鎮守府のイージスⅡ~Marine Mission~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
風来食堂が夜間営業を終えたその日の深夜、みらいは自室で1人浮足立っていた。かつてのようにベッドの上でじっとしていることが出来ず、時折何かを思案するように立ち上がって室内を歩き回っては、また椅子に腰かけたりベッドに寝ころび直したりを延々と繰り返しているのだ。どんなに気持ちを落ち着かせようと思っても、そう思えば思うほど余計に心の中の雑音は大きくなっていく。心の中に一度発生したさざ波を、彼女は止められずにいたのだった。
まるで予想もしていなかった、自らに対する艦娘としての再出撃要請。突然降ってわいたような話に、彼女の心が大きく揺れ動いたのは当然の帰結だろう。自分がもう一度国防の最前線に立つことが出来るかもしれない、という状況がこんなに早く訪れるなど、率直に言って想像もしていなかった。いや、思えば大和との電話はその予兆だったのかもしれない。だが、それがまさか自分の身の上にもこうして降りかかってくることになるとは。しかも、自分たちに話を持ってきたのは同じ国防軍の一員ではあっても、かつて身を置いていたのとは全く別の軍種だったのだ。
(日本国海兵隊、か…)
自分がかつて所属していた自衛隊に、海兵隊に相当する軍種はそもそも存在しない。しいて言えば該当するのは西部方面普通科連隊だが、あれは海自ではなく陸自の管轄だ。みらいにとって、海兵隊と言えばやはりアメリカ軍というイメージが強かった。70年前のガダルカナルで、第一海兵師団と対峙したのが数少ない接点だろうか。
そんなアメリカ海兵隊を一応はモデルとして設立されたという日本国海兵隊は、長い年月の中で本家とは似ても似つかぬ発展を遂げたと聞いている。「海を渡ってくる歩兵部隊」ではなく、「上陸戦も手掛けるミニ海軍」とは一体どんな組織なのか、みらいにはまだ想像もつかなかった。それ以前に、みらいにとっては気持ちがはやる一方で悩みどころも少なからずあったのだ。
(雅恵さん、突然こんな話を持ってこられて一番困惑してるだろうなぁ…)
みらいはため息をついた。長峰と高城を招いた会談での席上で、最後まで厳しい表情を崩していなかったのが里見だ。それも当然だろう。海軍の現場を離れ、行き場をなくしていた艦娘たちに手を差し伸べ、調理や接客のポテンシャルを買って職場に加えて住まいまでも提供し、やっと数か月経って仕事にも慣れ始めたと思ったら、従業員となった彼女たちを再び国防軍が呼び戻そうとしてきたのだから。しかも元職場である海軍ならともかく、今回出張ってきたのはあくまでも違う軍種なのである。
その上みらいの場合、仕事を初めて2ヶ月で鬱病を発症してしまいシフトに穴を開けたという経緯もある。今の自分はどちらかと言えば、その分仕事を頑張って恩返ししなければならない立場なのだ。お声がかかったからと言って、自分から「国防軍に戻らせてください」と口にできるだけのずぶとさは、さすがの彼女も持ち合わせてはいなかった。
もし、里見が快く国防軍に送り出せる艦娘が万が一いるとすれば、それは比叡かもしれない。明るく気さくな性格で、素直で優しいところもある彼女は客の懐に入り込むのがうまく、ルックスも相まって人気も非常に高いのだが、いかんせん料理の腕が壊滅的なうえ会計でもケアレスミスをやらかすことがちょくちょくあり、ホール以外を担当させるにはやや使いにくいところがあった。
だからと言って、比叡自身は里見から嫌われているというわけでもないのだが、もし飲食店で働くより大砲をぶっ放す方に適性があると見込まれれば、彼女を戦線復帰させるのに障害はなくなるだろう。尤も、彼女1人だけを出したところでどこまで戦力補強になるかは未知数である。海上戦闘は単独でやるものでは本来ないのだから。一方で、他の6人に関してはなまじっか無難以上に与えられた役割をこなせているせいで、経験が浅いにもかかわらず早くも現場では戦力になり始めていた。店にとっては簡単に放出できない存在となりつつあったわけである。
