鎮守府のイージスⅡ~Marine Mission~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
第二章:転向(前篇)
進水式から初出航まで実に11年。これほど長きにわたって待機状態に留め置かれ続けた船など、今までに果たして存在したことがあるのだろうか。1つ間違いなく言えることがあるとすれば、少なくとも日本国防海軍という組織においては初めてだということだ。自らがそんな歴史の当事者となったせいだろうか、イージス艦みらいの乗員たちは皆どこか不思議な高揚感に囚われていた。
「まさか、ずっと閑職だと思ってた艦艇の整備・保守の仕事が、本当に役に立つ日が来るなんてなぁ…」
艦首部分で出港準備のため待機していた乗員の1人が、ふと呟く。その思いは、大なり小なり国防海軍の軍人たち全員が抱えている物だろう。
艦娘たちが海戦の主役となって以降も、保有艦艇のメンテナンスは国防海軍にとって欠かせない仕事であり続けてきた。深海棲艦という脅威に対抗できる唯一の存在ではあっても、艦娘はある日突然海の彼方から現れた謎の勢力だ。艦艇の保有を放棄し、彼女たちのみに海上における国防の全てを依存することはあまりに危険な選択と言える。もしも彼女たちが将来、また何の前触れもなく我々の前から消え去ったとしても、海上の守りには穴をあけずに済むようにしておかねばならない。だからこそ、この国は決して安くはない出費を承知で戦闘艦を今なお保有してきたのだ。
「全くだ。世の中、一体何が起こるか分かったもんじゃねぇや」
「11年だぜ、11年。まさか初出航までこんなに時間がかかるなんて、当時建造にかかわった連中は想像すらつかなかっただろうよ」
周りにいる他の兵士たちも同調する。今、ここで作業にあたっているのは専ら下士官以下の階級に属する、海自で言うところの海曹や海士に相当する者たちだ。既述の通り、国防海軍では旧帝国海軍における階級名をそのまま踏襲しているため、実際には上は上等兵曹から下は二等水兵までのどこかに割り振られていることになる。
「しかし俺たちも海軍軍人でありながら、そんなに長い事戦闘艦に乗ってなかったってことですよね。陸に上がって長かったせいで、頭や身体が鈍ってないといいんですが」
そう呟いたのは、航海科に所属する柳一信上等兵曹だ。みらい乗員きっての戦史オタクである彼は、1942年へのタイムスリップ時はその圧倒的な知識量を活かし、下士官という立場にもかかわらず佐官や尉官クラスが集まる作戦会議にも決まって呼ばれていた。当時の歴史や兵器に詳しい彼の存在は、まさしく「時空の歪みが生んだ軍神」とでも言うべきものだっただろう。
「おう、どうするよ?号令の復唱さえも、ろくにできないくらいだったとしたら」
その呟きに、何やらニヤニヤしながら応じたのは同じ上等兵曹の杉本直人。大和強制移乗作戦の折は、角松や柳とともに乗艦した1人だ。
「いやいや、いくらなんでもさすがにそこまでは…」
柳が困惑した顔で呟くと、杉本はいきなり老人のごとく思いっきりしゃがれた声で、面白おかしく舌足らずな号令を口にしてみせた。
「ってゃ、てゃいしゅいじょーしぇんとーようーい(対水上戦闘用意)」
その瞬間、周りで作業していた兵たちが一斉に吹き出す声が聞こえた。皆、手は止めないまでもお互いの話し声には耳を傾けていたのだろう。緊張感の中で不意打ちのように発せられた声真似は、複数の乗員たちの笑いのツボにクリーンヒットしたようだった。
「杉本てめぇ、人が真面目に仕事してる時に笑わしに来るんじゃねぇよ馬鹿野郎」
士官クラスでは唯一この場に加わっていた少尉の柏原秀行が、笑いにむせながらもお馴染みの口の悪さで杉本を罵倒する。何かとすぐに人に突っかかりたがるのは、この男の性分なのだろうか。
「何で11年後にそこまで老け込んでんだよ。爺かよ、俺たちは」
「大体『てゃい』ってなんだ『てゃい』って。何で微妙に喘ぎ声みたいになってんだ」
次々に殺到するツッコミが、さらにその場の笑いを増幅する。中には、膝を叩きながら大爆笑している者までいた。出航前という重要なタイミングでもなければ、恐らく艦首部分で腹を抱えながら笑い転げていたかもしれない。
「お前らなぁ、笑ってばっかりいないでやるべき仕事はちゃんとやれよ」
