鎮守府のイージスⅡ~Marine Mission~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
「今スグココヲ立チ去レ…。サモナクバ、コノ海ニ沈メ!!ココハ貴様ラノヨウナ者ガ来ル場所デハナイ」
目の前に立ちふさがりながら、おどろおどろしい声色で自らに警告を発する異形の化け物を前にしても、その男はまるで怯むことなく余裕の笑みさえ浮かべていた。
「何故お前たちは我々を攻撃する?お前たちの望みとは何だ。我々人類に代わりこの海の支配者として君臨すること、とでも言ったところか?」
自らの心の底を見透かすかのようなそのセリフに、怪物は思わずギョッとする。図星であることを察したのか、眼前の男はニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「もしお前たちがこの海を制することを望むなら、そうすればいい。支配者としての肩書が欲しいならくれてやる。お前たちが我々に対して牙をむかない限り、我々もお前たちにとっての敵となるつもりはない」
「ナンダト…!?」
「我々は、お前たちが想像しているような者たちとは違うぞ。ここにはお前たちと大事な話をするためにここに来たのだ。お互いにとって有益となりうる話し合いをな」
予想外の来訪者に柄にもなく唖然とする化け物の視線の先で、男は自信満々な様子で言い放ったのだった。
持つべきものは友。鬱病から立ち直ったみらいは、その言葉の意味を深く噛み締めることになった。自らを取り巻く環境が二転三転する中、知らず知らずのうちに深い傷を負ってしまった自分の心。それを深い海の底からサルベージしてくれたのは、新たな職場で働く姉たちや友人たちだ。中でも、大切な親友として接してきた金剛の優しさに触れたことは、みらいにとって本当に救われる出来事だった。
たとえ国防という本来の使命の為でも、「イージス艦みらい」としてでもないとしても、この世界には自分の存在を必要としてくれている人がいる。彼女がそう実感させてくれたことは、どれだけみらいにとって嬉しい事だったか。人間誰しも、誰からも必要とされず出口の見えない孤独に追いやられた時こそが、最も追いつめられる瞬間だろう。それは、同じように理性や感情を有する艦娘たちとて全く同じことなのだ。
メンタルの不調から立ち直ってから、みらいは真っ先に自分の姉たちや金剛型の4人、そして店主である里見に迷惑をかけたことについて深く詫びた。風来食堂には他にも先輩のスタッフはいるが、今日は休業日なので彼らは店には出てきていない。
その席上、まだこの店でお世話になり始めてから2ヶ月強しか経っていない自分(その点に関しては、他の元艦娘たちも同様なのだが)を、首にしたりせず店にずっと置き続けてくれたのはどういうわけなのか、とみらいは里見に尋ねた。そこで返ってきたのは、想像だにしない返事だった。
「この店に、海軍や海兵隊の軍人さんたちがよく来ること、その中には台湾生まれの連中だけじゃなく、内地や朝鮮から渡ってきた面々もいることは知ってるだろう?」
里見の問いかけに、みらいはその真意を推し量れないまま頷いた。
「この風来食堂は、何も地元出身の連中の為だけにあるわけじゃない。あたしの旦那みたいな、よそから渡ってきた人間にとっても自分がホッとできる場所と感じられるような、そういう空間であり続けたいんだよ。もちろん、これはお客さんが軍人だろうが民間人だろうが同じ。その信念を体現する象徴として、遥々横須賀から渡ってきたあんたたち姉妹の存在は重要だと思ってるのさ」
そう答えると、里見は真っすぐにみらいの顔を見据えた。やっと他人の顔を正視できるようになったみらいも、その瞳を見つめ返す。
