鎮守府のイージスⅡ~Marine Mission~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
「お待たせしました、ご注文の小籠包でございます」
「あぁ、ありがとう」
名物とされる一品を恭しく届けに来た男装のウェイトレスに向かって、1人でこの店にやってきたこの男は軽く手を挙げながら礼を言った。その目が、ふと彼女の顔に向く。卓上に蒸篭を置いたところで、彼女もその視線に気づいた。
「ん?どうかされましたか、お客様?」
「あぁ、いやね。この店の店員さんは綺麗どころが多くて、僕みたいな独り者にとっては目の保養になるなぁと」
男がそうかぶりを振ると、ウェイトレスもその頬を思わず緩ませた。
「えへへ、それほどでも。ありがとうございます」
「そういえば、あなたも長浦さんっていうんだ?さっき飲み物を運んできてくれたお姉さんも、同じ苗字だったみたいだけど」
「あぁ、実はさっきお伺いしたのは私の上の姉なんですよ。厨房にも下の姉がいまして。3姉妹揃ってこの店で働いてるんです、私たち」
その言葉に、男は驚いて目を見開いた。
「えっ、そうなの!?そりゃ驚いたな、まさか旅先でこんな凄い美人姉妹と出会えるなんて。料理も凄く美味しいし、内地から遊びに来た甲斐があったよ」
「アハハ、まさか店員相手にナンパですか?お褒め頂いて光栄ですけど、さすがに買いかぶりすぎですよ」
「やだなぁ、そんなことないって。自信持ちなよ」
普段は東京の商社勤めで、久しぶりの有給を使って台湾に遊びに来たというその男は、大真面目な顔でそう口にした。
「もう、別に褒めても何も出やしませんからね」
ウェイトレスはそう苦笑しながらも、まんざらでもない様子である。
「お姉さんたちは、元々こっちの人?」
「いえ、実は私たちも元は関東の人間なんです。ちょっと訳あって最近高雄に移住したんですけど、生まれは横須賀なんですよ」
横須賀出身。うん、間違ってはいないだろう。決して嘘はついていない。
「へぇ、そうだったんだ。若いのに色々と苦労してるんだねぇ」
男はそう言うと、ふと何事かに気づいて「おっと」と小さく声を上げた。
「ごめんね、お仕事忙しいだろうに話し込んじゃって。色々と大変だろうけど、頑張ってよ。応援してるからさ」
「いえ、そんなこと。ありがとうございます」
深々と頭を下げてその客に礼を言い、席を離れる。その客から自分の姿が見えなくなる位置まで来たところで、みらいは一度大きくため息をついた。
(やれやれ…。ああやって褒めてもらえるのは嬉しいけど、こういう話を聞かされるのは一体何度目だろう。はぁ…、疲れたなぁ)
そのやり場のない思いは、虚空へと消えていったのだった。
日本国防海軍における軍籍の一時停止。才原や梅津も交えた海軍上層部との話し合いの末、みらいが最終的に選択を余儀なくされた針路はやはり、彼女にとってはある種の屈辱ともいえるものだった。
海自護衛艦として生まれた後にひょんなきっかけで太平洋戦争の時代に飛ばされ、轟沈後には当時の自我を保ったまま艦娘として再びこの世に生まれ変わったみらいにとって、自分の人生は自らが愛する祖国・日本とそこに生きる人々の命を守る、その使命を果たす為だけにあるようなものだ。度重なる外出によって外の空気を少なからず知る彼女ではあるが、それでも鎮守府の外で見聞きするものはあくまでも自分の人生においては枝葉末節にすぎず、根幹をなすものではないという意識が常に心の中にあった。
多くの艦娘たちにとってそうであるように、国防海軍や海上自衛隊のような国防組織の一員として安全保障の第一線で戦い続けることは、それ自体がみらいという存在の承認欲求を満たすものだ。何故そうまでして安全保障分野の一員たることにこだわり続けるのか、その問いに対する自分にしかない確固たる答えを彼女は持っているわけではないかもしれない。敢えて言えば、「そういう生き方しか自分は知らないのだ」というのがそれにあたるのだろう。その心の支えになる物が、ある日突然目の前から消えた。その喪失感は彼女にとって、やはり耐え難いものであることに変わりはない。
