの欲望から、そのデザイアが生まれるという情報を受け取っていましてね。あたしは魔法少女としてそれを倒さなくてはならないのです」

 ここまで説明していて、なんて無茶苦茶な状況だろうと我ながらに思う。常識的かつ客観的に見てまともなことを一言も喋っていないとは、あまりにもひどい有り様だ。

 けれども彼はこれに一切の違和感を抱かない。あたしに対して抱くそんな感覚は、ついさっき全て断ち切ったから。

「なんかすごい壮大な話ですね。化け物と戦うって、大丈夫なんですか」

「大丈夫と断言はできません。なので橋本さんから少しでも情報が欲しいんです。橋本さんの欲望から生まれるものへの対策を練るのには、その欲望が何なのかを知ることが一番なんです」

 心の中で語尾に「いや、知らないけど」をつけ足しておく。情報収集の手段としてそれが最善かどうかなんて実戦経験が皆無のあたしにはさっぱりだ。でも神様がそう言っていたし、間違ったこと見当違いなことをしているわけではないと思う。というかそうでなければ困る。

「なるほど。……しかし問題がありますよ」

「な、なんですか」

 橋本青年はじーっとあたしの顔を見つめてくる。女子に話しかけられるとキョドって視線がシンクロナイズドスイミングしそうな顔をしておきながら、なかなかに動じない人だな、困ったぞこっちが目をそらしたくなってきた。

 何も野生動物の威嚇のし合いや縄張り争いをしているわけではないので、そらしたければそらせばいいのだけれど。なんとなく意地であたしも彼のことを見つめ続ける。するとやがて彼の方から目をそらした、よし勝ったぞ。デザイアの主に勝ったんだ幸先が良い。

「あのですね、僕の欲望から生まれるってことでしたけど」

「はい」

「僕、これといって自分の欲望に心当たりがないです」

 ……しばし沈黙。

「……いや、いやいやいやご冗談を。何かあるでしょう、金が欲しいとかモテたいとか有名になりたいとか」

「いや全然。僕から欲望の化け物が生まれるなんて信じられないくらいで」

 こっちが信じられない。彼からデザイアが生まれるということで魔法少女は派遣されてきたというのに、本人に欲望の自覚がないとはどういうことなんだ。本当にデザイアは生まれるのか、というかそもそもデザイアなんて本当に実在するのか? 一気にすべてが不安になってきた。

「いや何かあるでしょう人間なんだから。ほら今画面に映ってるゲーム、あれで世界の誰よりも強くなりたいとか」

「いや別に」

「なんでだよ!」

 もうこの際なんでもいいじゃんかよ。もしかしてあれか、あたしが女だから、ちょっとエグイ方向の欲望を実は持っているんだけど口には出せないとか、そういうあれなのか! もういいよこの際なんでも言っちゃいなさいよ、こちとらちょくちょく異性への趣味を暴露してくる神様と知り合いなんだから大丈夫だよ。

「なんでと言われても……」

「どんな欲望でも大丈夫ですから、あたしプロなのでそういうの全然聞けますから。だからほら、ね? 言っちゃお?」

「強いて言えば」

 絶対に聞き逃すまいと耳を澄ませる。万が一聞き逃してしまったら二度と言ってくれない気がする。難聴系主人公にはなりたくない。

「強いて言えば?」

「無いものは無いんだとあなたにわかってもらいたい欲、ですかね」

「よし、わかった。……この話はここでやめよう!」

 ここまで結構苦労してきた自負があるのだけれど、その結果結局何も得られませんでしたとはあんまりだ、あまりに世知辛い。社会の厳しさを知らない女子高生は絶望の底に落ちて二度と這い上がれそうもない。

 しかしこのまま引き下がるわけにもいかない。そこであたしはデザイアの情報収集の他に、もう一つ彼に求めるものがあったことを思い出した。こうなったらそれだけでも達成してやる。

「じゃあ、欲望とは別の話で、これもまたあたしからのお願いなんですけど」

「はあ」

「魔法少女というのは基本的に名前が決まっていない状態で生まれるものでしてね。ぜひ橋本さんから、あたしに名前を付けてほしいんです」

 そうだ、そして名前を考えるにあたっての会話の中で、あわよくば偶然にも欲望の心当たりを思い出すとか。そういうことがあるといいな。あるよね、きっとあるよね。もうそう信じるしかない。妄信妄信。

「なぜ僕が。他にネーミングセンスある人なんていくらでもいるんじゃないですか」

「いや、なんか橋本さんセンス良さそうに見えたから。……ダメですか?」

 魔法少女デビューしてからの人生で、たぶん今のセリフが最も適当に口から滑り出てきた言葉だったと思う。なぜ僕がと言われても、名乗れる名前のないままで今後続けるのが不便だから手っ取り早くというのが一番の理由なんだけど。

 でも彼は見た目に反して優秀というか高性能なところがあるので、センスがありそうというのもあながち嘘ではない。あってくれよ、という望みを託しやすいという言い方をすればなお正確。

 それにほら、オタクの人ってあたしとは比べものにならないくらいの創作物に対する知識があるし、魔法少女という非現実的でマジカルな存在に名前付けるのとか得意かも。

「ダメってわけじゃないですけど、別にセンスないですよ」

「いやいや、じゃあ試しに何か言ってみてくださいよ」

「……パッと見の感想みたいな名前になるんですけどいいですか?」

「いいじゃないですか! 第一印象と結び付けて憶えやすい名前なんて最高!」

「じゃあ、デスサイズヘルで」

「ちょっと待って」

 なんて? デス、サイズ、ヘル? 直訳して死、鎌、地獄? 三つ目の単語が特に、あたしにとっては不吉すぎる。その前二つはまぁわからないこともないけど。

「やっぱりダメですか」

「いやダメというか、なんというかその、中二っぽさが濃すぎません?」

 昔クラスの男子が「闇の炎に抱かれて消えろ!」というセリフを叫んでいるのを見たことがあるけど、それとまったく同じ方向性な気がする。

「中二と言われても、デスサイズヘルは実在する名前なんで」

「え、そんな名前の人いるの? 芸名?」

「いやガンダムで」

 ガンダムかよ。それもう人じゃないじゃん。機械じゃん、ロボットじゃん、兵器じゃん。いや魔法少女も若干人間離れしていて、兵器っぽいところがないと言えば嘘になるけどさ。でもでもほら、わかるでしょあたしの言いたいこと。

「ちなみにこれです」

 ご丁寧にスマホで「ガンダムデスサイズヘル」の画像を見せてくれる。確かにそいつは黒いマントのような部分があり、大きな鎌も持っていた。鎌の刃はビームで出来ていたけれど、そんなことはどうでもいい。

「今見せたのがEW版っていうんですけど、TV版がこっちで」

「え、なになになに? いーだぶりゅーばん? てれびばんって、ティーブイのテレビ?」

 つまりあの機械のことを指してテレビと言っているのか、とゲームのタイトル画面が映るテレビを指さしながら確認すると彼は頷いた。そのテレビ版と対になっている「いーだぶりゅー」とやらの存在が何物なのか、常識として「テレビ」という概念を知っているのになぜか理解できないんだけどどういうことなのかしら。