一番の問題は、こうした縛りは風来食堂で働く7人だけではなく、既に社会に出ている他の艦娘たち全員の身の上に降りかかっている課題だということだ。「その瞬間にその場にいること」が業務の一環とされる仕事に従事していれば、それが如何に重いものであるかは自明の理と言えた。中には、接客業であるみらいたち以上に悩むことになるであろう艦娘も実際に存在するのだ。かつて演習でゆきなみ型3姉妹とも対峙した川内型3姉妹は、間違いなくその典型と言えるだろう。
海軍時代には水雷戦隊の旗艦を務める実力派集団として、戦艦や重巡といった高火力艦からも一目置かれる存在であった川内・神通・那珂の3人は、海軍を去って以降はそれぞれプロのボーカリストになっていた。そのきっかけとなったのは、海軍時代からアイドルキャラで有名だった那珂が海軍の第一線を去ってから、本当にかねてからの夢であったというアイドルに転向してしまったことだ。
真っ先に音楽業界に飛び込んだのは彼女だったが、那珂に2人の姉が存在することを知った彼女のプロデューサーが物は試しと2人にも歌わせてみたところ、彼女たちもかなりの歌唱力の持ち主であったことが分かり同じようにスカウトを受ける。ただ、彼女たち自身は音楽性の違いなどからアイドルとなることを望まず、最終的に川内は新たなフロントマンを当時探していたラップメタルバンドにボーカリストとして加入、神通はポップスのシンガーとして新境地を切り開くことになった。いずれも現在はデビュー曲のレコーディング中らしいと聞いている。
彼女たちの仕事は、言うまでもなくそれぞれが持つ「他では代替不能」な才能なり個性が何よりのものを言う業種だ。それが万が一欠けることになれば、それ自体が関係者に対して損害を与えることにもなりかねない。そして、その損害を補填するのは決して色々な意味で生易しいことではない世界が音楽業界であるのだと、みらいは彼女たちとやり取りして耳にしていた。もちろん彼女たちほどではないにせよ、海軍に代わる新たな居場所を見つけることとなった元艦娘たちにとって、再び国防の最前線に戻ることは決して簡単な課題では今やないのだ。
もし仮に自らを縛る鎖から解き放たれることが叶ったとして、今まで共同作戦を張ったことがない海兵隊とどのように協働していくべきなのか、そこもまた大きな悩みどころではある。あくまでも海上戦闘を身の上とする自分たち艦娘と、当初はそこに留まりつつも最終的には陸へとシフトしていくのが本分である海兵隊。一体どうすればお互いがうまくかみ合うのか、今はまだ想像もつかないのだ。
だが、それは恐らく海兵隊の側でも承知の上かもしれない。それでも、敢えて尉官クラスの情報士官ではなく艦隊司令という要職にある者たちを送り込んできた、その重みを受け止めなければならないこともまた確かだろう。長峰は「一等海佐ともなれば、担う役割は海自も海兵隊も大して変わらん」と口にした。それが事実なら、彼らもまたいざという時に備えて本来は移動の制限などを課される立場であるに違いない。その規則を振り切ってまで館山から高雄まで遥々やってきた、それが如何に重大なことであるか。
その彼らが直々に協力を頼みこんできたということは、今回の敵が深海棲艦であるらしいという情報の確度は恐らく相当に高いということなのだろう。そうでなければ、その敵に唯一対抗できる自分たちを海兵隊が当てにしてくるはずはない。その動きに自分たちが現実問題として、一体どこまで応えられるのか…。みらいが頭を抱えた、まさにその時だった。突然起動したスマートフォンの画面に、彼女は目を落とす。メッセンジャーアプリによって送信されてきた、ドイツ語の文章がそこには記されていた。
“Hallo, Mirai. Wie geht es dir?(こんにちはみらい、調子はどうかしら?)“
