話しながら歩いていたら、すぐに美波の家に着いてしまった。
楽しい時間というのは過ぎ去るのが早いものだな。
「到着だね」
「葉月、家に着いたわよ。ほら、起きなさい」
「……ん~……やーですぅ~……」
駄々をこねる葉月ちゃんは僕の首にしがみついてくる。
ちょっと苦しい……。
「しょうがない子ね……。アキ、葉月を降ろしてくれる?」
「うん」
僕は屈んで葉月ちゃんを下ろしてやった。
「……ぅ~……」
だが葉月ちゃんは下ろしても尚、僕の上着を掴んで離れようとしない。
そんな葉月ちゃんを美波は
「ほら、甘えるんじゃないの。ちゃんと自分で歩きなさい」
「……むぅ~……」
葉月ちゃんは渋々手を離し、フラフラと身体を左右に揺らしながら玄関に向かって歩いて行く。
だいぶ寝ぼけてるみたいだけど大丈夫かな。転んだりしないだろうか……。
と心配しながら見守っていると、葉月ちゃんは自分で玄関を開け、中に入って行った。
ふぅ、ヒヤヒヤさせてくれるなぁ。
「ねぇアキ、せっかくだし少し寄っていかない?」
「ん? んー……そうだなぁ……」
せっかくの誘いだけど今日は遠慮しておこうかな。
ちょっと考えたいこともあるし……。
「いや、今日はちょっと疲れたし帰るよ」
「そう……」
「ごめんね」
「あっ、ううん! 気にしないで! そうよね、今日はずっと立ちっぱなしだったものね」
「そうだね。美波もお疲れさま」
「……うん……」
そこで会話が途切れ、沈黙が僕たちを包む。
「「…………」」
俯き気味に視線を落とす美波を前に、僕は考えていた。
絵馬掛けを見てからずっと頭の片隅に引っ掛かっていたこと。
自分の将来についてを。
正直言って、昨日まで”働く”ということを真剣に考えたことはなかった。
でも今日、神社の仕事をしたことでその意味がなんとなく理解できた気がする。
四月には僕も三年生になり、やがて卒業する。
卒業後の進路はまだ見えていないけど、いずれ何らかの職に就くことは間違いない。
だからこの感覚を忘れないうちに考えたい。その時、どうありたいかを。
……じゃあ……あとはおやすみの挨拶をして別れるだけ?
でも何か物足りない。どこか寂しい。
そんな感覚が胸の中でモヤモヤと立ちこめる。
いつも別れ際に感じていた寂しさかと思ったが、それとも少し違う。
何だろう。何が足りないんだろう……。
「あのねアキ、さっきの指輪なんだけど……」
沈黙を破り、美波が言い出した。
「あ、うん。指輪?」
「今貰ってもいい?」
あ……そうか。手渡ししてほしいって言われたんだっけ。
「そうだったね。忘れるところだった」
僕は上着のポケットから指輪を取り出し、渡そうと手を差し伸べる。
すると美波はそれに合わせ、スッと手を差し出してきた。
────手の甲を上にして。
? これは一体……?
「えっと……そこに乗せろと?」
「ちっ、違うわよバカっ! どうしてそういう発想になるのよ! ほんっとに鈍感なんだから!」
「ご、ごめん」
でも本当にどうしてほしいのか分からないんだけど。
「ハァ……そうよね、言葉で伝えないと分からないわよね。だってアキだものね」
なんか遠回しにバカにされたような気がする。
けどこの際そんなことはどうでもいい。今はどうしてほしいのか言ってほしい。
「そうしてくれると助かるよ」
「じゃあ言うから勘違いしないようによく聞くのよ?」
「うん」
「その指輪をね、アキの手でウチの薬指に
美波はそう言うと再び左手を差し出してきた。
左手の薬指って……それってつまり……。
「……嫌……なの……?」
その行為の意味に戸惑っていると、美波は悲しげな目を向けてきた。
「そっ! そんなことないよ!」
僕は意を決し、美波の左手を取る。
しなやかな細い指。僕より一回りほど小さい手。
その薬指に、僕は指輪をゆっくりと差し込んでやった。
「ありがと……アキ」
指輪は美波の薬指に驚くほどぴったりとフィットした。
この時、僕はようやく理解した。
葉月ちゃんが指輪のサイズが合わなかったにもかかわらず上機嫌だった理由。
せっかく買ってあげた指輪を美波にあげてほしいと言った理由。
そして”いいことが起きる”と言っていたことの意味を。
葉月ちゃんが僕にこの指輪を買わせたのは自分のためなんかじゃない。
最初から美波のためだったんだ。
これを僕が贈ることで美波が喜ぶことを知っていたんだ。
そうか、だから姫路さんと話している時に不機嫌だったんだな。
僕が美波以外の女の子と仲良くしているのが気に入らなかったんだろう。
はは……まんまと乗せられちゃったな。葉月ちゃんの作戦にさ。
美波は幸せそうな笑みを浮かべながら、うっとりと指輪を眺める。
僕は黙ってその様子を見守っていた。
「「…………」」
不思議な感じだった。
如月ハイランドでも美波にはアクセサリのプレゼントを贈っている。
今回のプレゼントも指輪というアクセサリだ。それもガラスで出来た玩具の指輪。
けれどあの時とは違う、不思議な────そう、”責任感”のようなものを感じる。
「ねぇアキ、もう一つお願いがあるんだけど……いい?」
しばらくして美波がそんなことを言い出した。
「うん」
断る理由もなく、僕は頷く。
「あのね、今日ってほら、皆が一緒だったからあんまりお話しとかできなかったじゃない?」
「うん」
「帰る時も葉月や木下が一緒だったし、よく分かんないうちに走り抜けちゃったじゃない?」
「? うん」
「だからね、あのね…………」
美波は暗い灯の下でも分かるくらいに頬を赤く染め、言い辛そうにもじもじと身をよじらせる。
なんだか回りくどい言い方をしているな。そんなに言い辛いことなんだろうか。
僕と美波の間に遠慮なんか無用だ。どんなことでも遠慮なく言ってほしい。
「よく分からないけど、僕にできることならなんでもするよ?」
僕は正直な気持ちをありのまま伝えた。すると美波は、
「……うん、それじゃあ」
と、覚悟を決めたように顔を引き締め、
「…………ぎゅって……して?」
上目使いで、下から覗き込むようにそんなことを言ってきた。
その瞬間、僕は胸に大きな槍が刺さったかのような衝撃を受けた。
「っ────ぇぇえっ!? いっ、今ここで!?」
「……」
美波は黙って頷く。どうやら本気らしい。
なんでもするなんて言うんじゃなかった……。
まさかそんな恥ずかしいことを要求されるなんて……。
「い、いや……さすがにそれはちょっと……」
だってここ、美波の家の玄関前だよ?
