「やれやれ。これはキリがないな」
白色の瓦礫を持ち上げては、後方に投げ飛ばす。作業を開始してから三時間以上経つというのに、目の前の光景は変化が乏しく、まるで終わりが見えてこない。
瓦礫の撤去作業は、辺り一帯で活動しているアンドロイドにとって、日常の一部と化しているらしい。巨大建造物の崩壊後、地上に残されたのは、文字通り山のような瓦礫。大きい物では十数メートル四方にも達し、僕やナインズは勿論、2Bさんでも動かすだけで一苦労だった。
「ナインズ。もう少し効率の良い方法はないのかな?」
「前に機械生命体をリモート操作してみましたけど、こういうデリケートな作業は向いてないですね。結局は手作業に戻っちゃいました」
「まあ、それしかないか」
単純な撤去作業といえど、重要ではある。拠点間を結ぶルートが塞がれたままでは物資の搬送が滞ってしまうし、何より崩壊に巻き込まれてしまったアンドロイドも、決して少なくはないと聞かされている。生存の可能性は望めなくとも、仲間達の下へ帰してあげたいという想いは、僕にだってある。
「4S、少し休憩しましょう。急いても仕方ありませんしね」
「了解。2Bさんは?」
「あそこですよ」
ナインズの視線の先で、2Bさんは夢中になって作業を続けていた。「掘削は得意。覚えがある」と語った2Bさんはとても凛々しく、頼り甲斐があった。繊細さを求められる洗濯よりも、こういった作業の方がしっくりくるのだろう。何ごとにも得手不得手がある。
「それにしても、この瓦礫達が元は建造物だったなんて、想像も付かないよ」
「無理もありません。世界的に見て前例のない異常事態でしたから」
「……ナインズは、塔の中へ入ったと言っていたね」
「それは……はい」
「君はそこで、何を見たんだい?」
暫しの静寂が訪れる。ナインズは口を閉ざしたまま、複雑そうな面持ちで目の前の瓦礫を見詰めていた。
曖昧に問い掛けた理由は、返答を期待していないからに他ならない。きっと僕には理解し得ない物があるのだろう。
「冗談さ。今のはただの意地悪だ」
「……この際だから、聞かせて下さい。4Sは何処まで、知っているんですか?」
「何も分かっていないと思うよ。でも僕なりに考えていたことはある。例えば、僕らの人類に対する忠誠心は―――最早無意味なんじゃないか、とかね」
またもや返事がない。見れば、ナインズは口を半開きにして、自我データを失ったかのように呆然としていた。
やっぱりか。今更になって、漸く確信に辿り着いた。アンドロイドとしての本能が現実を拒絶する中、僕は淡々と言葉を並べた。
「勿論、確信はなかったよ。垣間見てきた記録の断片を元に憶測を重ねて、一つの可能性に思い至ったというだけさ。その様子だと、間違ってはいなかったみたいだね」
「……驚きました。僕以外にも、いたなんて」
僕に限った話でもない。疑念を抱いていた個体は、僕以外にも存在していたはずだ。高スペックの801Sなんかは、僕と同じ立ち位置にいたように思える。
しかし少なくとも、僕は疑念に留めていた。知ってしまったら何が起きるか、何をされるのか、想像に難くなかったからだ。司令官に問い質せばもっと早く真実に近付けたかもしれないけれど、可能性を確かめるために、そんな真似ができるはずもなく。
「4Sは……随分と平気そうに、言うんですね」
「そうでもない。僕だって君と同じだ。気を抜いたら泣き喚いてしまいそうだよ。そうプログラミングされているのだから、仕方ないさ」
平気な訳がない。『人類に栄光あれ』という言葉に凝縮された概念は、論理思考の根柢であり、僕らの存在意義その物だ。そしてそれらは、決して切り捨てることができない。
植え付けられた忠誠心は、何処までも僕らに付き纏う。
人恋しさに苛まれて、存在しない物を求めてしまう。未来永劫、ずっと。
「だからこそ僕らは、生きるという行為に意味を見い出そうとする……この間も、似たような話をしたっけ」
どうしてだろう。ナインズと会話を交わしていると、決まって小難しい話に繋がる。
「言われてみれば、確かに。でも僕は好きですよ、こういうの」
「僕もさ。ほど良く気が紛れる」
「何の話をしているの?」
語り合っていると、先ほどまで掘削作業に没頭していた2Bさんが背後に立っていた。僕らと同じく一服をしに来たのだろう。
ちょうどいい。彼女には一つ、協力して欲しい案件があった。
「ただの雑談ですよ。それより2Bさん、貴女に手伝って欲しいことがあるんです」
「私?」
2Bさんが必須という訳ではないけれど、きっと彼女がいてくれた方がいい。
「私にできることあるなら、言って欲しい」
「よければ僕も手を貸しますよ、4S。何をすればいいんですか?」
「……頼みごとが、A2さん絡みでも?」
口にしてから、若干後悔した。ナインズは複数の感情がない交ぜになった表情を浮かべると、拒絶を意味する言葉を小声で呟き、僕らと距離を取った。
やはり駄目か。ナインズの様子を見守っていた2Bさんは、肩を落として溜め息を付いた。
「はぁ……。すまない、4S。ナインズも、悪気がある訳じゃない」
「いえいえ。僕も少し態度が悪かったです」