同じく大笑いしながらもそう言ってその場を戒めたのは、下士官以下の階級の中では最上位に位置する船務科の麻生保曹長。名前のよく似た「海曹長」という階級にあった海自時代には先任伍長という、やはり曹士クラスをまとめ上げる立場にいた。年齢的にはベテランだが気性はいたって穏やかで、クルーの中では最も思いやりのある人物と言える。
「練習航海とはいえ、今回はその途上で戦闘演習も実施する重要な機会なんだ。そもそも、俺たち海軍は今回の作戦においてただでさえ出遅れてる立場、一刻も早く実戦復帰の準備を整えなきゃならない。ましてこのみらいは国防海軍艦隊の旗艦、俺たちは責任ある立場であることを忘れるな。息抜きも重要だが、仕事に手抜かりは許さんからな」
「Aye, sir!!」
彼の言葉に、その場にいた者たちは再び緊張を取り戻したのだった。
「…、何やら艦首の皆さんはずいぶんと賑やかですね」
その様子を見ながら、艦橋にいたみらいは呟いた。彼女は今、艦長である天満や航海長の尾栗といった面々とともに、前面に広がる大海原を見つめている。いよいよ、この船が沖へと旅立つ時だ。まだこれは実戦に向けての出航ではないが、それでも何かの終わりと始まりを意味するものであることには変わりはない。それを知るからこそ、みらいは彼らのように明るく振舞う気にはなれずにいたのだった。
「まぁ、久しぶりの航海で気分が高揚している部分もあるのかもしれないわね。私たちも彼らも血が通った者同士、あれくらいは大目に見てあげましょう。どのみち、出航すれば緊張の連続なんでしょうから」
艦長のみが座ることを許される、真っ赤なソファに腰かけた天満がそう答えた。海上自衛隊やそれをルーツの1つとする日本国防海軍において、赤は艦長とその両肩が背負う重責の象徴たる重要な色だ。エリートらしからず気さくで話しかけやすい人柄の天満とあろうとも、うっかり自分以外の誰かがここに座ればそれを容赦なく咎めることだろう。
「艦橋の皆も、今のうちに深呼吸でもしておきなさい。初めて乗る船で緊張しているかもしれないけれど、あまり固くなりすぎてはだめよ。あくまでもこれは練習航海、余計に力が入りすぎては本来のパフォーマンスは出せなくなるわ。訓練そのものはダラダラせずテキパキとやること、ただし肩の力は抜いてリラックスも忘れないように。いいわね」
「Aye, ma’am!」
艦橋にその返事が響き渡る。天満の言葉通り深呼吸を繰り返すさなか、みらいはふと自分の足元に目をやった。白いミニスカートと太もも丈の黒いソックス、それと黒の革靴を履いたその下半身には、先ほど乗船した瞬間に感じた妙な感覚がうっすらと残っている。特に何か変わったことはしていないはずなのに、何故かどこか冷たいままなのだ。つい先ほど陸上にいた時は全く感じなかったというのに、一体どういうことなのだろう。
「船務長、用意はいいかしら?」
ふと聞こえてきた艦長の声に、みらいは慌てて顔を上げる。その視線の先には、こちらを見ながら笑みを浮かべる天満の姿があった。
「あ、はい、大丈夫です。失礼しました」
みらいの返答に天満は頷くと、周りをもう一度見まわして乗員たちの顔を確認し、その後再び目線を窓の外の大海原へと向ける。整ったその横顔からは、笑みは消えていた。
「それじゃ、始めるわよ。…、出港準備」
その言葉を艦内マイクに向けて天満が口にした瞬間、船全体に緊張感が走った。次々に、出航に向けた各種号令が下令されていく。
「前部員、錨鎖詰め方。錨、上げ!!」
「両舷前進微速、150度ヨーソロー。みらい、出航!!」
「出航用意、それぇっ!!」
艦橋に響き渡る出航ラッパの音色。そのメロディや演奏する乗員が誰であるかは、自分が海自護衛艦として横須賀に配備されていた時と全く変わらない。だがその合図は、みらいにとっては重い意味を持つものだった。これは艦娘としての自分の役割の終わり、そして船務長としての新たな人生の始まりを告げる音色なのだ。
「出航用ー意!!」
その復唱とともに、船がゆっくりと前進を始めたその瞬間だった。
「ッ…!?」
突然、みらいは足元に先ほどと比べより一層強烈な冷たさを感じた。先ほど乗船した時に感じたあの「足全体が水に濡れた感覚」が再び戻ってきたのだ。見る見るうちに水はソックスや靴の中に入り込み、あの不快な感覚が呼び起こされる。しかも今度は先ほどまでと違って、足を一歩も前に踏み出せないほどに下半身全体がやけに重苦しい。船が前に進む中、その圧力は自分に向かって襲い掛かってくる。まるで、自分の身体に向かって勢いよく大量の水が押し寄せてきているようなのだ。これはもしや、水圧…?
