アンドロイドはかく語りき   作:ゆーゆ

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アジに未来を

 

 先の大戦で地盤が崩れ、街そのものが沈下しつつある沿岸エリア、通称『水没都市』。初めてこの一帯を訪れた時には多数の機械生命体が徘徊していたけれど、今現在は僕一人―――ヨルハ九号S型だけだ。

 

「……反応なし、か」

 

 特殊スキャナーを用いたヨルハ型アンドロイドの捜索は、ここ最近の日課となっていた。地上に残されたヨルハ機体は僕と2B、そしてA2のみ。そう思い込んでいた僕らに新たな可能性を与えてくれたのは、4Sの生存だった。

 あと少しでも発見が遅れていたら、取り返しの付かない事態を招いていたに違いない。僕らは知らぬ間に諦めていたのだろう。論理ウィルスによる汚染、軍事衛生基地バンカーの崩壊に見舞われながらも、生き永らえていた仲間はいたのだ。

 そして今も遠い何処かで、救いを求めている仲間がいるのかもしれない。泡沫のような希望といえど、可能性は決してゼロではない。

 

「ナインズ!」

 

 背後から声が聞こえた。振り返ると、右手をひらひらと振りながら歩く2Bの姿があった。

 彼女がこちらへ向かっていることには大分前から気付いていた。微弱な信号でも感知可能なスキャナーを作動させているのだから当たり前だ。

 ブラックボックス信号は2Bの一つだけ。一緒に行動していたであろう4Sの反応は見当たらない。

 

「4Sは一緒じゃないんですか?」

「A2と一緒に、森の城へ行くと言っていた。図書室で本を探したいみたい」

「……そうでしたか」

 

 A2。その名を耳にする度に、ノイズのような何かが感情に入り混じる。

 平静を装って、僕は話題を振った。

 

「パスカルの調子はどうでした?」

「相変わらず。でも変化の兆しはあるんだと思う。それに、A2もそう」

「A2?」

「4Sのおかげかな。最近のA2は、少しだけ雰囲気が変わった気がする。少なくとも、私はそう思う」

 

 思わず視線を斜め上の方へ向けた。2Bに悟られないよう、バイタルを落ち着かせる。

 何度同じことを繰り返せばいいのだろう。2BがA2の名を口にするだけで、罪悪感や負い目にも似た感情に苛まれて、居た堪れなくなる。4Sが来てからは、その回数が倍に増えていた。

 

「……ナインズ、そのまま」

「はい?」

「いいからそのまま」

 

 突然、背後から腕を回された。

 2Bの柔らかな匂いが僕を包み込み、衣服越しに体温が伝わってくる。後頭部に頬擦りをされて、一切の身動きが取れなくなる。とても柔らかくて、温かい。

 

「……2B」

 

 2Bは答えない。いつだってそうだ。2Bは僕を抱いている間、言葉は不要だと言わんばかりに口を閉ざす。

 けれども、背後から抱かれる時はその意味合いが異なる。決まって僕に何かしらの『後ろめたさ』がある時だ。僕の胸中を察して、面と向かって目を合わせることができない僕を気遣い、正面ではなく後ろから。そうして僕は、何も言えなくなる。

 

「いい天気だね」

「釣り日和です」

「……する?」

「やめておきます。もう少し、このままで」

 

 どれぐらいそうしていただろう。上空を仰ぐと、雲一つない快晴が広がっていた。周辺からは波のさざめきと小鳥のさえずりだけが聞こえてくる。

 そんな僕と2Bの二人だけの世界に―――ポッド153が、予想だにしない横槍を入れた。

 

『報告:ブラックボックス信号を感知』

「え……ぽ、ポッド。何だって?」

『繰り返す。ブラックボックス信号を感知。生命活動の反応を確認』

「「!?」」

 

 即座に振り返り、2Bと一緒に口をパクつかせた後、周囲を見回す。

 聞き慣れた飛行音があった。ポッドがマップ上にマークしたのと同じ方角から、黒色の機体が急接近していた。

 

「あれはっ……ナインズ、あれって飛行ユニット!?」

「そ、そうみたいです。でも、様子がおかしい」

 

