『全センサー処理系のチェック完了っと。もしもーし、こちら9S。4S、聞こえますかー?』
うん。聞こえてる。
『オーケー、感度良好。これから4Sにいくつかの質問をします。いいですか?」
いや、自我データに問題はないから、その辺りは省いてくれて構わない。それと、敬語も必要ないよ。以前から感じていたことだけど、言いそびれていたね。
『いえいえ。できれば、このままで。先輩に対するリスペクトってやつですよ』
初期型の同モデルを先輩、か。少し複雑だけど、人間らしい考えだね。そういうのは嫌いじゃない。
『……貴方とこうしてまた話せるなんて、思ってもいませんでした』
僕も同じさ。また会えて嬉しいよ、ナインズ。
『さてと。早速再起動の準備を始めます。少し時間が掛かるかもしれないから、簡単に状況を説明しておきましょうか?』
それより、先にお礼を言っておきたい。おかげ様で助かったよ。ありがとう。
『それはレジスタンスのみんなに言って下さい。彼らが手を貸してくれたから、思いの外に早く処置が済みました。物資が限られた状況下での手際の良さは、大変勉強になります』
分かった。2Bさんにも、後でお礼を言いに行くよ。
『……4S。僕からも一つ、いいですか』
ん?
『あの図書室の中で、貴方と最後に会った時に、貴方は「これからどうするかは、これから考える」と言っていましたね』
ああ、言ったね。よく覚えてるよ。
『どうするかは、もう決まりましたか?』
どうだろうね。でも少なくとも、僕はまだ生きようと思う。そう決めた。
『は?』
え?
『いや、その。何というか、予想外の返答です』
そこまでおかしなことを言ったかな。
『僕はてっきり、具体的な行動指針というか、そういった何かを聞けると思っていたので』
僕にとっては何よりも具体的さ。だってそうだろう?バンカーが崩落して、志を共にする仲間を失って、この地上に取り残された時、僕らは選択を迫られたはずだ。だから、ずっと考えていたよ。僕らは何のために戦って、何のために生きてきたんだろうって。
『……』
その究極は勿論、人類復興のためだったけど……根本は違う。僕以外のみんなも、恐らくレジスタンスの人達もそう。ナインズと2Bさんだって同じだったはずだ。違うかい?
『いえ……違わないと、思います』
だから僕らはまず、生きるという決断をするところから始めなきゃならない。羨ましいことに、ナインズはとっくの昔にその目的と意味を見付けていたみたいだね。
『え?』
つまりはそういうことさ。君は考えるまでも、悩むまでもなく『生きる』という道を選んだ。
『……そう、なのかもしれない』
それが羨ましい。ナインズと2Bさんが、とても羨ましいよ。たったのそれだけで、現実という絶望が、まるで正反対に変わる。
『でも4Sだって、生きようとしている。それは、僕とは違うんですか?』
何かしらを見い出せた訳じゃないさ。でもキッカケがあったことは確かだ。
『キッカケ、ですか』
うん。何よりもまず、僕はA2さんと話をしたい。
『……』
ナインズ?A2さんは、今何処にいるの?
『時間です。再起動を始めます』
え?
『レジスタンスリーダーから頼まれていた用件があるので、僕はこれで。また今度、話を聞かせて下さい。それでは、また』
___________________
『ヨルハ機体4S、再起度』
ポッドの声を合図にして、全環境センサーが久方振りにアクセルを踏んだ。
システムオールグリーン。ブラックボックス信号正常。バイタルも至って良好。『健康一番任務は二番』というH型の鼻歌が脳裏を過ぎる。思わず口ずさんでしまいそうだ。
『再起動を確認。おはようございます、4S』
「おはようポッド。早速だけど、命令だ。この間みたいに、また00番台の口調で話してくれ」
『了解:今度はいつまで続ければいいの?』
「僕の気が済むまで、かな」
『最近の貴方の指示は具体性に欠けるわ』
「自覚はしてるよ。とりあえず、一週間はそのままでお願い」
『クソ長いわね……』
A2さんの影響だろうか。独特の表現に苦笑いをしながら、辺りを見渡す。
僕は小さな一室のベッドに寝かされていたようだ。座標位置から察するに、ナインズが言っていたレジスタンスが集うキャンプの敷地内。先の降下作戦の前哨基地にも指定された一画だった。
(……ナインズ?)
