仕事を始めて二時間が経過。
一旦減った客足もこの頃になると再び盛り返し、目の前には行列が出来始めている。
幸い先程のような珍客はあれ以来訪れず、僕たちの仕事は快調だった。
だが、ここで別の問題が発生した。
「あっ……」
「? どうしたの? 瑞希」
「お釣りの百円玉がなくなりそうなんです。美波ちゃん、そっちのを少し分けてもらえますか?」
「うーん……ウチの方もちょっと少ないのよね。アキはどう?」
「ん、ちょっと待って」
僕は手元の釣り銭箱の中の硬貨を数える。
えっと、百円玉は……。いち、にぃ、さん……九枚か。
「僕も分けられるほどは無いなぁ……」
「困ったわね……。葉月、ちょっと司さんにこのことを伝えてきてくれる?」
「はーい、ですっ」
葉月ちゃんが元気良く返事をし、社務所を出ようとすると、
「調子はどうだい?」
司さんが入って来た。僕らの様子を見に来たらしい。
ちょうど良かった。釣り銭をどうすればいいか聞いてみよう。
「司おじちゃん、百円玉が足りなくなっちゃったです。どうしたらいいですか?」
と思ったら先に葉月ちゃんが聞いてくれた。
「うん? 釣り銭が無くなってしまったのかい?」
「そうなんです。私の所はもうあと四枚なんです」
「ウチは六枚よ」
「僕は九枚」
「それはまずいね。それじゃ取ってくるから、それまで三人でなんとか──」
と、司さんが言いかけたところで、
『司さーん! 式典の用意お願いしまーす!』
扉の向こうから司さんを呼ぶ女性の声が聞こえて来た。
「やれやれ、息つく暇も無いね。ちょっと待ってくれ! すぐに行く!」
司さんが大声で答える。
あの声はさっき工藤さんが叔母さんと呼んでいた女性だ。
つまり司さんの奥さんだろう。
「私は次の式典に行かなくてはならないようだ。吉井君、すまないけど場所だけ教えるから君が取ってきてくれるかい?」
「分かりました。葉月ちゃん、ちょっとだけここを頼める?」
「はいですっ! 葉月にお任せですっ!」
うん、いい返事だ。
立ち仕事でもう二時間になろうというのに元気な子だ。
こういう所は美波の妹だということを実感させてくれる。
「明久君、二十枚くらいお願いしますね」
「アキ、ウチにも二十枚お願いね」
つまり僕のと合わせて五十枚くらいって感じか。結構多いな。責任重大だ。
「りょーかい。じゃ、行ってくるよ」
「こっちだよ」
司さんは社務所の隅の扉を開け、廊下に出る。
僕は案内されるまま、その後をついて歩いた。
そして十メートルほどの廊下を抜けると、そこは拝殿だった。
どうやらこの廊下は拝殿に繋がっていたようだ。
でも拝殿なんかでどうするつもりなんだろう?
「さ、ここだよ」
「え? ここ?」
ここって言っても目の前にはさっき神様に祈った拝殿があるだけだ。
通路は繋がっているけど、建物に出入り口のようなものは見当たらない。
これのどこに釣り銭があるんだろう? どこかに隠し金庫でもあるのかな?
「あの、司さん? 釣り銭はどこに?」
「目の前に沢山あるだろう?」
「へ? 目の前? 沢山?」
目の前と言われても、見えるのは白い建物と賽銭箱、それに賽銭箱に入らず周囲に落ちたお賽銭くらいだ。
ん……? お賽銭? お金?
まさか目の前って……お賽銭のこと!?
「あ、あの、司さん、釣り銭って、もしかしてお賽銭のことですか?」
「そうだよ?」
「えぇっ!? お、お賽銭箱なんかを釣り銭にしたりしていいんですか!?」
「お賽銭は神社の収入でね、おみくじとかの売り上げと合わせて国に報告するものなんだ。つまり結局一緒になるものだから構わないんだよ」
「ほぇ~……」
知らなかった……。お賽銭ってそんな風に扱われるんだ……。
「本当は参拝客がいる時はあんまり回収したりしないんだけど、今はそんなこと言ってる余裕は無いからね。でも神職用の袴を着ていないと泥棒に見られるから気をつけるんだよ」
「わ、分かりました。それじゃあれを取ってくればいいんですね?」
「そうだよ」
「分かりました! 取ってきます!」
と意気込んで言ったものの、その光景を見た瞬間、僕は尻込みしてしまった。
見れば賽銭箱の前には沢山の参拝客が居て、そこから絶え間なく硬貨が投げ込まれている。
ほとんどが賽銭箱に吸い込まれて行くが、はずれて周囲に転がる硬貨も多い。
転がっているものの中には紙飛行機状に折られた千円札なんかもある。
こ……これは……凄い光景だ……。
こんなにもお金が乱れ飛ぶのを見るのは生まれて初めてだ。
千円札を入れるなんてのも僕には信じられない。
それだけ願いが強いということなんだろうか。
それにしても、こんな中に飛び込んで行ったら硬貨の雨をまともに浴びてしまう。
僕も素早さには自信がある方だけど、さすがにあれを避けきるほどの自信は無い。
「うぅ……」
「ははは、やっぱりあの中に飛び込むのは勇気がいるかな? それじゃあ私が手本を見せてあげよう。よく見ているんだよ」
「あ、は、はいっ」
そうか、司さんはこういったことに慣れてるんだな。
神社で一番偉い人なんだから当然か。
よし、その仕事っぷりを見せてもらうとしよう。
僕は言われたとおり、司さんをじっと見つめた。それも瞬きひとつせずに。
……?