 バンカーと共に消失してしまったはずの全領域対応多用途戦術戦闘機、通称飛行ユニット。誰が何故、どうやって。全てを後回しにするとしても、挙動が目に見えて変だ。

 恐らくはオートパイロットで飛行しているようだけれど、自律行動は精度に欠けるし、特に離着陸はマニュアル操作が基本だ。しかし機動形態への変化は見られず、速度も出過ぎている。

 まさか、飛行形態のまま着陸するつもりか?あまりに危険だ。搭乗者は一体何をしている。

 

「来る!」

 

 飛行ユニットは寸分違わず僕と2Bが立っている地点を目指して飛来し、やがて斥力リングを最大展開、急激な減速を始めた。干渉光が太陽の如く輝いて、飛行形態のまま水面と接触。水飛沫を撒き散らしながら段々と速度が落ちていき、まるで計ったかのように、機首が僕らの足元へと乗り上げて停止した。

 まさに紙一重。大破は免れたようだけれど、搭乗者は無事だろうか。

 

「遠隔で操作します。2B、機首を起こせますか」

「了解」

 

 2Bが力任せに機体を起こすと同時に、ハッキングで緊急射出の手順を踏む。するとフロントアーマーが左右に展開し、搭乗者が機体から解かれて、僕は慌ててその身体を正面から受け止めた。

 

「よいしょっと……2B、もう大丈夫です」

 

 搭乗者を仰向けに寝かせて一息付き、様子を窺う。

 女性型のアンドロイドだった。肩まで届く髪は金色で、左頬の目元に小さなほくろが一つ。戦闘型でないことは、一目見ただけで分かる。

 

「ポッド。チェックモジュールと、念のために論理ウィルスワクチンを。それと識別信号の確認だ」

「ナインズ、どう?」

「……多分、無事ですよ。スリープモードに入っているだけです」

 

 ウィルス汚染の症状は見られない。バイタルも安定している。しかしスリープモード中に飛行ユニットに搭乗して、しかも飛行形態のままオートパイロットで水面への胴体着陸だなんて、無茶苦茶だ。

 一体彼女に何があったのだろう。逸る気持ちを抑えて、必須項目を一つずつ点検していく。

 

『報告:識別信号、及び飛行ユニットのIDを確認。搭乗者はヨルハ機体十号H型』

「「10H?」」

 

 ヨルハ機体十号H型。10H。聞き覚えがある名だ。2Bにも心当たりがあるようで、首を傾げて10Hさんの寝顔を見詰めていた。

 

「確か10Hは、海底に設置されたバックアップサーバーの保守を担っていたはずだけど……」

「僕もそう記憶しています」

 

 水深一万メートルという深海に人知れず設けられた、各種データのバックアップサーバー格納庫。任務の詳細は把握していなかったけれど、10Hさんはサーバーの保守点検を任されていたはずだ。

 益々分からない。彼女が今まで何処で何をしていたのか。広域ウィルスによる汚染から逃れ、そもそも何故飛行ユニットで、上空から。本人に訊ねる他ないけれど、釈然としない。それこそ、同胞の生存を素直に喜べないほどには。

 

「んん……」

 

 疑問符を浮かべていると、10Hさんが擦れた声を漏らし始める。次いで10Hさんは―――大粒の涙を、目元に浮かべた。

 

「……バイバイ、ポッド」

 

 ぼろぼろと止め処なく溢れ出る、感情の証。寂しげで、それでいて頑なな意志が込められたかのような、不思議な表情。

 僕と2Bは口を閉ざしたまま、彼女の目が覚めるまで、零れ落ちる涙の跡を見詰めていた。

 

___________________

 

 

 ナインズと2Bさんが10Hさんを保護してから、一週間後。僕は彼らが滞在中のレジスタンスキャンプに向かっていた。

 10Hさんが見舞われた一連の経緯は、9Sを介して聞かされていた。10Hさんも大分落ち着きを取り戻せたようで、互いの状況確認を踏まえ、改めて話をしようと約束していたのが今日。十二月に入って間もなくのことだった。

 

「どうして私まで行かなきゃならないんだ……」

 

