上げていた脚を降ろして、少年は男性を守るように庇っている正義感が強そうな青年を、正面から睨みつけた。お互いに引くことのない睨み合いが続き、両者とも視線だけで牽制をしている。その姿はまるで、ライオン同士の喧嘩のようにも見え、第三者の入る隙はない。
その緊張感が周りにも伝わっているのか、誰一人と言葉を発する者はなく、黙って固唾を呑んでいる。
男を庇っている青年から、汗がたらりと気持ち悪く頬から床に落ちていった。しかし、それでも動こうとしない青年をみて、少年は静かに笑う。
「ふっ、ははっ…やっと来たよ」
コツコツと、足音を鳴らして青年に近づいてきた。フードでよく顔が見えないが、その笑顔を感じるだけで背筋が凍るような感覚が青年を襲う。ユウマは半歩下がりそうになる自分の脚を必死に堪えて、向き合い続ける。
ここで逃げたら、この人がまた辛い思いをする!!
青年のたった一つの感情が、恐怖という感情に歯止めをかけていた。
「俺は退かないから……な…………」
恐る恐るだが、力強く青年は言うが、突然、目を疑うような現象が起きたため言葉は途中で空気に溶け込んだ。
青年……向井 ユウマが見た先には、先程まで自分が容赦なく蹴り続けた相手に謝罪している青年がいた。それも床に座って、額をギリギリまで床に近づけている。
その様子に驚いているのはユウマだけではない、彼の行動を見ていた全員が目を見開き、顔を驚愕の色に染めていた。
「──すみませんでした」
頭を下げたまま、青年は男性に謝る。
「僕は、貴方様に酷いことをしました。突然、あんなことされて許されるとは思っておりません。それでも、僕が貴方様に今、出来ることはこのような謝罪のみです。現実に戻ったら、ちゃんも慰謝料も払います。ですから、まず始めに謝罪だけでもさせて下さい。本当にすみませんでした」
男性は痛みなんか忘れてしまったのか、開いた口が塞がらない状態で固まっていた。あまりにも突然の出来事すぎで、脳が回らず混乱したまま、男性はとりあえず首を横に振った。
「いや、いい……べつに慰謝料とかいいから……」
慌てて男性は土下座している青年に言った。
「なにが、どうなってるんだ……」
訳の分からないまま、ユウマは呟く。先程まで、殺すような勢いで人を蹴っていた奴が、突然、頭を下げて謝罪をするか……と。彼の行動に疑問を抱きながら、彼の謝罪の様子を見ていた。
「本当にいいから! 気にしないで!!」
「すみませんでした。もう二度としません」
「もういいってば! 慰謝料も謝罪もいらないよ!」
「一発殴ってもいいんです、むしろ殴った方が……」
「殴らないよ! だから頭をあげで!!」
第三者がこの様子だけをみたら、中年男性が青年を虐めているようにも見える。周りの人たちはもはやどっちが悪いのか、分からなくなってきている。
すると、頭を下げている少年は、誰にも見えないところで静かに笑った。
「ありがとうございます……さて、と」
起き上がって、もう一度男性に頭を下げてから、少年はパンパンと服に付いたホコリやゴミを落とした。そして、大声で叫んだ。
「おまえら、俺の画像をみて、言ったよな? いじめられている所を目撃したら助けるって……」
ビッと、ユウマを指さしてさらに声を張り上げる。
「実際に男性を助けたのは、彼だけだ!! なにが助けるだ、そんなもん口先だけだろ!」
彼はわからなかった。今、何で自分がこんなことを言っているのか、何でこんなに必死になっているのか。
わからなかった。
「助けて。そう思って期待しているんだよ。おめぇーらには解らねーよな!! やられてる側の気待ちが! どんぐらい辛い思いして我慢してるか!解らないよな!? テメーらの倍は辛い思いしてんだ!! だから助けて欲しくてしかたないんだ!!」
日本語がおかしい事はとっくに知っている。でも、それでも彼は止まらなかった。
「だから俺は、同情だけして行動しない偽善者が大ッ嫌いなんだよ!!!!」
彼の叫びで、その場の空気が一変した。
その空間で聞こえるのは、ハァハァと、乱れた息を落ち着かせる彼の音だけである。それ以外は何も聞こえない。本当は聞こえているはずの自分の呼吸さえ、この時だけは誰にも聞こえなかった。
シーンと静まり返える。彼の演説中、誰一人と目をそらす者は居なかった。それほど、彼の叫びは観衆の心に重く響いたのである。
「同情するなら虐められてる方がマシだ」
そう言い残すと、少年は後ろを向き、足を動かす。
その背中は、少し寂しそうで、悲しそうで、でもその倍は力強かった。
そんな背中にたくさんの視線が集中するが、彼は気にすることなく、ズボンのポケットに握りしめた自分の手を突っ込んで、何も言わずスタスタと歩き続けた。