しかし、自分の足元に再び目を落とした彼女は我が目を疑った。それほどまでに強烈な違和感を覚えているはずのそこには、ただ1滴の水も存在しなかったのだ。もちろん冷静になってよくよく考えてみれば、それは当たり前のことであるはずだった。ここは海面から実に20mもの高さにある艦橋。出航と同時に足元に水が流れ込んでくるなど、本来はどう考えても起こりようがない事なのだ。
しかも、日本の軍艦は「洗面所の水滴すらも1滴たりとも残さずふき取る」と言われるほど、艦内のどこかが濡れている状況が忌避される場所。であるならば、自分の下半身が受けているこの得体のしれない圧力は何なのか。まさか、幻覚…?そんなバカな。それにしてはあまりにもこの感覚は鮮明すぎる。
「航海長操艦。両舷前進原速、赤黒なし、針路150度」
そんなみらいの様子をよそに、天満は尾栗に対して操舵のバトンタッチを命じた。船はゆっくりと沖へ向かっていく。
「頂きました航海長。両舷前進原速、赤黒なし、針路150度…、っておい。大丈夫か、みらい?」
バトンを受けた尾栗が、そこで初めてみらいの異変に気付いた。出航作業のドサクサで気づく者は少なかったが、どうやら傍目にも一目でおかしいと分かるほど彼女の様子は異様に映っていたらしい。誤解を避ける意味で本来なら「副長」とか「船務長」、あるいは苗字である「長浦」と呼ぶべきところをつい「みらい」と咄嗟に口走ってしまった尾栗だったが、それを咎める者は特にいなかった。
「あぁ、いえ…。大丈夫です、お構いなく」
傍目には視認できない「大波」にたった1人で抗い続けるみらいは、苦笑いを浮かべた顔を尾栗の方に向ける。だが、その足が何やら震え顔も青ざめているのを天満は見逃さなかった。
「その様子、私にはどう見ても大丈夫には見えないんだけど?そういえば、さっき乗艦した時も足元が冷たいとか何とか言ってたけど、やっぱりどこか体調がおかしいんじゃないの?それとも研修続きで疲れでもたまってるのかしら?」
「い、いや…。そんなことは…」
みらいはかぶりを振った。それは決してごまかしなどではない。確かに、再就役に向けての座学での研修が続いた毎日は決して楽なものではなかったし、覚えねばならないことも多かった。その上、艦娘としての確固たるポジションを失った今のみらいは、自分や2人の姉の先行きに希望が見えず不安を募らせている。
既に、少なくない同僚たちが国防海軍を離れ野に下った。外界に疎い自分たちにとって、「守られる側」としての生き方を学ぶにはいい機会なのかもしれないが、果たしてそれがいつまで続くことになるのかは誰にも分からない。一時のこととして返上した「擬人化した戦闘艦」としての役割が、永遠に戻ってこない可能性だってないとは言えないのだ。自分だって、いつまで海軍の一員として生き残っていられるか分かったものではない。だから、かつてと比べて安眠が出来ていたかと聞かれると、正直に言って疑問が残るのも事実だった。
とはいえ、だからと言ってかつてと比べて極端に疲れているわけでは決してないのだ。自分を取り巻いている現状には断じて満足も納得もしていないが、それでもこれが国防の世界で生きていくための術と心得て、自分なりに割り切り何とか折り合いをつけてこの3週間やってきた。それはみらいが胸を張って言えることでもある。少なくとも、今の彼女は幻覚を見てしまうほど肉体的・精神的に疲労しているわけではないし、ましてや違法な薬物に感覚を支配されているわけでもない。だが、それなら一体これは何だというのか。
「誰か、手が空いている者は甲板へのドアを開けて。副長を連れて行ってあげなさい」
みらいの様子を、船酔いか何かかと判断した天満が乗員たちに呼び掛ける。すぐに、ドアのそばにいた乗員がその扉を開き、向こう側から潮風が入り込んできた。その間にも、みらいの身体にかかる見えない圧力はどんどん強くなっていく。