メッセージの送り主が誰であるかに、みらいはすぐに気づいた。アンジェリカ・リンデマンこと前ドイツ連邦共和国海軍ビスマルク級戦艦1番艦『ビスマルク』。1年前の帛琉ではドイツからのゲストとして共に演習に参加し、そこから雪崩れ込んだ戦闘で第3艦隊旗艦を務めた艦娘である。現在の姓である「リンデマン」は、彼女が艦艇として沈没した時に運命を共にした艦長、エルンスト・リンデマン大佐に由来すると聞いた。
戦闘終了後も、みらいは一緒に戦った海外艦娘たちと連絡を取っていたが、ここ最近はしばらく疎遠になっていた。まさか、こんなタイミングで向こうからコンタクトしてくるとは。自然と、彼女の指はスマートフォンの画面に伸びた。
「久しぶりね、ビスマルク。まぁ可もなく不可もなくってところね」
「何だかイギリス人みたいなこと言うのね。まぁ、いっつも『元気よ』『ばっちりよ』しか言わないアメリカ人と比べたら、正直で好感持てるけど」
程なくして、一転して流暢な日本語で返ってきた文章に笑いがこみあげてくる。艦娘たちの間での国際共通語はどうやら日本語であるらしく、海外艦娘が日本艦娘と話す際はもちろん、海外艦同士の会話でも普通に日本語が使われるというのはちょっとした驚きだ。帛琉での演習前夜、ドイツとアメリカの艦娘が互いに流暢な日本語でスムーズにやり取りしていた姿を目にした時は、思わず自分の目を疑ったほどだ。
「本当言うと、実はもうちょっとシリアスな状況なのよ、こっちは。このところ気持ちが激しく揺れ動くことが多くてね…」
「何よ、まさか
「そうじゃないの。それよりもずっと深刻な問題よ」
「深刻な問題?」
「そう。実は今日、うちの職場に海兵隊の将校が来たのよ」
みらいは、日中の長峰や高城とのやり取りについてビスマルクに説明した。かなりの長文の連続にしばし彼女からの返信は途絶えたが、やがて返ってきた言葉はみらいの胸に強烈に刺さるものだった。
「それで、あなたは一体どうするつもりなのよ?」
「それが分からないのよ、自分が今この状況でどうするべきなのか。話を持ってきてもらえたのはありがたいけど、お店のことだってあるし…」
素直な気持ちを書いたつもりだった。だが、それに対する返事は予想外に強かった。
「そうじゃないわよ。あなた自身の気持ちはどうなのか、あなたはどうしたいのかって聞いてるの。その海兵隊からの要請を受けたいの、受けたくないの?」
(それは…)
みらいの指はそこで止まった。もちろん、本音を言えば彼らからの要請は今すぐにでも引き受けたいのだ。だが、首を縦に振るためにはまず越えなければならないハードルがあるのだ。そして、今の自分がそれをクリアできるという自身は、残念ながらみらいは持ち合わせていなかった。そうこうしているうちに、ビスマルクからはこれまた長文の返信が返ってくる。それは、ともすればみらいの心中を抉るようなものだった。
「何よ、あなたらしくもないわね。あなたがそんな優柔不断だったなんて。1年前、自分に鉄拳制裁をくらわしてきた姉が大破を余儀なくされた時、その仇を討とうと敵艦隊に殴りかかっていったのはどこの誰よ。僚艦が合流するまで、たった1人でも戦艦棲姫に立ち向かうって覚悟を見せたのはどこの誰よ。あなたでしょ」
帛琉での演習前日、日米独3か国から集った艦娘計18名が大浴場で集合した時、みらいとあすかは戦闘に対するお互いの考え方の違いから口論になった。そこで激昂したあすかがみらいに平手打ちを食らわせる様子を、ビスマルクはすぐ間近で見ていたのだ。
そして翌日での演習の時、まるで予想もしていなかった敵の陽動作戦にハマり分断された連合艦隊が、陽動部隊と本隊の両者から挟撃される事態を避けるため、みらいは本隊に立ち向かう腹積もりでいた第1艦隊の僚艦5隻に対し、追ってから逃げる第2・第3艦隊への支援を提案する。だがそれは聞き入れられず、計4隻で本隊の10隻と対峙することとなったさなか、あすかが敵艦載機の自爆攻撃により大破した際、みらいは風呂場での一件をものともせず猛反撃に打って出たのだった。
