鎮守府のイージスⅡ~Marine Mission~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
廊下を走ってくる足音に続いて執務室のドアが突然大きく開け放たれたその時、才原は他の将官たちを集めての会議の真っ最中だった。集められた士官たちと同じデザインの三種夏服を着こみつつも、その会議には呼ばれていない立場である予期せぬ来訪者の姿に、驚いた参加者たちが一斉に目を見開く。
「なんだお前は、突然ノックもせず入室するとは。会議中だぞ、わきまえんか馬鹿者」
反射的に大声をあげた将官の1人を、才原は冷静に手で制した。
「構わんよ、急に大切な用事が出来たからこそわざわざ押しかけてきたんだろう」
そう言うと、才原は落ち着いたトーンのままで目の前の来訪者に声をかける。
「急にどうした、みらい。今日は菊池や尾栗も伴っての外出だと聞いたが、用件はもう済んだのか?」
「そんなこと…、どうでもいいですよ…!!」
みらいは歯ぎしりしながら下を向いたまま呟くと、突然その端正な顔を上げて才原の顔を睨みつけた。その迫力に、流石の総司令官も表情がシリアスになる。
「一体どういうことですか、才原司令官。我々艦娘が、艦艇の代わりに海軍からお払い箱になるっていうのは…!!」
岸壁に立つみらいの表情は冴えなかった。何やらやりきれない思いが、彼女の胸には去来し続けている。すぐ目の前には、自分がずっと働き場所としてきた大海原が変わらず広がっており、一歩前に踏み出せば彼女の身体はすぐさま海上へと投げ出されるだろう。だが艤装を身に纏っていない今、彼女は水の上には浮けない状態にある。つまり今は普通の人間と同じで、飛び込んでしまえば身に着けている白の軍服はたちまち海水でお釈迦になってしまうのだ。
執務室での会議に特攻してから3週間。彼女はずっと行き場のない感情を抱え続けてきた。その正体は、自分や仲間たちの行く末に対する不安。もしかしたらこういう日がいつかは来るのかもしれない、とは薄々感じてはいた。だがそれがこんな形で、こんなに早く訪れるとは予想もしていなければ、まして望んでなどいなかった。
墓参りの後、菊池から聞かされた「国防海軍保有艦艇の再就役」についての話を、みらいはその時は何一つ知らなかった。尤もそれは彼女に限った話ではない。才原の口から、直接その可能性を耳にしていた大和がその内容を内心ではまだ整理しきれておらず、他の艦娘たちに伝えることをできずにいたからだ。
だが勘のいいみらいのこと、艦艇の再就役計画が自分たち艦娘をお払い箱にしうるものであることにはすぐに気が付いた。とはいえ、深海棲艦との戦いが終わった後に一体自分がどのように生きていくべきかについては、残念ながらまだ明確なビジョンを持てていたわけではない。頭のどこかで、「この戦いはまだ終わっていない」「まだ自分は何も成し遂げていない」という感覚を常に持ち続けていたせいでもあるだろう。それが自分の手抜かりであることを自覚しつつも、みらいは立場上黙っているわけにもいかず執務室に飛び込んだのだった。
「やれやれ、菊池ともあろう者があいつらしくもない。予断を許したくないから情報は無暗に漏らさないのがあいつの信条だったはずが、結局こうして予断を許す結果になってるじゃないか」
才原はみらいの話を聞くと、何やらあきれた様子で肩をすくめた。だが、その顔は次の瞬間に一転してシリアスなものに変わる。
「断っておくが、まだその話については正式に決定したわけじゃない。現段階ではあくまでもオプションの1つにすぎん。尤も、確かに一昨日市ヶ谷で行われた会議ではそのように提案されたのは事実だし、菊池や尾栗にも冗談交じりのトーンではあるが伝えたのも認めよう」
「ですが、『火のないところに煙は立たず』というでしょう?あのお2人は、とても司令官の言葉を冗談だなんて捉えてないようでしたよ。それは、司令官の言い方がとてもそういう風には聞こえてなかったからなんじゃないんですか」
みらいはすかさずそう反論すると、勢い込んで才原の方につかつかと歩み寄った。その両の掌が、勢いよくガラス製のデスクの上に振り下ろされる。