「もう、お願いしますよ船務長。出航して早々に船酔いなんて」
そう言いながらも駆け寄ってくる若い乗員を、彼女は必死に手で制した。
「違う、違うんです。船酔いなんかじゃないんです、これは」
「船酔いじゃない…?それなら一体何なのよ」
前方にいる天満が怪訝そうに呼び掛ける。
「その…、さっきから身体に妙な圧力がかかって…。水圧が…」
「水圧?何言ってんだ、
尾栗もまた不思議そうに首を傾げた。だが彼が無意識に発したその言葉は、図らずもこの状況を打開しうるヒントとなったようだ。
「身体に水圧…、艦首…、元艦娘と同じ名前を持った戦闘艦…。いや、そんな…。そんなバカな。でもこの状況は…」
不意に何やら考え込み始めた天満が、そのわずかな手掛かりから何らかの結論に至る。だが、どうやらその考察は本人ですらも半信半疑のものだったらしい。彼女の表情はこわばり、眉間にはしわが寄っている。突然、彼女は尾栗に呼び掛けた。
「航海長、直ちに航行速度を原速から半速に落としなさい」
「半速に!?何故いきなり。もうそろそろ、巡航速度に乗せて湾外へと出る段階ですよ?」
その意図を読み取れない尾栗が、素っ頓狂な声を上げた。他の航海科員も何事かと顔を見合わせる。しかし、天満はその不思議な指示を撤回しようとはしない。
「いいから指示に従って。艦長命令よ。私も半信半疑ではあるのだけど…、確かめなきゃいけないことがあるの」
「は、はぁ…」
まだ何やら自体が呑み込めていないまま、尾栗はひとまずその指示に従うことにした。
「両舷前進半速」
その号令が復唱されると同時に舵が切り替えられ、船は少しずつ航行速度を落とし始めた。その速度の低下を乗員たちが明らかに体感できるまでになった、その瞬間。
「あ、あれ…?」
みらいは、再び不思議そうに自分の足元に目をやった。依然として自分の足元が水に濡れた感覚にとらわれ、冷たいままになっているのは変わらないが、そこにかかる圧力が先ほどまでと比べて目に見えて減少したのだ。つい今しがたまでは一歩も前に踏み出せないほど強かったその力が弱まったおかげで、今は比較的自由に足を動かせる。
「副長、今の様子はどう…?」
「大丈夫、です。さっきと比べてだいぶ圧力は弱まりました。今なら身体もだいぶ自由に動かせます、ほら」
そう問いかけた天満の目の前で、みらいは自分の右足を前後に振ってみせる。つい先ほどまでは全く見られなかったその姿に、艦橋に居合わせた全員が驚いて目を見開いた。
「艦長、これは一体…」
「そんなまさか…。冗談でしょ!?無理やりなこじつけだと思ってたのに」
尾栗の問いかけに、天満は声を震わせた。目の前で展開される信じがたい展開に、優秀なはずの彼女の思考回路は混乱を極めつつある。いや、もしかするとあまりに優秀すぎるが故かもしれない。何せ、その頭脳がはじき出した結論は明らかに非科学的に思えるにもかかわらず、紛れもない現実として今まさに起きているのだから。
「私の推測が間違いなければ…、これはまさしく」
「体調不良などではなく、この船と船務長の肉体的感覚が
巡洋艦みらいが沖へと漕ぎ出してしばらく経った頃、医務室から招集を受けた桃井佐知子大尉は状況を確認した後にそう断言した。
「やはりあなたもそう思うのね、桃井大尉」
「シンクロ?そういや、さっき副長は『足元が冷たい』とか何とか言ってたが…。なぁ天満、そりゃ一体どういうことなんだ?」
尾栗が2人の会話に横から口を挟んだ。天満と尾栗、そしてCICから同じく艦橋に呼ばれた菊池の3人は、いずれも同い年であると同時に呉・江田島の士官学校で学んだ同期生でもある。少佐である彼らが、大佐の天満に平気でタメ口を利けるのはこれが理由だ。もちろん彼らも公の場であったり、先ほどのように業務上必要があったりする場合は敬語を使う。この区別はちょうど角松相手に友人として話す時と、二佐と三佐として話す時の使い分けに似ているとも言える。