だが、ずっと見ていても司さんは一向に動こうとしない。
司さんどうしたんだろう。ピクリとも動かないけど……。
と思っていたら、突然妙なことを言い出した。
「と、まぁこんな感じだね。どうだい、分かったかい?」
「は?」
いや、分かったかい? って言われても……まだ何もしてないよね?
わけが分からず首を傾げていると、
「ほら」
司さんはそう言って僕に手を開いて見せた。
その手の中では、いくつかの銀色の金属が鈍い光を放っていた。
百円玉だ。
「えっ? あれ? だってまだ何も? あれれ?」
ど、どういうことだ? 手品か? ただ懐から出しただけか?
でもずっと見ていたけど、指先ひとつ動かしていなかったぞ?
一体どこから出したんだ?
更にわけがわからなくなって大混乱していると、急に隣からぞくりと寒気がするような低い声が聞こえてきた。
「ククク……これぞ秘伝奥義”
!?
なっ、何!? 今の声!? 隣から……って、えっ? 今の司さん!?
「つ……司さん? 今なんて……?」
「うん? 私が何か言ったかい?」
「いやその……秘伝がどうとか……」
「はて、そんなこと言ったかな? 参拝客の声じゃないかね」
「「……」」
「そ、そうですよね。お客さんの声ですよね」
そうだ、気のせいに決まってる。
あんなにも出来た大人の司さんがそんな変なことを口走るわけがない。
きっとさっきの百円玉も隠し持っていたんだ。それで僕を驚かせようとしてるんだ。
いやぁ、司さんもお茶目なところが────
「…………クク……果たしてそうかな……?」
!?
「司さん!?」
「何かね?」
「いや、『何かね?』じゃなくて、今地獄の底から響くような声で何か言いましたよね!?」
「「……」」
「うん。空耳じゃないかな」
何その間は!? 隠してるよね! 絶対何か隠してるよね!!
『司さーん! 何処に居るんですか! 早く来てください!!』
司さんに疑いの眼を向けていたら、再び廊下の後ろの方から司さんを呼ぶ声が聞こえてきた。
なんだか怒っているように聞こえる。
「やれやれ。お楽しみはこれからだと言うのに。それじゃ吉井君、あとはよろしく」
「えっ? よろしくって、お手本は────って居ない!?」
気付けば司さんは忽然と姿を消していた。
辺りを見回してもどこにも姿は見当たらない。司さんが煙のように消えた……。
一体何が起きているんだ? 僕は夢でも見ているのか……?
信じられない出来事の連続に、僕は完全に放心状態に陥っていた。
『もう! 何をやってたんですか! お客さんが沢山待ってるんですよ!』
『ごめんごめん。久しぶりに技を披露できたのが嬉しくてね』
すると、後ろの廊下の先から何やら言い争う声が聞こえてきた。
ハッと我に返って後ろを見る僕。
だが後ろに人影は無かった。
『まさかあれを見せたんですか!? あれほど人に見せちゃいけないって言ったでしょ!』
『まぁまぁ、見せたのは愛子君のお友達だし、堅いこと言うなよ』
『あぁもうっ! あなたはいつもそうやって……! とにかく準備してください! すぐに始めますよ!』
『はいはいっと』
あの声は司さんと……奥さんかな。
どうやら廊下の先の部屋の中から聞こえてくるようだ。
司さん、いつの間にあんな所に移動したんだろう……。
言い争いというか一方的に司さんが叱られていたみたいだけど。
しかし見せちゃいけないっていうのは『秘伝』がどうとか言っていたアレのことだろうか。
そういえば和室で分担を相談していた時も司さんは突然僕の後ろに現れた。
それに今の瞬間移動とも思えるような身のこなしや、さっきの地獄の底から聞こえてくるような、身震いするような低い声……。
やっぱり司さんは普通の人じゃ無い。
隠密というか忍者というか、この危険な感じは言うなれば……。
──
僕の脳裏にそんな文字が浮かび上がった。
司さん、一体何者なんだ……。
今回、お賽銭の取扱について司さんに語ってもらいましたが、
これはネットで調べた情報であり、実際は違う可能性があります。
あくまでもフィクションの世界での話とご理解ください。