拙い文章ですがよろしければご覧ください。
「あなたの夢はなに?」
住宅が所々並んでいる歩道を、二人の人が後ろに影をつくりながら並んで歩いている。
日光が地面のアスファルトに反射しているような眩しさを感じつつ、そう問いかけてくる隣の女性を横目に少し眺めてから、自分はどう答えていいのか考える様に目を閉じ黙り込む。
やりたいことは勿論ある。でも夢というほどの事ではない。
こうなりたいと思う人物像や将来像も影ながらあるが、それに夢というほど大きく強い意志があるとは自分には思えない。むしろちょっとした憧れのような、その程度のものだ。
だからこそ、彼女から問われた時、自分は自分の中に確固たる意志というものが今はないことを自覚した。
ただ、ぼんやりとではあるがわかることはある。
自分に、命という時間を全て消費してでも本気でやりたいと思える事なんてない。
ということだ。
何を言っているのだこいつは、と思うか?自分もそう思うよ。大抵はそんな御大層な覚悟を持って夢を掲げる人なんて早々いないだろうって思うだろう?というかそもそも夢って人によって使い方が違うと思う。
自分なら、頭の中で完結できるから夢。夢が現実になったらそれはもう夢じゃなくて現実での今でスタート地点に切り替わるだけ。そう思うと夢ってのは自分がたどり着きたい理想と言ったほうが腑に落ちる。
だが、夢は睡眠中に進行する一連の視覚的心像って言われてるのだから、脳内だけで完結するものなのではないのか?、というよくわからない屁理屈も考えて、結局「夢」というモノの定義が自分の中で曖昧になっていく。
小学校では、皆難しいことなんて考えず夢をみていた。
ただ、自分たちがしたいことを、時間も場所も親や大人たちに縛られない範囲で全力で楽しんでいたと思う。
勿論、そんな時期の自分自身にこれといった願望などなかったし、そもそも未来のことなど考えず友達と遊んでいた。
中学校では、それぞれが少しずつ夢というものを本人なりに固め始めた。
思春期という体も心も急激に変わる環境で、いつもと変わらない様な生活をしながら誰もが変化していた。
自分は新作ゲームを待ちながら受かりそうで平凡な高校で良いやと、推薦で通る高校を受験した。
高校では、青春を謳歌しながらもそれぞれが未来の夢をもって進路を決めた。
このころになると自分の未来を見据える人が少しずつ表れ始めていた。中には友達でも自分では到底思わないような将来を掲げるもの、その人だけの人生設計の様なものが形になり始めていた。
自分はやりたいことはこれといってないが、職に就けないのは流石に社会的にいけないと思い、特にこれといった志もないまま、就職率の高い介護系の専門学校に進学した。
専門学校では、高い目標を持った同級生たちが確かな意思をもって介護の知識と技術を身につけていた。
自分はそこで介護の奥深さと、人を支えることの本当の意味を思い知らされると同時に、自分自身が人との関わりにストレスを感じやすいことを知った。
それらを知ったからこそ、自分の様な、なんとなくで入学したような人間がこの学校に在学し続け、資格を手に入れてしまっていいのか?という疑問を抱きながらも、それなりに同級生と楽しんだ学生生活を送っていた。ある意味大事なことを考えないで現実逃避していたようなものでもある。
そしてストレス性の突発的病気を起こし一時休止しながらも実習を終え、その後はなんとか学校の全単位を回収し、無事就職を果たした。
ふと、自分は本当にこれで良いのか?といつも思う。だけどこれといった夢というものはない。夢がはっきり言えないということだけで、ここまで考えたのは今日が初めてなのではないかという思考と共に日の暑さによる疲労感も感じながら、自分が答えられそうにないので逃げを選択することにした。
「逆に聞くけど、〇〇にとっての夢って何なんだ?」
質問を質問で返すという質疑応答のやり取りにすらなっていない返答に、首を少しだけ傾げ考えるような素振りをした後、彼女はとても鮮やかだと思える笑顔をこちらに向けて、多分と言いつつこう答えた。
「夢はね、難しいことを考えなくても、心から続けたいと思えるものだよ」
隣を歩く彼女のことを、純粋な心を持つ幼子のような人だと思った。