僕は最初に仕事の説明を受けた部屋に戻って来た。
「あ、お帰りアキ。何の話をしてたの?」
「うん。ちょっとね」
詳しくは言えない。皆には内緒という約束だから。
「アンタまさか一人でお給料の交渉なんかしてきたんじゃないでしょうね」
「そんなことするわけないじゃないか!」
「怪しいわね……まぁいいわ。お茶が入ってるわよ。座って」
「うん」
とにかく座らせてもらおう。足が棒のようだ。
「バカなお兄ちゃん、ここにどうぞですっ」
葉月ちゃんが自分の横の席を勧める。しかし妙な配置で座っているな。
テーブルの片側は四人分の座布団がある。
一番手間には美波が座っていて、その横に葉月ちゃんが。
そして一つ空けて姫路さんが座っている状態だ。
葉月ちゃんがあの席を勧めるということは、あの席は僕のために空けておいたのだろうか。
それじゃ遠慮無く。
「ありがとう、葉月ちゃん」
僕は勧められるまま、その席に座る。
「どういたしましてですっ」
葉月ちゃんが嬉しそうに答える。
そして満足げに左右を見ては、再び嬉しそうに笑みを深める。
なるほど、葉月ちゃんは僕と美波の間に入りたかったのか。彼女らしい作戦だ。
それにしても……。
「ふぃー、疲れたぁ……」
歩き回らない分ウェイターよりは楽かと思ったけど、全然楽じゃなかったな。
「ホントね。こんなに忙しいとは思わなかったわ」
「葉月は楽しかったですっ!」
「ふふ……葉月ちゃんもいっぱい働いちゃいましたね」
とりあえずお茶で一息入れよう。
僕は目の前に置かれている湯呑みに手を伸ばす。
……
ちょっと待て。そういえば……。
── お茶の用意をして待ってますね ──
って、姫路さん言ってたよね。
ということはこれは姫路さんが入れたお茶?
だとしたらこのお茶は危険だ。今の疲労した身体に毒物は本当に命を落としかねない。
でも、どうなんだろう。
お茶というのはお茶の葉を入れた
いくら姫路さんでもさすがにお茶の入れ方を間違えたりしないんじゃないのか?
……いやいや、油断は禁物だ。
彼女は料理に関しては僕の常識を大きく覆してくる。
ここは万全を期して……。
「えっと、このお茶って誰が入れてくれたのかな?」
頼む。美波か葉月ちゃんであってくれ!
「はいですっ! それは葉月が入れたですっ!」
「最初は私が入れようとしたんですけど、葉月ちゃんがどうしてもやりたいって言うんです。偉いですよね。ふふ……」
よし! 我が命は救われた!
僕は心の中で力強くガッツポーズを決めた。
「そっか、ありがとうね葉月ちゃん」
やれやれ、これで安心して飲める。
「えへへ~」
嬉しそうな葉月ちゃんを横目に僕は湯呑みを取る。
この色はほうじ茶だ。口を近付けると、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
う~ん……いい香りだ。
ゆっくりと茶褐色のお茶を口に含むと、独特の渋みの無い口当たりが喉を潤していく。
熱すぎずぬるすぎず程よい熱さ。
そしてじわじわと唾液が溢れてくるような────
────酸っぱい味。
「……葉月ちゃん……これ、何入れたの……?」
「ほぇ? このお茶の葉っぱですよ?」
葉月ちゃんはテーブルの上に置いてあるお茶の筒を手に取り、僕に向ける。
その筒には”ほうじ茶”とラベルが張ってあった。
おかしい。確かにほうじ茶みたいだけど、これは僕の知ってるほうじ茶じゃない。
例え古くて傷んでいたとしてもこんな味を出すはずがない。
この味は僕の知っている食材で言うと……。
「どうですか明久君? 疲れ、取れましたか?」
「なぁに瑞希? アキのお茶に何か入れたの?」
「はい、実はレモン顆粒を入れてみたんです。疲れた身体にはこれが一番って聞きましたので」
そう。その”レモン”の味そのものだ。
「へぇ~、瑞希ったらいつもそんなもの持ち歩いてるの?」