「EW版っていうのはエンドレスワルツ版の略で、エンドレスワルツというのはガンダムウィングのOVAもしくは映画のことで」

「わ、わかったもう大丈夫」

 何もわからないということを確実に理解した。世の中には踏み入ってはいけない領域があるのだ。

「そうですか? まぁそれでほら、あなた黒いローブに大きな鎌で死神っぽい見た目だし、なんとなく今のが思いついたんですけど」

「いや、でもほら鎌光ってるよ、これビーム的な物なんじゃないの? あたしビーム出せないよ」

「それはまぁ、些細な違いということで」

 気にするほど大きな違いではないというのには完全に同意するけど、違うんだよ。あたしが言いたいのは、別の案を出さないかということであって……。

「ちなみにEW版のデスヘルとTV版のデスヘルどっちが好みです?」

 またスマホ画面で主張してくる。どうやらあたしはうっかり、オタクが早口になる領域に足を踏み入れてしまったらしい。生きては帰れない可能性が出てきた。

 これからあたしは夢の中で「デスサイズヘルは略するとデスヘル……EWはエンドレスワルツの略……」とお経のように繰り返しうなされるようになるのだ……。

 橋本青年はあたしが答えを出すまで画面を引っ込める気がないらしいので、仕方なくどっちのデスサイズヘルが好きかコンテストにジャッジを下そうとは思う。と言ってもどちらも大差な……

「ん、EW版の方がかっこよくない?」

「そっち派ですね、なるほど」

 何がなるほどなのかはわからないけれど、意外と二つの間に違いはあった。EW版の方がマントがマントっぽくてかっこいいとは思う。そう思いはしたけれども、だからといって今日からデスサイズヘル略してデスヘルを名乗る気にはならないけど。

「僕としてはそこまで死神要素を満たしておいて、デスヘルを名乗らない手はないと思うんですけどねー」

「いや、わかりますよ言いたいことは。でもほら、なんか他にもいろいろ特徴あるじゃないですか。髪がピンクの死神とか普通います?」

 これでもかと詰め込んだ個性がすべて死神の一言で片づけられては敵わない。あたしはもしかして死神の名を、というかデスサイズヘルの名を回避するために、こんな派手な色に髪を染めたのではないかとさえ思えてきた。

 いやそんな予知能力は当然無いんだけど、これで髪の色が普通だったら本当にデスサイズヘルを名乗るか、次のデザイア討伐命令が出るまで名無しでいるかの二択を迫られていたのかと思うと、本当に運がよかったなぁって。

「はあ、まぁ確かに珍しいですよね、死神とか抜きにして現実でピンク色の髪は。……アニメだと淫乱ピンクとか呼ばれたりしますけど」

「え、なんて?」

「なんでもないです」

 いかに別の名前を選択肢として出すか、というか別に禁止されているわけじゃないんだからあたしが自分で名前を考えればいいんじゃないか、とかそんなことを考えていて彼の話から意識がそれていた。

 真面目に何を言っていたのか聞き取れなかったのだけれど、なんだろう。聞こえた限りではエンランって聞こえたんだけど、なんだそれはどんな字を書くんだ。

「いや聞き取れなかったんです。何ピンクって?」

「いや本当にごめんなさい失言でしたなんでもないです」

「そんなこと言われてもそもそも聞き取れなかったんだけど……」

 ごめんなさいの言葉にこめられた勢いに、あたしが橋本青年の彼女もしくは妻に腕を握られた時の弁明と似たものがあったので、これはもう何を言っても教えてはくれないなと悟り諦める。いったい何と聞き間違えたのか気になるけど仕方ない。別に重要なことでもないでしょう。

「まぁいいや。それであたしが言いたいのは、もうちょっとかわいらしくならないかなっていうことなのね。デスサイズヘルはなんかこう、かっこよすぎるじゃない?」

 だいぶオブラートに包んだ。いや、ガンダムの名前としては真剣にかっこいいとあたしも思うよ? でもあたしはガンダムじゃないんだわ残念だけど。

「デスサイズヘルをかわいく……?」

 その路線は変わらないのね。もうデスサイズヘルから離れる気はないのね。

「うん、まぁ、そうだねそれでいいや」

 かわいくできるものならしてみてくれ。死、鎌、地獄だぞ。かわいくなるのは鎌だけだと思う。鎌はほら、剣とか槍とかと違って、丸みがあって確かにかわいいから。

「じゃあ、略し方を変えてデイズはどうです」

「デイズ……?」

「死神デイズちゃん」

「あー……。……ん? いや、……いや? あぁー……」

 なんだろう、強く否定することはできない。でも画期的な閃きだともてはやすこともできない。なんというか、悪くはないんだけど微妙だ。デイズというのがDaysを意識させるせいで原型が無い気がしてしまうのがいけないのだろうか。この微妙さはどこから来るんだ。

「お気に召しませんか」

「いやそういうわけじゃないんだけど。でもなんか、なんだろう。あと一押し」

「どういう感じの一押しを?」

「うーんとねぇ……」

 もうちょっと人畜無害な感じにしたいんだ、個人的には。死神デイズというと、結局死神なわけで。でも前に付いてる「死神」を取ってしまうと、デイズ単体ではいまいち由来などがわかりにくい。つまり「死神」と「デイズ」に、さらに何かもう一つ足して、死神という言葉からイメージされる物騒さとか恐ろしさを取り払いたい。

「なんかこうもっと、物騒じゃない感じがいいな。「死神」って響きだけでなんか悪そうじゃん?」

「別に悪そうとは思いませんけど、確かにデスヘルのパイロットは「俺を見たやつはみんな死んじまうぞ!」とか言ってたので物騒ですね」

「物騒すぎる」

 そんなセリフと共に登場する魔法少女嫌だわ。物騒にもほどがあるわ。

「ほら、だからそういうところを中和する一言をね、何か一言を付け足せればいいなってあたしは思うの」

「なるほど」

「なんかない……?」

 正直ここまで、あくまで根っこのところにデスサイズヘルは残すという方針で来てしまうと、もうあたしに手を出せる範疇を超えてしまっている。どんな一言を付け加えればいいのかは、デスサイズヘルを深く知る彼に考えてもらうしかない。

「……あの、失礼とは思いますけど、お歳はおいくつで?」

「え? 十八だけど」

「なるほど、ひらめきました!」

 え、あたしの年齢からいったい何を!? なんだか嫌な予感がする……。今の彼からは、そこはかとなく異性への欲がうっかり口から滑り出た時の神様と同じオーラを感じる。

「死神JKデイズちゃん」

「おー…………おお? いや、うーん……どう、どうかなそれ…………、いやぁ……うーん、でもなぁ……」

「お気に召しませんか」

「いやだいぶいい感じではあるよ。あるんだけどね」

 女子高生を意味する「JK」を間に挟むだけで、なんだか直前の「死神」から途端に緊張感が無くなってしまうのは大発見だ。「でもお前ら見るじゃん」という魂胆で取って付けたかのような美少女要素を足された最近のアニメ感が一気に出てくる。

 けれども、本当にこれで決定してしまって良いものだろうか。ネット上で使うハンドルネームを決めるのとはわけが違って、これから実際に顔を合わせて、おそらくは多くの人に名乗る名前を決めようという時に。はたしてあたしは死神JKデイズちゃんで決定してしまって良いのだろうか。というかあたしが目指していたものってそんな最近のアニメ感だったっけ?

