カルトとの茶会を終え、執事室でのキルアと再会したゴンたちは、少し遠くなったゾルディック家の屋敷を振り返り、感慨深げに揃って息を洩らした。
「それにしても……結局、ニードについては曖昧なままだったな」
常に薄暗い森の中を歩いている途中で、ふとクラピカが目を細めて呟いた。
「うん……」
沈んだ面持ちでゴンが反応した。
結果的に、カルトが語った話はたったの一つだ。それも彼の素性に触れるものではなく、彼の黒衣の男がどんだけブッ飛んだ存在なのかを再認識させられる類のものだった。ただ一つだけわかったことというのも、“とにかくニードやべぇ”の一言だけで終わる。つまるところ、キルアを連れ戻せたこととなんか前よりめっさ筋力ついたこと以外、特に何の収穫もなかったのである。
自然、気持ちも沈むというものだった。
「そ、そーいやキルア、忘れ物がねーかは確認したよな? もう一回あの家に戻るとか嫌だぜ俺は」
暗くなってしまった空気を払拭するためか、レオリオが努めて明るい声を出して話題を転換した。もっとも、無理して明るく振舞っているのが丸わかりな上、方向転換が少々無理矢理だったが。
「ああ、だいじょーぶだいじょーぶ。心配いんねーよ。んなヘマしねーから」
「ならいーんだけどよぉ……」
そこで話が終わってしまったことが不満だったのか、それとも上手く話を切り替えられなかったことで拗ねているのか、唇を尖らせながらレオリオがブツクサと言う。しかし丸眼鏡の青年は直ぐに姿勢をしゃんと正すと、緩んでしまったらしいネクタイをキュッと締め、
「……それで、久々のおうちはどーだったんだよ」
「…………」
空気が変わったのを肌で感じたのか、キルアは頭の後ろで組んでいた手を解く。白髪の少年の目に一瞬剣呑な光が宿るが、しかし彼は直ぐにその冥い輝きを内に仕舞いこむと、にかっと快活に笑って、言った。
「――――
◇
「……お? なんだ、こんな時にメールか?」
薄暗い森林を抜ける直前、ブーッ、ブーッ、という音が鳴り、レオリオの携帯電話への着信を告げるランプが点灯した。ブルブルと震える機体を取り出しながら、コール音で判断したのか、さして急ぐわけでもなく緩慢な動きで彼は蓋を開き、次いで驚愕を露にする。
「……お、おい……おいっ、お前ら! 見てみろコレ!!」
立ち止まっていたレオリオを置いて先に進もうとしていた三人を呼び止め、レオリオは額に冷や汗を流しながら勢いよく彼らに携帯の画面を突き出す。不思議そうに振り向いた三人の顔、みるみるうちに驚きに染まった。
「ど……っ、どういうこと、コレ!?」
「な、何故奴が私たちの行動を!?」
「ま……マジかよッ!? どーいう理屈だ、ここには来てねーはずだろっ!? なんでこんな……監視でもしてやがるのかよ、オイ!?」
三者三様だが、しかし受けた衝撃を同じくする愕然とした叫びを上げ、ゴン達は瞬間激しく狼狽する。
ザザザザザザザ――――と。森全体が大きくざわめいた気がした。叫ぶと同時、三人は一気にレオリオを中心として三角形の布陣を展開。緩みかけていた緊張を即座に張り直し、機敏な動作で上下左右三百六十度を睨め尽くす。
しかし、
遠くに見える影の一つ一つに目を凝らし、葉が擦れるかすかな音にも警戒を強めていくが、しかしどうしても見当たらない。影も形もなく、気配も全く感じられない。この上なく存在を主張しているくせに、しかし存在を確信させてはくれない。
ポタリ、と。冷や汗が流れ落ちる。絶対に不可能なはずの行為を容易く実行されたことに、背筋が凍るような不気味さを感じ、三人は一様に鳥肌を立たせた。
得体の知れない恐怖に身を凍らせる三人に同様の気持ちを覚えながら、レオリオはもう一度ゆっくりと携帯電話の画面を覗く。自覚なしに指が震えていたらしく、カタカタと画面が小刻みに揺れる。
そこには、レオリオたち四人に計り知れない衝撃を与える、一通のメールが表示されていた。
【お疲れさん。あと10分くらいで森は抜けられるぜ。 ニード】
――全身を這い上がられるような恐怖を感じながら、とりあえず三人は、相談してからこうとだけ返した。
【テメェの存在自体がイカれてるってことがよぅくわかったよ、ブァーカ!】
おそらく発信元は使い捨ての携帯電話などであろうこと等を考慮した結果ではあるのだが、それにしても結構命知らずだった。
◇
肩をいからせながら森を抜けたゴン達一行の背後、ゾルディック家の屋敷の周辺に広がる広大な森の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥――昼間だというのに暗く深い闇が支配するその場所に、闇よりもさらに黒い男は立っていた。