「私はね、そういう無茶をしてでも敵に牙をむいて立ち向かっていくあなたのこと、なかなか日本にも骨のあるのがいるんだと思ってたのよ。まぁ、純粋な砲の火力で言えば戦艦である私の方がずっと上だけどね?」
いつも余計な一言が多いのは、自分に絶対の自信を持ちどこかナルシストの気がある彼女の悪い癖だ。どこかナチュラルに上から目線なコメントは続く。
「まぁそれはともかく、そう言うところを認めてあげてるからこそ私はあなたとこうやって連絡を取り合ってきたの。なのに、そんな下らない理由で私を失望させないでよ」
「だったら、あなたは同じ状況で首を縦に振れるとでも言うわけ?」
さすがに思わずムッとしてそう返すと、即座にビスマルクからは答えが返ってきた。
“Ja, sischer.(えぇ、もちろんよ)“
当たり前でしょ、と彼女は言葉を続ける。安全保障の仕事というのは、その国の国民の生命と財産の安全を守る為にあるもの。その使命を帯びてこの世に生まれ、そして自分が持つ本来の役割を果たしてほしいと艦隊司令直々に声が掛けられている状況で、どうしてそうやってグズグズと迷う必要があるのか自分には理解できない、と。
そして、その次に送られてきた言葉は揺れ動くみらいの心に火をつけることとなる。その意味をかみしめた瞬間、彼女は何やら意を決した様子で立ち上がって部屋を出て、階下へと足早に下りて行ったのだった。
「よく考えなさい。民間での仕事は、身の安全がしっかり確保されていればいつでもできる。でも、もし仮にあなたの街が深海棲艦に襲われたら、今やってる仕事だってできなくなってしまうのよ。そして、そういう事態を未然に防げるのは私たち艦娘を置いて他にはいない。もし、今の職場や雇い主のことを本当に大事に思うなら、今この状況でまず優先すべきなのはどっちなのかちゃんと考えるべきよ」
風来食堂は、1階が店舗で2階が住居という作りになっている。階下に降りていくと、里見は店の奥の事務所でこちらに背を向けて1人椅子に座っていた。何やら忙しそうに、ペンを片手に手元に何かを書き込み、電卓をたたき、そして考え込むという作業をずっと繰り返している。
そのどこか近寄りがたい雰囲気に、みらいは後ろから声をかけるのに一瞬躊躇した。何せ、彼女の頭には昼間里見が浮かべていた厳しい表情がずっとこびりついていたのだ。今この瞬間に自分が声をかけたとして一体何を言われるか、まるで想像もつかない。だが自分から声をかける前に、気配を察知したのか里見の方が先に呼び掛けてきた。
「そこにいるのは、みらいかい?」
「へっ!?あっ、はい」
ずっと背中を向けたままなのに、こちらが声も出さない状況で何故自分だと分かったのか、とみらいは驚いた。
「こんな夜更けにどうしたね。わざわざ起き出してきたってのかい?」
その声の調子はいつもと変わらない。そこで里見は初めて振り返ると、こちらに向けて手招きした。
「何だい、いつまでもそんなところでボケっと突っ立ってるんじゃないよ。何か用があるなら早く入りな」
その声に導かれるように、みらいは事務所の中へと歩みを進める。その視線の先にある、里見の手元に置かれた紙が目に入った。見ると、そこには何やら数字や計算式らしきものがびっしりと並んでいるではないか。
「雅恵さん、これっていったい何を…」
思わずそんな言葉が口をつく。すると、里見の口からは予想外とも言えるセリフが飛び出した。
「やれやれ、国防軍もいきなり無茶な提案を持ち込んでくるんだから困ったもんだよ。これだからいつの時代も軍隊ってのは始末に負えないんだ。まさか、
せっかく有望な新人を育てられるチャンスだと思ったのに、と里見はどこか達観したような苦笑いを浮かべる。その言葉の真意を、みらいはすぐには理解できなかった。