「さっき彼女が言っていた水圧というのは恐らく、この船の艦首が航行中に受けるのと同じものよ。その証拠に、さっき速度を原速から半速に落とした途端、彼女は特に問題なく体を動かせるようになっていたんだもの。極めて信じがたい事ではあるけれどね」
「確かに、微速から原速に上がった時の圧力の変化は急激なものがありました。その時は本当に、押し流されるんじゃないかとすら思ったんですから」
みらいは頷いた。その言葉に、菊池と尾栗の両名は顔を見合わせる。
「そんなバカな…。それじゃまさか、お前が乗艦した時からずっと『足元が冷たい』と感じてるのは、この船がずっと水の上に浮かんでるからってことか?」
「極めて非科学的すぎて、俺にははっきり言って何が何だか理解できんな。自分の肉体的感覚が、今まさに乗っている船の動きにそれほどまでに影響を受けるなど。そもそも、仮にそうだったとして一体何が原因なんだ?」
2人の問いかけに、桃井は一瞬それに対する自分なりの答えを口にすべきか否か、彼らの目の前で逡巡するような仕草を見せる。やがて、意を決したように顔を上げた彼女の眼力は、力強かった。
「恐らく…、彼女が人間ではなく艦娘だからではないかと」
「艦娘だから…?」
一様に不思議そうな顔をしたその場の面々に向かって、「あくまでも個人的な推測にすぎませんが」と前置きしつつも桃井は言葉を続けた。
「艦娘は、我々人間と同じ姿をしてそれぞれ固有の人格も持っているとはいえ、あくまでも『擬人化された戦闘艦』。つまりは船です。当然、その肉体が有する感覚も我々とは微妙に異なっているはず。戦闘艦に戦闘艦を乗せるということ自体が、そもそも土台無理な相談だという話なのでは」
「ちょっと待ってください。私は艦娘として出撃を命じられていた頃、遠洋での作戦時には僚艦ともども『げんぶ』に乗っていましたが、その時は私も私の仲間も体調には何の問題も起きていませんでしたよ?」
みらいはそう桃井を問い詰めた。彼女の口にした『げんぶ』とは、元は海兵隊の依頼によって開発され後に艦娘向けに改造を受けて海軍にも卸されるようになった、特殊装甲輸送艦の名だ。戦艦クラスの砲撃を数十発受けても耐えられるような厚い装甲が、そのネーミングの由来となっている。『輸送艦』とは名乗っているが、サイズ的にはむしろ『輸送艇』と呼ぶ方が正確かもしれない。
この船は、外征作戦時における長期間の航行による艦娘たちの疲労軽減と、戦闘時の兵站や一時避難場所などとして活用されてきた。まずある一定の位置までこの船で艦娘たちを輸送し、そこから艦隊を展開させる。その後は、この船そのものが洋上の前線基地としても機能するわけだ。そしてこの船で艦娘たちを輸送するということは、まさしく桃井の言う「船が船に乗る」状況が生み出されているわけなのだが、当時のみらいたちは何ら体調に変化を感じてはいなかった。そもそも「船に乗ったら、海面よりも遥かに上の甲板にいるのに足が水に浸かった」と錯覚したの自体、先ほどの乗艦時が初めてだったのだから。
「げんぶは輸送艦、最初からあなたたちを沖へ運ぶために作られた船よ。それに乗った時に今回のような状況が起こっていたら、戦力としては使い物にならないわ」
桃井はそう答えると、一度大きく息を吐きだした。
「ジョークみたいな話だと一笑に付されるかもしれませんが…。今回の原因はもしかしたら、『イージス艦みらいにイージス艦みらいが乗っている』ということなのではないでしょうか。戦後になって建造されたこの船は、確かに彼女とは別個の存在です。それでも全体的な大きさが異なるだけで兵装も共通していますし、何より彼女をモデルとして建造され同じ名を持っています。船と彼女自身の感覚が同調する原因なんて、それ以外に考えられますか」