「大体どういうことですか、私以外に『イージス艦みらい』と名付けられた艦艇がこの国防海軍に存在していて、しかもその船が私たちに代わって中東に派遣されるなんて。皆さん全員それを知っていながら、この1年の間ずっと私を騙すためにすっとぼけてたとでも仰るんですか!?」
「騙すとは何だ、人聞きの悪い。別に敢えてお前に伝える必要もなかっただけの話だろう。大体、それを伝えたところであの船が深海棲艦に立ち向かえるわけじゃなし、頼りにできたのは艦娘であるお前の方なんだからな」
手をついた拍子に鳴った大きな音にも何ら怯むことなく、才原は淡々と反論の言葉を口にする。だが、その様子はみらいの怒りを鎮めるものとはならなかった。
「認めるんですね…、艦艇としての『みらい』が実在することは」
「当然だ。10年前、あの船は間違いなく俺たち国防海軍にとっての次の中核戦力となりうる存在だったんだからな」
才原はそう答えると、「国防海軍が、お前たち艦娘に取って代わられるまでは艦艇を運用していたという話は聞いているだろう?」と尋ねた。それに対して、感情的になっているみらいは何も答えない。だが、才原はそれを「自分の問いを認めた」ものと見なして言葉を続けた。
「ゆきなみ型ヘリコプター・イージスシステム搭載型巡洋艦みらいは、イージスシステム搭載型ミサイル駆逐艦『さきがけ』に代わる我が軍の新たな主力艦艇として建造された船だ。不慮の事故とはいえ、海軍としては海の守りには穴をあけられんからな」
才原の言う『さきがけ』とは、『ほうおう』と並ぶ横須賀鎮守府の主力艦艇としてバリバリ働いていたイージスシステム搭載型駆逐艦だ。11年前、艦艇時代のみらいが元の世界で横須賀を旅立ったのと全く同じ日に、このさきがけも同じ国際演習への参加の為横須賀から出航した。ところが運命のいたずらと言うべきか、1942年に飛ばされたみらいと同じくさきがけもハワイ沖でその姿を突然消してしまう。その捜索に向かった艦隊が襲われたのが、艦娘と深海棲艦による長い戦いが始まったきっかけだった。
ちなみにみらいの場合、捜索を担当したのは当時の僚艦だった『あおば』『はるか』『あまぎ』の他、急きょ招集されたゆきなみとあすかだったのだが、姉2人は捜索活動中に武装した民間船舶に衝突、そこから発生した銃撃戦で沈んでいる。「ハワイ沖で姿を消した『日本の海軍』の船を探しに来た海軍艦艇」は、どちらの世界でもろくな目に遭っていないということだろう。
「そのさきがけに代わる、新しい船の命名をどうするかと考えた時に案として浮上してきたのが、1942年に流れ着いた艦艇時代のお前だったんだよ、みらい。『その圧倒的な戦闘能力で、当時の連合国すら震え上がらせた伝説の艦艇』というのがかつてのお前に対する我が軍の共通認識だ。新造艦のネーミングとしてはピッタリというわけさ。尤も、俺たちが作った船は基準排水量12000トンと、7700トン程度だったお前よりも一回りほどでかいがな。その上、そのネーミングのもとになったお前自身がまさかここ横須賀に艦娘として着任するとは、全く予想外だった」
太平洋戦争を戦っていた時のみらいやその乗員たちについての記録は、発足当時の国防海軍の将校たちの手によって集められ現存している。当初は、「みらいの出身母体である海上自衛隊という、異世界の日本における海軍の存在を公につまびらかにすることは、社会的に大きな混乱をもたらしうる」という判断により、この資料の存在自体が将官たちの間でのみ通用する機密の指定を受けていたのだが、そのみらいや彼女の姉たちが艦娘として推参したことをきっかけに指定レベルが引き下げられ、海軍関係者の間では今やこれに掲載されている情報は周知の事実となった。
そもそも日本国防海軍という組織自体が帝国海軍はもちろん、図らずもそのルーツとなった海上自衛隊の影響をも色濃く受け継いでいる。旧軍時代から一新された軍服は海自の制服と全く同じデザインだし、艦級や艦名を平仮名で表記しているのも海自と同様だ。一方で階級名は旧軍からそのまま引き継いだ為、建造された直後のみらいは「海自の制服を着た自衛官が帝国海軍時代の階級名を名乗っている」理由がさっぱり分からず、混乱をきたしていた。