 パスカルの村を発って以降、A2さんは不満を溢してばかり。皆で落ち合おうという約束からA2さんが外れる道理がないと考え、多少強引に僕が連れ出していた。2Bさんからも宜しく頼まれていたし、渋々ながらも同行してくれて一安心だ。

 

「まあまあそう言わず。一つ貸しということで」

「ならパスカルをどうにかしろ。最近は私にまで読書を強要してくる。クソ鬱陶しい」

「良い兆候じゃないですか。以前のパスカルとは大違いです」

 

 他愛もない会話を交わしながら、レジンスタンスキャンプの一画に差し掛かる。サンシェードが張られた入り口付近には、キャンプのリーダーを担う女性アンドロイド、アネモネさんの姿があった。

 

「やあ二号。暫く振りだな。いや、A2と呼んだ方がよかったか?」

「どっちだっていい。好きにしてくれ」

 

 アネモネさんはA2さんの数少ない旧友の一人で、僕にとっても貴重な存在だ。この人を前にすると、A2さんは決まって表情を和らげる。気さくに声を掛け合う二人を見ていると、羨ましいとさえ感じてしまう。

 

「4Sも一緒か。君はよくよく四号モデルと縁があるな」

「アネモネ」

「……すまない。失言だった」

「別に謝れとは言ってない」

 

 四号モデル。まただ。僕のパーソナリティについて言及されたのは、これが二回目。

 A2さんと共に初めてパスカルの村を訪ねた時も同様だった。あの時のA2さんは、僕の中に僕とは異なる何かを垣間見ていたように思える。あれは何だったのだろう。

 記憶を巡らせていると、A2さんは僕を追い払うような仕草を取って、平然と告げた。

 

「2B達に会いに来たんだろう。さっさと行ったらどうだ」

「え……い、一緒に行かないんですか?」

「私はキャンプに来いと言われただけだ」

「うわあ……」

 

 まさかの展開だった。あれほど文句を並べていたのに、寸前で拒絶されるとは思ってもいなかった。せめて10Hさんに顔を見せるぐらいはしてくれてもいいだろうに。

 ともあれ、嘆いていても仕方ない。僕だけでも目的を果たすとしよう。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 向かった先の約束場所はキャンプの外れにある一室、ナインズと2Bさんが普段から滞在している個室だった。錆だらけの扉を数回ノックすると、室内からはナインズの応答があった。

 

「開いてます。どうぞ」

「お邪魔するよ。……あれ、ナインズだけかい?」

 

 扉の先に座っていたのはナインズだけで、肝心の10Hさんと2Bさんの姿が見当たらない。外出中だろうか。

 

「二人なら、資材倉庫に行ってます」

「倉庫?」

「そろそろ戻ってくるはずですけど……ああ、ちょうど来たみたいです」

 

 ナインズの視線を追って振り返ると、小さな笑みを浮かべる2Bさん、そして大仰に腕を振る10Hさんが二人揃って歩いていた。10Hさんの様子から察するに、容体に心配はないのだろう。

 

「どうも、10Hさん。調子はどうですか?」

「うん。大分落ち着いたかな。えーと、4S君、だよね」

「4Sでいいですよ」

「ええー。私ってさ、S型は君付で呼びたいんだよね。何かその方が似合ってるし。うんうん、4S君の方がいいよ。はい決定!」

「……どうぞお好きに」

 

 僕には到底理解できそうにないけれど、呼称なんて些細なことだ。きっとナインズも9S君と呼ばれているに違いない。

 気を取り直して2Bさんと挨拶を交わすと、2Bさんはきょろきょろと室内を見渡して、怪訝そうな面持ちで言った。

 

「A2は一緒じゃなかったの?」

「キャンプ内に来てはいるんですが、直前で断られてしまいまして。すみません」

「またA2は……。待ってて、私が連れてくる。何処にいるの?」

「え?あ、アネモネさんの所だと思いますけど」

 

 言うやいなや、2Bさんが駆け足で飛び出して行く。一方のナインズは我関せずといった様子で視線を落とし、10Hさんは突然のことに戸惑いを隠せないでいた。

 ほどなくして。室外から、口論にも似た荒々しい声が聞こえ始める。

 