「そんなまさか。今の彼女は『イージス艦娘みらい』としてではなく、『巡洋艦みらい副長兼船務長・長浦未来』として乗艦しているのよ。第一、今は艤装だって身に纏っていないじゃないの。彼女たちは艤装を身に着けて初めて船へと生まれ変わる存在。だったら、今は肉体的機能だって私たちと変わらないはずよ」
そう反論する天満に向かって、横から割り込んできたのは菊池だった。
「確かに不可解極まりない話ではあるが…。確かにそういうことでもなければ、みらいの身に起きた事象は説明がつかないな。もとより艦娘自体が、この世に出現してから11年経った今もなお謎に包まれた存在だ。今回彼女が体験したことは、その謎をまた1つ解き明かすものだったと言っていいんじゃないか」
そこまで言うと、菊池は不意に天満に向けた話し言葉を敬語に切り替えた。ここからは気心の知れた士官学校の元同期生同士としてではなく、イージス艦みらい艦長と砲雷長という上司と部下の間柄での会話である。
「艦長。仮に桃井大尉の語ったことが真実であるとするなら、ここから先は恐らくかなり厄介なことになります。時期にこの船は訓練海域に到着する。今回は乗員たちにも予告している通り、抜き打ちでの対水上戦闘教練も控えています。今はまだ何とかなっているが、訓練が一旦始まってしまえばさらに困った事態になりかねない」
戦闘教練は実際に襲ってくる相手こそいないが、自分たちの動きは実戦と全く同様だ。その最中には、状況に応じて原速よりもさらに速い「第一戦速」から「最大戦速」までのレンジを使うことになる。当然、速度が上がれば艦首にかかる水圧もその分高まるのだ。微速から原速に上げた時点で、押し流されると錯覚するほどにみらいの身体が受ける衝撃が強いのだとすれば、それをさらに上回る速度に達した時の彼女への負担は計り知れないだろう。
加えて、問題となるのは射撃訓練である。今回は初出航ということでひとまず流れを確認するのが目的の為、イージスシステムは訓練モードに設定している。その為、ボタンを押したとしても主砲やミサイル類、あるいは20mm機関砲CIWSが実際に発砲することはない。だが、今後は一刻も早く実戦に向けて仕上げるために急ピッチで訓練を続けねばならず、早ければ次々回の訓練では訓練弾ながら射撃も実際に行うことになるだろう。
「桃井大尉。もしも仮に、戦闘教練において俺が『撃ち方始め』を下令して、実際に砲術士がこの船の主砲を発砲したとする。その時、一緒に乗艦している副長は一体どうなる?」
「もちろん断言することはできませんが…。我々からしても、駆逐艦が発砲した時の音や衝撃はかなりのものです。自分たちが感知しえないような水圧を、艦橋にいても体感してしまうような今の副長の様子から推測すれば…」
その衝撃に耐えられず発狂してしまうかもしれない、という桃井の衝撃的な答えに、問いかけた菊池や天満以下のその場に居合わせた乗員たちは絶句した。もちろん、その中には当事者たるみらい自身も含まれている。
「発狂って、そんなバカな…」
みらいの額から、冷や汗が滴り落ちた。菊池と同じように、今の自分にも何故このような状況が起きているのかははっきり言って理解できないし、これは当事者である自分自身にとっても不可解極まりない事態だ。だが、そうであるにもかかわらずこれが現実に自分の身に降りかかってきたこともまた事実。受け入れたくはないと思っても受け入れざるを得ない。