「はい、私は身体が弱くて疲れやすいからって、お母さんが持たせてくれたんです」
「そうなんだ。さしずめレモンティーってトコかしら。どうアキ? おいしい?」
「う、うん。そうだね、とっても元気になりそうだよ……」
「沢山飲んで疲れを癒してくださいね」
「あ……ありがとう、姫路さん……」
うぅ……普通のお茶だと思ってたから余計に酸っぱく感じる……。
でも姫路さんが気を遣って入れてくれたんだ。嫌だとは言えない。
むしろ毒物じゃないだけ進歩したと喜ぶべきだろう。
できれば普通のお茶が良かったけどさ……。
僕は元気になりそうなお茶を一気に飲み干した。
うん、確かに疲れには効きそうだ。
……おかわりしよう。
「明久君、もう一回入れますか?」
「い、いや、もう大丈夫! 元気になったから!」
「そうですか? それは残念です……」
頼むから僕に普通のお茶を飲ませてよ……。
ん? なんだ、よく見たら皆のお茶も無くなってるじゃないか。
「皆もお茶おかわりする?」
「あ、うん。そうね。貰おうかしら」
「私にもいただけますか?」
「葉月もほしいですっ!」
三時間半、水を飲む暇も無かったからね。水分補給は大事だ。
「はい、姫路さん」
「ありがとうございます」
「ほい、美波と葉月ちゃんもお疲れさま」
「ありがとアキ」
「ありがとうですっ!」
さて、今度は間違いなくほうじ茶だ。これでやっと一息つける。
僕は湯呑みを口に運ぶ。
すると、葉月ちゃんたちも同じように湯呑みを口に運んでいた。
そして、
『『はー……』』
僕たちは四人揃って溜め息を吐いた。
あぁ……。あったかいお茶が乾いた喉に染みる。
やっぱりお茶はこうでなくちゃ。
しかしお腹空いたなぁ……。昼から何も食べてないんだから当然か。
そういえば参道に”たこ焼き”とか”焼きそば”のお店があったっけ。
うぅ、想像したら余計にお腹が減ってきた。帰りに何か食べて帰ろうかなぁ……。
「おう、お前ら戻ってたか」
そんなことを考えていたら雄二と霧島さん、それに秀吉とムッツリーニも一緒に戻ってきた。
「あ、皆おかえり」
「んむ。ただいまなのじゃ」
これで全員戻ってきたか。
それにしても働くことになるなんて思わなかったなぁ。初詣に来ただけのはずなのにさ。
でも給料もくれるって言うし、来て良かったよ。
──ん?
「霧島さん、その袋は?」
気付けば霧島さんがポリ袋を手に下げていた。
確か行く時は持っていなかったはず。
「……お土産」
「お土産?」
どういうことなんだろう。何か買ってきてくれたのかな?
「明久、俺たちがどんな仕事をしてきたか考えてみろ」
よく見ると雄二も右手に同じ袋を持っている。
雄二たちの仕事? そりゃ餅つき……あ!
「そうか! 餅だね!」
「そういうことだ。余ったのを貰って来たんだ。食うだろ?」
「もちろん! ちょうどお腹が減ったなって思ってたんだ!」
いやぁ、雄二もたまには役に立つんだね。
「……皆の分もある」
「ウチらの分もあるの? ありがとう翔子!」
「それじゃお茶もありますし、皆でいただきましょうか」
「では準備するかの。霧島よ、それをこっちに置いてくれるかの?」
「葉月がお茶を入れるですっ」
早速準備を始める秀吉や葉月ちゃん。
でもちょっと待てよ? ここで食事なんてしていいんだろうか?
と思った直後、
「皆戻ってきたね。お疲れさま」
司さんが部屋に入ってきた。
ちょうどいい。ここで食べていいか聞いてみよう。
「あの、司さん、ここで食事をしてもいいですか? 雄二がお餅を持ってきてくれたんです」
「構わないよ。でも座ぶとんや畳を汚さないようにね」
『『はーい』』
良かった。これで気兼ねなくお餅を食べられる。
「あぁ、その前にこれを渡しておくよ」
そう言いながら司さんは袖から封筒を取り出し、僕に差し出してきた。
なんだろうこれ?