「仲間に対して失礼。顔ぐらい見せてあげて」

「分かった、分かったから手を離せ」

 

 2Bさんに腕を掴まれてやって来たA2さんは、不機嫌さを露わにしながら、10Hさんと向かい合った。

 

「……え?」

 

 対する10Hさんは立ち尽くしたまま、声を失っていた。小さな肩が、小刻みに震えていた。

 極々自然な反応なのだろう。他モデルの四肢を流用したヨルハ機体の旧型が、突然目の前に現れたのだ。本来ならあり得ない歪な存在を受け入れるには、相応の時間が必要だ。

 

「A2だ」

「あ……。その、10H、です。どうも」

 

 最低限の言葉を交わしてすぐ、A2さんは室内を後にした。そっと扉を閉めた2Bさんが、落ち着いた声を掛ける。

 

「A2について知りたかったら、本人に聞けばいい。私達が話すことじゃない。10H、それでいい?」

 

 10Hさんがゆっくりと頷くと、2Bさんが両手をぱんぱんと叩いて言った。

 

「じゃあ、話をしよう。これからのことを含めて、私達は話し合う必要があるんだと思う」

 

 10Hさんと2Bさんが部屋の隅に置かれていたベッドに腰を下ろし、僕とナインズは簡易な折り畳み式の椅子を持ってきて、二人と向かい合うように座った。

 漸く本来の目的に辿り着けた。僕らが集まったのは、今後について話し合うために他ならない。僕は勿論、ナインズ達もキャンプの復旧活動に時間を費やす日々が続いていたけれど、そろそろ頃合だ。

 初めに口を開いたのは、10Hさんだった。

 

「えーとね。月面での出来事は、前にも話した通りだよ」

 

 アンドロイドの創造主たる、人類の絶滅。そして月面の人類会議という虚構。既に僕らの知るところではあるけれど、10Hさんが触れた真実は次元が異なる。

 この人は、直に目の当たりにしてしまったのだ。月面に存在するはずの、僕らの存在意義その物が、空っぽだったという真実を。

 

「飛行ユニットで地上に向かう辺りから、記憶が曖昧なんだけど……今じゃもう、どうでもいいかなって思ってる。だって、みんなに会えたし」

「私達も、貴女と会えて嬉しい。ありがとう、10H」

 

 2Bさんが微笑みをそのままに、一方の10Hは少しだけ恥ずかしげに、互いの手を取り合う。その様子を見守っていた僕とナインズは、二人の邪魔をしないよう話の矛先を変えた。

 

「各地のレジンスタンス達は、今の状況をどう捉えているのかな」

「『まるで訳が分からない』って感じだと思いますよ」

 

 バンカーの崩壊は隠し通せるものではなく、既にレジスタンスの間でも広まりつつある。しかし月面の人類会議から、と偽装された定期連絡は滞りなく届いているし、一方では第十四次機械兵器戦争の『終結』が宣言されたのが九月初旬。確かに機械生命体の数は減少しているけれど、攻撃的な個体が消えた訳でもない。

 

「バンカー以外の軌道衛星基地は健在だよね。どうして地上には一向に情報が下りてこないんだろう」

「今に始まった話でもないです。地上と軌道衛星会議は分断されていると言っても過言じゃありません」

「要するに、一言で纏めると?」

「『まるで訳が分からない』」

「……僕らも同じってことだね」

 

 そうなのだ。僕らヨルハ型はある程度を把握しているけれど、地上で活動中のレジススタンスにとっては『まるで訳が分からない』事態に陥っているのだろう。それほどに連携が取れていない体制の中、唐突に戦争の終結宣言が為されてしまったら、混乱の一途を辿ってしまう。

 肝心の人類会議は存在せず、上層部の動きも分からない。状況の打開策も見当たらない。ないない尽くしだ。

 

「当面は僕達も、様子を見るしかないと思いますよ。あれこれ考えても仕方ありません」

「確かにそうだけど、もう少し―――」

「ねえねえ」

「はい?わわっ」

 

 話の腰を折られると同時に、10Hさんの顔が急接近した。10Hさんは僕の顔を両手で押さえ、まじまじと見詰めた後、大きな溜め息を付いて僕らを見渡した。

 

