仕事を始めて一時間くらい経っただろうか。
相変わらず電卓は沈黙したままだ。
それでも葉月ちゃんのおかげで計算ミスもなく、僕は順調に仕事を進めていた。
それにしても思ったより疲れる仕事だ。
売っている物の種類が少ないから簡単な仕事だろうと甘く見ていたよ。
工藤さんはこんな仕事を九時間もしていたんだな……。
皆が来てくれて本当に良かった。僕一人じゃこんなの捌き切れなかったよ。
仕事をしながら、僕は改めて皆が来てくれたことに感謝していた。
だがその時、あまり望んでいないタイプの客が来訪した。
「おうおう邪魔だコラ! 道開けろや! アニキがくじ引くんだよ!」
どよめきと共にお客さんの列が左右に割れ、その真ん中を一人の小柄な男が進んで来る。
その男は紫のジャケットを羽織り、肩で風を切るようにこちらに向かって歩いてくる。
うわぁ……。これはまた絵に描いたようなチンピラだな……。
「ささ、アニキ、どうぞお引きください」
小柄な男が急に卑屈になり、後ろにいた男を前に通す。
どうやらこの後ろから現れた男が”アニキ”らしい。
黒髪をオールバックで固め、紋付き羽織りにグレーの袴。
身の丈はかなり高く、見た感じ190cmくらいあるだろうか。
羽織りの上からでも分かるゴツい体格や鋭い眼光は、鉄人のそれによく似ていた。
「ありがとうよ、ヤヒコ」
大男が小柄な男に礼を言う。ドスの効いた声も鉄人によく似ている。
「いえ、おいらシンジです」
「ん? あぁ、そうだったな」
名前を間違えるということはそれほど親しい仲ではないのだろうか。
それにしては小柄な男の方はやけに親しそうに話しかけている。
大男は姫路さんの前に進むと、窓口にズイと顔を突き出し、姫路さんを睨みつけた。
そして、
「嬢ちゃん、一回いくらだ」
威圧感たっぷりの声でそう尋ねた。
「あ……。ひ、百円に……なります……」
姫路さんが消え入るような、怯えた声で答える。
当然だろう。こんな鉄人のような大男に睨まれて恐がらない女の子がいるとは思えない。
それにしてもこの人……。
「だとよ。ゴロー、出してやんな」
「分かりやしたアニキ! それとおいらシンジです」
子分の名前を覚える気は無いのだろうか。
「オラ百円だ。当たりを出せよ」
小柄な男は財布を取り出し、そんなことを言いながら姫路さんに百円玉を突き出した。
「当たりなんてそんな……」
姫路さんは困り果てた顔をしながら、恐る恐るといった様子でそれを受け取る。
するとその直後、
「そんな無茶言わないでよ。ウチらにだって中身は分からないんだから」
男の横暴っぷりに堪り兼ねたのか、横から美波が口を出してきた。
恐がらない女の子がここにいたよ……。
「いいから最高のヤツを出しやがれ! 変なの出しやがったら承知しねェぞ!」
だが小柄な男は美波の言葉にも耳を貸さない。
「そ、そんなこと言ったって……」
男の大きな怒鳴り声に、強気だった美波も身を縮こませて怯えはじめる。
その恐怖に歪んだ表情を目にした瞬間、僕は頭に一気に血が流れ込み、沸点に達してしまった。
なんて横暴な奴だ! もう頭に来た!
美波にあんなことを言われては僕だって黙ってはいられない!
「ちょ──(ムグッ)」
口を開いた瞬間、その口を後ろから誰かに塞がれた。
誰だ!? まさかこいつらの仲間か!?
振り向こうにもガッチリ顔を押さえられていて、身動きが取れない。
正体不明の者に後ろから押え込まれ、僕の頭にのぼった血は急激に引いていく。
消されるのか!? 僕はここで消されてしまうのか!?
(ややこしくなるからお前は黙ってろ)
軽く走馬灯を見始めていたら、後ろの不審人物が小声で囁いた。
なんだ、雄二だったのか。脅かしやがって……。
「お客様! 申し訳ございません!」
僕の口を塞いだままの雄二が大声を張り上げる。
なんてバカでかい声だ。耳がジンジンするじゃないか。
って……あれ? そういえばコイツどこから湧いて出たんだ?
餅つきに行ってるんじゃなかったのか? 霧島さんはどうしたんだ?
