アンドロイドはかく語りき   作:ゆーゆ

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2BとA2の些細な擦れ違いによる破壊衝動

 

「地上に残された物品のほとんどは、旧世界の記録を基に再生された物ですけど、このツヴァイトシュタイン城については諸説あるんです。知ってました?」

「知らん」

「この石城だけが、あまりに異質なんです。とりわけ図書室に残された紙媒体の膨大な情報は、誰がいつどのようにして複製したのか、今でも分かっていません。複製元の記録すら残っていないんです」

「クソどうでもいい」

「詳しいことは分かりませんが、そもそもこの城の存在自体、旧世界の文明からあまりにかけ離れている、とも言われています。確かに地上には元々複数の―――」

「おい」

 

 ―――振り向きざまの抜刀。城外へ繋がる通路のど真ん中で立ち止まり、向けられた三式斬機刀の切っ先を見据える。

 勘弁してほしい。今の状態で更なる損傷を負えば、限界点に達してしまう。背後にいた小型二足は何を勘違いしたのか、『キャー楽しー!』『ワタシも混ぜテー!』と燥いでいた。

 

「A2さん?とりあえず、落ち着いて下さい」

「どうして私について来る。私は本を貸せと言っただけだ」

「方向が同じだけです。僕もたまには、外に出てみようかと」

「引き籠りのくせにか?」

「……それ、やめません?ものすごい抵抗感があります」

 

 やれやれと呟いてから、A2さんは踵を返して城門へ歩を進めた。

 外に出るという行為自体に、意味はないのだろう。それでも僕は今、外に出たいと感じている。とても曖昧で不明瞭な感情が、僕の足を動かす。一歩、また一歩と近付くに連れて、バイタルに微弱な変化を覚えた。

 

「え……?」

 

 城外に出るやいなや、飛び込んで来た眼前の景色は、『白色』に染まっていた。

 見渡す限りの白。上空から羽根のように軽やかな白粒が降り注ぎ、足元では冷たく優しげな光がきらきらと輝いている。

 雪。薄々気付いてはいたけれど、ここまでの積雪を目にするのは、これが初めてかもしれない。

 

「雪が……こんなに」

「クソ今更だな。降り始めたのは先月だぞ」

「推測:巨大建造物を成していた瓦礫が含む珪素を骨格とした化合物による外気温変動の影響」

 

 ポッドの分析によれば、原因は突如として出現したあの巨大建造物。約二ヶ月前の崩壊を境目に、辺り一帯の外気温が見る見るうちに低下していき、結果として降雪に至ったらしい―――巨大建造物が、崩壊?

 

「崩壊って、あの巨大な塔のような、あれが?」

「それもクソ今更だな……引き籠っていると、そんなことにも気付かないのか」

「……恥ずかしながら」

 

 言われてみれば、異変を感知はしていた。

 記憶領域を遡ると、八月六日。球体連結型の襲撃に見舞われたあの日に、大きな地震が発生したのと同時に、何かが崩壊するような音を耳にした記憶が残っている。恐らくはあの瞬間だ。周囲を見渡すと、塔と同じくして出現した巨大な要塞のような浮遊物も、見当たらなかった。

 それらが何を意味しているのか。ずっと狭い世界に閉じ籠っていた僕には、知る術がない。

 

「でも、不思議な感じです」

「あん?」

 

 僕の目には、長らく色が映らなかった。映ってはいても、見ようとしていなかった。

 白と黒だけの下らない世界。白色ばかりの眼前の光景も似たような物かもしれないけれど――まるで―コトナ―――ッテ――――――

 

「おい、どうした?」

「っ……センサー、系にまで。異常が」

 

 困った。これは本当に、追い込まれたかもしれない。

 バイタルがイエローから限りなくレッドに近付いている。環境センサーが異常を来し、視覚システムが完全に遮断した。体液が一部凝固しつつある影響で、あらゆる不具合が一斉に連なり、襲い掛かってくる。

 駄目だ、駄目だ。まだ、駄目だ。

 

「こ、これを」

 

 完全に機能が停止する、その前に。

 僕は真っ暗闇の中、ポッドに預けていた数冊の哲学書を受け取って、手探りに差し出した。

 

「一冊、だけじゃ。折角だ、から、こ、これも」

「お前……」

「うけと、っ……て」

 

 ややあってから、両手から重みが消えた。どうやら受け取って貰えたようだ。同時にブラックボックス信号そのものが、徐々に弱まっていくの感じた。

 いよいよ、か。覚悟を決める暇すらなかった。

 もう少し。もう少しだけ生きようと願った、矢先だったというのに。

 