「正直に言えばね、別にあたしの中ではあんたの首を切る選択肢がなかったわけじゃないんだよ。実際問題として、払っている給料に見合う仕事ができない状況に陥っていたのは事実だったんだからね」
だが、そのオプションを選ぶことを躊躇させたのは他の元艦娘たちからの訴えだったという。今、みらいが苦しんでいるのは自分がこの世界で必要とされているという実感を、持てなくなってしまったせいなのだと。戦闘艦としての働き口やポジションを失い、艦艇勤務という代替案でも期待されていたような役割を果たせず、最後には自分の居場所と思っていた海軍を事実上追い出されるような形となってしまった。「自分はこの世界では最早戦力外なのだ」という彼女の言葉は、決して戯れなどで出たセリフではない。
そんなみらいを今また首にしたとしたら、他に頼れる知り合いのいない外地で行き場を完全に失った彼女は、それこそ本気で自殺でもしかねない。彼女が働けない間は自分たちが全力で穴を埋めるから、それだけはどうかやめてほしい。その必死な訴えに、里見は療養を認めることを決意したのだった。
「元艦娘として、あんたは海軍でこの国を護る仕事に携わっていた自分にこだわりがあるようだけど、実際のところあんたは自分が思っているよりも器用な子だよ、みらい。本格的にメンタルが駄目になるまでは、あんたは接客なんて今までまともにやったことがないであろうにもかかわらず、ちゃんとウェイトレスとしての仕事ぶりは様になってたんだからね。そこの飲み込みの早さは、あたしはちゃんと評価してるつもりだよ」
「そう、だったんですか…?」
「当たり前さ。入って2ヶ月であれだけ自然にお客さんと話せる子なんて、そうはいないよ。そこのポテンシャルをあたしは買ってた。だからこそ、あんたが出てこれなくなっても首にはできなかったのかもしれないねぇ」
予想外の誉め言葉に目をぱちくりさせたみらいに向かって、里見は何度も頷いてみせた。だが、次の瞬間にその顔色が少しシリアスになる。
「ただ、そんなあんたにもまだ足りてないものがある。もちろん、接客業の経験値が浅いという点は別としてね」
「足りないもの…?」
「そう」
里見はまた頷くと、みらいの顔を真っすぐと見据えた。
「みらい。あんたはまだ、この店に来てから心からの笑顔を見せたことないだろ?」
「えっ…!?」
みらいは思わず目を見張る。確かにこの店に来てから、自分は無意識のうちに何かを取り繕いながら過ごしてきた。明るく気さくで人懐っこい「長浦未来」という1人の女性を演じることで、移ろいゆく社会情勢に取り残されて行き場をなくし、深く傷ついた「イージス護衛艦みらい」としての自分の本来の姿から、目を背けようとしていたのかもしれない。もちろん、この店で必要とされているのは「長浦未来」としての自分であるというのも、彼女がそうせざるを得なかった要因であったことは確かだ。
だが、無理に無理を重ねれば物事はどこかで破綻する。最終的にはその二律背反に自分の精神が耐えられず、長浦未来としての自分までガタがきてしまった。そんな自分の姿を、どうやら里見は最初から全部見通していたらしい。
「何年あたしが、この世界でやってきてると思ってるんだい?プロを甘く見るんじゃないよ。働いている様子を見れば、何を考えてるかくらいは想像つくものさ」
尤も、雇われてからまだ日が浅い段階ではまず仕事を教え込むことに集中するしかなく、そういう予兆に気づきながらも何もしてあげられなかったのはあたしの手抜かりだけどね、と里見は付け加えた。
「あんたたち艦娘は見た目こそあたしたち人間と変わらなくとも、本来はあくまでも軍艦が人間に化けた存在。それを思えば、あんたたちが海軍や海兵隊でなくこの店で働かなきゃいけないのは、確かに不本意なことなんだろうと思うよ」