「まぁ、飲食業の世界は人材の流動性って奴が激しいからね。それなりの条件で募集をかければ人は集まるだろ。当分はバイトでも雇って何とかつないでいかないとね」
7人分の穴、バイトの募集、何とかつないでいく…。それらのワードの意味するところを理解した瞬間、みらいの目は驚きで大きく見開かれた。
「雅恵さん、まさかこれって…」
「言っただろう、雇い主としては簡単に首を縦には振れないと。仮にあんたたちを再び海へと戻したとして、それでもこの店の経営が引き続き成り立つという目途が立つかどうか。そこがクリアにならないと、イエスともノーとも答えは出せないんだよ。それがあんたたちの生活を背負っている者として果たすべき責任だからね」
みらいは、自分が大きな誤解をしていたことを悟った。彼女は厳しい表情を最後まで崩さなかった里見の様子から、店としては海兵隊からの要請を断る可能性が高いだろうと思っていた。しかし実際には、里見はその依頼を拒絶する理由を作るための時間稼ぎとして、態度を保留していたわけではなかった。彼女が求めていた時間とは、みらいたちが海兵隊との共同作戦に出向いた後の風来食堂の経営計画を策定するためのものだったのだ。
「全く、あたしに言わせれば国防軍ってのはつくづく身勝手な連中だよ。中東で戦争するために、ずっとこの10年一緒に戦ってきた仲間の世話をあたしたち民間に引き受けさせたと思ったら、こっちで戦力になりそうだという目途が立った途端に『やっぱり必要になったから』と呼び戻しに来るんだから。あんたたち自身には罪はないけど、そのたびに計画の見直しを強いられるこっちの身にもなってほしいもんだよ」
里見はそうぼやきながらため息をつくと、「でもね」とみらいの顔を見つめた。
「その国防軍が常に最前線で体を張ってくれているからこそ、あたしたちが安心して商売ができてるのもまた否定しきれない事実でね。この激動の時代の中でも毎日変わらない日常を過ごして、自分の命の心配をすることなく毎晩床に就けるのも、矢面に立ってくれる誰かがいるからなのさ」
人間とは、決して生物として完全な存在ではない。誰だって失敗はするし、心のどこかには弱さを抱えているものだ。その弱さを自覚しつつも前を向いて生きていく為に、人はそれぞれにとっての信条や矜持、もっと広く言えば正義というものを成長とともに確立していく。それに対する思い入れが強ければ強いほど、そして他者との思いの方向性が異なれば異なるほど、それらがいつか衝突する危険性は大きくなるものなのだ。
そうしたリスクを抱えながら生きている人間がこの星の支配者であり続ける限り、人間社会は決して争いごとに対して無防備ではいられない。そのリスクを両肩に背負う者たちがいて初めて、この世界の調和は保たれる。悲しいかな、それが我々人類にとっての宿命なのだ。国家安全保障の仕事とは日陰に位置する存在であると同時に、ある意味では他のいかなる職業分野をも超越する存在でもある。店主と客という立場で日常的に国防軍と接するからこそ、里見はそのことをよく分かっていたのだった。
「あたしが願っているのは、1分1秒でも長く風来食堂が誰からも愛される店として、この場所で栄え続けること。ただそれだけだよ。その為のリスクは出来る限り排除していかなきゃならない。だけど、そのリスクにも優先順位があってね」
「優先順位…?」
「まだ数ヶ月しかここで働いてないあんたたちに、いきなり7人もまとめて抜けられたらそれは間違いなく痛手だよ。でも、幸い今の台湾の景気はそれほど悪くないし、代わりの人材を見つけるのには恐らく大して苦労しない。穴が開いたとしても、その程度なら努力次第で塞ぐことは出来るんだ。でも、もしこの街が外部から攻撃を受けて商売どころでなくなったとしたらどうする?」
そのレベルの穴は到底あたしじゃ塞ぐことは出来ないんだよ、と里見は肩を落とした。