実際のところ、国防海軍との間で交わした取り決めは彼女を永久にそこから締め出すという趣旨のものなどではなかった。既に、今回の経緯により国防海軍を去った他の艦娘たちと同じ条件であるその合意文書には、みらいの海軍軍人としての資格を当面の間無期限で停止する代わりに、以下のような文言が盛り込まれている。
・その必要ある時は、甲(国防海軍)は双方の合意に基づいて乙(みらい)の軍籍をいつでも復活させることが出来る。
・乙の軍籍を復活させるに足る事態の発生時において、何らかの理由により甲が乙を呼び戻すことが困難である場合には、乙は独自に単独または協力者を得てこれに対処することが出来る。乙の行動目的が日本国並びに自らの利益と相反しないものである場合には、甲はこれを自動的に承認するものとする。
・上記に関連して、乙が事態に対処するための独自の防衛行動ないしは戦闘において必要とする場合には、甲はその形態を問わず可能な限りこれを支援するものとする。
これを読めば、海軍がこの「方針転換」を決してドライなものとは考えていないことは、一目でお分かりいただけることだろう。たとえ世界情勢が変わったからと言って、10年もの間運命を共にしてきた大切な仲間をあっさり切り捨てるような薄情者は、日本国防海軍という組織には存在しないのである。無論、仮にも軍隊である以上貢献なき者には厳しいが、然るべき功績を残した者には然るべき方法で報いるという部分では、彼らは彼らなりにしっかりと筋を通そうとしていた。少なくとも、艦娘という存在はそれに値するとみなされていたわけだ。
だが、そんな至れり尽くせりの条件を与えられてもなお、みらいは当初それを真正面から受け止めることはできなかった。「軍籍を復活させるに足る事態の発生」とはすなわち深海棲艦の復活を指すのだろうが、果たしてその機会がいつ訪れるのかなど誰にも分からない。そもそも本当に彼らが復活するのかさえ、今の情勢を見れば不透明なのだ。
1年前、みらいも参加した日米独連合艦隊が迎え撃った戦艦棲姫は、砲火力・装甲ともずば抜けて高い文字通りの大物だった。あの大和の46cm主砲による一斉打方を以てさえ、撃沈どころか大破にすら至らなかったのだから。そんな彼女が、深海棲艦側にとって柱となる存在の1人であろうことは明白。それを思えば、昨年秋に遭遇した通商破壊艦隊との一戦が文字通り最後の足掻きであった可能性も十分存在するだろう。
もしそうだとすれば、これはどんなに付帯条項がつこうとも事実上「海軍と艦娘の関係終了」を意味する取り決めということになる。最早日本国の国防を担える存在ではなくなった自分は、一体これからどのように生きていけばいいのか。みらいの気持ちは暗澹たるものとなりつつあった。
そんな中、彼女の心情を慮り助けとなってくれた者も少なからずいた。最も彼女に近いところで寄り添ってくれたのは2人の姉、ゆきなみとあすかである。巡洋艦みらい副長としての務めを果たすことに失敗し、海軍からの離脱を余儀なくされた妹を彼女たちは放っておかなかった。「彼女をたった1人で海軍の外に放り出したくない」という理由で、自らも一緒に海軍を離れることを志願してくれたのだ。
この物語における日本から見た異世界、すなわち史実の日本からやってきた3姉妹の絆は何物にも代えられないし、それはいかなる事態にあっても変わることはないと彼女たちは誓っていた。戦いというものに自らがどう臨むべきかという考え方の違いから、みらいとあすかが仲違いしたままで臨むこととなった帛琉沖での戦闘であすかが負傷して以降、ゆきなみ型3姉妹の結束はより一層強いものとなったのだった。
そんな彼女たちは今後について話し合った結果、ひとまず自らが生まれた横須賀を離れることを決めた。自らの生誕の地にとどまっていれば、どうしても国防海軍の艦艇が港に入ってくる姿を目にすることは避けられないだろう。それはともすれば、自らがそこに残れなかったというトラウマを抉り出すことにもなりかねない。それによって、思いつめたみらいが身を投げるなどという事態だけは、ゆきなみやあすかからすれば絶対に忌避すべきものだったのだ。
ではどこに行くべきかとなった時、これまた助けとなってくれたのが3姉妹にとっての共通の友人だった。やはり一旦国防海軍からは離れることを決意した彼女は、台湾・高雄にいる3人の妹たちと新たな生活を始めようとしていた。「せっかくだから一緒に行こう」というその何よりもありがたい言葉に、彼女たちは文字通り救われる結果となったのだった。