里見の言葉に、7人の艦娘たちは揃って黙ったまま耳を傾ける。自分たち以外は誰もいない店内に、普段の豪放磊落さとは違った色合いの店主の声だけが響いた。
「けどね、たとえそうだとしてもあたしたちはお互い縁があってこの世の中で出会った。人の縁っていうのは尊いものだよ。元々お客さんとして足しげく通ってくれていた二葉や三羽、四季がここで働きたいと言ってくれて、長女である一花がそこに加わって、さらにその一花があんたたち3姉妹を連れてきてくれた。ある意味、あたしたちはあんたたち艦娘が海軍を離れたからこそ出会えたとも言えるんだよ」
そうやってお互いここで出会った以上は、やっぱりそのことをよかったと思ってほしいし、皆にはこの店で楽しく働いてほしいと思っている。この仕事の面白さや醍醐味も何か分からないままに安易に首を切ったところで、それはあんたたちの為にはならないんだ。
「戦いってのはね、実は決してあんたたち軍人だけのものじゃないんだよ。もちろん、あたしたち民間人は武器を手に取って戦場に行くわけじゃない。目に見える形はあんたたちとは違うけど、命を守られる側であるあたしらにもあたしらなりの戦いであり勝負というものがあるんだ。その勝負における敵は他の誰かじゃない、自分自身さ」
「自分自身…」
「そう。『今日の自分は昨日の自分を上回れたかどうか』があたしたちにとっての勝負なんだ。昨日は接客を失敗したお客さん相手に、今日は少しでも楽しんでもらえるよう挽回できたかどうか。日々殺到する注文をうまく捌けたかどうか。仕事上の細かい部分で、昨日の自分よりもう一段上に行けたかどうかを日々追求していかなきゃいけない。それは決して簡単なことじゃないけれど、乗り越えられた時の充実感は何事にも代えがたいものだよ。それを、あたしはあんたたちにも実感してもらいたいんだ」
みらいは、里見の思わぬ言葉に何も言葉を発することが出来なかった。彼女は国防海軍にいた頃、海軍の外の世界のことは表面的にしか見ていない。だから、そこで生きる人間たちのことは「自分たちが身体を張って守るべき存在」程度にしか考えていなかった。
だが実際には、民間の人間たちはただ守られているだけの人々などではなかったのだ。自分たちがかつて深海棲艦の前に立ちはだかったのと同じように、彼らは彼らの世界の中で日々戦っていた。それに気づけなかった自らの不明や傲慢を、みらいは心から恥じた。
そんなマイナスの雰囲気を感じ取ったせいだろうか。突然、里見がまた口を開く。いつもの豪快な調子で飛び出したその言葉は、予想もしないような自虐ネタだった。
「それにね、現実問題としてこの店により多くのお客さんを呼び込もうと思ったら、あんたたちみたいな若い美人の力がこの店にとっては必要なのさ。こんな婆がでかい声張り上げてるだけじゃ、お客さんなんていつまで経っても来やしないよ」
「やだぁもう、風来食堂の名物店主とまで言われてる方が何を今更」
その言葉に、艦娘たちのうち6名が一斉に吹き出す。金剛型4姉妹や自分の姉たちにつられて、みらいも思わず笑いだした。ひとしきり明るい笑い声が響いた後、里見はそんなみらいの顔をじっと見つめる。
「ほら、笑おうと思えばあんたもちゃんとそうやって笑えるじゃないか。その顔だよ、あんたの今のその顔をあたしはずっと見たかったんだ」
ハッとしたみらいに向かって、里見は思いやりに満ちた言葉を投げかけた。
「あんたみたいな美人がふさぎ込んでたって、誰も得なんかしやしないよ。もちろん、あんた自身もね。次からはもっと笑いな、みらい。作り笑いなんかじゃなく、心からの笑顔をお客さんに見せてやりなさい。ここからが再スタートというつもりで、頑張るんだよ」
「ハイッ」
寛大にも自分のかけた迷惑をそうやって許してくれた店主に、みらいは心の底から感謝しながら何度も頭を下げたのだった。
