バイバイ、シナモンガール   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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02 ハイライト

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 未遠川。なんとなく眺めていた。曇り空だ。星は見えない。晴奈を焼いた火葬場は、ここからでも明かりがついているのが見える。

 

 丁寧に化粧され、棺に横たえられた晴奈。眠っているようだった。温かみの失せた頬、唇、首筋。くすぐったいと、身をよじらせて笑うこともない。窯で焼かれている間、どのような気持ちで眺めていたのか。思い出せなかった。棺は燃え、灰と骨しか残らなかった。あのとき、俺は何を考えていた。

 

 街を練り歩く。今は、度の入っていない眼鏡と、帽子、丈の長いコートという目立たない装いだった。夕食の準備をするためにいったんマンションに帰り、花楓には、勝手に食べるよう言ってあった。ここ最近は毎日のように夜出かけているため、不審――というよりも心配――の目を向けられている。だが、何も話していなかった。

 

 商店街、飲食店街を進む。人の姿に紛れ、人を探していると気取られないよう、視線だけで、動かずにいる人間を選別する。メモを取り出し、名前、性別、特徴、出没する時間、場所などが掛かれたところを流し読みした。

 

 穂群原学園の不良から訊きだし、あるいは別の学校の不良――特に札付き(・・・)と呼ばれる奴――らに吐かせた情報だった。穂群原学園の生徒は知らなかったが、違う学校の生徒は知っていた。もっとも、彼らは自分たちが何を吐いたのかも、誰に遭って襲われたのかも覚えてはいない(・・・・・・・)だろうが。

 

 路地の前に、男が一人で立っていた。待ち合わせという感じではない。会社員らしき男に声を掛けられ、路地裏に一緒に消えた。そう時間を掛けずに出てくる。会社員ふうの男は人の波に消え、もう一人はぶらぶらと彷徨(うろつ)きながらも、路地から離れようとしない。

 

 あの男なのか。確かめるために、暫らく待つことにした。コンビニで買ったコーヒーを手に、遠目に観察する。

 

 次に声をかけたのは、ぼさぼさの髪をした、若い、派手ななりの女だった。二、三言話し、やはり路地へと消え、そのまま出てくると別れる。

 

 あの男だ。そう思った。凰玖(おうく)は缶を捨てると、男に近づいた。やるべきことは、此処に立った時から決めていた。意外なほどに、緊張していなかった。

 

「あんたが、シンヤ?」

 

 男が振り向く。歳は、三〇代後半といったところか。

 

「誰だ、てめえは」

 

「ナオキから聞いた。あんた、売ってくれるんだって?」

 

「なに言ってんだ。俺はおめえなんか知らねえぞ。おい、わけわかんねえこと言ってっと、ぶっ飛ばすぞ」

 

「俺はナオキの友だちだよ。なあ、頼むよ。あんた、売ってくれるんだろう?」

 

 怪しんでいた。値踏みするような視線。頭頂から、爪先まで。

 

 ナオキとは、この売人の情報を吐いた、それなりに大きなグループを仕切る学生の名前だった。ナオキは、シンヤの常連客だったらしい。凰玖は男の至近距離に立つと、小さな声で「金なら持ってる。ちゃんと払うからよ」と、憐れっぽく言った。そういうことを抵抗なく言える自分がいくらか新鮮に思えて、凰玖は心のなかでわらっていた。それでも、気取られるようなへま(・・)はしない。

 

 男は舌打ちすると、頭を掻き、数回頷いてから、路地のほうへと歩き出した。凰玖も、あとを追った。

 

「おめえみてえ野郎が、ナオキのダチだなんてのは――」

 

 路地裏。少し開けた場所に出た。人気は途絶え、通りからは見えず、二人きりだった。

 

 凰玖は喋っている男の背を蹴りつけると、続けざまに振り返ったところを蹴り上げた。倒れそうになる身体を拳で突き上げ、突き飛ばすように押しやっていた。

 

「てめえ、なにしやがるっ」

 

 膝をつきかけた男の足を払い、転がした。立ち上がろうと見上げた顔に、拳を叩き込む。

 

「てめえ、こんなことしてただで済むと思ってんのか」

 

 凰玖の息は、少しも乱れていなかった。

 

「こんな真似しやがって、ナオキの子分だろうが、こんな真似」

 

「嘘、さ」

 

