蜘蛛の男の自由気ままな物語   作:黒豆博士

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第十話 瞬速クリア

 ごっくん、と息を呑む。心臓がバカみたいに早く鼓動していて、顔は半端なく熱い。軽い戦闘時以上に緊張しているのは明白だ。

 それでも今は至福の時間だ、とマチは思った。今、彼女の膝の上には愛しい男がいる。濡れた鴉羽色の目に少しかかった髪に、同じく黒いコートを来た相棒は、その頭をマチの膝に預けてすぅすぅと寝入っていた。安心しきった顔が自分に対する信頼の証であることを実感すると、昔から経験してきたことだというのに胸がぎゅうと締め付けられる。

 慣れ親しんだ、しかしいつまで経っても慣れることができそうにない切ない感情を持て余して、目の前にある黒い髪を撫でる。女顔だけでなく髪も女っぽい黒衣の男の頭髪はサラサラで、くせっ毛であるマチは『いつものように』嫉妬と羨望を込めて彼の髪を梳いた。

 試験開始から六時間が経過していた。こうなった経緯は簡単、ニードの“死へと誘う無限の白銀(アイスクリエイト)”で創造した氷の螺旋階段をかなりの速さで降りきった二人は晴れて三次試験通過第一号及び二号となり、それから少ししたところでニードが「つまんないから寝る」と言い出し、意外と奥手であるマチが『いつものように』勇気を振り絞って提案し、現在に至る……というわけである。

 実を言うとこの二人、これまでも時々こんなことをしていた。まぁ、物心つく前から一緒にいて、女の方に気があるのだから、当然といえば当然だろう。ちなみに助言をくれたのは幻影旅団情報担当の鷲鼻セクシー美女・パクノダである。

 

「ん……マチ……」

 

 突然、むにゃむにゃと自分の名を囁かれて、マチの肩がびっくーん! と跳ねた。心臓が一層早くばくばくと鳴り、頬の熱が強くなる。驚きのあまり手をワタワタと振りながら倒れそうになるが、すんでのところで静止に成功する。

 慌てて黒衣の男の顔を見れば、その目は閉じたままだった。弛緩した口から漏れるのはすーすーという安定したリズムの吐息のみ。しっかり寝たままなのを確認したマチは、自分の頬がさらに熱を帯びていっているのを自覚した。

 だって愛する男に寝言で自分のことを呼ばれたのだ。嬉しいに決まっている。やはりこれまでにも何度か経験したことはあるが、慣れたのかと問われれば否、嬉しくないのかと問われても否なのである。

 自然、目の前の相棒が一層愛おしく感じられて、マチは髪を撫でていた手を頬に移した。どっくんどっくんとやばいくらい心臓が跳ねるが、必死で押さえつけてマチは自分の顔を黒衣の男の顔に近づけ始める。何度か挑戦したことのある行為。未だ成功したことはないが、今回こそ成功させる、頑張れあたし、と恋する乙女は自分を励ましながら徐々にその距離を狭めていく。

 とうとう二人の吐息がお互いの顔にかかるほどの距離まで接近し、マチは覚悟を決めて目を閉じた。再び少しずつ顔を近づけていく。二人の唇が重なるまで、残り五センチ。四センチ……三センチ……

 と、そこで。

 スピーカーから放出される大音量の音声とともに、広大なトリックタワー基部フロアの端に備え付けられた扉が開いた。

 

『44番ヒソカ、三次試験通過第三号!! 所要時間、六時間十七分』

 

 現れた奇術師は、顔を接吻寸前まで近づけたまま視線だけでこちらを見て硬直しているマチを見て、申し訳なさそうに頭を掻きながら言った。

 

「あー……ボクのことは気にしないでいいから、続きどうぞ♠」

「う、うううぅぅうううぅぅぅううう!!」

 

 ボンッ!! という効果音がつきそうな勢いで元々赤かった顔をトマトのように真っ赤に染めて、マチは勢いよく顔を離した。

 結局今回もダメだったと、マチは涙目で項垂れた。

 

 

「諸君、タワー脱出おめでとう。残る試験は四次試験と最終試験のみ」

 