みらいが心の傷から立ち直り、再びホールに立つようになってからしばらくした頃。かつてよりも仕事に身が入るようになり、やってくる客ともより自然に言葉を交わせるようになってきたそんな時期に、その2人組は風来食堂にやってきた。
「ねぇ、みらいさん。6番テーブルのお客さん、一見カップルにも見えるけどどうも他の人たちとは雰囲気が違うと思いません?」
客から受けた注文の内容を厨房に伝えた後、榛名がふとみらいに耳打ちする。同じ客の姿を既に目にしていたみらいも、声を潜めてそれに応じた。
「確かに…。服装は私服だけど、明らかに民間の人じゃなさそうですよね…」
件の2人組は若い男女で、通りに面した窓際の席に案内されていた。年は男性の方は30代前半、女性の方は下手をすると自分と変わらないくらいかもしれない。どちらも目鼻立ちは非常に整っており、ともにシックで落ち着いた感じの黒い上着を着こんでいる。
見た目的には比較的若いこの2人はしかし、身に纏っている雰囲気は他とは一線を画すものだった。その若々しさに反して、どうもただ者ならぬ空気感を醸し出しているのだ。金持ち特有のチャラチャラした感じとも違っている。落ち着いてはいるが、心の奥底には攻撃性を隠し持っているような。どう見ても民間の人間ではない。
「もしかして軍人さん、ですかね。それもあの年齢にしては結構な高い階級の」
榛名は呟いた。
「やっぱり、榛名さんもそう思いますか?だとしたらずいぶん久しぶりですよね、国防軍の人たちが食事しに来るなんて」
みらいの言葉に榛名は頷くと、ふと何やら首を傾げて不思議そうな表情を浮かべた。
「でも、高雄鎮守府ではあの2人はお見受けしなかったんですよね。もしかしたら、私たちが海軍を離れてから異動してきたか、普段は内地所属の人なのかも」
ここ最近、風来食堂にやってくる人々の客層が以前と変わってきていることに、彼女たちスタッフは気づいていた。かつてはかなり頻繁に訪れてきて、元同僚ともいえる比叡や榛名、霧島とも親しげに言葉を交わしていた国防軍の関係者の姿がめっきり減ったのだ。そういえば、街を歩いていても軍人らしき人々の姿は見かけなくなっている。詳細はどういうことなのか不明だが、何か内部で外出許可が下りる頻度が制限されるような、そんな事態でも起きたのだろうか。
そういえば、内地の方でもここ最近何やらきな臭い出来事が起きているらしい。何か国防海軍の中で、得体のしれない新しいメカニズムが働いている。その情報をみらいに伝えてくれたのは、ほかならぬ大和だった。
「ごめんね大和、長い事連絡できなくて。榛名さんから聞いたよ、わざわざ伝言してくれてたんだってね」
ふさぎ込んでいた頃とは違う明るい声色で話しかけると、スマートフォンの向こう側からは耳慣れた大和の声が聞こえてきた。海軍時代には、レーダー上の映像を視認するためにタブレットはよく使っていたが、スマホも併用するようになったのはタブレット支給から少し遅れてのことだ。慣れるまでには多少時間はかかったけれど、使いこなせるようになるとずいぶんと便利な道具である。
「ううん、いいのよ。まさか、みらいが鬱になるなんて思ってなかったからびっくりしたけど。その声を聴いたら、だいぶ良くなったんだなって思えて、安心した」
大和は心から嬉しそうにそう答えると、「むしろ謝らなきゃいけないのは私の方よ」とため息をついた。
「海軍が戦闘艦艇を再就役させるって話、才原提督から真っ先に聞かされていたにもかかわらず、自分の中でうまく気持ちの整理が出来なくて皆にはすぐに伝えられなかったの。そのせいで、みらいはもちろん艦娘たち全員に迷惑をかけることになってしまって…。本当にごめんなさい」