 靴の先が、腹に食い込んだ。破裂するように、息が漏れる。(くずお)れる。

 

 鳳玖はコートの内側からハイライトを取り出した。売人に辿りつく道中で襲った不良のひとりが、ちょっとド突いた拍子に取り落とした、ブルーのパッケージ。使い捨てライターで火をつけた。闇に、ぱっと顔が浮かび上がる。

 

 それまで喫ったことはなかったが、この手の知識だけはあった。読書家であった晴奈が、読み終えた小説や詩集をたびたび貸してくれたからだ。著名なロシア文学や、日本でも舞台化されている戯曲を薦められたこともあった。少女然とした見た目に反して、晴奈はハードボイルドと云ったものもよく読んでいたのだ。

 

 知識だけはあったが、それまで興味はなかった。だが目についたとき、なんとなくという感じで喫っていた。香り、煙の味、指先の熱。こんなものか、と思う一方で、なにか、触れてくるものがあった。気に入った、というほどではない。ただ返すのを忘れ、そのまま持ち続けていた。

 

 吐き出した煙は、すぐに見えなくなった。

 

「友だちじゃない。もちろん子分でも。あんたのことを聞いたのは、本当だけどね」

 

「嘗めた真似しやがって」

 

 懐に手を伸ばすのを、見逃してやった。ポケットナイフが握られる。鈍い光が、照り返した。突き出される。

 

 

「〈ゴールデン(・・・・・)スランバー(・・・・・)〉」

 

 

 刃が、届くことはなかった。

 

「なん、だよ」

 

 男の、愕然とした顔。突き出したまま、刃は止まっていた。手首が戦慄き、それ以上は進まない。まるで見えない腕(・・・・・)に抑え込まれているかのように。

 

「ナイフか。俺を、刺そうってわけだ」

 

 枝木が折れるような音。男が悲鳴をあげた。いきなり吹っ飛び、壁に叩きつけられる。そのあいだ凰玖は、一歩も動いてはいなかった。煙を吐き出しながら、眺めていただけだ。

 

 足元に転がったナイフ。切れ味が悪そうだった。路地の隅に、凰玖は蹴って捨てた。

 

「てめえっ。いったい」

 

 男には見えなかっただろう。今も、見えていないはずだ。凰玖の前に立ち、男を殴り飛ばした存在は、凰玖以外の誰の目にも映らないのだから。

 

「シンヤさん。あんた、死んだことはあるかい」

 

 荒い、息を吐く音。

 

「俺はあるよ。一度、死んだ。もう一〇年になるかな。あんたも知ってるだろう、冬木で起きた大災害。あれで、何もかも失った。俺は、あのとき死んだのさ。なのに気づくと、なんの冗談だか、幽霊が見えるようになっていた」

 

 〈ゴールデン・スランバー〉。青い肌。筋骨隆々の彫刻のような上半身と、煙のように形が定まらず波打っている下半身。若くも、年老いても見える男の顔に、陽気な表情を乗せて、〈微睡み〉と名付けられた金色(こんじき)の双眸を持つこの「魔人」の「幽霊」のような存在は、一瞬で男の腕を握り潰し、丸太のように太い腕を叩き込んだのだった。

 

「ゆう、れい?」

 

「俺も、考えようによっちゃ、幽霊みたいなものかもしれない」

 

 あのとき、確かに死んだのだ。だが晴奈と出会ったことで、死んだことを忘れていられた。

 

 その晴奈が、死んだ。殺されたのだ。今度は、蘇ることはない。灰と、骨と、煙になって消えた。もう笑うことは二度とない。声を聴くことも。鮮やかな黒髪に触れることも。

 

 そして、殺した奴はまだ生きている。

 

「あんたに訊きたいことがあるんだ」

 

 「幽霊」は、凰玖の意のままに動く。凰玖の触れたいものに触れ、触れたくないものをすり抜ける。だから当然、加減もしていた。折れた肋骨が肺に突き刺さって永遠に喋れなくなるようでは困るからだ。目的を果たせなくなる。

 

「なんなんだよ」

 

「あんたに訊きたいことがある。でも、あんたが素直に喋ってくれるとは限らない。だからね」

 

 踏み込んだ。〈ゴールデン・スランバー〉が、脂汗を浮かばせる男の襟首をつかみあげた。突如として身体が宙に浮き、男は暴れようとするが、青い肌の「魔人」は笑ったままだ。