 やはり自分のこととなるど軽くジャッジを下すことが出来ないので、しばらく頭の中に死神とJKとデイズをぐるぐる漂わせて考える。悩み事に付き物なうなり声は自然に漏れ出していた。

「でも一度決めたら変えたくないし、本当にこれでいいのかな……悪いってわけでもないんだけど……うーんうーん……」

「踏ん切りがつかないなら、一度その名前を名乗ってみてみるとか、どうです? それで案外悪くないなと思えばそれで良し、やっぱりダメだと思ったら別の案を考えるで」

「なるほど。……じゃあ、えっと、初めまして死神JKデイズちゃんでーす……?」

 あ、ダメだこれやっぱりやめよう。辞書から消したはずの「恥」の項目がものすごいインクの濃度で帰ってくる。数ページにわたってインクがにじむほど強く濃く二度と消せないくらい濃い文字で浮かび上がってくる。

「ダメですそんなのじゃあ!」

「えぇ!?」

 急に大声を出されてびっくりした。何かが橋本青年のやる気スイッチを押してしまったらしい。

「もっとこう、キャラクターっぽくやらないとダメですよ。魔法少女なんですから」

「えっ、いや理屈がよくわからないけど。魔法少女ってキャラクター性必須な存在なの……?」

「当たり前じゃないですか! キャラクター性の必要ない人なんてこの世にいない!」

「えぇ!?」

 なんか哲学的なことを言っているようで、本人はそんなに深く考えていないような気がする! さてはこいつあれだな、取ってつけたような美少女要素と人気声優に釣られていくタイプだな。お前のような存在が日本のアニメとスマホゲームを腐らせるんだ! 別にあたしはそれで一向に構わないし困らないけれども。

「その「えぇ!?」も、もっとルナのお友達になってくれる感を出して」

「はぁ……? ちょっと日本語で話してほしいんですけど」

「じゃあ死神を名乗るならあれだ、ほら、英霊的な感じで。死神って神だし、なんかそういうオーラ出さないと」

「英霊ってなんですか」

「僕の名前はアストルフォ! って感じの」

「だから、お願いだから日本語で話して……」

 アストルフォってだれなの、その裏声はなんなの。いったい何が君のスイッチを押して、何が君をそうさせているの。何が君を狂わせてしまったんだ。誰か助けて、美人で強くて料理ができるレイヤーのお姉さん助けて。

「伝わりません?」

「裏声がちょっと気持ち悪いことくらいしか」

「あー、ギリギリ許されるラインを狙ったつもりなんですけどね。アストルフォは設定上男だし」

「わかりました、もう話はここで終わりです。通訳を呼んできます」

 彼の彼女もしくは妻を呼ばないことには会話が成立しなさそうなので、おそらく今の彼女なら要請に応えてくれるだろうと目論み橋本青年の部屋を出る。

 と、ちょうど部屋のドアを開けたその時だった。下の階から耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきたのは。

 ゴキブリでも出たのだろうか、だとすれば関わりたくないなと思いつつ階段を下りてリビングへ向かうと、そこにはなんと……なんと下半身が床へと沈んだ彼女がいた。

「あ、たっ……助けて……」

「え、いや、ていうかそれなに、どういう状況」

 思考がまとまらない。床へ沈んでいるように見えるのは、それは、本当に沈んでいるのか? だとすれば怪奇現象とか超常現象の類だが、そうでなくてただ床が抜けるなどして落ちかけているだけ……? どちらにしてもおかしくないか?

 そして今何が起こっているのかを理解する前に、床から二本の腕が伸びてきたことによって、あたしはますます混乱させられる。

「な、なんですかその腕」

「知らない、助けて……!」

「助けるって、引っ張るのかな……。掴まって!」

 とりあえずは救出するべく、彼女に手を伸ばす。

 オカルト話の流れでいくなら、その床から伸びている腕は間違いなく敵なので放置するのはまずい。それはわかっているけれど、でも今はまず彼女を引き上げないことにはどうにもならない。

「何を騒いで……うおっ、なんだそれ」

 異変を感じたのか橋本青年も来てくれた。さすがに二人掛かり、それも男性の力添えがあれば得体の知れないオカルティックなハンドにも力比べで負けはしないだろう。……いや、オカルトに対して単純なパワーがどこまで信用できるのかわからないけれど、それでもポジティブに考えたい。

「橋本さん手伝って、このままじゃ彼女沈みますよ!」

「な、なんで!?」

「いいから早くして!」

 状況はさっぱり理解できなくても緊急性があることは了解してくれたらしく、彼がこちらへ駆け寄ってくる。さすがに彼が手伝ってくれるまでのほんの一瞬、一秒にも満たない間ならあたしだってこの得体のしれない手には負けない。

 橋本青年が沈みかけている彼女の腕を掴んだところで、ちょっと一安心。……と、まだ何も解決したわけでもないのに、気を抜いてしまったのがいけなかったのかもしれない。

 足首を冷たい手に掴まれた。

「ひっ!? あっ、あぁ、しまった……!」

 得体の知れない腕が、人間と同じように二本しかないと考えて良いわけがなかった。大体怖い話で死の世界へ引きずり込むかのような腕が登場する時は、数えきれないほど多く現れて不気味さが増すと相場が決まっているのに。

 油断した。油断していなければ何か出来ていたのかと言われれば相当に怪しいところだが、それでも完全に不覚をとった。

「ごめんなさい橋本さん、あたしも沈みます」

「はぁ!? あ、ていうかなんか腕が増えて……いや、ちょっとこれは無理。無理無理、引き上げられない」

 だんだん腕の力に負けて、ついに彼は床へ這いつくばるような形になってしまう。本人が言う通り二人も引きずりこまれたというのでは形勢逆転、彼だけの力では単純に力で勝てないのだろう。女といえども人間二人引き上げるだけで厳しすぎるのに、それを腕たちが引いているのだから。

 でも、だから仕方がないねとは言えないじゃないか。沈んだ結果どうなるのかなんて知らないけど、知らないけど、間違いなく良いことは何一つないし最悪死ぬのだから。

「もうちょっと頑張ってよ橋本さん! 女二人だよ、女二人くらい根性で引き上げて! 男でしょ!」

「いや、男って言っても俺完全にインドアで休日は引きこもりだし、筋力的な力は平均以下というか……」

「うるさい! いいからなんとかしろ!!」

 死がすぐそこまで来ていると思うと喉を壊しそうな叫び声が勝手に出てくる。それで何が解決するわけじゃなくても、勝手に出てきてしまうのだからどうしようもない。

 あたしたち二人が完全に床に沈みきる、その直前。あたしの隣で、あんなに強かった彼女は、怯えだけを表情に乗せて涙を流していた。この場にいた全員が、等しく無力だった。

 

 生き埋めになって死ぬのだろうか。視界から光が消えた中でそんなことを考えていると、あたしと橋本青年の彼女はどこかへと落下し始めた。数時間前に体験した飛行能力の練習を思い出す苦しさを感じてうめき声が勝手に漏れる。

 しばらく落下すると、急に重力がなくなったかのように体がふわりと浮き、それから地面らしき場所に着地した。地面というよりは、床か。

 着地した場所は周囲が黒い霧に包まれた場所で、真っ暗で闇ばかりと言うほど暗くはないが、それでもあたしは本能的に、もしくは経験則として理解した。この空間には、おそらく出口がない。

「ウェルカム・トゥ・ようこそ、ガンダム動物園へ!」

 茶化すようなふざけた声と共に、何もない空間から一人の男が現れた。そいつは橋本青年にそっくりの……いやむしろ本人なのではないかと思えるほどそっくりな男であったが、奇怪なのはその腕の数だ。

 まず普通の腕が肩から生えていて、それと同じ肩から後方に向かってもう二本腕が伸びている。計四本の腕を持ったそいつは、間違いなく人間じゃあなかった。

「な、なに。誰なの」

 頬に涙の跡が残る、武力行使となれば最強と思わしき彼女が噛みつくように問う。この謎の異空間にあたしたちを引きずり込んだ黒幕は間違いなくあの腕が四本ある橋本青年に似た男だが、そいつの腕がいくら多かろうとも、彼女に格闘で勝てるようには見えない。

 よくある流れでいけば、あいつを倒せばあたしたちはここから出られるはず。よし、姐さんやっちゃってください!