「これは?」
「お給料だよ。よく頑張ってくれたね」
「おおっ! こ、これがお給料!」
ラ・ペディスでバイトした時はごたごたがあって結局バイト代を貰えなかったから、実質これが生まれて初めての給料だ。
そっかぁ……これが労働の対価ってやつかぁ。
すっごく重く感じるなぁ。一体いくら入ってるんだろう?
司さんが皆に給料を渡している間に、僕はそっと封筒を開けて覗き込む。
……
一枚のお札が入っているのが見える。
あまり見かけないこの絵柄は────五千円札?
給料は五千円か! やった! これで年末に買えなかったゲームが買えるぞ!
僕は嬉しさのあまり、”感謝の舞”を皆の前で披露しそうになってしまった。
もちろんすぐに冷静さを取り戻して、そんな恥ずかしい真似はしなかったけど。
「はい、葉月君にもお給料だよ」
「ほぇ? 葉月も貰っていいですか?」
「もちろんさ」
「ほんとですかっ! ありがとうですっ!」
「御苦労様。よく働いてくれたね」
「お姉ちゃん、見てくださいっ! 葉月もお給料貰っちゃったですっ!」
「良かったわね。ふふ……。でも無駄使いしちゃダメよ?」
「はいですっ! ちゃんと貯金するですっ」
ほう、葉月ちゃんは初給料を貯金するのか。
偉いなぁ。僕はもう明日にでも使う気まんまんだと言うのに。
「それじゃ私は次の仕事があるからこれで。皆、ゆっくりしていっていいからね」
そう言って司さんは襖を開けて部屋を出ようとする。
「…………待ってほしい」
だがそれをムッツリーニが呼び止めた。
「うん? なんだい?」
「…………聞きたいことがある」
「ふむ。私に分かることなら答えよう」
「…………工藤はどうなった?」
そうだ、工藤さんの姿が無い。どこに行ったんだろう?
僕らが交代で入った時はあんなにフラついていたし、『休ませてもらう』って言ってたよね。
まだどこかで休んでいるのだろうか。
「工藤? あぁ、愛子君のことかい? あの子なら別の部屋で寝てしまったよ?」
「…………そうか」
そっか、工藤さん寝てしまったのか。それは残念だ。
せっかくこうして皆揃ってるんだし、一緒に食べたかったな……。
「何か用があるなら起こそうか?」
「…………いや、いい。その代わり────」
ムッツリーニはそう言いながらテーブルの上の袋から小さめの透明パックを一つ取り、司さんに渡した。
「…………起きたらこれを渡してほしい」
「うん? でもこれは君達の分じゃないのかい?」
司さん、それは聞くだけ野暮ってもんです。
「私達の分だからいいんです。ここにはいませんけど、愛子ちゃんも一緒に働いた仲間ですから。ね、翔子ちゃん」
「……うん」
「瑞希の言う通りね。司さん、それは愛子の分なんです。だから持って行ってあげてください」
「そうか……愛子君は良い友達を持ったね。えぇと、土屋君だったね。起きたら君が心配していたと伝えておくよ」
「…………俺の名前は出さないでいい」
「お主も素直ではないのう」
「ははは、それじゃあ”みんな”が心配していたと伝えるよ。それでいいかい? 土屋君」
「…………構わない」
「必ず伝えておくよ。それじゃあ私はこれで」
司さんはそう言って微笑みながら去って行った。
「へへっ、ムッツリーニもいいトコあるじゃねぇか」
「仕事中にどうも浮かない顔をしておると思っておったのじゃが、お主、工藤のことを気にしておったのじゃな」
へぇ、そうなんだ。案外ムッツリーニも情に厚いんだな。
「…………もう忘れろ」
ムッツリーニは無愛想にそう言って席に座ると、俯いてしまった。
これは恥ずかしがってるんだろうか。
別に恥ずかしいことなんて無いと思うけどな。
「さて、冷たくなってしまう前にいただきましょうか」
「……お餅パーティー」
「ほらアキ、アンタも席について」
「あ、うん」
そんなわけで、僕たちはテーブルを囲んでお餅をいただくことにした。