 

「シンヤさん。よく聞けよ、俺はこれからあんたを拷問(・・)する。いや、現実にするわけじゃない。あんたは拷問される()を見るのさ。白昼夢ってやつ。だが、あんたにとっては現実と変わらない」

 

「なに言ってる、やめろ」

 

「幽霊と同じだ。まったくもって不思議な話だが、こいつ(・・・)にはそういう能力(ちから)があるんだ。心配せずとも死にはしないさ。賭けてもいい。心は、(こわ)れるかもしれないが」

 

「やめてくれ、放してくれっ。話すよ、聞きたいことがあるなら、話すよ。だから、たのむっ」

 

「ナオキは喋ったよ。そして毀れた。あんたもそうなるかもね、シンヤさん」

 

 人間の、目には見えない器官をぶっ叩く。肉体も傷つけたが、大した怪我ではなかった。毀れたというのは、嘘だ。それでも(きず)を負ったのは確かだから、癒すために、ナオキはドラッグにのめり込むかもしれない。廃人になることは、十分に考えられる。

 

 考えただけで、すぐに忘れた。

 

「なんでだよ、なんでなんだよ」

 

「こうしたほうが、ずっと正確だ。夢のなかじゃ、嘘も誤魔化しも効かないし、記憶も残らないからね」

 

 殴る、蹴る、毀す。やろうとすれば、簡単にできた。そんな自分に最初はわずかばかりの嫌悪を覚えたものだったが、今の心理状態は、だいぶ違っていた。嫌悪は、ほとんど感じない。だが、愉しいとも思わない。身体を動かすことの快感はあったが、殴ることに関してはむしろ、相手に対する不快感や、憎悪のほうが強い。

 

「待てよ」

 

「いいや」

 

 微笑みかけた。

 

「待てないんだ」

 

 暴力を使っている自分に、違和感は覚えなかった。つまり、望月凰玖の本質はこちら側ということなのか。それでもいい、という気になっていた。一度決めてしまえば、跳ぶことに迷いは持たない。捨て鉢になっているわけではなかった。成功するか、失敗するか。賭けをするのに似ていた。

 

 今なら、人も殺せるかもしれない。やろうと決めてしまえば、たぶん、どこまでも、やれる。

 

「〈ゴールデン・スランバー〉」

 

 晴奈が死んでから、それが行動の節々に現れるようになった気がする。あるいは元からあった本質を、抑え込む必要が無くなったから、こうして表にまで滲み出してきたのか。

 

 待ってくれよ。かすれた声で呟いた男を、黄金の双眸が覗きこんだ。だらりと男の腕が垂れ、静電気に触れたように指先をびくりと動かす。口端が痙攣するように引き攣り、エナメル質の歯がかちかちと音を立て、焦点が失われる。

 

 〈夢〉に落ちていた。地面に降ろし、壁にもたれ掛けさせた。外的世界(げんじつ)から刳り抜かれた〈夢〉のなかで、静かな拷問が始まる。誰にも、気付かれることはない。

 

「じゃあ、訊いたことを、答えてくれよな。正直に、嘘偽りなく」

 

 ぼんやりとした表情の、すっかり夢心地でいる男を見下ろしながら、凰玖は二本目をくわえ、掌で覆いながら火を近づけた。

 

 

「情報屋の居所を探してる。心当たり、ないかい?」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆

 

 

 

 

 

 其処は、牢獄だった。

 

 「男」が、錆びれた鎖で縛りつけられている。

 

 すべての爪を執拗なまでに丁寧に剥がされ、計二〇本の指を順番に切り落とされる運命が、男には待ち受けている。

 

 一本目が落ちた。続いて二本目も落ちた。そして三本目。

 

 〈夢〉が覚めることはない。〈夢〉と気づくこともない。迷路の終点は最初から示されているのだ。反抗は去勢され、囚われた「男」はひた走るしかない。急き立てる鞭から逃れるように、あるいは出口から差し込む光に縋るかの如く。「男」が持つ「鍵」に合わせて設計された宝物庫の扉。誘導された道であることすらも忘れて。扉を、開く。

 

 宝は盗み出され、かくして痕跡は残らない。

 

 

 「男」の、心に残った疵だけをのぞいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おやすみ」

 

 

 ――「バイバイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 これが現実か それとも夢か 

 頭ん中土砂崩れ 現実なら逃げられねぇ













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