 トリックタワー攻略開始より七十二時間。三次試験を見事くぐり抜けた二十四名の受験生たちの前に立ち、287期ハンター試験第三次試験試験官リッポーは開口一番そう言った。

 合格までにくぐり抜けなければいけない試験はあと二つ。自然、受験生たちの士気も高まっていく。

 

「四次試験はゼビル島にて行われる」

 

 リッポーの背後遠くにある島。そここそが四次試験の舞台ゼビル島である。

 リッポーは、指をパチンと鳴らして「では早速だが」と続けた。

 ガラガラとキャスター付きの台に乗せて持ってこられたのは、何の変哲もない直方体の箱。

 

「これからクジを引いてもらう」

 

 箱を見れば、なるほどクジ用の穴が開いていた。成人男性の手でも出し入れできそうな、正にクジ引き用の穴。

 そこで、受験生たちから疑問の声が上がる。

 

「クジ……?」

「これで一体何を決めるんだ?」

 

 試験官はにんまりと笑って答えた。

 

「狩る者と狩られる者」

 

 この中には、とにやけた顔のまま続ける。

 

「二十四枚のナンバープレート、すなわち今残っている諸君らの受験番号が入っている」

 

 今から一枚ずつ引いてもらう、と言われ、タワーを脱出した順に受験生がクジを引き終わると、リッポーはようやく真面目な説明をし始めた。

 曰く、クジに示された番号の受験生が“獲物(ターゲット)”。

 奪うのは獲物のナンバープレート。獲物のプレートと自分自身のプレートは三点、その他のプレートは一点。最終試験に進むために必要な点数は六点。

 ゼビル島での滞在期間中に六点分のナンバープレートを集めること。

 

 

『御乗船の皆様、第三次試験お疲れ様でした!! 当船はこれより二時間ほどの予定でゼビル島へ向かいます』

 

 にこにこと笑みを浮かべるのは、小型マイクをつけたハンター協会の女性役員である。アイドルめいた可愛らしさを持つ彼女は、キラキラした瞳にどことなく無機質さを湛えてこう言った。

 

『ここに残った二十四名の方々には来年の試験会場無条件招待券が与えられます。たとえ今年受からなくても気を落とさずに来年チャレンジしてくださいねっ』

 

 場の空気だとか試験の内容だとか受験生の心情とか諸々無視度外視した女性の言葉に、どよぉ~んと周囲の空気が一気に重くなる。明らかに自分が失言したことに気づいた女性は、冷や汗を流しながら逃げるようにして受験生の前から立ち去っていった。

 

『それではこれからの二時間は自由時間となります。皆さん船の旅をお楽しみ下さいね!』

 

 こんな空気の中でどうやって楽しめというのだろうか。

 

 

 第三次試験の通過時間が早い者順に下船していき、全員が船を降りた頃。通過第一号マチと第二号ニードはすぐに合流し、今後について話し合っていた。

 小さめの若木を手刀で切り倒して作ったちょうどいい大きさの切り株の椅子に座りながら、ニードは獲物のプレート(、、、、、、、)を手で弄びつつ、つまらなそうに呟いた。

 

「なーんか……あっさりしすぎててつまんなかったぜ」

「あたしなんかもっとあっさりだよ」

 

 はぁ、と溜め息をついたマチは、既に六点分のナンバープレートを集め終えている。というのも、マチの獲物はニードであったため、それを確認してニードが自分のプレートを差し出したのである。開始十分に満たないうちに合格条件をクリアしてしまったので、いささか、というかめちゃくちゃ味気ない。

 対して開始数分で持ち点がゼロになったニードは、全員が下船して少ししてから速攻で獲物を探し出しプレートを奪ってきた。番号は五十三。ターバンのような帽子をかぶった弓矢を持った青年は、手加減に加減を加えた手刀一発でニードの接近にすら気づくことなく昏倒した。おそらく、先一週間は目覚めないだろう。