「小難しい話は置いといてさ。三人に大事なことを言うね」

 

 若干の間を置いてから、10Hさんは僕らを指差して言った。

 

「不健康」

 

___________________

 

 

「不健康」

「何で二回言ったんですか?」

「大事なことだからだよ!2Bも9S君も4S君も、みんな揃って不健康過ぎるって言ってるの」

 

 あまりに突然のH型による指摘に戸惑っていると、10Hさんは捲し立てるように言葉を並べた。

 

「誰も自覚してないみたいだけど、かなり酷いよ。ヨルハ型は確かに高性能だけど、従来型と違ってすっごくデリケートな領域もあるの。そこのところ、理解してる?」

「でも私達は定期的に、ポッドのメンテナンスは受けている」

「ポッドのメンテは必要最低限中の最低限!もう一度言うけど、ヨルハ型は各戦局に特化したモデルとして造られている分、それ相応の管理が必要なんだよ。だからこそ専用の軍事衛生基地があって、地上では私達H型が随伴していたの」

 

 次いで10Hさんは、僕らの不具合の程度をスコアリングで表してくれた。

 ナインズは『31点』、ボーダーギリギリ。僕は『23点』という有り様で、2Bさんに至っては『14点』。手遅れ一歩手前と言っていい、不健康という言葉では済まされない域に達していた。

 確かに僕も、一時はブラックボックス信号に陰りが生じるほどに追い込まれていた。ナインズ達に保護されて事なきを得たものの、オーバーホールは未実施。そんな設備、地上にはないのだから。

 

「話は変わるけど、アクセスポイントは?この辺りには複数個所に設置されていたはずだよね」

「それは、はい。主に僕と2Bが利用していましたけど、一時を境に大部分が破壊されてしまったんです。防護シールド機能が―――」

「大部分ってどれぐらい?素体構成ユニットと素体保管システムはどう?何処のどれがどの程度まで機能しているのか、ちゃんと調べたの?」

「……そこまで詳しくは、把握できていません」

 

 ナインズが気まずそうに言うと、10Hは呆れた様子で肩を落とした。

 

「ああもう。私達の生命線を放置?あり得ない。全っ然なってないっ」

 

 どうやら僕らは、危機管理能力に苦言を呈されているようだ。認識の違いに凄まじい差があるのだろう。

 

「まあ、焦っても仕方ないか。まずはできることからやらなきゃね。てことで、みんな。これからご飯を作ろう」

 

 暫しの沈黙。続いて深い静寂。

 聞き間違いだろうか。僕らは今何の話をしていたのだろう。

 

「あの、10Hさん?今『ご飯』って言いました?」

「そう、食事。基本中の基本だよ。何時如何なる時も、衣食住を第一に優先できる者が生き残るって、昔から決まってるんだから」

「……それは昔というより、人類の話ですよね」

「同じなの!これは無理もないかもしれないけどね、食事はみんなが考えている以上に、とーっても大切なんだよ」

 

 10Hさんによれば、食事を摂るという行為は、メンタルケアにおいて必須と言っていいほどに重要な要素だそうだ。

 言われてみれば、気分転換に食事をする仲間は沢山いたし、僕も例外ではなかったけれど、本当にそうなのだろうか。

 

「気付いてないだけだよ。バンカーにいた頃だって、好きな人を誘う口実に食事をしたりしてたよね?」

「10H。私は誰かを食事に誘ったことは一度もない」

「誘われたことはイヤっていうぐらいあるんでしょ。2Bは圧倒的にそっち系だね」

「……そういう問題?」

「そういう問題なの。私達はそうやってバランスを取ってたんだよ」

 

 説得力があるような、さっぱりないような。何れにせよ、こういった状況下ではH型の判断を最優先すべきだ。無下にする訳にはいかない。

 

「食事をするにしても、このキャンプには食材らしい食材はありませんよ?」

「そうなんだよねー。だからまずは、食材集めから始めないと。誰でもいいから、この辺りの生態系データを送ってくれない?」

 

 10Hさんの声に応じたのはナインズ。ポッド153が送信したデータを閲覧していた10Hさんは、不思議そうな表情を浮かべた。 

 

「何これ。どうして魚介類だけこんなに充実してるの。ていうか大半が海水魚と淡水魚だし」

「あはは。それは2Bが釣り好きだからです。この辺に生息している種は、網羅していると思いますよ」

「ふうん……成程、ここじゃアジが沢山釣れるんだね。塩焼きなら簡単に作れるかも」

「「アジ!?」」

 

 口を挟もうとして、思わず咽てしまった。

 よりにもよって毒魚として有名なアジを、塩焼き?