「……『これ』は絶対に、使わないと思っていたのにな」

 

 不意に、残された僅かな感覚が、耳元で何かを感知した。

 これは何だろう。何かは分からないけれど、僕の右耳に、何かが接続された。

 

『補足:数世代前に採用されていた小型の通信機器。義体及び支援ユニットの通信機能に不具合が生じた際に有効。推奨:早急な支援依頼』

「つう、し……?」

『報告:聴覚システムとの接続を確認。同期開始』

 

 ノイズ混じりの思考を懸命に働かせていると、何者かの声が聞こえた。

 

『―――A2?A2、貴女なの?』

 

 声だった。自分以外の誰かの、A2さん以外の声。

 とても平坦で、しかし時折感情の起伏を垣間見ることができる、柔らかな声。僕はこの声を、彼女を知っている。

 

『驚いた。まさか本当に繋げてくれるなんて、思ってもいなかったから。……A2、聞こえてる?』

「に、ご……。っ……B、型?」

『この声って……ナインズ、様子がおかしい。君も聞いて』

 

 ナインズ。よかった。彼もまだ、この地上で生きていてくれたのか。

 彼と交わした言葉はそう多くない。接する時間も少なかった。昨今活躍が目覚ましかったナインズが様々な作戦を任されていた一方、初期型の僕はバンカーでの待機が大半だったのだから、当たり前だ。

 でも、この城で彼と再会できて、心底安堵したのを覚えている。

 仲間を失い、繋がりの全てを失ったと思っていた中での、同型との再会。僕にとっては、唯一の救いだった。

 

 誰のために戦ってきたのか。

 誰のために生きてきたのか。

 分からないけれど、もう少しだけ、生きていたかった。生きる意味を、誰かと一緒に探したくて、僕は―――

 

___________________

 

 

 三時間十七分後。

 レジスタンスキャンプからほど近い座標にある水場は、その大部分が凍っていた。ヨルハ機体二号B型―――2Bは、円を描くように水場に沿って歩を進めていき、やがて足を止めた。

 水辺に佇む二体の機械生命体。そして彼らを見守るように、傍らに座るアタッカー二号、A2。2Bは背後から、そっと声を掛ける。

 

「何をしているの?」

「釣りだ。こいつらに付き合わされてな」

「ポッドもなしで、釣り?」

「釣り=ポッドっていう発想はやめろ。魚は本来こうやって釣るんだ」

「そうなんだ。何を釣っているの?」

「さあな。アジでも釣れるんじゃないか」

 

 得意げに語るA2の手には、二の腕ほどの太さの鉄製パイプ。パイプの先端には細い針金がぐるぐる巻きにされていて、残りの針金は表面が凍った水場へと繋がっていた。

 これが本来の釣りの姿なのか。2Bは釈然としないものを抱きつつ、成程といった様子で腰を下ろし、再び語り掛ける。

 

「一応、報告をしておこうと思って。4Sはもう大丈夫だって、9Sが言っていた」

「……そうか」

 

 2Bと9Sの手によって4Sが保護されたのは、現時刻から約三時間前。僅かな通信により4Sの生存を察知した2Bらは、以前にも9Sの捜索に役立った特殊スキャナーを駆使して、A2に抱えられた4Sを見付け出すに至っていた。

 発見当初は見るも無残な有り様だった。戦闘による損傷にメンテナンス不良が重なり、ブラックボックス反応は極々僅か。発見があと一時間でも遅れていたら、間に合わなかったかもしれない。

 

「だから、ありがとう。A2」

「礼を言われる覚えはないし、お前が言うことでもない」

「そうじゃない。今のは、9Sの代わり」

「はあ?」

「9Sは貴女に、何も言わないよ。何も言えない。だから、私が言った。それだけだよ」

 

 2Bが言うと、A2は釣竿のような何かを引いた。針金には当然のように何も掛かっておらず、獲物をおびき寄せる餌の類もない。2Bの声を遮るための、不毛な行為。

 A2の苛立ちを意に介さず、2Bは続けた。

 

「こうして貴女と話すのは、一ヶ月振りぐらいかな」

「覚えてないしクソどうでもいい」

 

 九月下旬の、あの日。再会は全くの偶然だった。

 A2の姿を目の当たりにして、2Bは純粋な感情を覚えた。一方で9Sは、抗いようのない禍々しい何かを抱かざるを得なかった。当のA2にとっても、全ては終わったこと。二人に対し、何の関心も示さなかった。