腑に落ちないのは、ナインズの姿が見当たらない点。再起動開始の直前まで、傍でリモート操作をしていたはずだけれど、もう行ってしまったのだろうか。
首を傾げていると、扉の向こう側から足音が聞こえた。こつんこつんという、女性型のヨルハ機体特有の靴音だった。
「おはよう、4S。調子はどう?」
ヨルハ二号B型。2Bさんは脇に抱えていた小さなコンテナをテーブル上に置いて、小さな微笑みを浮かべていた。
「良好です。二人のおかげで、助かりました。本当にありがとうございます」
「礼ならレジスタンスの皆に言うといい」
「それ、ナインズも言ってましたよ」
「そう……でも、本当に良かった」
「2Bさん?」
やや俯いた2Bさんの顔を覗き込むと、そこには感情の証があった。
思わず言葉を忘れた。溢れんばかりの感情は表情となり、温かく優しさに満ちた笑顔を湛えて、2Bさんが右手を差し出してくる。僕がその手にそっと触れると、笑みは益々深まっていく。
「仲間が一人でも多く生きていてくれて、とても嬉しい。私からもお礼が言いたい。ありがとう、4S」
「……暫く会わないうちに、変わりましたね、2Bさん。まるで別人です」
「そう見える?」
「はい。そう見えます」
「じゃあ、そうなんだと思う」
気付かない訳がない。彼女と作戦行動を共にしたことはないけれど、バンカーでは何度も顔を合わせていたのだから当たり前だ。
『感情を持つことを禁止する』という部隊内の規則は、実のところほぼ形骸化していた。洗濯班の『衣服を裏返しにして脱ぐな』という呼び掛けの方が、ずっと拘束力があった。そんな中、2Bさんはとりわけ感情を抱かないよう自制していたように思う。押し隠していた、と言った方が適切かもしれない。
何が彼女を変えたのか。口に出すのは野暮という物だ。大方を察することはできる。
「4Sのことは、キャンプのリーダーに話してある。必要なら、私がここの案内をしてあげるけど」
「いえ、それには及びません。2Bさんにもやることがあるみたいですし……。それ、何ですか?」
僕が指差したのは、先ほど2Bさんが抱えていたコンテナ。コンテナの中には衣服と思しき布類が詰め込まれていて、2Bさんは溜め息を付いてから言った。
「これは洗濯物」
「え……え?洗濯?」
「洗濯は想定していた以上に難しい。干す時に破いてしまうことが多々ある。今なら洗濯班の苦労が身に染みて理解できる」
戦闘に特化したモデルが洗濯をすると、そうなってしまうのだろうか。寧ろ個体差による影響の方が大きいように思えて仕方ない。とりあえず、触れないでおこう。
「ところで、ナインズとA2さんは何処にいますか?」
「ナインズなら、急に頼まれていた仕事を思い出したって言って、慌てて奥の倉庫に……ああ、成程」
2Bさんは先ほどよりも大きな溜め息を置き、やれやれといった様子で困り顔を浮かべた。こんな表情の彼女を見るのも、初めてのことだ。
「A2は、もういない。いつも独りで行動しているから。でも彼女の行き先には心当たりがある。ポッド、お願い」
『了解:ポッド117へ座標データを送信』
『報告:座標データの受信を確認。マップにマークしたわ』
広域のマップを立ち上げ、ポッドが受信した座標データと照合、拡大。マークされた座標はこのキャンプの北部、商業施設跡地の東南東。森林地帯の一画を示していた。
「まだそう遠くには行っていないはず。A2に会いたいの?」
「会いたいといいますか、まあ、はい。まだお礼も言えていないから」
「そう。なら急いだ方がいい。今から向かえば追い付けると思う」
「……すみません、また改めて伺います。ナインズにも、宜しく伝えておいて下さい」
「私達のことは気にしなくていい。君は君がしたいようにすればいい。その方が、私も嬉しい」
「それは……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だけど……」