「そうねぇ…。その件については、正直言いたいことは山ほどあるわよ。もしかしたら、大和がもっと早く伝えてくれてたら私も精神的にダウンせずに済んだかもしれないし」
わざと意地悪くそう水を向けてみると、大和は心から申し訳なさそうに「ごめんなさい…」と消え入るような声で詫びた。ともに横須賀で仲間として付き合っていた頃と何ら変わらないその素直な反応に、思わずみらいの口から笑いが漏れる。
「いやね、冗談よ。大体、今更それを責めたところで状況がどうにかなるわけじゃないでしょ。私たちはもう、実質的には海軍の一員ではないわけだしね」
みらいはそう言うと、「そういえば、大和は今内地で仕事してるんだっけ。そっちではどうしてるの?」と話題を変えた。
「えぇ、東京の帝国商事って会社でね。おかげさまでうまくやってるわ」
「榛名さんが教えてくれたわよ。国防海軍担当なんでしょ。海軍を辞めても彼らと仕事できるなんて羨ましいわ。私も、第一艦隊旗艦を目指してれば少しは今の状況が変わったのかしらね」
「やだもう、別にそういう特別扱いで入社したわけじゃないんだからね?たまたま縁があってそういう配置にしてくださっただけよ。まぁ、私の場合海軍絡みの仕事しかできないと思われてたせいかもしれないけど…」
大和は思わず苦笑いする。だが、一方で彼女はこの会話をどこか喜んでいるところもあった。電話口から聞こえてくるみらいの声は、大和の記憶の中にある彼女の姿と何ら変わらないままだったからだ。鬱病になったなんて聞かされた時は本当にショックだったのだが、どうやら本当に立ち直っていたらしい。
「海軍の方は、最近の様子はどうなの?才原司令官も梅津司令官も、元気にやってるのかしら。台湾にいるとその辺の情報が耳に入ってこなくてね…」
みらいの何気ない問いかけにも、大和の声は少しこわばっていた。
「えぇ、皆さんおかげさまで元気にはされてるみたい。ただ…」
「ただ、どうしたの?」
みらいが聞き返すと、大和はしばし逡巡した後にふと声を潜めた。
「実は、ここだけの話なんだけどね…。どうもここ最近、海軍内部の様子が変なのよ。何というか、雰囲気が妙にきな臭くなってきている気がするの」
「内部がきな臭く?」
「えぇ。具体的に何が起こっているのかまでは、残念ながらさすがに私も聞き出せていないのだけど」
大和はみらいの呟きに頷くと、つい先日自分が定期的な挨拶回りで横須賀鎮守府の訪れた時の様子を、みらいに語った。
最初に彼女が違和感を覚えたのは、正面ゲートから内部に入ろうとした時のことだった。海軍を離れたとはいえ、かつては第一艦隊旗艦として国防の主役を担い帝国商事にも海軍の斡旋で入社した大和は、建前上は部外者でありながらも横須賀では事実上顔パスのような形で出入りができた。無論それは元横須賀所属の艦娘たちなら誰でも同様で、別に彼女だけに許された特権だったわけではない。それだけ、やらかして首になったわけでもない元艦娘たちのことは海軍から信用されていたわけだ。
ところが、その挨拶回りの時は様子が違った。普段は挨拶だけで自然と通してもらえていたゲートのところで呼び止められ、身分証の提示などを求められたのだ。形式上本来の管理体制に戻っただけとはいえ、いきなり不慣れな手続きに時間を割くことになった大和は困惑するしかなかった。そうして敷地内に入ると、どうも軍人たちの様子も普段とは違う。自分に対するよそよそしさは感じないのだが、やけに動きが忙しないしお互いに小声で何やらこそこそと話をする者たちも多かった。
その様子を面会相手であるかつての上官・梅津に伝え、海軍内で何かあったのかと彼に尋ねた時、梅津はそれに対して特に肯定も否定もすることはなかった。その代わり、彼はこんなことを言ってきた。最近、他の元艦娘たちとは連絡を取り合っているのか。もし疎遠になってしまっている者がいるなら、早めにコンタクトしておいた方がいいぞ、と。