「それに、せっかくの新造艦も完成した頃には最早無用の長物にしかならなかった。その頃には既に、深海棲艦との戦闘では通常艦艇は使い物にならず、艦娘たちでなければ対応できないことが明らかになっていたからだ。だから、俺たち国防海軍は満足に働き場所を与えてやれぬままにあの船を封印し、その代わりお前たちに日本の海の守りを託したというわけさ。そして11年の時が経ち、ようやく艦艇としての『イージス艦みらい』をこの海へと解き放つ、そういう機会が生まれる可能性が出てきたんだ」
才原は真っすぐにみらいの目を見つめた。その強い視線は、彼が国防海軍の今後についての覚悟を決め、ある一定の方針を固めつつあることを示している。深海棲艦に代わる新たな脅威に対する国際社会の反応、そしてそれを受けて日本がどのように振舞うべきであるのか。今みらいの目の前にいる指揮官は、大和の前で逡巡する姿を晒していた頃の彼では最早ないのだ。
「対イスラム同盟掃討作戦に、海軍が艦娘ではなく艦艇を送り込む方針を検討しているのは、何も我々国防海軍に限った話じゃない。昨年演習で一緒になったアメリカやドイツ、それにイギリス、フランス、イタリアといった艦娘の運用実績が豊富な先進諸国も、いずれも艦艇の再就役を念頭に置いて対応を協議しているそうだ。深海棲艦の脅威が昨年までと比べて著しく減少している今、これは最早不可逆的な動きなんだよ」
日本国防海軍は、言うまでもなく日本国の安全保障に対して責任を負っている。これまでは、艦娘たちによって編成される艦隊を前線に送り込んでの深海棲艦への対処が、それを果たすための最善の策だった。艦娘たちが己の役割を全うすることが、海軍軍人としての使命を果たすことと常にイコールであり続けてきたのがこの10年だったのだ。
だが、深海棲艦に代わる人類に対する新たな脅威が台頭している今、両者の間にはズレが生まれてしまっている。海軍と艦娘のパートナーシップは最早、人類社会に安定をもたらすための特効薬ではなくなってしまったのだ。もちろんこれは艦娘たち自身の責任でも、彼女たちを戦力として保護してきた海軍の責任でもない。敢えて言えば、既存の社会体制に喧嘩を売ったイスラム同盟が全ての元凶である。だが、自分たちにとばっちりを食らわせた相手に砲を向ける覚悟を本気で持てない限り、艦娘たちは海戦の主役の座を追われるしかないのだ。
「いずれにせよ、世の中の状況は変わった。当然、これからは国防の在り方もシフトしていくだろうし、俺たち人類もお前たち艦娘もそこに適応していかなきゃならん。もう、俺たちは過去10年間と同じようには戦えないということだ。無論、それがお前たちにとって不本意であるのは重々承知の上だがな」
才原の落ち着いた言葉が、執務室の中に響き渡った。同席している将官たちは、黙ってそれに耳を傾けながらみらいの方を見つめている。
ここで彼らがとりうるオプションは全部で3つある。1つ目は、みらいたち艦娘をこのまま対イスラム同盟掃討作戦に参加させること。この場合、彼女たちの働き場所や船としてのアイデンティティは守ることが出来るが、その代わり本来艦娘が敵としては見なしていない同じ人類に、場合によっては艦砲射撃やミサイルを撃ち込まねばならない可能性が出てくる。そもそも、人間同士のいざこざに首を突っ込むためにこの世に生まれたわけでない艦娘が、人類の守護神としての矜持に背くことに耐えられるかどうかが問題だ。
2つ目は、艦娘たちが国防海軍の主力の座を艦艇に再び明け渡し、軍籍停止ないしは名誉除隊という形でそれぞれ1人の日本人に戻ること。軍籍の一時停止であれば、将来的に必要がある時は再び海軍が前線に彼女たちを呼び戻すことも可能だが、それまでは食い扶持をそれぞれが稼いでいかなければならない。
そして3つ目。ちょうど、この会議の席上で提案されたばかりの新しいオプションを耳にしたみらいは、その予想もしない内容に思わず耳を疑ったのだった。
「お前たちを海軍に残し引き続き雇用する代わり、これまで与えてきた『特殊戦闘員』という独自の階級や擬人化した戦闘艦としての役割は返上。つまり、今後はお前たちにも我々人間と同じ仕事をしてもらうということだ。この場合、当然のことながら艦艇勤務になる者も出てくるだろう」
才原は真顔を崩さないまま、みらいに呼び掛けた。だが、彼が口にしたのは艦娘としての名前ではない。戦艦大和にとっての「桜木大和」と同じ、1年前の実戦配備にあたって彼女に与えられた日本国民としての名だ。
「せっかくの機会だ。お前自身をモデルとした戦闘艦に乗ってみるか?