あの二人が見舞われた一連について、僕には知る術がない。彼の背中が「触れないで欲しい」と告げているように思えて、踏み込めないのだ。少なくとも今は、僕から切り出すべきではないのだろう。
「きっと時間が解決してくれる。私は、そう信じてる」
それなら、僕もそう信じよう。信じる者は救われる、という言葉を、何かの書物で読んだ気がする。
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パスカルの村で暮らす機械生命体の数は、パスカルを含め七体。
いつも私について来る小型二足は、前々からこの村で暮らしていた、たった二体の生き残り。残りの四体は、あの後に流れ着いた個体だ。二体の中型二足と小型飛行体、大型二足。どいつも知性は低く、会話すら儘ならない。
『おねえチャン、おねえチャン』
記憶が消えたパスカルは、自分の名前すら覚えていなかった。他の機械生命体と比較すれば言葉は流暢で、ある程度の知性を保っていたが、別人格と言っていい。言動に一貫性はなく、支離滅裂だ。感情らしき物は窺えるものの、飲酒を覚えてからはトリップとスリープを繰り返すばかり。今も私の傍らで眠っていた。
『おねえチャン、おねえチャン』
「意味もなく呼ぶな。鬱陶しい」
お姉ちゃん。小型二足からそう呼ばれる度に、自然と蘇ってくる記憶達。
私には『家族』という概念がなかった。『家族みたいなもの』だと自称するレジスタンスの集団と出会い、私は戸惑うばかりだった。行動を共にするようになってからも、私はずっと考え続けた。
家族とは何だろう。絶望的な状況の中で浮かんだ想い。自問自答をしながら、段々と私の中で何かが形成されていき―――やがてそんな日々は、唐突に終わりを告げた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「鬱陶しいと言ってるだろう」
ねえ、四号。私が貴女をお姉ちゃんと呼んだら、貴女はどんな顔をするのだろう。
貴女が私をお姉ちゃんと呼んだら、私は何を想うのだろう。
私の今の行動に、意味はあるのだろうか。今の私の姿を見て、貴女は何を言うのだろう。
私はここで、何を―――あれ?
「お姉ちゃん、お姉ちゃ……待って、待ってA2。落ち着いて、斬らないで。お願い」
「うるさい死ね」
「声を掛け辛かったから、この子達の真似をしただけ。他意はない。ないからお願い、お願いだから」
どうにか踏み止まれたのは、ポッドが間に割って入ったおかげだろう。どの道切り捨てられても文句は言えまい。不意打ちに及んだのはそちらなのだから知ったことか。
「ったく。黙って村に入るな。一体何しに来た」
「お姉ちゃんに用があるのは私じゃない。実は4Sがって違う、今のは本当に違う、間違えた、間違えただけ。痛い、痛い痛い」
「A2さん、落ち着いて下さい!」
「……4S?」
刀身が人工皮膚を僅かに裂いたところで、漸くその存在に気付く。
4S。先日も私の後を追ってこの村を訪ねたS型が、慌てた様子で制止の声を上げていた。私が渋々軍刀を納めると、4Sは数冊の本を取り出す。
「今日は別の本を持ってきました」
「別の本?」
「はい。A2さんは、パスカルに哲学関連の本を贈っていましたけど、ハードルが高過ぎると思うんです。なので今回は、児童書というカテゴリーのシンプルな物を持ってきました」
児童書。小型二足が好んで読む絵本のような物だろうか。分類名から察するに、恐らく近しい類だろう。
取り立てて拒む理由は見付からない。私だって何かを期待して哲学書を読ませた訳じゃないし、結果としては記憶を失う以前の嗜好を無理強いさせただけで、何の実りもなかった。今のパスカルにとっては、少なくとも酒よりは余ほどマシだ。
「おいパスカル、起きろ。客だ」
私が右脚で頭部を小突くと、パスカルは熱気を吐き出しながら、よろよろと起き上がった。
『イタタタ……。A2さん、どうかしましたか?』
「こんにちは、パスカル。今日は君に本を持ってきました」
『本?私は本よりもアルコールの方が……』
「まあまあそう言わず。この中から好きな物を選んで下さい。僕が読み聞かせてあげます」
4Sが言うと、小型二足がキャーキャーと騒ぎ始め、続いて宙に浮かんでいた飛行型、更には中型二足と大型二足らもゆっくりとした足取りで4Sの下へと向かった。
これには大いに驚かされた。自我に乏しい個体達が初めて見せた、協調性だった。
「ふうん……まあいい。2B、お前は何でここにいる」
「後で感想を言い合おうって4Sが。人数は多い方がいいって」
「あのクソガキはどうした。一緒じゃないのか」
「誘ったけど断られた」
「フン。私も随分と嫌われたものだな」
理由は聞くまでもないか。どうだっていいことだ。
2Bが私に託した記憶は、最早過去の物だ。2Bの「お願い」の大半を占めていた9Sへの想いは、既に私を離れている。私がどうこう考えることじゃない。
苦笑いをしていると、私の隣に立っていた2Bが、落ち着かない様子で気まずそうな声を漏らした。
「A2。一つ、確かめたいことがある」
「何だ急に」
「懐かしさ、みたいな物だと思う。あんな感情を抱いたのは今日が初めて。私はあの感覚を、もう一度確かめたい」
「だから、何の話だ?」
「……もう一回、間違えてもいい?」
私は迷わず斬機刀を振り下ろした。