「元艦娘同士での接触を、梅津司令官が勧めてきた?一体どういうこと?」
「それがどうも分からないのよ。ただ…、もしかしたら海軍は何か新しい動きを観測しているのかもしれない。あくまでも、私の推測に過ぎないけど」
「新しい動きって、対イスラム同盟掃討作戦とは全く別の何かってこと?」
「恐らくね。今、水面下で何か別のメカニズムが働きつつあるんだと思う。今、海軍はその評価・分析に追われてるんじゃないかしら」
「海軍が元艦娘同士の連携を勧めてくるってことは…、まさか深海棲艦が復活したとでも言うんじゃないでしょうね」
「確証はないけれど、状況から判断して全くあり得ないとは言えないわね」
みらいの言葉に、大和は電話口の向こうで頷いた。それを察したみらいはしばし考え込む。今の段階では、大和から聞かされたことはあくまでも彼女の心象でしかなく、確実なことは何もない。だが、もし仮に彼女の分析が当たらずも遠からずとすれば、自分たちもうかうかとはしていられないだろう。何故なら、深海棲艦に対抗できる兵力はこの地球上で自分たち艦娘を置いて、他には存在しないのだ。すぐに何か具体的にどうこう出来るわけではないが、備えておくに越したことはない。
「海軍の中で何が起こっているのかは分からないけれど…。もしそれが私たちにも関係してくる出来事であるのだとすれば、私たちもそれに対応していかないといけないわね」
「そうね…」
みらいの口をついた言葉に、大和も同意を示した。
「とりあえず、今後も引き続き連絡を取り合いましょ。私たち同士だけじゃなく、かつて一緒に戦っていた他の艦娘たちとも。もちろん何もなかった時にも交流は続けていくべきだし、何かが起きた時のことを思えば、ね」
「そういえば、あなたはこの店に来てもう長いんですか?」
件の6番テーブルを担当することになったみらいは、食事の終盤におもむろに話しかけてきた男の言葉にかぶりを振った。
「いえ、実はお世話になり始めてからまだ1年も経ってないんですよ。まだまだ経験も浅いですし、日々勉強の身です」
「そうなんだ?とてもそういう風には見えないな。随分と自然に仕事されてるから、もうそれなりに経験を積んでらっしゃるのかと思ってましたよ」
男は目を丸くした。年に似合わず、ずいぶんと落ち着いた冷静な物言いをする。
「お客様はご来店が初めてだとお伺いしましたが、今日はどちらから?」
「実は、僕ら2人とも内地から来たんですよ。ちょっと仕事の関係でね。千葉県館山市ってご存知です?ほら、房総半島の南端の街」
館山市は東京湾の出入り口、千葉県の一番南に位置する海辺の街だ。みらいは訪れたことはないが、人口5万人足らずと小さいながらも安房地方では政治・経済・文化の中心地と言われているらしい。
「そんな遠くから?わざわざありがとうございます」
「実は、最近この店のことを噂に聞いて是非食べに来たくなったんですよ。料理はもちろん、
「アハハ、ありがとうございます。でも、せっかくお綺麗な方を連れてらっしゃるのに、あんまり私たちばかり褒めるとお連れ様に怒られちゃいますよ」
みらいの当意即妙な返しに、男は笑いながら首を振った。
「あぁ、大丈夫大丈夫。この子は彼女とかじゃなくて自分の部下ですから。まぁ、部下としてはもちろん全幅の信頼を置いてますけどね」
「むぅ…。嬉しいんだか嬉しくないんだか。艦長、相変わらず私の前ではいまひとつデリカシーがないんだから。別に根は悪い人じゃないんですけどね」
そこで、女性の方がようやく口を開く。みらいよりも少し高い声だ。その彼女が口にしたあるワードに、みらいはどうも引っかかった。
(艦長…?このイントネーションからすると、「船乗り」の方よね。民間船なら「船長」と呼ばれるはず。ということはやはり、この人たちは軍人か…)