長浦未来。「長浦」という姓は、国防海軍横須賀鎮守府の所在地からとられたと聞いた。外出の際には決まって名乗っているその名で、同じ海軍の上官から呼びかけられたのは一体いつ以来だろう。その名前が自分に与えられたのはほんの1年前だというのに、それがまるで思い出せないのはひょっとしたら、そんな経験をしたのはこの時が初めてだったからなのかもしれない。
艦娘たちはお互いに話し合いを重ねた末、それぞれの未来に向けて各々が希望する針路をとった。「最早船であることが出来ないなら」と海軍を去る者と、「自分はまだ国防の最前線に立っていたい」とそこに留まる者。いずれにも共通していたのは「やはり人間に自分の砲を向けることはしたくない」という素朴な思いだ。世界に先駆けてこの重大な決断を下した、日本の艦娘たちの動向はたちまち他国にも伝わることとなり、結果的に世界的な「海軍艦艇の再就役」というムーブメントを後押しすることにもなったのだった。
みらいは逡巡の末に才原が提示した「第3の選択肢」を選び、これまで他の乗員たちとともに座学での研修に励んできた。自らの船としてのアイデンティティをひとまず封印し、艦艇の乗員などとして戦場に立つ。それはある意味、人間に砲を向けることを忌避しつつも国防には引き続き貢献したいと願う今の彼女にとって、最も現実的な妥協点と言えるかもしれない。
第2次大戦終了後も人間たちが変わらず戦闘員であり続けてきた他の軍種とは異なり、艦艇の再就役に準備期間が一定程度必要な海軍は、遅ればせでの実戦配備が認められている。その貴重な時間はあっという間に過ぎた。もちろん、これから彼女が乗り込むのは自身をモデルとして命名されたという、あの因縁の巡洋艦である。
(まさか、護衛艦として生まれた自分が艦艇勤務を命じられることになるなんて…。どうしてこの世界はこうなってしまったんだろう)
これから練習航海が控えているというのに、やりきれない思いが彼女の心を満たしていく。今はこれが自分の果たすべき勤めなのだと割り切って、自分はこの3週間を過ごしてきたはずなのに、いざ東京湾を目の前にしてみるとやはり複雑な気分が首をもたげてくる。同じ大海原を進んでいくのでも、自分自身が水面に浮かんでいるのと船の上にいるのとではきっと、充実感は大違いなのだと思う。食わず嫌いだと言われればそれまでなのは分かっているのだが。
何よりやりきれないのは、自分たち艦娘から船としてのアイデンティティを事実上奪うこととなった才原たち将官だって、決して悪者ではないということなのだ。才原はみらいたちに対して、何度も「誤解してくれるなよ」と繰り返していた。この10年、海の守りや自らの生命と財産の安全を艦娘たちに託してきたのは、自分たち国防海軍の軍人たちとて他の全ての日本国民と何ら変わらず、本音を言えば艦娘から戦闘艦としての役割を取り上げることは、全くもって不本意なことと言わざるを得ないのだと。
それが決して口先だけの言葉でないことは、みらいとて重々承知の上だ。だからこそ、このスッキリしない思いを才原に再びぶつけることが出来ずにいるのが今の彼女だった。いっそ彼が冷酷な悪役を演じてくれてでもいたら、まだ気持ちの上でも少しは開き直れたかもしれないのに。こういう思いを抱えるくらいなら、いっそ本当にお払い箱になってしまった方がまだマシだったのだろうか。
だが、そんなみらいの思いをよそに世界は動いていく。そして国防の最前線に立つ以上、バスに乗り遅れないよう努力するのは彼女の務めでもある。それは艦娘として海に出ていようが、艦艇勤務に就こうがきっと変わらないのだろう。みらいは後ろ髪が引かれるような思いを必死に振りほどきながら、自分の右手に停泊しているその船の方に自らの顔を向けた。