里見雅恵は、高雄県高雄市左営区にある飲茶専門店「風来食堂」を切り盛りする女主人である。内地出身の夫が2年前に体調を崩して以来、彼に代わって店の運営を引き受けてきた。彼女自身は先祖代々台湾系の血筋で、旧姓は「陳」という。飾り気がなく大らかかつ豪快な性格で、常連客からも人気を集める名物主人だった。
その風来食堂がある左営区は、実は横須賀と同様の「海軍の街」だ。史実でも中華民国海軍が左営基地を置いているこの街は、作中世界では日本国防海軍高雄鎮守府と日本国海兵隊高雄基地が併存している状況にある。その為、風来食堂にも時折海軍や海兵隊の関係者が訪れることがあった。ゆきなみ型3姉妹を里見と引き合わせてくれたのも、実はこの店に常連として通い詰めていた元艦娘たちである。
せっかく横須賀を離れたのに、台湾に来てからもまたもや海軍の街で働くのか、と渡ってきた当初の3姉妹は困惑しきりだった。だが、初めて訪れた外地にはそもそも頼れるような人間はいない。そして、そんな自分たちに手を差し伸べてくれた親友やその妹たちの思いを裏切るのも忍びなかった。
何より、彼女たちは食を通じて地元を支え盛り上げていこうとする里見の熱い思いに惚れた。彼女の思いはもちろん、重要な顧客である国防軍関係者にも向けられている。民間人である里見は、海軍や海兵隊の軍人たちのことはもちろんお客様としてしか知らないし、彼らも職業柄自分の仕事について外でペラペラと話すことはしない。だが、時折彼らがボソッと呟くように語るエピソードから、如何にその両肩に背負う責任が重大なものであるかを彼女は察していた。
そして内地においてもそうであるように、高雄鎮守府・基地においても地元出身者だけでなく内地や朝鮮・帛琉出身の人間は少なからず存在する。もし叶うなら、ここを彼らの実家と同じようにほっと一息つける場所としてほしい。その思いを具現化するために、新しい人出を必要としていた里見を応援しようと3姉妹は決意した。
内地から移り住んできた1人の男が、この街に根を張るために開いた店。「風来坊」から取られたという店名も、今の自分たちにとってはまさにぴったりではないか。そうして、彼女たちはこの世界における新たな居場所での生活を始めたのだった。日本国防海軍所属のゆきなみ型イージス護衛艦としてではなく、1人の日本人として。
「お会計、2628圓でございます。領収証はご入用ですか?」
レジの担当者が、手際よく会計処理を進めていく。ここ台湾では、読みこそ同じだが通貨単位は「円」ではなく「圓」。等価交換可能だが、あくまでも異なる通貨として機能している。万が一、内地が攻撃を受けて機能停止するなどの不測の事態が発生した際に、すぐに切り離せるよう同じ国の中でも敢えて通貨単位を変えているのは、大日本帝国時代と同じだ。ただ当時と異なり、現地銀行が設立されたもう1つの理由である「外地における経済の不安定さ」は、日本国と名を改めて久しい現在は解消されてはいるのだが。
「ちょうどお預かりいたします。ありがとうございました、またお待ちしております」
会計を済ませたランチタイム最後の客を見送ると、その係員こと霧島四季は一度大きく息を吐いた。かつて海軍にいた頃、金剛型戦艦4番艦『霧島』を名乗っていた彼女は、その真面目で几帳面な性格を買われてこの店の会計担当を任されている。
「お疲れさま、今日のランチタイムも忙しかったね」
優しそうな笑顔を湛えながら彼女にそう声をかけたのは、すぐ上の姉にあたるホール担当の榛名
「商売繁盛なのはいいことなのだけどね…。この忙しさにはまだまだ身体が慣れないわ。客として利用するのと、従業員として仕事するのとじゃ大違いね」
霧島がそうため息をつきながら答えたところで、店の奥から誰かが威勢良く手を叩く音が聞こえた。それとほぼ時を同じくして、厨房の方から里見が姿を現す。年は50代半ば、小柄だが恰幅のいい彼女はその大きな声と合わせて、店のどこにいても存在感抜群だ。
「あんたたち、今日もお疲れさま。忙しかったけどよく頑張ったね。あたしはこれから賄いを作るから、四季がレジの納金を終えたら2人とも皆と一緒に一休みしておいで」