 

「あれ、知らない?確かにマアジは毒魚だけど、アジ科には食べられるやつが結構いるよ。この辺りだと、そうだなぁ……あ、シマアジが釣れるみたいだね」

 

 ―――カチッ。

 何かのスイッチが作動した音が聞こえた。ような気がした。

 

「10H。そのシマアジは、美味しい魚なの?」

「旧世界にも同じ名前の魚がいたみたい。昔と今じゃ生態系が全然違うけど、昔は高級魚として人気だったそうだよ」

「つまり、美味しいということ?」

「私は食べたことないけど、データ上にはそうあるね」

「それはつまり、私が釣りをすることが、皆の未来に繋がるということ?」

「えーと……ごめん、なに?」

 

 まるで論理ウィルスに汚染されたかの如く爛々と瞳を輝かせる2Bさんは、振り返ってナインズの両肩を掴み、キメ顔で告げた。

 

「ナインズ。私は今日から二号F型を名乗ろうと思う」

「ポッド!2Bに論理ウィルスワクチンを投与しろ!」

『報告:不必要』

「ねえ4S君。私すっごく真面目に話してるのに、あの二人の態度はどうかと思う」

「無視して下さい。たまにああなるんです。平和の証ですよ」

 

 旧世界に存在した『漫才』の一種だろう。一度ああなってしまった二人に構うのは時間の無駄だ。僕らに今必要なのは笑いではなく、食事だ。

 

「とりあえず、魚の捕獲は2Bさん達に任せましょう。僕は何をすればいいですか?」

「じゃあ、倉庫の方をお願い。使えそうなハーブと岩塩があったよ。それとついでに、一通り整理してくれると助かるかな。あそこ雑多に物を置き過ぎ」

「了解です。10Hさんはどうしますか?」

「近くで何か採ってくるよ。食べれそうな物がいくつかあったから」

 

 一人で大丈夫だろうか。この辺りは平穏だけれど、今でも度々機械生命体が出没するし、やたらと凶暴な大型動物が攻撃してくることも珍しくない。非戦闘型の10Hさんが、ポッドの支援なしに単独で行動するのは危険過ぎる。

 いや。戦闘を得意とする仲間が、キャンプの中にいたか。すっかり忘れていた。

 

「それなら、A2さんにも手伝って貰いましょう」

「……へ?」

 

___________________

 

 

 殺される。本気でそう感じたのは、月面でポッドの大軍に囲まれて以来のことだった。

 

(に、睨まれてる?)

 

 背後から向けられる突き刺さるような視線が痛くて仕方ない。どうして私は睨まれているのだろう。4S君によって強引に手伝わされる羽目になったのだから無理もないかもしれないけれど、如何せん空気が重々しくて、気まずい。

 

「おい」

「は、はい!?」

 

 身体が跳ね上がり、恐る恐る踵を返す。A2の右手には鋭い刃物が握られて―――はおらず、代わりに右手の人差し指が、私の足元に向いていた。

 

「それは、食えないのか?」

「えーと……うわぁ」

 

 地面にはとても綺麗な、純白の傘を湛えたキノコが生えていた。一目見ただけで惚れ惚れとしてしまいそうで、自然が描き出す美を象徴するかのような、白色の天使。それこそ一口食べただけで昇天するであろう、悪魔のような天使の姿があった。

 

「これは毒キノコだよ。この辺じゃ森林地帯でよく見掛けるみたいだけど、絶対に食べちゃ駄目。人類にとっても猛毒で、昔は被害者が続出していたみたいだよ」

「そうなのか?こんなに綺麗なのに」

 