「俺が誰か、だと? おいおいこの顔を忘れたのか恵ぃ?」

「違う、あんたはお兄じゃない!」

 恵というのは彼女の名前なのだろうけど、え、なに今なんと言った? お兄? 彼女、いま橋本紀之の顔をした男を見て兄ではないと言ったのか……?

 なんとなく合点がいった。冴えない男にハイスペックな彼女なんておかしいと思ったんだよ。二人が妙に馴れ馴れしく、気を許しあった恋人であるかのように近い距離感にあるように見えたのは、そもそも二人が他人行儀に接したことなどなかったからか。そうだ、恵と呼ばれた彼女は、生まれた時からずっと橋本恵なのだ。納得!

「いや、俺は橋本紀之だ。正確に言うならハシモト・デザイア・ノリユキだがな」

「何をわけのわからないことを……! ここから出して!」

 ……ん? 今あいつ、名乗りながらデザイアと言わなかったか……? まさかこいつが欲望から生まれる化け物と言われていたデザイア? 確かに腕が四本あるし、化け物と言えば化け物だけれど。

 でも何か、もっとおどろおどろしい物を想像していた。言葉も通じないようなモンスターを思い浮かべていた。もちろんそれを望んでいたわけじゃあないので、むしろ今の様子でラッキーだけれども。

 とにかく、わけのわからないままに現れたこいつが、あたしの倒すべき対象だったわけだ。あまりに急なことで気持ちが落ち着かないが仕方ない、こいつを倒すのがあたしの仕事だというなら、なんとしてもミッションを遂行しよう。

 幸いにも、というか偶然、鎌は背負いっぱなしだった。この武器さえあればなんとかなるだろう。これからは緊急時のことを考えて、この武器はなるべく肌身離さず持っておくようにしないといけない。不幸を味わわずに教訓を得られたのは幸運だった。

「もちろん、俺にはお前らをここへ閉じ込めて楽しむ趣味はないからな、出してやろう。ただし条件がある。お前ら二人には、これから俺と勝負してもらう。もちろん勝った場合の賞品はここからの脱出だ」

「……負けた場合は?」

「今のお前ら二人は、原因不明で停止した観覧車の一番上に取り残された状態だと思え。下は見ない方が身のためだぞ」

 言いつつデザイアは床に手を突っ込む。どうやらヤツの異能力の一つとして、床なり壁なり天井なり、通常物理的に不可能な場所へ腕を貫通させる能力か何かがあるらしい。

 そうしてデザイアは床の中からある物を一つ取り出した。ゲーム機だ、それも橋本青年の部屋で起動していた物と同じ物。

 同じように床へ手を突っ込んではゲーム機を取り出すことを繰り返して、デザイアは四つのゲーム機をこの場にそろえた。全て同じ機種同じ色であることから察するに、中に入っているソフトも同じものだろう。

 橋本青年の部屋でタイトル画面の映し出されていたゲームがなんだったのかを思い出す。まずいぞ、あたしの予想が正しければ、これは相手の土俵で戦うとまず勝てない。

「これから俺とこのゲームで対戦してもらう。お前らが勝てば解放してやろう」

 デザイアが取り出したゲームソフトのパッケージは、やはりガンダムのものだった。マリオパーティとかならまだしも、そんな一度も触れたことがないゲームで勝てるわけがない。

 もしや恵さんなら経験者、あわよくば上級者だったりするのでは。と思ったが、勝負の内容を告げられて彼女は憤慨していた。

「そんな一度もやったことないゲームで勝てるわけないでしょ!」

 希望は絶たれた。

 このままゲームで対戦すれば、あたしたちは間違いなく観覧車の上から真っ逆さまだ、今度こそ殺されるかもしれない。……となれば残された道は、あちらの土俵には踏み込まず、問答無用の強行突破しかない。

 あたしが鎌に手をかけた時、なんと恵さんはすでにデザイアの懐へと飛び込んでいた。

「この、調子に乗って!」

 顔が兄そのままであったせいだろうか、恵さんはそんなセリフと共に拳を突き出した。デザイアは顔面をまともに殴られ……首から上が消えた。

「えっ……」

 恵さんも思わず後ずさる。あたしも、そんなに近づいていたわけではないのに、そこからさらに後ずさる。彼女が強いことはなんとなくわかっていたけれど、いやでもそんな、そんなバイオレンスな強さなわけが……。

 さすがにおかしいと思っていると、周囲の黒い霧がデザイアの首へと集まり、その霧が元通りの顔へと変化し首と完全に結びついた。結びついたと言っても首に縫い目などはなく、何事もなかったかのように完全復活している。

「いいかよく聞け、ここでお前らに許されることは二つだけだ。喋ることと、ゲームをプレイすること。それ以外のことは一切認められない。暴力なんて論外中の論外だ」

「あ、あの!」

 挙手して、余裕ぶっている相手に一応立候補してみる。

「この鎌で切るのも効果なしですか」

「やってみればいい」

 デザイアが両手を広げて待ち構えてくれたので、あたしはヤツの存在をこの世から断ち切ろうと鎌を振った。刃は胴体を真横に通過したけれど、刃の通った部分は煙のようになって分散し、再び黒い霧が失われた箇所を再構築して傷一つない体に戻る。

「ご覧の通りだが、いかがかな?」

「はい、諦めます」

 ダメみたいです。単純な暴力だけでなく、鎌の能力も発動しません。八方ふさがりです。

「ちなみに二人とも、自分の足を見てみな」

「え……? えっ、なにこれ」

 言われて足を見てみると、指の先から足首あたりまでが石になっていた。ファンタジーでよく見る石化だ、石化。

「この空間で許可されていない行動を取るたび、少しずつ体は石になる。よく考えて行動するんだな」

 得意げにそう言うと、デザイアはゲーム機の時と同じようにして床からテレビを四台取り出した。そしてそれをゲーム機と接続する。

 接続しているところを見て、デザイアの腕がなぜ四本あるのか、それもその内二本がなぜ後ろに向かって生えているのかがわかった。ヤツの後頭部には、もう一つ顔がついていたのだ。

 シンプルに気持ち悪い。おどろおどろしさとしては一気に増した気がするし、モンスター感もオカルト感もばっちりだ。化け物を相手にしているのだなという実感が今さら溢れるように湧いてくる。

 ただ、そんな気味の悪い見た目の化け物が、人間と同じように黙々とゲーム機をテレビに繋いでいる光景はそれなりにシュールだった。もう怖がればいいのか笑えばいいのかわからない。

「よし、準備完了、これより対戦を始める! 各々好きな機体を選ぶがいい」

 コントローラーを渡され、仕方がないので恵さん共々それぞれテレビの前に座りこむ。石化はギリギリ足首を固める段階には至っていなかったらしく、若干不便ではあるが座ることはできた。

 ゲームを起動し、デザイアに言われた通りのモードを選んで対戦を始める画面までいく。ふとデザイアの方を見ると、彼は前後の顔と腕で二人分のコントローラーを操作していた。気色悪い。

「お前らは初めてこのゲームをやるということで、練習用の時間としてハンデをやろう。俺が三十回勝つまでに、お前らが一度でも勝てばここから解放してやる」

「さんじゅう!?」

 なんて慈悲深いハンデ! ……という喜び驚く声ではない。そんなにやるんですか、という絶望から来た悲鳴である。

「なんだ、不満か? なら五十で手を打とう」

「わ、わかった。五十回ね」

 とりあえずは自分が使う機体、ガンダムを選ばなければならない。ガンダムには○○ガンダムといったガンダムシリーズとザクとザクに似た物以外に、まだまだたくさん種類があるのだなと使える機体一覧を見て思った。

