「――て下さい。起きて下さい。先輩」
休日。カーテンのレールが擦れる音を合図に光が差し込み、布団に横になっていた所を揺さぶられた。ぼんやりと意識が戻ってくる。だけど、まだ朝方は肌寒くて、布団から出たくはない気分だった。
布団を体に巻きつけて丸まり、ぼやけた頭、乾いた口を動かして、ささやかな抵抗を試みる。
「んっ……あと二時間、二時間待ってくれ……」
「ダメですって、休日だからっていつまでも寝てちゃ。お昼になっちゃいますよ」
「良いだろ……別に。休日、なんだし……」
昨日は仕事が長引いてお疲れなのだ。これぐらいは許して欲しい。
「そうですか、じゃあ先輩は私が焼いたパンケーキ、食べないんですね」
パンケーキ? そう言われるとほんのりと甘く、香ばしい匂いが漂っていることに気が付く。空腹にストレートに響く良い香りだ。薄れ始めた眠気と、可愛らしい彼女が焼いてくれたパンケーキ。どちらを取るかなんて悩むまでもなかった。
「……わかったよ」
目を擦りながら、疲労で重くなった体に鞭を打って、ゆっくりと起こした。緑色の髪に桜色のエプロン。そんな彼女の姿を正面に捉える。前かがみになって垂れた髪を耳にかける動作が、何となく色っぽい。
「おはようございます。先輩っ」
「ああ……おはよう。真耶」
「早く顔洗って来てくださいね。準備はしてありますから」
「悪いな、ありがとう」
ベッドから立ち上がって、洗面所にて冷水で顔を洗う。完全に眠気を飛ばすと、タオルで顔を拭いてリビングへと出向く。
テーブルの上を見ると、二枚のプレートが並べられていた。その上には宣言していた通りにパンケーキ。それにベーコンエッグとサラダも添えられていた。なかなかに豪勢な朝食だ。
「あっ、先輩。待ってましたよ。コーヒーを淹れたので一緒にどうぞ」
「ありがとう。他に手伝うことはあるか?」
「いえ、特にないので、座ってて大丈夫ですよ。私もすぐ行きますから」
差し出された二つのカップを受け取ってテーブルに並べて、座りながら真耶を待つ。キッチンの方を見ると真耶はエプロンの紐を解いて、たたんでいる所だった。
今日はすっかり準備を任せてしまった事に、何だか申し訳ない気分になる。一人暮らしをするようになって実感するが、こういった家事はかなり大変なのだ。特に俺一人だと、食事には手を抜いてしまう。せめて、片付けぐらいは俺がやって置こう。
「あれ、先輩待ってたんですか? 先に食べててくれてて良かったんですよ」
「いや、それは流石に図々しいだろ。それに、真耶と一緒が良かったからな」
素直な気持ちを隠す事無く口にした。聞いた真耶は顔を真っ赤にして目を伏せる。
「せ、先輩っ! そういうのずるいです」
「良いだろ、減るものじゃ無いし。逆に、言わないと伝わらないだろう?」
「うぅ……。それより先輩、早く食べて下さい。さ、冷めちゃいますから」
露骨に話題を逸らす。もっと真耶を弄り倒しておきたかったが、そうすると忠告されたように、せっかくの朝食が冷めてしまう。それは非常にもったいない。ここは大人しく従っておく事にした。
「そうだな。じゃあ、頂きます」
「はい。どうぞ召し上がって下さい」
早速バターをパンケーキにひとかけ乗せた。熱が移りゆっくりと融け出して、生地に吸い込まれていく。完全に融けきったタイミングで口に入れた。染み込んだバターが噛み締めるたびにあふれ出す。じんわりとやさしさに包まれたように感じられる味わいだった。
「美味しいな、これ。いくらでも行けそうだ」
「ふふっ、良かったです。どんどん食べて下さいね。足りなかったらまた焼いてきますから」
「じゃあ、後で焼いて貰おうかな」
「はい。まっかせて下さい!」
真耶は誇らしげに胸を張った。でかい。さながらバケツプリンの様だ。このままかぶりついて……いかん、いかん。煩悩よ早く散れっ! 付き合っているとは言え、あんまりがっつかれているとは思われたくはない。俺はとっさに視線を真耶から皿へ移した。
「ところで先輩」
「なんだ?」
「この後時間ありますか?」
「まあ、寝て……だらだらする予定がある」
パッと思いついた言い訳を垂れ流す。我ながら酷い言い訳だ。それを真耶が許すはずも無く、ムッとして、頬を膨らませた。
「それは予定とは言えません! 出かけますよ!」
「えー……」
「えー、じゃありません! 食べ終わったら着替えて出かけますよ!」
「分かった。分かったから、そう怒らないでくれ。一緒に、行くから……」
「分かればいいです。じゃあ今日は、買い物に付き合って貰って良いですか?」
「買い物、ねぇ。何を買うんだ?」
「今日は、服を買いに行きます。そうでもしないと先輩、服買いませんからね」
「そりゃあ、そうだけれど……」
「なら決まり、ですね」
してやったりと言わんばかりにパンッと両手を叩いて、
「先輩にはとびっきり、かっこよくなって貰いますから、覚悟しておいて下さいね」
とびきりの笑顔で、そう宣言した。
こんなに嬉しそうな顔が見られるなら、一日ぐらい、振り回されるのも悪くない。そう思った。