バイバイ、シナモンガール 作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ
美綴綾子(ヒロイン)&オリジナルスタンド(幽波紋)+固ゆで卵ふうテイストで書いてみたかった。
◇
冬木市――
山と海に囲まれる地方都市。
外国人が多く住まう、深山町の住宅街から伸びる整備された道を進み、一部からは心臓破りの丘と称される上り坂の先に建つのは、穂群原学園という歴史ある建築物にして現役の学び舎である。
校庭では、運動着姿の生徒たちが、朝の部活動からの撤収を図り始めている。
一月一〇日。
二年A組の教室は、今日も平和の様相を呈していた。
騒々しいというほどではないにしろ、賑やかな雰囲気であり、特に陸上部三人組――氷室鐘、三枝由紀香、そしてなかでも蒔寺楓――の活発ぶりは朝だというのに低血圧など知らぬ存ぜぬとばかりの元気溌剌さ加減で、
「はよーっす、遠坂」
「おはようございます、蒔寺さん」
出入り口を向いた、気力満帆の蒔寺楓が現れた
やがて前扉が開かれ、寡黙な大柄の男がのっそりと入ってきた。
「おはよう」
A組担任の葛木宗一郎が教壇のうえに立つ頃には、自然と雑談の空気も鎮まっている。
既に着席していた美綴綾子は、ふと視線を窓際のほうへと飛ばした。
ぽっかりと空席が、一つある。
「先生、
HRの進行をさえぎって、訊いていた。綾子からすると、あの
「
――それは、思いっきり寝耳に水だ。
「朝の報告は以上だ。HRを終了する。次は移動教室だ。各員、遅れないように」
葛木宗一郎が出ていくと、にわかに教室が騒がしくなった。さっそく望月凰玖を話題に挙げる人間も、ちらほらといる。
「また誰か亡くなったのか。どうも最近、物騒な事件が続いているな。新都のほうではガス爆発があったとか、ついこのあいだの、一家殺人事件とかも。犯人は捕まっていないだろう。野放しのままだ」
「いやだなあ、物騒だなー。もしあたしも狙われちゃったりしちゃったらどうしよっかな?」
「安心しろ蒔の字。誰も君を狙ったりはしない」
「ヌわんだとーっ、あたしの魅力が足りないッてかッ、このあたしの魅惑のバブリーぼでぃがッ」
「落ち着いて薪ちゃん意味わかんないよッ」
不謹慎な盛り上がりをする女子たちを傍らに、綾子は身体で隠すようにしながらストラップの付けた携帯を開くと、素早くメールを打ち込んだ。
「もういいっ。行こうぜ美綴、ってなになに……メール? 誰によぉ?」
「人のもん覗こうとすんなよ。趣味、っていうか性格悪いよ、あんた」
教科書を取り出すと、「誰よ誰よ、もしかして彼氏?」と絡んでくるのを鬱陶しく思いながら、教室を後にした。
――〈大丈夫? ちょっと心配してます。落ち着いたら連絡よこせ。〉
結局、返信はなかった。
◇
すすり泣く声が混じっていた。
「――晴奈さんは、常に私たちのクラスの中心にいて、いつも笑顔で――」
たくさんの花で飾られた、微笑んだままでいる遺影へ向かって、進み出た制服姿の少女が語りかけている。
式場には親戚、友人、学友たちの姿があり、最前列には
「―――」
無性に、たまらなくなるような気持ちに襲われた。凰玖は立ち上がると、隣に座っていた
肌寒い空気。白い吐息。自販機でコーヒーを買った。敷地の外では、一家惨殺事件に
ネクタイを緩める。猫舌だから、ほどよく冷めるまで、冬木大橋を見ながらぼんやりと待った。未遠川では、名前は知らない水鳥が泳いでいる。そういえば、と携帯を取り出して電源を入れると、メールが一通あった。差出人は美綴綾子。心配していると書かれていた。凰玖は携帯を
人の気配を感じた。凰玖の一つ下で、晴奈と同じ歳の少年が立っていた。学生服姿ではない。凰玖と同じ、黒のスーツ。
「よう、
「凰玖さん」
初めて聞いたときは、女みたいな名前だと思ったものだ。宮森薫。今は別々の高校だが、幼馴染であり、晴奈の双子の弟だった。
「すいません」
「なんだよ」
「俺が、あいつを死なせたようなもんなんです」
「なにを言ってる?」
「俺が、あいつに付いていれば。あのとき」
ひどい隈だった。目も、充血している。ろくに寝ていないのだろう。