 が、その中でどれを使えばいいのかなんてわからない。なんの情報もない初心者、素人、未経験者なのだからわかるわけがない。とりあえずあたしは、橋本青年とあんな話をしたわけだし、ガンダムデスサイズヘルを使うことにしておいた。

「あぁ、わからないことがあれば説明書を見るなり、ネットで検索するなりご自由に」

 デザイアが床からPCやスマホの類を大量に引きずり出して言った。なぜ異空間というのはどこもネットが繋がるのか不思議でならないが、繋がらないよりは繋がった方が良いのので文句はない。

 けれど、きっとここでネットを利用して外の世界へ助けを求めようとすれば、瞬く間にあたしの体は全身が石になってしまうのだろう。ゲームの情報を収集することにしか使えないインターネット端末が、こんなに無価値な物に見えるとは思わなかった。

「それじゃあ練習兼試合スタート、健闘を祈るぞ二人とも!」

 デザイアの掛け声で強制的に一戦目が始まった。五十戦あるうちの一戦目、長い長い地獄の時間が始まってしまったのである。

 

 ……いったい何時間やっていたのだろう。四十九戦目を終えて、あたしと恵さんチームに勝ちの目はまったく見えてこない。

 まずゲームを始めてみてわかったのが、このゲームは二対二のチーム戦だということ。だからデザイアは一人で二人分の操作ができるように、きっと欲望の化身として、生まれた時からあの姿になっていたのだろう。

 そして他にわかったことの中で、特に重要なものが一つある。それは操作が強烈に難しいことだ。なぜ一番よく使う移動方法が「同じボタンを素早く二度押す」なのだろうか。もっと家族で楽しめる系のパーティゲームを見習ってほしい、こんな操作慣れるまでやっていたら、あたしは成人を迎える自信がある。

 この操作の難しさを完全に克服することができず、従ってネット上に散らばる無限の知識を活かすこともできず、もうほとんど消化試合としてあたしたちは負け続けている。恵さんに至っては完全にやる気が尽きたらしく、賽の河原で石を積むような顔をしながらコントローラーを握っている。かわいそうで見ていられない。

「おいおい、ついに残り一戦になっちまったぞ? 勝つ気あるのか?」

 兄と同じ顔をした化け物の煽りに恵さんが答える。

「うっさい……」

 地の底から這い出てきたかのような声だった。正直デザイアより怖いかもしれない。

「あ、あのー」

「なんだ身も心もデスサイズヘルの女」

「いや、やめてくださいその呼び方」

 そんなゾッコン状態じゃないわ。せめてただ「女」と呼んでもらった方が百倍マシだ。礼儀とかもうどうでもいいから、そういう心外な呼び方だけはやめて。

「えー、それで、あれ何を聞こうとしたんだっけ……。あぁそうだ、これ残り一戦をあたしたちが負けた場合ってどうなるんですか?」

「全身石化でゲームオーバー」

「は?」

 抗議する間もなく、最終試合がスタートする。

 ……数分後、当然敗北したのはあたしと恵さんだった。そりゃあそうなる、世の中の摂理だ。勝てるわけがない。

 でもちょっと待って、さすがに全身石化とか命に関わるものはやめてよ。ゲームに付き合ってほしいなら満足するまで付き合ってあげるから。

 ……と命乞いをしようと思い画面から目を離した時には、恵さんがすでに石像と化していた。

「……デザイアさん」

「なんだ」

「これ、元に戻せるんだよね……?」

「お前が俺に勝てばな」

 一度対戦は打ち切られ、今度はあたしと、デザイアの前面半分による一対一のタイマンが始まることになった。今度は百戦やってもいいとデザイアは言ったけれど、あたしにそんな戦意はもう残っていない。

「ねぇ、お喋りは禁止されてないんだよね?」

 あたしがコントローラーを置いて、体ごとデザイアの方を向いて話しかけると、対照的に彼はコントローラーを握ったまま首だけを回してこちらを向いた。

「うん? あぁ、その通りだが、何か? 俺を説得でもするか?」

「ううん、そんなのはしない。ていうか無理でしょ」

「よくわかっているようで何より。で、何か話があるのか?」

 ある。大いにある。デザイアを生んだ主から結局聞き出せなかったことが、もう手遅れだとしても聞きたいことが、山ほどある。

「あなたは何の欲望から生まれたの。どうしてこんなことをするの。彼女、妹なんでしょ」

 デザイアは笑った。くだらない、と言いたげな乾いた笑いだった。

「何の欲望かと言われてもな、はてさて、強いて言うなら承認欲求といったところか」

「承認欲求? それでどうしてゲームを?」

 遊び相手がほしかったのだろうか。オンラインで対戦相手はいくらでも見つかるけれど、本当は妹と自分が好きなゲームをして遊びたかった……みたいな。結局デザイアの主がその欲求を自力で叶えられなかった結果、歪んだ存在として生まれたデザイアが妹を石にした……とか。

 いやでも、それは承認欲求とは違うか。じゃあなんだろう、妹に自分の実力を見せつけたくて、あたしはただの人数合わせだとか? でもずっと一緒に暮らしている妹なら、兄がどれだけゲームに熱中しているのか、どれだけ上達しているのかくらい知っていそうなものだけれど。これは兄弟のいないあたしが思う的外れなことなのだろうか。

「どうしてゲームをだと? お前、これだけ戦ってわからないのか? 俺は強いんだよ」

「それはわかりますけど」

「お前ら初心者と比べてじゃない。俺は確かにこのゲームで一握りの強者に属しているんだ」

「……それを妹さんに主張したかった?」

 石にされたぐらいだから、妹はこれまで兄に生意気な態度を取っていたのかもしれない。だとすればその鬱憤を、こんな形でゲームを使って晴らすなんて、悲しいことだとは思わないのだろうか。

「主張したかった、という言い方は正確ではないな。俺の実力は認められるべきもの、認められて当然のものなんだ。俺がわかってほしいと思うのではおかしい、わかっていないやつを粛正するのが筋ってものだろう」

「無茶苦茶なこと言いますね」

「現にお前は俺にゲームで勝てないから、これから石になっていくわけだが?」

 得意げな顔をして言うデザイアを前に、ああ確かにコイツは欲望から生まれた化け物だと確信した。ただの欲望の化身ではなく、化け物なのだ。醜く歪んでいる。

「お前の次は、俺のことを理解していない人間を片っ端から石にしていくつもりだ。そうすれば、優れた者が評価される正しい世界が訪れる」

「あなたは正しく評価されなかったっていうの? ゲームが強いなら、同じゲームをやっている人は認めてくれるんじゃないの」

「同じことを言わせるなよ。誰かがわかっていればいいや、じゃあないんだ。誰もがわかっていなければいけないんだよ。例えばお前のような、俺のことを見下した目で見るようなやつは特にな」

「……なるほどね」

 見下したつもりはない。でも初めて橋本紀之を見た時に、関わりにくそうなタイプだ、関わり合いたくないタイプだとは思った。その時に、自分は彼より人として優れているのだという気持ちを一切抱いていなかったと言えば、それはデザイアの言う通り嘘になるのかもしれない。

 橋本紀之は見た目よりずっと優れた人間だった、あたしはそれを知っている。しかし彼は今まで、見た目通りの評価を、見た目だけでの評価を受けてきたのかもしれない。オタクだというだけで、他人に適当に価値をつけられてきたのかもしれない。だとすれば彼が、彼の欲望が歪んでしまったことを、彼だけの責任にするのはあまりに乱暴だ。