 片手で獲物のプレートを弄ったまま、黒衣の男はコートの内に手を伸ばす。ごそり、と取り出したのは、もうひとつのプレート。これはニードが獲ったものでもマチが獲ったものでもない。五十三番の青年が手に入れていた、おそらくは彼の獲物なのであろう一〇五番のプレート。一点分にしかならないが、自分のプレートを失っているニードにとっては儲けものである。

 現在ニードの持ち点は四、あと二枚誰かのプレートを奪わなければいけないが、黒衣の男の戦闘力をもってすれば欠伸が出るほど簡単にクリアできる。なにせ、期間は一週間もあるのだ。

 もう一度言おう、一週間もあるのだ。長いったらありゃしない。楽に突破できる試験である以上、長さはイコール大部分が暇な時間である。

 ちょっと憂鬱な黒衣の男であった。

 もっとも、

 

「……はぁ。ま、くつろぎながらゆるゆる探すとしましょうか。とりあえずは寝場所を確保しねーとな。二人入っても十分な広さが確保できる場所があればいいんだが」

「……二人でサバイバル……至近距離で寝れる……いや、まぁ大体いつも通りなんだけど。いつも上手くいかないんだけど。……でも、この一週間でなんとか……」

「? おい、なに一人でブツブツ言ってんだマチ。行くぞ」

「……へ? あ、ああ、わかった」

 

 マチにとってはいつもとちょっと違う雰囲気になれるチャンスでしかないのだが。

 

 

 ヒソカを発見ししばらくした頃にゴンの目の前で数分繰り広げられた光景は、とてつもなく密度の濃いものだった。

 ヒソカがこちらに話しかけながら歩いてきて万事休すかと思いきや何やら別の受験生であるらしい武人が現れて踊りかかったけどヒソカは躱し続けるだけでそのうち息が切れた武人の致命傷を指摘してもう目が死んでるとか言ってそれに武人が激昂して突撃したと思ったら次の瞬間には針が顔中に刺さってて武人は絶命した。何を言ってるかわからないだろうが真実である。

 そんなかなりの急展開を頑張って咀嚼するゴンの眼前に、茂みの奥から針だらけの男が現れた。同じ受験生だ。強烈な外見のおかげで、彼にはなんとなく見覚えがある。トリックタワーを四番目にクリアした猛者、だったはずだが、彼とヒソカにどんな繋がりがあるのだろうか。

 そんなことをゴンが考察しかけると同時、男が口を開いた。慌てて思考を中断し、会話を聞き取るのに集中する。

 男の声は意外にも、強面な顔には似合わない、男性としては少し高めのものだった。

 

「ゴメンゴメン、油断してて逃がしちゃったよ」

「ウソばっかり♦どうせこいつに『死にゆく俺の最後の願いを』とか泣きつかれたんだろ?どうでもいい敵に情けをかけるのやめなよ♠」

「だってさー、かわいそうだったから。どうせ本当に死ぬ人だし」

 

 体中針だらけでモヒカンヘアーの男は、全く悪びれずにそう言うと、少し口の端を歪めた。

 

「ヒソカだってたまにやるだろ、相手にとどめささないで帰っちゃったりさ」

「ボクはちゃんと相手を選ぶよ♦今殺すにはもったいない人だけ生かすわけ♣」

 

 涼しげにそう言い切ったヒソカの言葉に、それってあれのことだよね、とゴンがヌメーレ湿原でヒソカに合格と言われた時のことを思い出していると、ヒソカが思い出したように、あ、と声を上げた。

 

「で、プレートは?」

「あるよ」

 

 針だらけの男は、懐から三〇一と記された番号札を取り出してヒソカに見せた。

 

「これで俺のプレートは六点になったから、こっちはいらないや。あげるよ」

 

 男は続けて八十と表記されたプレートをヒソカに見せた。

 ヒソカは怪訝な声で問う。

 

「これ誰の?」

「俺を銃で狙ってた奴のプレート。こいつはムカついたからすぐ殺しちゃった」

 