確かに今は周囲に人影は無いけど、いつ人が通るかも分からないじゃないか。
こんな所でそんな恥ずかしいことをしろだなんて……。
「……ダメ?」
「うっ……」
美波が悲しそうに目を潤ませながら僕を見つめる。
そんな顔をされたら断れないじゃないか……。
「……わ、分かったよ……」
僕が観念してそう答えると、美波の表情はパァっと花が咲くように笑顔へと変わっていった。
「じゃ、じゃあ……」
そう言って美波は小さな歩幅で、おずおずと歩み寄ってくる。
うわわわっ……! ど、どどどうしよう!
まさかこんなことになるなんて思ってなかったから心の準備がっ……!!
僕の身体は緊張でガチガチだった。
だが美波はそんな僕の様子にはお構いなしに近寄ってくる。
そして目の前で一度立ち止まったかと思うと、飛び込むように僕の胸に抱きついてきた。
フラつきながらも、僕はなんとかそれを受け止める。
……
眼の前にあるのはいつものポニーテールと赤いリボン。
いつもと違う黄色い和服に包まれた
シャンプーのいい香りが鼻をくすぐり、僕の心臓はドキドキと大きく脈を打つ。
つい先程までは恥ずかしくて堪らなかった。
けれど胸元に彼女の存在を感じた今、そんな恥ずかしさなんかどうでもよくなっていた。
── この大切な人を守りたい ──
ただそれだけを思い、僕は彼女の身体を両腕で包み込んだ。
強く、優しく。……想いを込めて。
「ありがと、アキ……」
美波が僕の胸の中で礼を言う。
……そうか……。
さっき感じた物足りなさってこれなんだ。
今日はずっと一緒にいたのに、あんまり触れ合ってなかったんだ。
当たり前になっていて忘れかけていた。
こうして美波と触れ合える。
それが僕にとって一番の幸せだったんだ……。
僕は黙って抱き締め続けた。僕の一番大切な人を。
「……もういいわ。人が来ちゃうかもしれないから……」
「あっ、うん。そ、そうだね」
三十秒ほどの
「……ふふ……」
「あは……はは……」
やっぱり恥ずかしいや……。
「それじゃ僕は帰るね」
「うん」
「今日はお疲れさま。おやすみ」
と僕が挨拶をすると、美波は僕の腕をぐいっと強く引っ張り、
「おやすみ、アキ」
耳元でそう囁き、僕の頬に口付けをした。
……まったく。
美波は僕の心を惑わせるのが上手いな。
またこんなにドキドキしてきちゃったじゃないか……。
「アキっ!」
「ん?」
「本物、待ってるからね!」
美波は玄関の前で振り返り、手を振る。
その左手の薬指では銀色の指輪が玄関先の照明に照らされ、光り輝いていた。
「うん」
その笑顔に誘導されるかのように、僕の口はこんなことを言っていた。
美波は僕の返事を聞くと一層笑みを深め、玄関へと入って行った。
『あっ、こら葉月! こんな所で寝ちゃダメでしょ! ちゃんと部屋に行って寝なさい!』
葉月ちゃんが廊下で寝ていたのだろう。
玄関の中からは美波のそんな声が聞こえてくる。
はは……。葉月ちゃんらしいな。
……ありがとうね。葉月ちゃん。
さ、帰ろう。
僕は自宅に向かって歩き出した。
そして二、三歩歩いた時、自分が言ったことの重さに気付いた。
左手の薬指の指輪を見せて『本物待ってる』って……。
つまり婚約指輪とか……そういうことだよね。
僕、『うん』って答えちゃったよね。
……
「やっぱり進路、真面目に考えないといけないな」
僕は独り呟き、夜空を見上げる。
頭上にあった月はいつの間にか建物の陰に隠れるほど傾いていた。
真っ暗な空には小さな星々が静かに瞬き、空のキャンバスに冬の星座を描き出している。
「まずは調理師学校……かな」
この日を境に、僕は本気で考えるようになった。
自分の未来を。
────美波との未来を。
『僕と新年と初詣っ!』
── 終 ──