 けれど、だからといってこんな歪んだ欲望を、正しいと認めてしまうのは間違っている。他人に害を成す欲望を認める以上に乱暴なことなんてあるものか。

「ねぇ、一瞬だけあたしのこと見逃してくれない?」

「なに?」

 そのつもりはなかったが虚を突いたらしい、デザイアは素っ頓狂な声を上げた。

「必ず帰ってくるから、ここから出してよ。こんなところに引きこもっていてもゲームの上達なんかしないって。外に出してくれたら、必ず上達して帰ってくるから」

「お前、阿呆か?」

 よく言われる。馬鹿とかアホとか、思えば魔法少女になる前にも、罵倒の意味ではなかったにせよ何度も言われたことがある。だからきっとあたしは、悲しいけど馬鹿なのだろう。

「このまま消化試合をしても面白くないでしょう?」

「俺は別に楽しむためにやっているわけじゃあない」

「それじゃあ、あれだ。あたしが強くなって帰ってきて、あなたを倒すのが怖いんだ?」

 我ながら安い挑発だ。カップのアイスクリームを買ったらついてくるスプーンくらいには安い挑発だ。でも馬鹿にはこれくらいしか思いつかない。

「はっ、くだらない。挑発かよ」

「そのくだらない挑発に乗る勇気はあるの?」

 デザイアが、握ったままだったコントローラーを置いた。

「……一週間やるよ。一週間後、お前が橋本紀之の部屋にいれば、俺が今日と同じようにここへ連れてきてやる。その時お前が部屋にいなければ……そうだな、その石像を砕くか」

「わかった。必ず戻る」

「そうかよ。じゃあな、せいぜい足掻け」

 一週間で何が変わるんだよ、とブツブツ独り言のようにぼやくデザイア。彼が何もしなくても、石化していたあたしの足は元通りに治り、その後座っていた床に穴が開きそのまま落下させられた。

 落下中、そういえば飛行能力があるのだから、床から引きずり込まれた時に素直に落ちてやることもなかったなぁと今さら思った。

 そう、人様を自分の支配する空間に招き入れる際「落下」などという手段を使う失礼なやつに、そのまま従ってやらなければならない義理なんかない。彼の世界で、彼の土俵で戦ってやらなければならない義務なんて、誰にもないのだ。

 

 異空間の床に空いた穴は橋本紀之の部屋、その天井に繋がっていた。あたしがようやく人間界へ帰ってきた時、橋本青年はあたしの下敷きになっていた。いや、本当に申し訳ない、でもこれは不可抗力だ。

「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか」

「ぼ、僕は大丈夫ですけど。これはあれですか、訴えられるとまず勝てないという」

「いや訴えませんって」

 なに冤罪なんだそれは。被ヒップドロップ冤罪? 狙ってヒップドロップを受けにいく男性とか絶対相手の女性と同意の上だと思うんだけど、そう考えると今の例が特例すぎることが改めてわかる。

 と、そんなくだらないことはどうでもよくて。あたしは橋本青年に会いに一時的に帰ってきたのだから、まずは彼が家にいてくれて助かった。

「訴えるといえば、あたしが引きずり込まれたあと警察に電話とかしました?」

「あ、いやそれが、……ごめんなさいまだです。というか、あなたが無事帰ってきたことに正直いま驚いていて」

「いや気持ちはわかりますよ。でも、とりあえずグッジョブです」

「はい、すみませ……え? グッジョブ?」

「ええ、時間がないので」

 警察を呼んだって、一般的な常識と照らし合わせて「まとも」だと言えるような状況説明はできなかっただろう。そこで話をややこしくされて、彼と話す時間が削られてしまうとまずかった。なので、いろいろためらった橋本青年に拍手を。

「それで、さっき言っていたデザイアが実際に出現しました」

「さっきの腕のやつ」

「そうです。橋本さんは、デザイアが出現したことで何か変化を感じていますか?」

「いや、特には」

 それならよかった。例えばデザイアが欲望の主である彼とテレパシーなどで連絡、意思疎通を取っているとなるとまずかった。もしくは橋本紀之本人が、全面的にデザイアの思想などを肯定したりしていればなおのことまずい。というかその場合はもう絶望的だ。

 あたしの作戦には、橋本青年の協力が必須になってくる。彼が、彼自身の欲望から生まれた化け物を否定、拒絶してくれることが大前提なのだ。

 あたしは、デザイアとの間であったことを彼に話した。常識的に考えてあり得ない話を信じることができない、なんて感覚はすでにあたしに断ち切られている彼は、すぐに状況を理解してくれた。

「……確かに僕は、そのようなことを考えてはいました。自分の技術というか、実力というか、取柄みたいなものを、ほとんどの人が理解してくれないことが不満でした。格闘技の大会で優勝して、わかりやすい実力でまわりからちやほやされる妹を、妬ましいと思ったことがないと言えば嘘になる。きっと何もかもを恨んでいたいました」

「なら、妹さんがこのまま消えてしまえばいいと思いますか」

「そんなわけないでしょう! 僕は確かにいろいろ不満があったけれど、だからって、どこかではちゃんと自分がおかしいってわかってましたよ。欲望を満たしたいと思わないわけではなかったけれど、満たさない方が正しいんだと理解していた。正しいことを正しいと思っているのは今も同じです」

 どうやら無事、橋本青年はこちらの味方であるらしかった。

 これは明確なチャンスだ。あいつを倒すには、ここで確実に仕留めるための手段を用意しなければならない。

「あなたがまともでよかった。さて、そこでです橋本さん。あたしでは間違いなくゲームでデザイアには勝てない、一年以上の期間練習しても絶対に勝てない。それは確信しています。なので別の方法でデザイアを倒そうと思うのです」

「はい。ぜひお願いします」

「それには橋本さんの協力が必要です」

「僕の?」

 うなずく。

 彼に協力してもらうのは当然のことだ。義務としての意味ではない。そもそもあたしは、きっと最初からそうするべきだった。簡単に諦めていいことではなかったのだ、絶対に聞き出さなければならないことだったのだ。

 倒し方のわからない敵がいるなら、倒し方を知っている人にその方法を教えてもらうべきだった。あたしはそれ以外の道が閉ざされたことで、ようやくそのことに気付くことができたのだ。

「あなたの欲望から生まれた化け物を、ゲームという相手の得意な物で戦わず、こちらから一方的に勝つための方法を考えなければならない。そのためにはあなたの力が必要なんです、あなたの欲望を一番知っているのはあなたなんだから」

 問題は、人間は全員が全員自分の弱点を知っているとは限らないことだけれど。橋本青年はどうだろうか。

「……要するに、僕を打ちのめすための方法を考えればいいんですね」

「そうなりますね」

「それなら、考えるまでもなく挙げられる案があります」

「えっ、聞かせてください」

 事は思っていたよりもずっと早く前へと進んだ。デザイアがここでの出来事を察知している可能性を考慮し、その案は耳打ちで教えてもらう。

 ……けれどもその案は聞いてみれば、仮定にまみれた希望的観測にもほどがある物で、「こうであるはずだ」という予想が一つでも外れれば成立しない作戦であった。

 しかし丸一日考えた結果、それよりも優れた案はついに思いつかず、これ以上考えても、出ない物は出ないのだとあたしたちは結論づけた。そう断言できるくらいには時間を無駄にしたと自覚している。

 やることが決まったとなれば実行するだけ、一週間も待つ必要はない。日が沈み月も上りきった真夜中に、あたしは今日会ったばかりの他人の部屋で何もない空間に向かって宣言する。