それにしてはずいぶんと2人とも若い、とみらいが何やら考え込んでいると、ふと男がみらいにまた話しかけてきた。
「そうだお姉さん、せっかくなんで名刺をもらえませんか?」
「名刺?私のでよろしいんですか?」
「うん、ここに食べに来たって記念にね」
男は頷いた。みらいに限らず、この店では時折スタッフに対して「名刺をくれ」と頼んでくる客がいる。尤もその大半はクレーム目的ではなく、この男のように遠くから食べに来た記念として持ち帰るパターンだ。クレーム対応でもないのに名刺を渡すとは何だか水商売のようだが、こうやって遥々内地や朝鮮から食べに来る客も多いので、みらいたちは常に自分の名刺を懐に忍ばせていたのだった。
「それでしたら…。本日はご来店ありがとうございます。長浦未来と申します」
そう言いながら、みらいは慣れた手つきで2人の客にそれぞれ名刺を手渡す。この挨拶も、以前と比べればだいぶこなれてきた感じだ。
「長浦さん、ね…。ありがとうございます。頂戴します」
男はそう言いながら名刺を受け取った。
「僕は長峰、こっちの子は部下の高城っていいます。ちょっと、交換用の名刺を切らしてるので今日は持ち合わせてないんだけど、また近いうちに来ることになると思うんでその時にでも」
「あぁ、いえいえいいんですよ。これは、お客様と交換するというよりもこちらから一方的にお渡しすることの方が多いですから」
みらいがそうかぶりを振ると、長峰はふと何やら意味深な笑みを浮かべた。
「ところで長浦さん。失礼なことを聞くようだけど、ここでのお仕事は楽しいですか?」
「へっ…?えぇ、まぁ」
突然の話題変更に目を丸くしながらも、みらいは頷く。
「面白いですよ。スタッフも店主も皆いい人たちだし、こうやってお客様とも交流したりできますし。もちろん、繁忙期はなかなかゆっくりお話しすることは出来ませんけどね」
「そうですか。それは何よりですね」
長峰はそう呟きながら頷くと、不意におもむろに立ち上がりみらいの耳元で何かを耳打ちするように囁いた。
「
「ッ…!?」
その突拍子もない行動というより、耳打ちされた内容に驚いたみらいは飛び上がらんばかりに腰を抜かす。思わず目を見張った彼女から、長峰は一瞬で身を離した。
「お客様、今なんと…」
「あぁ、失敬。ただの戯れですよ。聞き流してください」
長峰は何事もなかったかのようにそう笑うと、「お会計はどちらで?」と尋ねる。みらいが霧島の待つレジの場所を指し示すと、長峰は同じく立ち上がった高城とともに「ご馳走様」と礼を言い、椅子の背にかけていた上着を手にそちらへと向かっていった。一瞬の出来事に訳が分からず、長峰の吐いたセリフの意味も何事か理解が追い付かないみらいは、自分に背を向けて歩いていく2人組の背中をただじっと見つめていたのだった。
突然店にやってきた長峰と高城(たかじょうではなくたかぎと読みます)。実はこの謎の美男美女コンビが、次回以降この物語の1つの鍵を握る存在となります。どうやら、風来食堂には単に飯を食いに来ただけではなさそうですが、彼らの真の目的とは果たして…?それは次回以降に取っておくことにしましょう。
「飲食産業は割とブラックな環境が多い」と言われますが、この店は比較的ホワイトな労働環境で働けるようです。サービス業にブラックが多いというのは昨今まぁよく言われる事でして、作者も飲食関係ではありませんが接客の仕事を普段はしているので、その大変さは身に染みていたりもします。まぁ会社は比較的まともなんですけどね、世の中お客様誰もが善人とは限らn(ry
次回はストーリーが一気に大転換する話となる予定です。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。