色々な疑問に混乱している僕を余所に、雄二が驚くほど丁寧に対応する。
「おみくじは神聖なものでありまして、我々が手心を加えられるものではございません。どのような結果が出ましょうとも、神の思し召しとしてお受け入れいただきますよう、お願いいたします」
雄二はハキハキとそう言うと、深々と頭を下げた。
コイツ、そんな対応の仕方をどこで覚えて来るんだろう……。
僕は雄二の意外な行動にすっかり言葉を失い、考えるのをやめてしまった。
『『……』』
きっと皆同じように感じているのだろう。
姫路さんや美波、それに大男とその子分までもが唖然としている。
ただ一人、葉月ちゃんだけはわけが分かっていないらしく、頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「な……なんだよ。分かったよ……。ほら、一枚よこしな」
しばらくの沈黙の後、小柄な男は渋々といった面持ちでカウンターに百円玉を置く。
良かった、大人しく引き下がってくれるみたいだ。
(明久、こういうヤツは
(そ、そんなこと分かってるよ。僕も同じことを言おうとしたところなんだから)
(嘘をつけ。思いっきり文句を言おうとしていただろうが。まぁいい、とにかくここは俺に任せろ)
(あぁ、頼むよ)
正直言うと、雄二に止められて良かったと思っている。
美波が脅え始めた時、僕は完全に頭に血がのぼってしまっていた。
もしあのまま文句を言っていたら乱闘騒ぎになっていたかもしれない。
ここで喧嘩なんかを始めたら、また給料を貰い損ねてしまう。
それだけはなんとしても避けたい。
「それではこれを……」
姫路さんがおみくじを差し出すと、小柄な男はそれを引ったくるように受け取った。
「……フン! ささ、アニキ、おみくじです。開けてみてください」
「おう」
おみくじを渡されたアニキと呼ばれる大男は、ゆっくりとその紙切れを開く。
「……」
ところがおみくじを開くと大男はそのまま固まってしまった。
小さな紙切れに視線を落としたまま、微動だにしない。
おみくじに書かれている運勢を読んでいるのだろうか。それにしてはやけに長いような……?
「アニキ? どうしやした?」
子分の男も不思議そうに大男の顔を覗き込んでいる。
だが大男はその言葉も聞こえないのか、おみくじを凝視したまま完全に硬直している。
「アニキ、ちょっと見せてくだせぇ」
子分の男は堪り兼ねたように大男の手から紙を奪い取り、それに目をやる。
するとこの男は突然、
「なっ……! なんじゃこりゃぁ!?」
と、大声で喚き立てた。
それはこっちの台詞だ。一体なんだというのだ。
「おぅコラてめぇら! なんだこれは!」
男は
その小さな紙切れに書かれていたのは……。
── 大凶 ──
「「ぷ……」」
い、いけない。笑ったら更に怒らせてしまう……!
(おい明久! 笑うんじゃねぇ! ぷ……くく……)
(ゆ、雄二こそ……! くく……)
「アニキの運勢が大凶ってなァどういうことだ! てめぇらわざとこんなものよこしやがったな!」
「違うわよ! のり付けされてるし中身なんか見えないんだからそんなことできるわけないでしょ! そもそもアンタたちが横入りなんかしたからバチが当ったんじゃないの!」
「ンだとテメェ!」
まずい。美波が興奮して喧嘩腰になっている。
ここで話をややこしくしたらバイト代にも影響してしまいそうだ。
(落ち着いてよ美波、気持ちは分かるけど変に刺激しないでよ)
(だってあんなこと言われたら腹が立つじゃない!)
(僕だってそうさ。でも今は我慢しようよ。僕らは働いてるんだからさ。司さんに迷惑をかけるわけにいかないだろう?)
(う……。そうね……)
よし、あとはこの男を
「あー、えっと」
って……なんて言って
美波を落ち着かせたのはいいけど、こっちは何も考えてなかった。
やっぱり出しゃばらないで雄二に任せた方が良かったかな……。
「まぁ待てカズ」
僕が対応に悩んでいたら、ドスの効いた声と共に小柄な男の肩に大きな手が乗った。
どうやら大男が復活したようだ。
「でもよぉアニキ! っていうか、おいらシンジです」
「いいからおめぇは黙ってろケンジ」
「アニキぃ……前から思ってたんですが、わざと間違えてやせんか?」
「あァ? 何がだ? タクヤ」
「もう……いいかげんおいらの名前ちゃんと呼んでくださいよォ……」
……なんだろう、この漫才コンビ。
狙ってやっているのだとしたら結構面白いかもしれない。
「嬢ちゃん、脅かして悪かったな。そっちの嬢ちゃんの言うとおり、これはコイツが順番を守らずに割り込んだのを止めなかった俺への罰だろう」
「「は、はぁ」」
意外なことに大男は自分たちの横暴を認めたようだ。
この人、本当はいい人なのかもしれない。
人は見かけによらないって言うけど、この人も見た目で損をしているんじゃないだろうか。
「迷惑かけちまったな。おら、おめぇも謝れタツ」
「アニキぃ……。せめて一文字くらい合ってる名前にしてくだせぇ……」
「いいから謝るんだよ!」
「わ、分かりやした。ネェちゃん悪かったな。許してくれ」
「俺からも謝るぜ。すまなかった。このとおりだ」
二人は深く頭を下げ、謝罪する。
今まで山のように大きく見えていた大男だが、この時はそれほど大きくもないように感じた。
「あっ、いえ! そんな、やめてくださいっ! 私達気にしてませんから!」
「そ、そうよ、ウチらは別になんとも……。ね、アキ!」
なっ!? そんな急に振られても困るよ!