本当に、変われば変わるものだ。きっとこちらが本来の彼女なのだろう。
折角背中を押されたんだ。直情的に、行き当たりばったりな行動を取ってみよう。後先を考えず、目先だけが見えていればそれでいい。さあ、外へ飛び出そう。
___________________
「おっと」
右脚のつま先が小岩に引っ掛かり、バランスが崩れる。自動制御が機能しているとはいえ、やはり本を読みながら歩くという行為は今一慣れない。
『おねえチャン、ソレ面白いノ?』
「いや、クソつまらん。というより理解不能だ」
以前のパスカルは、こういった類の書物を好んで読み耽っては、独自の解釈を重ねていた。物は試しにと数冊に目を通してみたものの、その先にあったのは『無』だ。ただの文字の羅列としか捉えることができないのだから、感想など生まれようがない。
どうやら私達の主たる人類は、不毛な考察に人生を捧げてしまうぐらい、平和を謳歌していたらしい。私も私で、無益な時間を過ごしたようだ。
「ん……な、何だ?」
突然、何者かの急速な接近を感知した。背後から、何かが来る。
一定の間隔でやってくる地響き。四足歩行型の機械生命体―――いや、違う。この足音は大型動物のそれだ。確か、シカと呼ばれる草食動物。
「えっ」
「待って下さい、A2さん―――うわあぁ!!?」
シカが急停止するやいなや、その背に跨っていたアンドロイドは勢いをそのままに前方へ飛んでいき、やがて廃墟に絡みついていた大木へ背中から衝突した。
「ぐはぁあ!!」
けたたましい音が鳴り響いて、地面にドサリ。続いて激しい咳込みと呻き声。痛々しいことこの上ない。
私は今何を見ているのだろう。目の前で蹲る元引き籠りの馬鹿に、何と声を掛けてやればいいのだろうか。誰か教えて欲しい。
「ご、ご無事でしたか、A2さん」
「お前が無事か」
『キャー!たのしソー!』
『たのしソー!』
よろよろと起き上がるスキャナーモデル四号。新型だから4Sという呼称が正しかったか。2Bもこいつをそう呼んでいた。
四号モデル。また何かが脳裏を過ぎった気がするが、その型番には何の意味もない。雑念を振り払って、私は一応の声を掛けた。
「何の真似だ……訳が分からん。一体何しに来た」
「えーと。まだお礼すら言えていなかったので」
「礼?」
「はい。僕が助かったのは、A2さんのおかげですから。だから何か、お返しができればと思いまして」
下らない。あれはただの結果論だろう。事切れる寸前の4Sをリカバリーしたのは2Bと9Sだし、勘違いも甚だしい。
それに私は、借りを返したかっただけだ。私が頼んでもいないのに、4Sは折角だからと言って、数冊の書物を受け取るよう促してきた。そのどれもが、かつてのパスカルが好みそうな物だった。ただそれだけの話だ。
「やれやれ。スキャナーモデルというのは、もう少し知的な個体だと思っていたんだがな。私の記憶違いか?」
「それはスキャナーがどうという話ではなく、僕のパーソナリティの問題だと思います」
「お前の?」
「初期投入された四号モデルは、当初それなりの評価を得ていたので、積極的に配備されていたんです。ですが一時期から、パーソナリティに関する指摘が相次ぎまして。特定の状況下で、判断力が著しく低下するようなんです」
―――ズキン。まただ。また何かが引っ掛かった。私は今、明確な不快感を抱いている。
やめろ。聞きたくない。違う、そうじゃない。間違っていたかもしれないけど、間違っていなかった。私は、貴女に。
「僕も同じなのかもしれません。僕もあの城の図書室で……引き籠りと称されても、仕方ありませんよ」
「おい」
気付いた時には、手が出てしまっていた。
私の右手は4Sの首を鷲掴みにして、目を見開いて4Sの瞳を覗き込みながら、思い付くままに言葉を並べていた。
「安易に自己を卑下するな。四号モデルなら、四号モデルとしての誇りを持て。いいな」
「え、A2さん?」
「分かったのかと聞いている」