「デザイアさん、こちらの準備は完了した。一週間も待たなくていい、今すぐあたしをそちらに連れて行ってほしい」

 橋本青年は半信半疑のままあたしを見つめていたが、やがてあたしは床から生えてきた腕に足を掴まれ、一度目と同じようにずぶずぶと沈んでいく。

 任せなさい、という意味で取り残される橋本青年に親指を立てようかと思ったが、どこかの名シーンっぽくなりそうなのでやめておいた。クライマックスにはまだ早い。

「何かこそこそと話しているようだったが、やけに早いお帰りだったな。その余裕はどこから来るんだ?」

 あたしが飛行能力を使いこなして華麗に着地したところで、デザイアは興味も示さないどころか、ゲーム画面から目も離さなかった。

「余裕なんかないよ。けど、もうこれしか勝つための方法が思い浮かばない」

「あぁ?」

 ようやく振り返ったデザイアが見たものは、異空間の床に向かって鎌を振り下ろすあたし、死神の姿だったろう。

 一瞬前までデザイアが遊んでいたゲーム機も、それを映すテレビも、彼がハンデと称して取り出していた情報源のスマホやPCも、この空間にあった機械の全てが泡となって弾け、消え去っていく。

「この空間からあらゆる機械との繋がりを断ち切った。もうここへは機械の類を持ち込めない」

 握っていたコントローラーが手の中から泡になって消えていく様を見て、デザイアは言葉を失い呆然としている。開いた口が塞がらないご様子だ。

 数秒の間を挟んで、そいつは聞いたこともない、地鳴りのようなうなり声を上げた。おそらくそれは雄叫びなどではない、気が狂う寸前の者が放つ悲鳴だった。

「お前っ! お前お前お前お前、なにをした……!」

「今言ったでしょ。この空間にもうゲームは持ち込めないよ」

「できるかそんなことが! 俺はそんなこと許可していない!」

「あなたにそんな力は無いんだよ、デザイアさん」

 デザイアがあたしの胸ぐらを掴む。そんなことをされたのはもちろん初めてだ。だけど意外と怖くはなかった。

「ふざけるな、どんな小細工を使った。言え!」

「あなたは主人から求められていないんだ。あなたのような欲望が叶うことなんて、誰も望んじゃいないんだ。それくらい自分で、本当はどこかでわかっていたんじゃないの」

 橋本青年は言った。自分自身満たすことを望んでいない欲望が化け物の姿に変わったところで、大した力は持っていないはずだと。例えば、死ぬ寸前の者が心の底から生きたい、死にたくないと願い、その願いが欲望の具現化としてデザイアになった時。そいつのデザイアと僕のデザイアが同じ強さじゃあ不平等だろう……と。

 あたしはそれに同意しなかった。満たしたいと思うか否かに左右されずデザイアは発生するのだから、想いの強さなんて関係ないと主張した。けど、結果を見ればどうやら彼の方が正しかったらしい。

 この異空間内では自身が決めたルールを絶対順守させる、違反者は石化させる。そんな強力無比な能力は、橋本紀之のデザイアにはなかった。彼の欲望はハッタリをかましていたのだ。せいぜい彼の能力は敵の攻撃を受け付けない無敵体質と、自分に害を成した者もしくはゲームに敗北した者を石化させることだけ。異空間そのものへの攻撃に対する耐性は持っていなかったのだ。

 そしてもう一つ、彼は言っていた。彼の弱点についてだ。

「恥ずかしながら、ゲームを取り上げられたら生きていける気がしない、だっけ? どうするのデザイアくん、今謝れば許してあげるよ」

「調子に乗るな!」

 がくん、と視界が揺れ、何が見えているのかわからなくなる。撮影しているカメラが落っこちてしまった映像を見たのかと思った。

 床に放り出されたあたしは遅れてやってきた頬の痛みに気づいて、今殴られたのだとようやく理解できた。これもまた初めてのことだ。思っていたよりも、ずっと痛い。神様には始め悪いことをしてしまった。

「ああああああああああ、くそ、くそ、くそ、くそ! なんでないんだよおおおおおお!」

 デザイアは床に腕が肩まで入るくらい深く突っ込んで、きっと無数に隠してあったゲーム機を探している。だけど絶対に無い。あたしの能力は確かに発動したのだから、もうこの空間に機械類が存在することなどあり得ない。すべて泡となって弾けて消えてしまった。

 砂漠に落とした砂粒一つを探すように必死の形相で床を這いまわる彼を見下すように、あたしは彼の前に立ちふさがった。

「もう一度チャンスをあげる。今なら許してあげるよ」

「お前えええええ! なんだよ……なんだよなんだよなんなんだよ! そんなに俺を苦しめて楽しいのかぁ!? ああ!?」

「落ち着きなよ。そしてちゃんと聞いて。あなたの態度次第で、今なら許してあげるって言っているの。それでもまだあたしのこと「お前」って呼ぶ?」

 特に得意にしていることではないけれど、その時ばかりは自分でもゾッとするほど上手く作り笑いを浮かべられた。サドの自覚はないんだけどなぁ。

「……じゃあ、じゃあなんて呼べばいい」

「デイズって呼んで」

 名乗ってみるとこれが意外、あの時と違ってなぜだかしっくり来た。あたしはこれから名乗る自分の名前を決められたんだ。

「デイズ、頼む。そこの石像なら元に戻す、それに謝る、謝るから。返してくれよ俺のゲーム、生き甲斐なんだ」

 言っているそばから石化していた恵さんは元に戻っていて、本人は何が起こったのかわからず呆然として座り込んでいる。まぁ、たぶん心配はいらないだろう。

「謝る? あなたにはいろいろされたけど、それを全部言葉だけで済まそうってこと? これでも足が石になった時は怖かったんだよ、さっき殴られた時は痛かったんだよ」

「わ、わかった。どうすればいい、俺はどうすればいい……?」

「一発やり返させてよ。でもそのままだと、殴っても蹴ってもすぐ無傷になっちゃって気分が晴れないから、あなたの無敵能力みたいなのって解除できないの?」

 自分で言っていて引く。さすがにそれはちょっとあんまりなのではないかと思う。けれど、あたしはそうしなければならないから言っている。これも仕事だ、これも正しいことなのだ、あたしは恵さんを救いあらゆる被害を未然に防ぎ、橋本紀之が成就を望まない欲望をこの世から消し去る、正義の味方なんだ。

「解除くらいすぐにできる。暴力で気が済むならいくらでもそうしてくれ、そしてゲームを俺に返してくれ……!」

 デザイアが言うが早いか周囲に立ち込めていた黒い霧はどこかへ吸い込まれたかのようにして消え去る。霧がなければ彼は自己再生できないらしい。

 そして霧が晴れたあとに見るこの異空間は、橋本青年の部屋とほぼ同じ大きさの小部屋だった。きっとあの霧がある内は、部屋ではなく霧自体が無限の空間として延々と続いていたのだろうけど。

「よし、潔くてよろしい。……それじゃあいくよ、痛くするから歯を食いしばって、怖ければ目も閉じて……!」

 デザイアはなんのためらいもなくギュッと目をつむった。これも橋本青年の言った通りだ。痛みに弱く、人一倍臆病で、おどかすようなことを言われたら相手の指示に従ってしまう、と。

 彼はなんて自分の弱点を知っている人なのだろう。彼の一見しただけではわからない優れた人間性は、きっとそこから来ているのだ。あたしはそう思いたい。

 目をつむり震える、橋本紀之そっくりな顔をした化け物へ。あたしその部分を狙う必要があるわけでもないのに、死神らしく首へと鎌を振り下ろした。

 橋本紀之のデザイアは、これにてこの世から存在を断ち切られた。

 行き場を失ったデザイアが天国へ行くのか地獄へ行くのかあたしは見て確認することができないけれど、そんなこと見るまでもないだろう。

 