彼女が艦娘となって以降に目にすることとなった、海自についての記録資料に掲載されていた艦艇時代の自分とそっくりな見た目を持つ戦闘艦が、そこには停泊している。サイズは確かに当時の自分より一回りは大きいが、艦首部分に描かれた「182」という艦番号も、その向こう側に見える127mm単装速射砲も、艦橋の下あたりに設置されているSPY-1レーダーも全てどこか懐かしい。そしてこれからは、この船こそが自分に代わって「日本国防海軍ゆきなみ型ヘリコプター・イージスシステム搭載型巡洋艦みらい」を名乗ることになるのだ。
意を決するように歩を進め、タラップを上がり切ったところに1人の軍服姿の女性が立っていた。イージス巡洋艦みらいの乗員は、全部で240名。人数こそ当時とほぼ同じだが、その顔ぶれは少しだけ変わっている。かつて自分が船だった時に艦長を務めていた梅津三郎一等海佐は、海軍大佐に生まれ変わったこの世界ではゆきなみ型3姉妹の着任と時を同じくして少将に昇任しており、既に船乗りではない。その梅津に代わってこの船の指揮を執ることが決まっているのが、今まさに目の前にいる天満美知留大佐だ。
天満はみらいと比べると一回りほど年上で、呉の兵学校を卒業したエリート。国防海軍横須賀鎮守府に所属する女性軍人の中では唯一の佐官であり、全部で9つある日本国内の鎮守府や前線基地を見回しても大佐の座にあるのは彼女だけだ。女性軍人としては国防海軍の最高位に位置する彼女は、その経歴と類稀なリーダーシップを買われ艦長へと抜擢された。年齢は重ねているがその美貌は衰えていない。あと10才ほど若ければ、艦娘たち限定のミスコンにゲストとして放り込んでも恐らく対等に戦えただろう。
「本日はよろしくお願いいたします、天満艦長」
心の中を覆いつくしている暗い雨雲を表には見せないよう、必死に取り繕いながらみらいは天満に対し敬礼する。それに対し、答礼を返した天満の顔には自信ありげな笑みが浮かんでいた。
「こちらこそよろしくね、長浦副長。頼りにしているわよ」
みらいはこの船において、かつて角松が担っていた副長兼船務長のポジションを与えられていた。本来なら中佐を当てるべきNo.2のポジション、菊池や尾栗よりも上の立場にいきなりあてがわれたことには驚く向きも少なくなかったが、艦娘としての戦闘経験から来る的確な判断能力を買われたということらしい。
そんな彼女のことを、天満はあくまでも「艦娘みらい」としてではなく「巡洋艦みらい副長・長浦未来」として扱った。もちろん、今のみらい自身には最早艦娘として海に出ることは求められていないし、自分たちが乗る船の名前と混同しないようにという便宜上の理由もあっただろう。だがそれ以上に、「早く新しい環境に順応してもらいたい」という親心のようなものが、天満にみらいのことを艦娘と扱うのを許さなかった。
もし万が一、将来的に再び深海棲艦が人類の前に立ちはだかる時が来るとしても、それがいつになるかなど誰にも分からないのだ。それよりも、今はまず眼前に実際に存在する脅威に立ち向かわねばならない。少なくとも今この瞬間は彼女には船でなく船乗りでいてもらわなければいけないし、自分も彼女をそのように扱わねばならないのだ。
「それにしても不思議なものよね…。まさか、あなたがこの船に乗ることになるなんて」
ふと、天満が口を開く。それに対して、みらいは怪訝そうな顔をした。
「どういう意味です?」
「あぁ、ごめんね。別に当てつけで言ったわけじゃないのよ」
天満は慌てて苦笑しながらかぶりを振ると、一つ大きく息を吐いた。
「ほら、覚えてるでしょう。この船の乗員名簿の顔触れ。あなたにとっては、この船の見た目以上に懐かしいものなんじゃないかってね」
みらいと天満を除く238名、その面々には確かに何やら運命的なものが感じられるのは事実だ。それも当然のことかもしれない。何故なら、彼女たちが率いるのは横須賀鎮守府にいる「旧みらい乗員の生まれ変わり」の239名のうち、鎮守府に残る梅津を除く全員なのだから。しかも、それぞれに与えられたポジションもかつてと全く同じだ。無論、海上自衛官としてあの海で戦った者たち全員の顔触れを、この船が完全に再現することはできない。角松洋介という、決して埋まることのないパズルのピースが存在する限りは。その空いた部分に自分が居座ることになるとは、運命とはつくづく不思議なものである。