「はい、ありがとうございます」
礼儀正しく返事をした榛名に向かって、里見はニカッと笑った。
「今日は皆特に頑張ったから、ご褒美にデザートも付けたげるよ。三羽も好きな杏仁豆腐を作るから、楽しみにしときな」
「本当ですか!?わぁい、やったぁ。雅恵おばさんの杏仁豆腐、私大好きなんですよ」
それを聞いた瞬間、榛名の顔に子供のような無邪気な笑みが浮かぶ。礼儀正しく朗らかだがどこか控えめな彼女も、こういう時には案外はしゃぐことが多い。そんな可愛らしい側面から、榛名はこの店のウェイトレスの中でもファンの多い存在となっていた。
「フフッ、そうやって喜んでくれると嬉しいね。その代わり、残ってる仕事は手を抜くんじゃないよ。食べた後の匂いが残らないよう、テーブルのふき掃除はしっかりやんな」
「えへへっ。はーい、頑張ります」
はっぱをかけたつもりが、なおも返ってくるウキウキで浮かれた様子の返事に、里見は思わず苦笑いするしかなかった。やれやれ、ちょっと期待感持たせたらすぐこれだ。でも、見た目は大人びててもこういうところが嫌いになれないんだよね、この子たち。
榛名と霧島の2人が店の奥にある従業員向けの休憩所に顔を出した時、みらいたちは既に自分たちの担当業務を終えてそこに集まっていた。この場にいるのは全部で5人。うち3人はゆきなみ型3姉妹で、残る2人は榛名と霧島にとっての姉たちである。
「それにしてもあすかは相変わらず凄いネ!!どんな注文を受けても手際よく作っちゃうから、びっくりだヨ。So helpfulネー」
みらいたち3姉妹をここ台湾へと導いてくれた、金剛
海上自衛隊は、海洋国家日本を防衛する軍事組織としての高い練度もさることながら、音楽など非軍事面においても優れた能力を持つことで知られる。「海自カレー」を筆頭とする料理もその1つであり、護衛艦に搭乗する給養員(国防海軍で言うところの烹炊員)たちの調理能力は、艦娘に生まれ変わった3姉妹にもしっかりと受け継がれていた。
その中でも、自身の乗員たちが海自カレーコンテストで複数回の優勝経験を持つ、あすかの腕はピカイチと言ってもいい。もちろん、最も得意な料理はやはりカレーであることに変わりはないのだが、レパートリーはそこに留まらずどんどん広がっていった。手際よく何でも美味しく作ってくれるので、出撃回数が減って以降は鎮守府の食堂でもしょっちゅう手伝いに駆り出されていたほどだ。
「ふっふっふ。あたしの料理の腕を舐めてもらっちゃ困るわよ。まぁ、今日はさすがに疲れたけどねぇ。ある意味、ここの厨房も戦場みたいなもんよね」
あすかが自信満々な笑みを浮かべながら答えると、そこに口を挟んできた者がいた。かつては金剛型2番艦『比叡』として、姉以外の2人とともに高雄鎮守府の中核戦力たる存在であった比叡二葉である。
「えっ、そんなに忙しかったの!?確かに余裕なさそうな感じには見えてたけど…。お姉さまも、言ってくださればこの比叡がお手伝いしたのに」
「何言ってんのよ、比叡。あんたが包丁握ったって、どうせ化学兵器の類しか作れんでしょうが。高雄の街にバイオテロでも起こす気?」
「ぶっ…、HAHAHA!!バイオテロはさすがに言いすぎだヨ、あすか」
あすかの情け容赦のない突っ込みに金剛が吹き出す。この店に住み込みで働く艦娘たち7名の中で、唯一料理の腕が壊滅的と言えるのが比叡だ。そのスキルが如何に酷いものであるかは、勤務初日に里見がそれぞれに作らせた点心の課題料理を、他の6人は程度に差はあれ無難に完成させたのに対して、比叡だけは原形をとどめないほどのゲテモノを作ってしまいあっさり「厨房失格」を言い渡された、というエピソードからも窺い知れる。
比叡自身は艦艇時代、現代のお召し列車にあたる御召艦として昭和天皇を乗せた経験が最も豊富な艦であり、それだけに艦娘に生まれ変わった後の比叡が何故いわゆる「メシマズ」属性を手に入れてしまったのかは、考えれば考えるほど謎が深まる。食事のクオリティが低いと度々ネタにされるイギリス生まれの金剛自身は、むしろ料理に関してはあすかともども厨房を任されるほど得意なのだからなおさらだ。
「うー…。そんな言い方するなんて、あすかちゃんもお姉さまも酷いよぉ…」