どこか妖しい雰囲気を持つ男だった。
身の丈は一八〇センチほどか。闇に溶け込むような黒色のコートを纏っている。黒髪黒目に中性的な容姿をしており、男としては平凡な部類に入る顔立ちだが、女よりの評価を下すのならば凛とした美人のように見えなくもなかった。その顔にはどこか見る者の肌を粟立たせるような迫力を秘めた飄々とした微笑みが浮かべられており、その右手には薄白く発光する型の旧い開かれたままの携帯電話が握られている。
映し出されているのはたったの一文、それも相手の怒りを爆発させるような内容だが、男としては満足のいくものだったらしく、彼は鼻歌を歌いながらケータイを操作し始めた。気持ち悪いほどの速さで右の親指が走り、数秒で何かを打ち終えた男は、送信が完了したことを告げる音を聞いたあと、片手で勢いよくその携帯電話を握りつぶした。バキャア! と精密機械が破砕される音が鳴り、細かな部品がバラバラと地面に零れ落ちていく。
完全に機能を停止させた鉄屑をコートの内へと仕舞い込み、黒衣の男はぐるぐると首を回しながら、
「さぁってと……あいつらを楽しくストーキングすんのも、もう終わりかな。――こっからは、俺も真面目に用事を済ますとしようかね」
言って、男――ニードは、あらぶる獣のように、獰猛に笑った。
◇
「いらっしゃいませ、ニード様」
「よーうゴトー。んな堅っ苦しい喋り方してねーで、普通に喋ってくれてかまわねーぜ」
恭しく頭を下げる五人の執事を前にして、ニードは気楽にケラケラと笑う。
質素な設えの正六面体の空間。ぼんやりとした灯り。壁に掛けられた絵画。並べられたワイン。奇怪な形の壺。置かれている植物。部屋の隅に設えられた黒電話。
いつ見ても変わっていない執事室の中央で、声をかけられた列の真ん中の執事は即座に顔を上げ、ピンとした姿勢を維持しながら、
「できればお前には二度と会いたくなかったよクソ野郎」
「あはー相変わらず容赦のねぇ物言い!」
割と手酷いご挨拶に、しかしニードは飄々とした笑みを崩さない。その飄々とした人を苛つかせる態度に、執事のこめかみに思わずといった様子でびきりと青筋が浮かぶ。
執事の名前はゴトー。またの名を苦労人という。
理想的な体格の男である。身長はニードより二センチほど高く、肩幅はカッチリとした執事服を着ていることを差っ引いてもなお広い。黒々とした顎髭を丁寧に整えた、渋い雰囲気の人物だった。
ゴトーに続いて顔を上げる他の四人をさっと見たニードは、その中に見知った人間がいることに気づいた。
「あ、ヒシタさん」
「お久しぶりです、ニード様」
優雅に一礼する男を前に、ニードは、昔と変わってないな、という感想を抱く。
紳士的な雰囲気を持つ、坊主頭の執事の名はヒシタ。またの名を被害者、もしくはお母さんという。
生卵爆発事件に始まり、黒いG大量侵入事件、絵画両断事件、スパイス大量投入事件などなど、彼がニードにかけられた迷惑は数知れず。それを笑顔で処理し、その度にニードを物腰柔らかに注意する彼に付けられた名が“お母さん”である。ちなみに命名者は黒衣の男と名乗った。
他の執事はぼんやりとしか覚えていないが、彼のことはよく覚えていたニードは、反射的に頭を下げていた。
「その節はご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、謝られるほどのことではございません、私も楽しませていただいていましたから。――私以外にはもう悪戯を仕掛けないという約束、守ってくださっていますか?」
「うぐっ」
謝られるほどのことを笑顔で許す、相変わらず懐の広いヒシタの問いに、約束を即破っていたニードは心苦しさから胸を押さえる。彼は顔中に脂汗を浮かべながら、
「い、いや、勿論じゃないですか。チャント守ッテマスヨ、チャント。ウン……」
なぜか敬語になるニードに、ヒシタはほんわかと笑いかけた。
「そうですか。安心いたしました」
「はうっ!」
本心からかどうかは不明だが、ニードのバレバレの嘘を信じた様子のヒシタに、ニードは再び胸を押さえて崩れ落ちた。
地に伏してビクビクと痙攣するニードを冷徹な瞳で見下しながら、ゴトーが低い声で執事らしからず命令を出す。
「――ついてこい。案内する」
その言葉に、ニードは表情を消してゆっくりと立ち上がる。
気配が、変わる。
飄々とした雰囲気はそのままに、凛とした表情をしたニードがコートのポケットへ手を突っ込む。ゴトーが背後の扉を開けて歩き出した。四人の執事が再び頭を下げる。コートの端がゆらりとたなびく。
カツン、と一歩が踏み出された。