「あなたにとって、彼らは前世の時から見知った間柄。たとえ、今の時代を生きる彼らが当時とは別人であるにしてもね。もちろん、彼らが船乗りとしてはどういう個性を持った者たちであるかを、あなたはよく知っているはずよ。残念ながら私はそうじゃないの。文字通り、彼ら全員と同じ船に乗るのは初めてなのだから。あなたのことは頼りにしているのよ。生きてきた道筋は違っても、同じイージス艦みらいを率いる女性軍人同士という意味でもね」
天満は表情を真顔に戻してそう口にすると、急に声色を明るいものに変えた。
「さぁ、ここであまり長々と立ち話をしている余裕はないわ。出港までにはまだ時間があるし、今のうちに艦内を一通り見て回ってきなさい。
「あ、Aye, ma’am. (了解)」
みらいはそう答えると、タラップから船内へと一歩踏み出す。その瞬間だった。
「っ…、冷たっ…!?」
ふと、彼女の両足に何やら冷たい感触が走る。それは、自分がかいた汗などの体液によるものではない。自分の両膝から下が、いきなり水の中に浸かったような感覚に彼女は囚われた。黒い革靴の中にその水はどんどん流れ込んできて、たちまち運動靴で水たまりの中を歩かされている時のような、不快な感覚に足先が支配される。太もも丈のソックスもぐっしょりと濡れて、布地が皮膚にまとわりついてきた。
「どうしたの、船務長?」
「何これ、足が水の中に…。あ、あれ…?」
天満の呼びかけに思わず敬語をすっ飛ばしながら、自分のその足の方に視線を落としたみらいは目を疑った。自分の視線の先にある両足は、明らかに水中などではなく綺麗に磨き上げられた甲板通路の上にあったのだ。拍子抜けしたように思わず目をぱちくりさせたみらいの姿に、その様子を見ていた天満が思わず吹き出した。
「もう、どうしたのよ。突然変なこと言って」
「すみません…。今、船の中に入った瞬間に両足が水中に浸かったような感じがして」
「海面から遥か上にあるこの通路の上で?気のせいでしょ、どう見てもあなたの姿はそういう風には見えないわよ。大体、本当にここで両足が水に浸かるような状況だったら、それこそこの船は沈没寸前じゃないの」
天満はひとしきり笑った後にそう言うと、肩をすくめながら「頼むわよ、私たちにとってはこれからが本番なんだから」とみらいに語り掛ける。その言葉に頷きつつも、いつの間にかあの妙な感覚が消え去った足元を見つめながら、みらいはなおも怪訝そうな表情を浮かべ続けるのだった。
イージス艦みらいがイージス艦みらいに乗る、「蒼き鋼のアルペジオ」みたいな展開ですがせっかくなのでやってみました。
前作からご覧になっている方ならお覚えかもしれませんが、長浦未来という名はみらいが満州に船団護衛任務に向かう前に与えられたものです。前作ではめっちゃさらっと流されたこのネーミングですが、本作では結構頻繁に活用しようと思っています。地の文や他の艦娘たちなどから呼びかけられる際はこれまで通り平仮名で「みらい」、艦娘ではなく人間扱いしている人から呼びかけられる際は漢字で「長浦未来」「長浦船務長」といった具合で呼ばれる形となります。
そのみらいがまさかのNo.2に大抜擢されたイージス巡洋艦みらいは、ジパング最終話に登場したいわゆる「新みらい」です。旧みらい(艦娘に生まれ変わった方)が全長171m、全幅21m、基準排水量7735tであるのに対し、彼女が乗る新みらいは全長183m、全幅24m、基準排水量12000tですのでかなりでかいです。なので艦種をどうするか迷った(国防海軍では「護衛艦」という自衛隊用語は使われない設定)のですが、やっぱ駆逐艦と呼ぶには感覚的に大きすぎるかなということで巡洋艦にしました。
次回は菊池と尾栗以外にも、懐かしい面々が少なからず登場する予定です。船務長みらいの挑戦にもご期待ください。第二章以降もよろしくお願いします。それではまたお会いしましょう。