ツボに入ったのかなおも腹を抱えて笑い転げる金剛を尻目に、言われた側の比叡は1人涙目である。そんな彼女を、比叡やみらいとともにホールを担当しつつ場合により会計も兼任するゆきなみは、苦笑いしながらなだめた。
「まぁまぁ…。比叡さんは比叡さんでちゃんとホール担当という役回りがあるわけですし、そんなに気にしすぎることありませんよ」
「うーん、でもなぁ…」
なおも苦い顔の比叡に対し、ゆきなみは優しく語り掛ける。
「大丈夫。比叡さんの明るさや元気さは、ちゃんとこの店に欠かせない戦力になってますから。人それぞれ得意とするものは違うわけだし、自分の力が生かせる場所で頑張ればいいんです」
「Sorry, 比叡。ちょっと笑いすぎたネー」
涙が出るほど大笑いしていたせいか、金剛が目元をぬぐいながらようやく話の輪に戻った。呼吸もずいぶんと荒くなっているようだ。その賑やかな空間に、ようやく榛名と霧島の2人も合流する。
「お疲れ様です、皆さん」
「あら、榛名さんに霧島さん。お疲れ様です」
「Hey, 榛名、霧島。お疲れネー!!」
声をかけた榛名に対し、ゆきなみと金剛が揃って笑顔で応じる。里見は、元艦娘たちのことは親しみを込めてファーストネームで呼ぶが、彼女たちの間で通用するのは依然としてそれぞれが名乗っていた艦名の方である。
「フフッ、お姉さまは相変わらずお元気ですね。全然疲れてるように見えませんよ」
霧島が微笑むと、それに呼応するかのようにあすかが苦笑する。
「全くだよねぇ。金剛が息切れしたところなんて見たことないよ、あたし。一方で、約1名既に死んでるのもいるけどね」
そう言いながら彼女が視線を向けたその先では、みらいが1人机に向かって臥せっていた。周りはケラケラと笑いあっているのに、彼女の周りだけは雰囲気がやけに暗い。他の4人もずっと、さっきから腫れ物に触るような様子で彼女とは接していたのだった。
「みらいさん、今日も仕事してない時はずっとあんな感じなんですね…」
榛名が心配そうな顔をする。それに応じる比叡も困惑顔だ。
「あれでも、仕事中は笑顔を振りまいたりして頑張ってるんだけどね…。やっぱり内心は無理してるのかも」
2ヶ月前、長姉の金剛に紹介されて初めてゆきなみ型3姉妹と対面した時の、比叡・榛名・霧島の3人から見たみらいの第一印象は、事前に姉から聞かされていたそれとはまるで対照的だった。「凄く個性的だけど可愛いし、明るくて気さくなとてもいい子だヨ」と評価されていた彼女は、実際に会ってみたらどうも明るいわけでも気さくなわけでもないし、確かに見た目は綺麗だけれどイマイチ話しかけづらい雰囲気だったのだ。
きっと、国防海軍での居場所をなくして新しい生活を送ることを余儀なくされたことに、戸惑っているせいなのだろうと金剛型4姉妹も薄々気が付いていた。率直に言えば、ずっと高雄鎮守府でシーレーン防衛の大役を任され続けながら、国際情勢の変化により自らも国防海軍と袂を分かつ羽目になった彼女たちだって、決して100%納得してこの転向を受け入れているわけではないのだ。もちろん、彼女たちだって残れるものなら海軍に残りたかったことは言うまでもない。
しかしそういう背景はあっても、金剛型4姉妹はこの「風来食堂」でひとまず働けることに心から感謝していた。最早情勢的に海軍の庇護下にいられない以上、自分たち元艦娘にとって何よりも重要なのは「居場所」だ。たまたま自分たちは里見と顔見知りで、しかも軍籍停止が従業員募集のタイミングと合致したからそれを手にすることはできたが、もしも鎮守府の外に馴染みの店がなかったらと考えるとぞっとする。
艦娘がこの世界に現れてから11年目に訪れた転換期に、心から納得している当事者など恐らく誰もいないだろう。それは艦娘の側はもちろん、自分たちを仲間として受け入れてくれた海軍の側だって同じはずだ。だが、この世に存在する森羅万象に1つとして永遠のものはない。この地球だって、気が遠くなるほど長い時間の果てに寿命を迎えるのだ。