「あの写真……皮膚にボールペンで肉を削ぐそうに、落書きされてる被害者って、おまえか?」
向井 ユウマが、或の背中に向かって言葉を投げかけた。一度、彼は歩みをやめ立ち止まる。
「さあ、な」
振り返ることなく、彼は再び歩き出したのだった。
部屋から出ると、俺はしゃがんで頭を抱えた。
「何やってんだよ……俺は」
最初は、あんなこと叫ぶつもりはなかった。本当は、謝罪して終わるつもりだったけど、何故かあんなことを叫んだしまった。
最初は完璧だった。
近くにいた中年男性を狙ったのは偶然ではない。何人かクリアしている人を見て、素直に喜んでいたのを確認済みだ。優しい人物になら暴力を振ったあと、キチンと謝罪すれば許されることは知っている。謝ったのに許さないと罪悪感を感じるからだ。
もしそれで俺の選択ミスで、あの人が逆ギレした所で、非は全て男に向かれる。
基本、必死に謝っている相手に暴力を振るう奴の株は落ちる。それが人間の基本的な心理である。それが例えば、殺人を犯したとなれば話はべつだが、相手の命を奪わないかぎり大抵は許してもらえる。それが美少女や美青年なら尚更である。
だから俺は優しそうな彼を選んだ。しかし、問題はその後だ、思ってもいないことを叫んでしまったばかりにとてつもなく恥ずかしい。
謝ったあとは、助けてあげた青年の名前を聞いて去るつもりだったのに、自分のよく分からない、なくなったはずの感情が暴走した。これは本当に予想外だ。
『それは君が助けて欲しかったからだよ』
偽善者ぶってる自分が優しく笑う。
「……そんなわけないだろ」
俯いたまま、自分に言い聞かせる。
『気づいて欲しかったんだよね? 自分という存在が』
ニッコリと笑ったまま、俺は俺に近づいてくる。
「くるな……!」
『存在を否定されて悲しかったんだよね』
「やめろ!!」
『独りが……嫌なんだよね?』
目の前でとまり、しゃがんで頭を抱える俺を俺は見下ろした。
惨めな俺を、俺は見下ろした。
『なら、信頼できる人を作ればいい』
簡単に言う自分に苛立ち、歯を食いしばる。ズキズキと、今はあるはずが無い、昔付けられた傷が広がるような感覚が俺を襲う。
あのゲームで選出された俺の画像は、中学の頃、虐めをしていた主犯がボールペンで俺の肌に絵を描くという建前で、肉ごと削ぎ落とされている最中の写真だ。
俺の左鎖骨辺りに大きく【死ね】と彫られ、俺は先端恐怖症を起こした。ボールペンを見るだけで鳥肌が立ち、恐怖で足や手の震えが止まらなくなるほどだった。
尋常じゃない痛みと苦痛が襲い、声を出して痛みを弱くでもしなければ、俺は今生きていない。そう錯覚するぐらい、あの痛みは恐怖でしかなかった。肉を削がれ、ボールペンの先が俺の骨にまで届くぐらいに、深く、深く突き刺さった。
今は、傷口を縫ってもらい、目立つような深い傷は誤魔化すためにタトゥーをすることでどうにかなった。
先端恐怖症もどうにか克服し、今は問題ない。その日から俺は、彼らを見返すために体に付いた脂肪を落とした。結果、奴らは手を出さなくなった。体重が落ちたからか、体が軽く感じて、自分が思っていたよりも素早く動けることが出来たことに驚き、放課後呼び出された時に奴らを力でねじ伏せた。
俺がイジメの主犯者を倒したことが広まると、他に虐めをしたいた奴らも媚を売るように、自分から近づいて来るようになった。男も、女も、助けを求めても無視し続けた先生でさえも、みんなが近づいてきた。
その時からだ、俺は感情を失った。
その時からだ、俺はヒトを信じられなくなったのは。
「……そんな簡単に、信頼できる人なんて出来たら苦労しねぇよ」
フラフラと立ち上がり、前を向く。足に力が入らなくて、よろっとしてしまうが、どうにかして踏ん張る。
自分の両頬をパチンと叩き、切り替える。
俺は、青年でいなきゃいけない。
子供のままじゃ行けない。
人にいいように思われないといけない。
例えそれが、悪い方向に向いても、やらなくてはいけない。
それが俺であり『アルシエル』でもあるから。
『アルシエル』は、自分の声を聞いて、感情を見つけなくてはならない。人を笑顔にするためでもあり、自己利益の為でもあるから。
──たがら、俺は……
何も感じない心で、俺は無理やり感情を創り出す。嬉しくもないのに、表情筋を使って頬に力を入れて、口角を上げて、誰が見ても、笑顔と分かるような顔を作った。
「次、頑張ろう!」
感情のこもっていない、機械みたいな声で、それでいても綺麗な低い声で。
彼、早瀬 或は、進まないといけないのである。
或とユウマって、似てないようで似てると思うんです。
人格が二つあったり(ユウマは後半ないけど)。何も感じなかったり。
だからなにやって、話ですけどね
´∀`)=⊃)`Д゚);、;'.・グホォ