 綺麗。そう口にしたA2の顔には、純粋無垢な表情が浮かんでいた。

 とても綺麗だなと素直に感じた自分に、少しだけ驚いた。

 

「ええっと。A2は、好き嫌いとか、ある?」

「何故そんなことを聞く」

「え?いやほら、折角だから、みんなが美味しいって思えるものを作りたいし」

「……肉は苦手だ」

 

 これまた意外な答えが返ってきた。戦闘型は肉食を好むような傾向が強いけれど、あくまで傾向だ。

 辺りを見渡しながら歩いていると、生い茂る雑草の中に、丸々とした緑色の蕾があった。

 

「あっ」

 

 小走りで駆け寄って、指先でちょんと触る。現代のデータ上には見当たらないけれど、旧世界の数少ない情報の中に、似通った種があった。

 

「それは食えるのか?」

「どうだろ。『フキ』に似てるかな。人類は好んで蕾を食べていたみたい。これも分化した近縁種だと思うな。とりあえず、食べてみるね」

「は?」

 

 蕾を摘んで、ひょいと口に入れて咀嚼する。

 拒否反応なし。少なくとも有毒ではない。独特の風味と苦みが際立つから、好みはハッキリと分かれそうだ。調理にも一工夫が必要だろう。

 

「お、おい。大丈夫なのか?」

「うん。毒はないみたいだよ」

「そうじゃなくて、お前っ……毒があったらどうする気だったんだ?」

「平気だよ。H型の特権……あ、知らなかった?」

 

 H型特有の機能がある。義体に対して有害な何かしらを経口摂取した場合、H型は即座に排出、洗浄するようプログラミングされている。H型にとっては便利である一方、前線で使用されている鎮痛剤や薬物にも反応してしまうことから、戦闘型には不利益しか生み出さない。

 

「……そういうことは事前に言ってくれ」

「ごめんごめん、私はてっきり……ねえ、A2」

「何だ」

「もしかして、心配してくれてた?」

「ぶっ壊されたいのか?」

「じ、冗談だよ」

 

 慌てて両手を上げて一歩後ずさる。どうにも距離感が読めないけれど―――考えを改めよう。

 彼女には優しさがある。刺々しい言動の根底には、誰かを思いやる感情がある。背後から向けられていた視線は、睨んでいた訳ではなく、非戦闘型である私の背中を見守っていただけ。視点を少し変えるだけで、見えてくるものがある。

 

「あのさ。後々みんなにも話そうと思うんだけど。私はね、時間を作りたいんだ」

「時間?」

「そう、時間。ここ数日の間、ずっと考えてたことだよ」

 

 私達には、与えられた時間がある。帰るべき居場所を失い、大勢の同胞を喪った私達は、身の振る舞い方を考えなくてはならない。これからの未来を考えるだけの時間を、私達は与えられたのだろう。

 

「でも、未来を生きるための時間は、私達が生み出さないといけないんじゃないかな。みんなはそれを、まだ理解してないんだよ」

 

 私達ヨルハ機体は、レジスタンスとは違う。機械生命体の部品は流用できない。バンカーを除く十二基の衛星軌道基地との連絡が断たれている今、私達はあまりに無防備で、丸裸だ。

 最優先事項は、アクセスポイントの確保と保全。素体構成ユニットと素体保管システムは絶対に死守する必要がある。もし万が一の事態に陥った場合、私達は自身の力で生き延びなくてはならない。

 生きる。それはとても難しいこと。

 私達の生き死には、もう変わったのだ。

 

「どうしてそんな話を私にする」

「当たり前でしょ。A2だって『みんな』の内の一人だもん。それに……ねえ、A2。貴女は、貴女を理解できているの?」

「それこそ当たり前だ。私はずっと『そうやって』生きてきた。お前こそ、もう気付いているんだろう?」

 

 A2は自虐的な笑みを浮かべて、地面に生えていたフキの蕾を一つ、摘まんだ。

 私に何ができるのだろう。彼女の生きようとする意志は、彼女を苦しめ、何処までも追い詰める。

 私にできること。

 私がすべきこと。

 考えよう。みんな一緒に、一人も欠かすことなく、未来を掴むためにも。

 

 

 


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