桃井の言葉は、彼女にとってあまりに重いものだった。戦闘艦は単に乗員を運ぶためのものではない。襲ってくる敵に対して主砲やミサイルや魚雷を放ってターゲットを撃破し、あるいは抑止力としての機能を果たすことこそが勤めなのだ。その役割を放棄した戦闘艦など、言葉は悪いが鉄くずと同義である。だが、もしも自分がクルーの一員として乗艦していることが、砲雷長やその部下たちに引き金を引くことをためらわせる原因となりうるのだとしたら。
「私は…、この船には乗ってちゃいけないってことなんじゃ…」
その声は震えていた。私は、この世界の日本国とそこに生きる人々を守るという使命を果たし続けたいという、ただその一心で艦娘としての役割を封印してでも国防海軍に残り、過去3週間にわたって後悔の念と必死に抗いながら新しい持ち場をものにしようと頑張ってきたのだ。それなのに…。心の奥の金庫にしまい込んだはずの「自分が艦娘である」という事実が、まさかこんなところまで響いてくるなんて。
イージス艦娘みらいは、この世界にその存在を必要とされて生み出された。1年前、まだ国防海軍への推参を決意する前の彼女にそう語りかけたのは、艦艇時代にともに太平洋戦争を戦った戦友であり艦娘としての先輩でもある大和だった。その言葉を胸に、今日までずっと激戦地においても膝をつかずに戦ってきたというのに。今の自分は戦闘艦の一員となることも、自分自身が船として沖に出ることもできない。だとしたら、私は一体何のためにここで生きているのか。
「私はもう、皆さんの力にはなれないってことなんですか…?皆さんの足を引っ張るだけの、この船の上では一緒にいない方がいい存在、そういうことなんですか…?」
みらいの足元に、初めて本物の雫が落ちた。その正体は水ではない。彼女の美しい瞳から零れ落ちた涙。どんなにこらえようとしても、それは目元から溢れてきて止めることはできない。誰もが口をつぐんでしまう中、ただ1人口を開いたのはこの場の最高責任者だった。
「長浦船務長。いいえ、敢えてまた『みらい』と呼ばせてもらうわね。そうやって自分を責めたりしてはダメ。あなたは何も悪いことはしていない、ただ自分の持つ国防への思いを全力で表現しようとしているだけなのだから。私はそのことに心から敬意を表している。だからこそ、この船の艦長に指名された時にあなたをNo.2として推薦したの」
そのどこか優しい響きを持つ呼びかけに続いて天満が発したその言葉が、みらいの心の中にある最後の砦を決壊させた。思わず艦長に抱きつき、大粒の涙を流しながら慟哭し続ける彼女の姿に、艦橋の内部は静まり返ったのだった。
「だけど、今のこの状況は残念ながら私たちにはどうしようもないものに思えるわ。ひとまず横須賀に戻って、この事態をどうするべきか一緒に考えましょう。もしかしたらそこから導き出される結論は、あなたにとって最悪のものとなる可能性もあるかもしれないけれど、ね」
杉本のキャラ付け、もしかしたら原作とは異なっているかもしれません。同じ一等海曹(国防海軍では上等兵曹)であるということで出したんですが、もしキャラ崩壊してたら申し訳ないです。しかし、真面目な作業中にいきなり周囲を笑わせてもあれだけで済ませてしまう麻生曹長は温厚な人ですね。実際の海自や海軍だったら杉本はぶっ飛ばされてるのかも。
そして、今回の話ではサプライズが発覚します。この世界では、艦娘は「蒼き鋼のアルペジオ」で言うところのメンタルモデルにはなれません。艦娘自身がそもそも戦闘艦であるので、輸送艦ではなく戦闘艦に乗せてしまうと感覚が共鳴しすぎて不具合を起こしてしまうのです。もちろん本作ならではの独自設定となります。今後もこの設定に沿った描写がされる場面は出てくる予定なので、頭に入れておいていただければ。
次回はみらいが重大な決断を下すお話となります。物語の根幹にもかかわってくるのでどうぞお楽しみに。次回もよろしくお願いします。それではまたお会いしましょう。