 擦れ違いでは済まされない現実があった。けれども、無言でその場を去ろうとしたA2に、2Bは一つの小型機器を強引に持たせた。それが4Sと2Bらを繋いだ、旧世代の無線通信機。 

 込められたのは、真っ直ぐな想い。誰かとの繋がり。

 このどうしようもなく救いのない世界に取り残された者の、一抹の願いだった。

 

「A2は、今まで何をしていたの?」

「お前には関係ないだろう」

 

 素っ気なく返されて、しかし2Bにとっては問い掛けるまでもないこと。

 釣竿の先を熱心に見詰める、二体の機械生命体。全滅したとされていた中、奇跡的に自決を逃れていた、あの村の唯一の生き残り。そしてA2が携えている数冊の哲学書。

 

「パスカルの記憶は……。ごめんなさい、何でもない」

 

 彼女が誰のために、何を為そうとしているのか。

 言葉にするのが躊躇われて、2Bは思わず口を噤んだ。

 

「さっきからクソ鬱陶しいな。用が済んだのならさっさと消えろ」

「ねえ、A2。私達はきっと、お互いのことを知らないんだと思う」

「だろうな。知りたいとも思わない」

「でも貴女は、私の根底を知ってしまっている」

 

 A2にとって、それは軍刀と共に託された僅かな記憶。近接武器の限られた容量に保存されていた、9Sへの想いと、未来への希望。決して表には出そうとしなかった、2Bの根底にある物。

 

「そして私は、貴女の根底を知ってしまっている」

 

 2Bにとって、それはアネモネが語った過去。塔の崩壊後、彼女が躊躇いながらも明かしてくれた、四年前に関する全ての記録。四年もの間、A2を突き動かし続けてきた、仲間達への想い。

 

「……訳が分からん。何が言いたい?」

「私にも、よく分からない。でも私達がお互いを知ることは、悪いことではないと思う」

「本気でそう思うのか?」

「え?」

「あの軍刀には、妙な記憶も保存されていたぞ。周囲に人気がないことを確認してからこっそりと『ナインズ』と囁く癖は今も治っていないんだろ」

 

 ―――ガンッ!!!!

 

 即座に2Bが放った裏拳は、ポッド042を遥か遠方にぶっ飛ばし、やがてポッド042の直撃を受けた廃墟が音を立てて崩落していく。二体の小型二足は突然の敵意に慄き恐れ、A2の背後に身を隠して身体を震わせていた。

 三分二十三秒後。装甲が歪んだポッド042は力なく飛来し、淡々と音声を発した。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

「黙って。それよりポッド、A2から愛情表現行為を受けた回数を報告して」

「……何だと?」

『報告:A2によるケアの合計回数は、二百九十二回。これは2Bを上回る数値。親密度は既に限界値を振り切っている』

 

 ―――ガンッ!!!!

 

 即座にA2が放った回し蹴りは、ポッド042をレジスタンスキャンプの方角へぶっ飛ばし、やがてポッド042の直撃を受けた廃墟が音を立てて崩落していく。キャンプはたちまち混乱の渦中に叩き落とされ、悲痛な叫び声が上がった。

 四分三十六秒後。装甲が歪んだポッド042は力なく飛来し、淡々と音声を発した。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

 

 ポッドの声に無視を決め込み、A2は釣竿を背に携えて、振り返る。

 

「気が変わった。釣りは終わりだ。もう行くぞ」

「待って、A2」

 

 2Bは微笑みを湛えながら、A2の傷だらけの背中を見詰めて、胸中で独白する。

 私達は知らぬ間に、お互いのことを知りつつあるのかもしれない。その行為と感情に意味はなくとも、そうやって生きていきたいと素直に思える。時間だけは、まだ残されているのだから。

 

「さっき貴女が言ったこと、違ってるよ。私はもう隠さない。私にとっての彼は、ナインズだから」

 

 A2は答えない。代わりに少しの間を置いてから、背を向けたまま、右腕を頭上に掲げた。呼応するように、ポッド042がA2に近付くと、右腕とアームがそっと触れた。

 

「またな」

 

 その言葉は、ポッドと私のどちらに向けられた物なのか。きっと前者だろうと感じつつ、いつかきっと、私にも。2Bはそう願いながら、A2の背中が見えなくなるまで、世界の片隅に立っていた。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

 

 

 

 


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