 デザイアを倒すとすぐに異空間からはじき出され、またしても橋本青年の部屋に戻ってきた。そしてまたしてもあたしは着地衝撃吸収材として橋本青年を、不慮の事故とはいえ使ってしまった。ほんとごめん。

「無事妹も帰ってきてよかったです! 本当に助かりました、ありがとうございました!」

「いえいえ、これが魔法少女の務めですから」

 こんなに厳しい仕事だとは正直思っていなかったけれど、いや思いたくなかったけれど。とりあえず次の時は、何があっても先にターゲットから欲望についての情報を聞き出そうと思った。もう今回の件でそのあたりは嫌というほど教訓になったからね。

「あの、ちょっと気になったんですけど」

「はい?」

「その顔の……アザ? みたいなのどうしたんですか」

「あれ、そんなになってますか」

 人に……というか人間ではなくデザイアであったわけだけれども、とにかく本気で殴られた経験がないもので。あ、これは跡が残るな、とかそういうことが本能的にはわからないのだ。見ただけでわかるほどひどい有り様になっていたとは知らなかった。

「はい、これで治った。魔法ってすばらしい!」

 鎌で殴られた部分からアザ(らしき物)を断ち切った。わりとアバウトな念じ方でも効果が出るようで今後も安心だ。

「おおーさすが。……でも結局なんのアザだったんです?」

「あなたの欲望に殴られましてね」

「えっ、それはごめんなさい」

「いいんですけどね別に。でもあれですよ、これからの人生イラっときたからって女性の顔を殴っちゃダメですからね? 特にゲームを取り上げられた時はまず深呼吸! おーけー?」

「肝に銘じておきます」

 それはなにより。いつか彼の承認欲求を少しでも、なおかつ健全に満たしてくれる女性が、彼の前に現れますように。あたしの魔法じゃあ縁結びはできないので祈るだけになる。

「それで、妹から今回のことに関する記憶は本当に消えたんですか?」

「だと思いますよ。そのうちあたしの存在も忘れるかと」

「それはちょっと寂しいですね」

「まぁ、そうなんですけどね。仕方ないです」

 いつかもう一度彼女、恵さんに会えた時。あなたの作ったパスタが食べたいと言っても、また不審者を見るような目で警戒されるだけなのか。……と、そう考えると寂しい。ちょっとどころか、寂しくてどうしようもなくなる。だからもう考えないことにする。

「……あれ? でも僕だってデザイアに関わったはずなのに、なんか記憶消える雰囲気無くないですか?」

「い、言われてみれば確かに」

 一晩寝て起きてしても、すこぶる明瞭に憶えておりますともあの時のことが映像となって脳裏をよぎるほどです、とか言えそうなくらいには橋本青年から記憶消える気配がない。これはまずいのではないか、なんだろう、バグみたいなものか?

 そういえばこんな時のために持っていた良いアイテムがあるので、ここぞとばかりに使っていく。デザイア討伐までは出られないみたいなことを言っていた気がするが、ということは今なら大丈夫だろう。

 スマホを取り出し唯一登録された電話帳から神様に電話をかける。

「あ、もしもし神様? デザイアを倒したあとの記憶についてなんですけど……え? あぁ、はい、ありがとうございます。次も頑張ります。え? いやそれは別にいいですいらないです。で、あの、デザイアを倒したあとの記憶についてなんですけど。デザイアの元になった欲望を持っていた本人から記憶が消える気配が……えっ? あ、そうなんですか。あ、なるほど、はーい。了解です。それじゃあまた、はい、はーい」

 通話を切る。なんか神様が知り合いの神様何人か集めて、魔法少女の初任務達成祝いの会でも開こうかとか言っていたので、普通にお断りしておいた。なんとなくロクな人、もといロクな神様が集まりそうもない気がしたんだもん。

「えーとですね橋本さん」

「は、はい」

「デザイアを生む元になった欲望の持ち主は、そのデザイアについての記憶が消えないそうです。あたしのことも一生憶えていられるんですって、やったね」

「お、おお!」

「でも、他の人に話そうとすると途端に記憶が消されるらしいです。雪女みたいなシステムですね」

「なるほど、気を付けます」

 本当かしら? 一度スイッチが入ってしまうと謎の言語をベラベラ並べだす橋本さんだからなー。何かの拍子に口を滑らせてしまいそうな気がしないでもない。

 まぁその時はその時で、すでに恵さんから忘れられることが確定しているのだから、今さらあたしの存在が記憶から消えてしまうことを悲しんでも、

「おっ? あれ、えっ、なにこれちょっと!」

 そろそろお別れの時間だなとは思っていた。神様の話では、次のターゲットがいる地域へ飛ばされて、そこで約三日間の休日が与えられるとか。だからそろそろ行かなければいけないんじゃないかなーとは思っていた。

 でもだからって、急に自分の体が糸で吊られているかのように、勝手に浮かび始めたらびっくりするよ。まだ魔法少女見習いだもん。

「う、浮いてますけど!?」

「ちょっと橋本さん、窓開けて窓!」

 窓を開けてもらうと、狙っていたかのようにあたしの体はそっちの方向へ向かっていく。そして背中になんとかコプターを付けた人のような体制で、そのまま外へ出るとどんどん上へ上へと持ち上げられていく。

「は、橋本さん! あたしもう行かなきゃみたい!」

「えぇそんな唐突な!」

「いろいろありがとう! 橋本さんからもらった名前忘れないよ、これからずっと名乗る!」

「それは光栄です! 僕は魔法少女のことよくわからないけど、なんとか今後も頑張ってください!」

「はい、魔法少女、死神JKデイズちゃん頑張ります! それじゃあ、さようならー!」

 UFOに吸い込まれる牛のように、ひたすら上へ上へと体が吊り上げられていく。結構な高さになってきてちょっと怖い。ジェットコースターで坂を上り切った時みたいだ。

 だんだん小さくなって見えなくなってきた橋本さんが、気のせいかもしれないが窓から身を乗り出して何かを叫んでいるように見えた。耳を澄ませてみる。

「困った時は横格振って、助けを求めるなら五飛に、ミリの相手を追う時はたまごっちモードのバルカンも使って……!」

 ……気のせいだろうか、聞き取れたのに、何を言われたのか理解できなかった気がするのは。橋本紀之のスイッチはどこにあるのかわからないな本当に。

 いよいよ街がジオラマに見えるくらいの高高度へ体を持ち上げられ足がすくんできた。これ、どこまで上がるんだろうか。宇宙にまで行ってしまうのだろうか。まさかの魔法少女宇宙デビュー。……冗談じゃない。

 最後に、あのテーマパークに建っている大きな城と火山を見た時だった。

「ぐえぇぇっ!?」

 突然とんでもない勢いで体が横に引っ張られる。ものすごい勢いで座標が移動していることはわかるのだけれど、内臓が押しつぶれそうな感覚でそれどころじゃない。ちょ、死んじゃう。ほんとに死んじゃう。

 きっとあたしはこのまま、次の勤務先へ飛ばされるのだろう。それはいいけど、でも神様、神様にも異性への欲が人並みにあるのなら、もうちょっと女の子は優しく扱って。ほんと、デイズちゃんからのお願い。

 




「死神JKデイズちゃん、VSハシモト・デザイア・ノリユキ編(仮)」
 はこれにて終了となります。作者の作品を漁っていただけますと、
「VSヤマモト・デザイア・サトシ編(仮)」
「VSクラタ・(デザイア)・シズカ編(仮)」
 も御覧になれます。仮題は小説のタイトルになっていないのでわかりにくいかもしれませんが、興味のある方はぜひどうぞ。
 なお投稿は物語の時系列順にはなっておらず、物語の時系列は「橋本紀之」→「山本聡」→「倉田静」です。気にする方はお納めください。
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