「今の海軍や海兵隊が、あたしたち一般市民の安全を担保できる存在なら何も問題はないよ。でももし、彼らが捉えている者が本当に深海棲艦とかいう化け物なんだとしたら、あいつらと戦えるのはあんたたち艦娘だけ、そしてあの化け物たちは民間人にだって見境なく襲ってくるような連中なんだろう?あんたたちがもう一回海に出ることが、間接的にであったとしてもこの店を守ることにつながるのだとしたら、どうしてあんたたちをこの店に縛り付けておかなきゃならないんだい?」
「雅恵さん…」
みらいの声は、心なしか震えていた。海軍と海兵隊が掴んでいる新たな脅威に対処し、それを取り除く行為こそが店の永続にもつながる。里見が自分に語り掛けていること、それはまさしくビスマルクがつい先ほど伝えてきた内容そのものだったのだ。
「私は…、この店に来てからたったの2ヶ月で精神的にノックアウトされて、立ち直れるまでずっと皆さんにご迷惑をおかけしてきた身です。やっと戦線復帰した今も、自分はまだそれを埋め合わせるには至っていない、何も恩返しできていないと思っています。だから、突然こんな降ってわいたような話が転がり込んできて、正直どうすればよいか分からず困惑していました。ここには、それを相談したいと思ってお邪魔したんです」
そんな私にも、もう一度戦闘艦として戦うことを認めてくださるおつもりなのですか。今の自分の立場でその航路に漕ぎ出すことは、わがまま勝手そのものの行為であるはずなのに。何やらこみあげるものを感じ始めていたみらいに向かって、里見はきっぱりとした口調で言い渡した。
「誤解のないように言っておくけど、もしもあの若いのが言っていた脅威というのが深海棲艦であると断定できないなら、あたしはあんたたちを送り出すつもりはないよ。今の国防軍が対処できる相手なら、わざわざあんたたちがそこに出ていく必要性はないからね。それに、仮に出陣を認めたとしてもそれは代わりのスタッフのめどが立って、業務上の引継ぎをしっかり終えてからさ。その責任はきっちり果たしてもらう」
だが、どうしてもあんたたち艦娘でなきゃ倒せない敵であることが明らかになったなら、その時は風来食堂として戦場に送り出す覚悟はできている。それがあんたたちのやるべき恩返しの形だよ、と里見は言葉を続けた。
「もし、再び戦場に立つことになってもこの店のことが心残りであるのなら、事が全部済んでからもう一度戻ってきな。その時は思う存分働かせてあげるよ。あんたたちの戦闘艦としての本分を忘れさせるくらいにね」
「雅恵さん…!!」
万感の思いで胸が一杯になったみらいはそれ以上、何も言うことが出来なかった。ただ、その身を震わせながらその場で立ち尽くす彼女の頭を、里見は優しく撫でるのだった。ちょうど、みらいが鬱病で苦しんでいた時に姉たちや金剛型4姉妹がそうしたように。
「やれやれ…。あんたみたいないい子が相手だと、一時的にでも別れることになるかもしれないって話を切り出すのは、随分ときついもんだねぇ…」
真っ青な台湾の空から降り注ぐ強い日差しには、真っ白な幹部常装第三種夏服はよく似合う。みらいが最後にそれに袖を通したのは、一体いつ以来だろう。彼女たち姉妹の制帽は海自の男性士官が被るものと全く同じ、庇部分が固く両サイドで反り返らないデザインになっている。国防海軍でも男女の士官共通で用いられるそれを深々とかぶると、イージス艦娘としての姿を取り戻した彼女の顔はいつになく引き締まっていた。
「やっぱり、みらいには三種夏服が似合うわね。相変わらず決まってるわよ」
先に同じ軍服に着替えていたゆきなみが、みらいにそう声をかける。
「そう?ありがとう」
「まぁ、これがあたしたち本来の姿って言ってもいいかもしれないしね。あたし自身は、料理人としての姿も結構気に入ってはいたけど」
そう答えるみらいの脇で、これまた着替えを済ませていたあすかが笑った。彼女たちの横には、独特な巫女服風の装束に身を包んだ金剛型4姉妹の姿も見えている。それは、彼女たち7名が「戦闘モード」に入ったことを示す証拠だった。