 言い終えた男は、何を思ったのか顔面の針の一つを掴み、ぬるりと引き抜いた。

 完全に抜ききると同時、その針が刺さっていた男の顔面の一部分が、僅かに小さくなった。

 ビキビキ、と。そうとしか表現できない動きで、角張った頭部の左側面が、丸みを帯びたものになる。

 男は次々と針を抜いていく。ズルヌルと抜かれていく針の痕はほとんど見えない。

 針を全て抜き終えた男の髪がボンと一気に伸び、顔がビキビキと大きく動いて変形していく。

 

「うーん、何度見ても面白い♥」

「やってる方はけっこうツラいんだよね。あースッキリした」

 

 呟いた男の姿は、変身前とは全くの別人だった。

 感情が死んだ猫科めいた瞳に、背の中程まである黒の長髪。線の細い顔は強面どころか中性的だ。

 その変貌ぶりにゴンがあんぐりと口を開いて驚愕していると、どこかから突然声が降ってきた。

 

「面白いっつーか、俺はお前の素顔がイケメンなことが残念でならないんだがな」

 

 ヒソカと男が即座に反応して顔を上げる。一瞬遅れてゴンがそこに視線を向けると、いつから居たのか、近くの樹上に黒衣の男があぐらをかいて座っていた。

 黒髪黒目に黒いコートの、全身黒ずくめの男の中性的な顔には見覚えがあった。第一次試験のトンネルの中で知り合った人物だった。ヒソカが男の名を呟く。

 

「なんだ、ニードか♣」

「なんだとはなんだ」

 

 木からすたっと降り立った黒衣の男――ニードは、苦笑しながらそう言った。

 

「やぁニード、君はもうプレートを取ったかい?」

「あぁ。つっても俺のプレートはマチにあげちゃったから、三人分余分に集めるのには苦労したぜ」

「ウソこけ、ニードだったら早く見つけすぎて暇を持て余してるぐらいだろ?」

「あっはっは、まーな!」

 

 笑いながら取り出されたのは、五十三、一〇五、三六二、八十九と書かれている四枚のプレート。

 

「ほんと早くに獲りすぎちゃってさー、時間潰すの大変なんだよね」

 

 いやーまいったまいった、と頭を掻くニードに、男はジトっとした目を向けてから、少し辺りを見回して疑問の声を上げた。

 

「あれ? そういえばそのマチは?」

「ん? ああ、今は一応の寝床で待ってるよ。誰かに取られちゃたまんねーからな」

 

 からからと笑う男に「ふーん」とだけ返した男は、いきなり構えを取ると、「ほっ」という掛け声とともに地面を素手でザクザクと掘り出した。

 成人男性一人入っても大丈夫そうな深さになるまで掘ると、男はそのままその中に入った。

 

「じゃ、俺期日(リミット)まで寝るから。頑張ってねー」

「おう、おやすみ」

「おやすみ」

 

 黒衣の男の声に返して、男は土をかぶって完全に地面に潜った。

 ――――そのタイミングで。 

 黒衣の男の姿が、突然、掻き消えた。

 同時、背後でがさりという音。しかしゴンが振り返るより早く、黒衣の男の姿は既に先ほどいた場所に戻っていた。その手には血を垂らす真っ白なウサギが一羽ぶら下げられている。

 

「どうしたの? そのウサギ♥」

「今夜の食料」

 

 にっと笑いこちらをちらりと見たニードの視線を受け、ばれたかと体をこわばらせたゴンを嘲笑うのように、二人はそのままゴンに対し何のアクションも示さずに会話を続けた。

 

「ふーん♦美味しいかは疑問だと思うけど♠」

「大丈夫だろ。……んじゃ、俺ももう行くわ。頑張れよヒソカ」

「はいはい♣」

 

 再び黒衣の男の姿が消える。今度は数秒経ってもその姿は戻らなかった。

 沈黙するヒソカの様子を見てから、恐る恐る後ろを向く。

 そこには深く地面にめり込んだ足跡と、木の根元の一枚の紙があった。ヒソカの様子を伺いながら、音をたてないように紙を手に取る。

 そこに書かれていた言葉に、ゴンは驚愕と安堵を同時に味わうという貴重な体験をした。

 

『ヒソカたちは気づいてないぜ。頑張れよ、健闘を祈る。――――ニード』

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