「帰らなきゃ、よかった」
俺のせいで。呟くように、くぐもった声でそう言った。俺のせいで、あいつは。
「お前のせい、か」
「すいません」
「俺に言うなよ。俺に謝ることじゃない」
すいません。くどいくらいに、そう繰り返す。慰めの言葉は思いつかなかった。お前のせいじゃない。いくら言ったところで、聞き入れはしないだろう。最後に会話した。あのとき引き留めていれば。薫は、自分に死の責任があると決め込んでしまっているのだ。
薫は、泣いていた。
晴奈と同じ顔。涙を見た途端、ふっと凰玖のなかで目の前の男を鬱陶しく思う以上に、憎悪のような気持ちが込み上げてきた。自身の感情に驚き、その気配が躰からはみ出さないよう、締め付けるようにして抑え込んだ。
――「クーちゃん?」
「黙れよ。それ以上」
「すいません」
押し殺すような声になった。
「もう、いいよ」
拳を、固めていた。目を伏せて震える薫は気づいていない。男の、潤んだ瞳。泣くなよ。怒鳴りそうになった。男が簡単に、人前で泣くなよ。あいつと同じ泣き顔。そんなもの、見たくなどなかった。
「行けよ」
「凰玖さん」
「行っちまえ。俺は、まだここにいるよ。優香さんに、ついていてやれ。
さっさと消えろ。口に出しかけた言葉を、呑みこんで言った。
「凰玖さん。俺、犯人みつけます。犯人みつけて、ぜったい、ぶっ殺してやる」
憎悪に、思考を駆り立てられている。とても冷静とは言えなかった。当然だ、それほどの存在だったのだ、宮森薫にとって、晴奈という少女は。仲のいい姉弟。双子。つまり、半身を殺されたようなものだった。今に、何かをやらかしそうなほどに、思いつめているようにも見えた。
――俺は違うのか。
「警察に任せておくんだ。今は、大人しくしてろ」
コーヒーに口をつける。まだ少し、熱かった。
「サツが何やってくれるってんですか。あいつらなんか。凰玖さん、あんた、悔しくないのか」
「薫。俺は、大人しくしていろって、そう言ったんだぜ」
「………、」
「てめえ一人で何ができるよ。ほら、もう行きな。お前には、やるべきことがあるだろう」
「俺は、あんたに命令される、ガキじゃねえ」
もう一度言った。睨むようにしている、薫のほうは、もう見てもいなかった。
――俺は、違うのか。
いつの間にか、薫は消えていた。
――「クーちゃんってさ、ときどきすっごく頑固だよね?」
君には負けるよ。やめろと幾ら言っても、晴奈は子供の頃のままの呼び方をしていた。そのうち、やめろと言うのも諦めた。最後は私の粘り勝ちだね、と彼女は笑ってみせたものだった。
なんでもねえさ、これくらい。口のなかで呟いた。
いつの間にか、水鳥は消えていた。
◇
今日も、目覚ましが鳴る前に起きた。
朝の六時である。ポットを沸かす間に、髭を当たった。鏡には、体育会系と見られるであろう鍛えた半身と、目つきの悪い男が映っている。この一〇年で、見慣れた自分の顔だ。
弁当を作る。自分と、花楓のぶんだった。サラダ、卵焼き、角煮と、炊き上がった白米。アルミホイルで分けて、コメは冷ましてから積めた。
鍋に火をかける。人参、キャベツ、ブロッコリー、コンソメの素。スープが作り終わる頃には、トーストも目玉焼きも完成していた。
朝食を終えると、穂群原学園の制服に袖を通す。花楓からの誕生日プレゼントである手巻き式の腕時計を留めると、まだ時間に余裕があった。彼女は昨日も遅くまで起きていたようだから、放置しておいても構わなかった。音量を低く設定し、テレビを眺める。
五人の死者を出した、深山町一家惨殺事件。捜査には進展がないまま、既に三週間以上が経過していた。元捜査官という肩書の男が、VTRを交えて犯人の行動を分析している。どれも新鮮味の薄い、既出情報ばかりだった。芸能人、弁護士といったコメンテーターたちが、他番組でも飽きるほど繰り返した議論を繰り広げている。
意味はなかった。いかにも知識人らしく喋っているが、誰にでも言えるような内容で、ようするに詐欺師の話術だった。凰玖からすれば、それに関心げに頷く人たちの反応も、滑稽でしかない。