大事なのは、変化が訪れた時に如何にそこに対応していくのかなのだろうと思う。たとえ今の「持ち場」が、自分が持って生まれてきた使命とは違っていたとしても、そこでどう生きていくかはきっと今後につながるはずだ。この2ヶ月、彼女たちはそう前向きに割り切ってここでの仕事に取り組んできた。そしてそうであるからこそ、自分たちほど器用に現実に向き合えないみらいのことが心配だったのだ。
「全く、それにしてもあんたも大概頑固よね。海軍と袂を分かったこと、まだ受け止められてないんでしょ。気持ちは分かるけど、そろそろいい加減に受け入れなさいよ」
あすかが、今度は矛先をみらいに向ける。
「国防海軍で戦ってた時、既存の常識にも一切囚われない戦い方で深海棲艦を打ち破っていたのはどこの誰よ。他でもないあんたでしょ。あたしはあんたと違って奇策を弄するのはそこまで好きじゃなかったけど、それで実際に結果を出していたことについてはリスペクトしてたのよ」
まだ艦娘と深海棲艦との戦いが活発に起きていた頃、みらいは味方ですら予想がつかないようなウルトラCを繰り出しては、対峙する相手を制していた。実戦配備前、舞鶴鎮守府で行われた戦闘演習で勝利した時も、最後の一手としたのは国防海軍きってのやり手である軽巡『神通』に向けた対潜魚雷アスロックの発射という、まさしく奇手の極みとでも言うべきものだった。補給が一切利かない太平洋戦争の時代において、限られた手持ちのチップを如何に有効に使うべきかを考えざるを得なかった経験が、そうした柔軟な発想力の支えになっていたようだ。
一方、戦後の平和な時代しか知らないあすかはそうした変則的な戦法をとることを好まず、あくまでも護衛艦としての「正統派」な戦い方を是とした。その姿勢の違いもたびたび対立の火種にはなったが、それでもお互いの実力自体はしっかりと認めていたのだ。
「そういう柔軟な思考力を戦場であれほど発揮してきたあんたが、どうしてこの期に及んで気持ちを切り替えられずにいるのよ。あたしたちがこの店に入ってもうすぐ2ヶ月になるっていうのに、いつまでもそうやって暗い顔してないでよ」
あたしたちだって気持ちは分かるけど、とあすかが言いかけたところで初めて、みらいが顔を上げて彼女の方に目を向けた。その表情は、先ほど接客していた時とは一転して暗く物悲しいままだ。
「そういう話を出してくる時点で、やっぱり姉さんだって海軍にいた頃を捨てきれてないじゃない。お願いだからその話題は出さないでよ、心の中がグチャグチャになるだけだから」
「えっ?」
一同が一斉に怪訝そうな表情を浮かべる中、みらいの声だけが休憩所に響く。それと時を同じくして、先ほどまでそこに漂っていた明るい空気は霧散してしまったのだった。
「私はもう、あの時の自分とは違うの。今の私は、安全保障の世界では所詮必要とされてない存在なんだから。この社会ではとっくに戦力外なのよ、イージス艦娘みらいとしての私は…」
国防海軍を離れての台湾移住、ゆきなみ型3姉妹は今回随分と大胆な決断をしました。今後もしばらくは海軍の外での生活を始めた艦娘たちの描写が入る予定で、彼女たちについては高雄市内での生活の様子がメインとなります。前作では金剛型は長女しか出すことが出来なかったんですが、本作では是非登場させたかったので絡ませました。今後も活躍の出番はあると思うのでお楽しみに。
作者はかつて海外で生活してたことがあるのですが、日本に帰ってきて最初にできた親友が台湾人だったこともあり、台湾に対しては基本的に好印象を持っています。ストーリー上の設定により今作では日本の一部としての登場ですが、国交はないにせよもちろん1つの国としてもリスペクトしてます。実は数年前に1人旅したこともあったのですが、物価が安いので数万の手持ちがあれば豪遊できるし、食べ物は美味しいし、現地の人たちはみんな優しいしで素晴らしいところでした。小籠包は本当に絶品なので、是非一度食べに行かれることをお勧めします。
比叡のメシマズキャラはアニメ他でもネタにされてた通り、今や公式設定ではあるのですが、ホール限定とはいえよく飲食店で仕事させてもらえてますよね。そしてあすか、一応君にとっては大先輩であることに変わりないんだから、仮に事実だとしてもバイオテロとか言っちゃだめよ。
次回で第二章が〆となる予定です。次回もどうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。