「そ、そうですよ! ぼっ、僕たち全然気にしてませんからどうぞお日柄もよく!!」
って、何を言ってるんだ僕は。
(バカ野郎! 何をわけのわからんことを言ってやがる! お前は黙ってろと言っただろ!)
(だ、だって美波が急に僕に振るから混乱しちゃって……)
「ははは、おもしろいニィちゃんだな。そうだ、詫びついでにひとつ貢献しようじゃねぇか」
「へ? 貢献?」
「そうだな、そこの絵馬を二つ貰おうか。いくらだ?」
あぁ、商品を買ってくれるってことか。
えぇと、一つ五百円だから────
「はいっ! 千円になりますですっ!」
僕が考え始めた時には、既に葉月ちゃんが絵馬を差し出していた。
なんとも仕事の早い子だ。僕の出番が無くなってしまいそうな勢いだ。
「おう、ありがとうよ。ほら、千円だ」
大男は葉月ちゃんの差し出す包みを受け取り、代わりに千円札を渡す。
「ありがとうですっ!」
「ニィちゃんの手伝いか。偉いな、おチビちゃん」
「おチビちゃんじゃないですっ! 葉月ですっ!」
「そうか、葉月ちゃんか。良い名前だな」
何故葉月ちゃんの名前は一発で覚えて、子分の名前は何度言われても覚えないのか。
そうか、この人きっと子分をからかってるんだな。
きっと名前も覚えているけど、わざと違う名前で呼んで反応を楽しんでいるのだろう。
「それじゃ俺らは引き上げるぜ。邪魔したな」
大男は僕らにそう言うと背を向け、立ち去ろうとした。
「あ、あのっ!」
ところが、何故かそれを姫路さんが呼び止めた。
「ん? なんだ、まだ何か用か?」
「いえ、その……良くなかったおみくじは”おみくじ掛け”に利き手と反対の手で結ぶといいですよ」
「うん? どういうことだ? 嬢ちゃん」
「昔からそうすることで凶だった運勢が吉に転じると言われているんです」
「ほぅ? そいつはいいことを聞いた。ありがとよ。行くぜ、ジェラルド」
「アニキぃ……なんかかっこいいっスけど、それもう日本人じゃねェっスよ……」
他のお客さんの視線を一斉に浴びながら、二人は漫才のような会話をしながら人波の中に消えて行く。
──こうして嵐は過ぎ去った。
やれやれ、一時は暴れ出すんじゃないかと肝を冷やしたよ。
しかし今思うと結構面白い人たちだったな。
ひょっとして新人漫才コンビだったりするのだろうか。
接客業って、こういう珍客に会えるのも醍醐味のひとつだよね。
「行ったか。やれやれ、やはり正月はああいう客も多いな」
「坂本君、ありがとうございました。助かりました」
「アキじゃこうは行かないものね」
「……悪かったね」
どうせ僕にはあんな対応はできないさ。
でも美波や姫路さんの言う通り、雄二のおかげで助かったのは確かだな。
止められなければ喧嘩になっていたかもしれないし。
悔しいけど今回ばかりは感謝してやるよ。
「ンじゃ俺は餅つきに戻る。これ以上トラブル起こすんじゃねぇぞ明久」
「あれは僕のせいじゃないだろ! って、そうだ、なんで雄二がここにいるのさ。霧島さんは?」
「俺は替えの手ぬぐいを取りに来ただけだ。翔子ならテントで餅を丸めている」
なんだ、どうってことない理由だな。聞いて損した気分だ。
「バカなお兄ちゃん、お客さん来てるですよ?」
おっと、仕事しなくちゃ。
「しっかりやれよ明久」
雄二はそう言って社務所を出て行った。
そんなこと言われなくたって分かってるさ。
僕たちは気を取り直し、仕事を再開することにした。