すぐに次のニュースになった。新たなテロップ。新都での集団昏倒事件。ガス中毒が原因らしい。事件ばかりだ、世の中に事件はありふれていて、より関心を引きやすい刺激にあふれている。そうやって過去は埋もれてゆくのだろう。やがては誰もが、友人宅へ遊びに行き、そして殺された少女のことなど、忘れてしまう。晴奈の関係者、深い傷を負った一部の人たちを除いて。
薫の放った言葉が、不意に思い浮かんだ。警察は何も発見できていない。晴奈の父親が遺体で発見されたときも、そうだった。このまま、よくある悲劇として埋もれてしまうのか。
次のニュースに切り替わった。中高年の間で相次いで発覚している、新型麻薬の所持使用問題。次のニュース。現代の冬木に蘇った吸血鬼、被害者の首筋に二つの吸血痕。通り魔か。次のニュース。芸能人の不倫騒動、謝罪会見。
次のニュース。
次のニュース。
次のニュース。
お天気予報。
今日は午前は晴れて洗濯日和となりそうですが、午後からは天気が崩れて、夜には一部の地域では雨になることでしょう――
―――。
「よっ、凰玖」
廊下で、声を掛けられた。
「調子はどうだい」
「悪くはない。そっちは、主将?」
「うーん、悪くはないよ」
綾子が隣に並ぶ。朝練後だからか、少し頬が上気している。行先は、同じ教室だ。
彼女は、凰玖から直接事情を訊き出して、深山町一家殺人事件の被害者である宮森晴奈が凰玖と幼馴染であったことを知っている人間の一人だった。
以前、全校朝会で校長が事件について触れたことで、犯人が捕まっていない事実は改めて知れ渡ることとなったが、綾子が凰玖との関係を広めたりすることはなかった。もともと学校でもよく話す間柄だ、気遣われているのは分かっていた。
好奇心は強いほうだが、美綴綾子は善良な人間であり、お節介焼きでもあり、いくら気にする必要はないと言っても、むしろ言えば言うほど気にしてしまう
「美綴、心配してくれるのは、ありがたいけどね」
「大丈夫だって? 私にはそうは見えないね」
「自分のことだ。自分が一番良くわかってるさ」
「ねえ、あんたさ、ときどきヤバい目をするようになったよ。無意識かもしれないけど」
二年A組に到着。
先に綾子が入り、生徒たちと挨拶を交わす。
「どういう意味だ」
振り向いた綾子が、射抜くように言った。
「よくない目。凰玖さ、なんか、
真剣なまざなしだった。
「こわいことって?」
互いを映し合う。瞳を通じて、精神の機微を読み取ろうとするかのように。
「朝からお熱いのね、お二人とも」
声。
遠坂凛だった。ちょっと呆れたような顔をしている。ちょうど、入口を塞いでいる形になっていた。
「遠坂」
「おはようございます。そこ、どいてくださらない?」
「ああ、悪い」
「いいえ。あと二人とも、教室の入り口で痴話喧嘩はやめたほうがいいと思いますよ」
「馬ッ鹿じゃないの?」
吐き捨てるように言って、綾子が着席した。ここからでは表情は分からない。
凰玖も、そうすることにした。すると男子の一人が、提出物の写しを頼み込んできた。いつもの光景。凰玖は呆れながら、頷いてやった。心の友よ、と抱きついてくる男子を躱して鳩尾に肘を打ち込むと、しゃがみこんだ横を通り抜けて、自分の席に腰を降ろした。じゃっかん、周囲の人間が引き攣った顔をしている。
窓から見える空は、昨日と、まったく変わっていなかった。
―――。
教師が話している。
――
――怖いことって、なんのことだ。
授業は、話半分に聞き流していた。問題を解くでもなく、凰玖は黒板をそっくり写す作業に勤しみ、ずっと綾子の言った言葉を考え続けていた。
――もしかして、あいつ。
「………、」
――どこまで気づいてるんだ?
考えても仕方のないことだった。もしかしたら偶然、綾子は新都を徘徊する凰玖の姿を目撃したのかもしれない。都市開発が中途半端に中断されたせいで生まれた、新都のなかでも治安の悪い、不良たちの吹き溜まりのような場所に出入りする姿を、見られてしまったのかもしれない。
だとしたら。どうでもいい、と鳳玖はすぐに思い直した。冬木は、広いようで意外と狭い。新都に遊びに出てくる
仮に現場を見られたとしても、そのときは自分のやり方でやると決めていた。
今さら誰が言おうと、決めてしまったことだった。