「っ……は、はい」
いつからだろう。ヨルハ型との遭遇は、戦闘と破壊に等しかった。何体もの追撃部隊を撃退しては、戦いに明け暮れる日々を続けてきた。2Bと9Sとの戦闘も、その一つに過ぎなかった。
しかしあの邂逅を境目に、私の中の何かが変わりつつある。とりわけこの引き籠りのクソガキは、出会ってまだ間もないというのに、私を苛立たせる。
どうして私について来る。ついて来るなと追い払いたいが、どうだっていい。どうだっていいはずだ。今は、それでいい。
___________________
振り向きざまに、斬られたりしないだろうか。内心怯えつつ、一定の距離を保ってA2さんの背中を追い続ける。隠そうともしない苛立ちが前方から放たれているけれど、多分大丈夫だろう。そう信じたい。
歩を進めるに連れて、段々と周囲から建造物が減っていき、やがて巨大化した植物が生い茂る一帯へと差し掛かる。
「この辺りには確か、パスカルと名乗る機械生命体が形成した村がありましたよね」
「……知っていたのか?」
「ナインズが提供してくれた個体データに、パスカルに関する物もありましたから、ある程度は。かなり特殊な進化を遂げた個体だそうですね」
ネットワークから独立して自我を形成した機械生命体の中でも、とりわけ高度な知性を備え、平和を主張し続ける。自我は女性型なのに、時折自身を「おじちゃん」と呼ぶ。データから分かるのはそれぐらいだけれど、僕も少なからず関心を抱いてはいた。
大木の枝上を進んでいくと、一目で人類の建築様式を模倣したと分かる一画に辿り着く。確かに機械生命体の反応はあるけれど、数は微々たる物だった。
「A2さん。ここへ用があるんですか?」
「まあな……。あいつだ」
視線の先には、一体の中型二足。A2さんが近付くと、機械生命体はよろよろと顔部を向けた。
『おや、A2さん。またいらしたのですね』
「ああ。久し振りだな、パスカル」
「え……?」
個体データと眼前の中型二足を照合する。データ上は完全に一致しているし、A2さんの様子から察するに、彼女がパスカルと名乗る機械生命体と見て間違いない。
けれど眼前には、予想だにしない光景が広がっていた。あまりに異質だった。
「お前、また……工業用アルコールは控えろと言っただろう」
『これがどうにもやめられなくて。A2さんも如何ですか?』
「いらん」
機械生命体が、飲酒?突拍子がなさ過ぎて、理解が追い付かない。飲酒を嗜むアンドロイドはともかく、機械生命体がアルコールを摂取するだなんて話は聞いたことがない。
「この間渡した本は、もう読んだのか?」
『ああ、あれですか。いつだったか、睡眠中に冷却水が凍り付いてしまいまして。手早く溶かすために、火種に使わせて頂きました。おかげ様で助かりましたよ』
「……そうか。パスカル、少し音量を抑えてくれ。この子らが怯えている」
『はて。この子、とは?』
「音量を抑えてくれればそれでいい」
まるで噛み合っていないやり取り。言葉は流暢でも、肝心の知性が感じられない。A2さんにしがみ付いていた小型二足達も、完全に畏縮していた。
得体の知れない不気味さを抱いていると、パスカルの四肢が突然痙攣を始め、次第に口部から茶色の液体が噴出し始める。
『ううぅ、ご、おえええぇぇええ』
「っ……!」
勢いよく吐き出したパスカルは、やがて力なく前方に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなる。液体燃料とアルコール混じりの吐瀉物を浴びたA2さんは、異臭を放ちながら、足元のパスカルを見下ろしていた。
A2さんは、何も言わなかった。
僕も何も言えなかった。代わりに僕は、見入っていたのだろう。
(―――!)
銀色の長髪から液体がぽたぽたと滴り落ちて、人工皮膚が剥がれ露わになった肢体が、木漏れ日に照らされる。
その光景に、僕は高揚していた。そんな自分に、僕は愕然とした。最低だな、と思った。