海軍と海兵隊が観測した新たな脅威の正体は、最終的に深海棲艦であるとほぼ断定されることとなった。その契機となったのは、偶然当該海域付近を航行していたニュージーランドの船舶が大規模泊地らしきものを遠めに発見し、その後正体不明の敵から攻撃を受けた事件だ。それは11年前、オーストラリア海軍の駆逐艦が深海棲艦に襲撃されたのとほぼ同様の状況で発生した。この事件を以て、艦娘たちへの再出撃要請が防衛省より正式に行われ、彼女たちもこれを受け入れたのだった。
「また、いつかは戻ってこれるカナ」
振り向いて、シャッターが下りた店舗の様子を見上げながら金剛が呟く。彼女とゆきなみ型3姉妹が初めてこの店に訪れた時と、店の佇まいは全く変わっていない。決して真新しいわけではないけれど、一か所の剥がれもなく丁寧に塗装された外壁。木目調の下地に緑色の文字で「風来食堂」と描かれた看板。入り口脇の花壇に植わった花々。この数ヶ月間、ここは紛れもなく彼女たちにとってのかけがえのない居場所だった。
「戻ってこれますよ、必ず。その為に私たちは呼ばれたんですから」
自信満々な比叡の言葉に、榛名も笑顔で頷く。とそこで、霧島が誰かがこの場に不在であることに気づいた。辺りをしきりに見回しているところに、その人物は何やら両手いっぱいに袋入りの箱を抱えて出てきた。里見だ。
「待たせて悪いね、あんたたち。想像以上に時間がかかっちまって。ほら、腹が減っては戦が出来ぬっていうだろ。皆で持っていきな」
彼女が1人1人手渡した箱の中には、風来食堂自慢の点心が一杯に入っていた。わざわざ出発前夜から仕込んでくれていたその手向けの品に、思わず艦娘たちの顔がほころぶ。
「わざわざありがとうございます、雅恵さん。最後の最後まで気を使っていただいて」
頭を下げたみらいに対して、里見は照れ隠しとばかりにかぶりを振った。
「いいんだよ、これくらい。あんたたちはこれから大事な戦いに挑むんだ。それに比べれば些細なことだよ」
そう言うと、里見はいつもの豪快な口調で7人に向かって檄を飛ばした。
「いいかい、これはあたしにとってもあんたたちにとっても今生の別れなんかじゃないよ。また働きたくなったらいつでもここに来な。今度は思う存分貢献してもらうからね」
「もちろんです。短い間ですが、お世話になりました」
ゆきなみはそう答えると、引き締まった表情で「総員、里見雅恵店長に向け敬礼!!」の号令をかけた。彼女に倣い、一旦袋を地面においてから横1列に並んだ艦娘たちが、一斉に里見に向かい敬礼する。彼女たちの目に涙はない。代わりにあったのは、この戦いから生還しいつかまたここに戻ってくるという、決意の色。まだ人もまばらな朝の通りに、7人の揃った声は高らかに響いたのだった。
「ありがとうございました。行ってまいります!!」
国防海軍は基本的に海上自衛隊の制服と同一デザインの軍服を用いる設定ですが、一部例外があります。その1つは、海自では広く用いられている「女性用制帽(庇の両サイドがそっくり返ったようなデザインになっている)」が存在しないということです。従ってみらいたちはもちろん、天満も男性士官と全く同じデザインの制帽をかぶって任務にあたっています。また、作中で触れる機会はないかもしれませんが、水兵(海自では「海士」)の制服も海自とは異なり男女ともセーラー服という設定です(下はどちらもズボン)。
今回は中盤にビスマルクが海外艦として今作初めて登場します。実は、今作に登場する海外艦娘は彼女だけではありません。また、次回はそのビスマルクが重要な役割を果たす予定です。それ以降も彼女には活躍の機会があるかと思いますので、ビスマルク提督の皆さんはどうぞお楽しみに。
いよいよ海兵隊との共闘に踏み出したみらいたち7人。次回からは本格的に艦娘たちがストーリーの主軸となり、艦これ2次としての色彩が強まっていく予定です。ここからは前作バリに大暴れしてもらう予定でいますのでご期待ください。それではまたお会いしましょう。