鈴仙・優曇華院・イナバ
鈴仙が地上に降りて二週間ほど経った。
ここは、かつての主――今でも主人のペットだと思っている――綿月豊姫、綿月依姫などから聞いていた地上のイメージとはほど遠いものだった。
地上は重大な罪を犯した者達が堕ちる監獄、地上イコール罪、穢れの温床などと言われており、月にいた頃の鈴仙は、地上はどこか光彩のない灰色の世界が広がっているイメージだった。
しかし、千年前の月面戦争の遺物で地上に堕ちた世界は、月の都と大した違いはなかった。
空気も月とさして変わらず、息苦しさも感じない。
違いがあるとすれば大きく二つ。一つは緑に比べ人工物が少ない事、もう一つは、建物が石造りではないことだ。
恐らくそれは、領土に対する生活人の数が関係しているのと、技術力の差なのだろう。木造立ての建物が月都ではかなり前から禁止されている。火災による類焼などを防ぐ為だ。
いま住んでいるこの永遠亭という建物も木と漆喰の壁で出来ており、月都で住んでいた屋敷より一回り小さいが、住人が少ないためか広く感じる。
永遠亭にすむ住人は、八意永琳、蓬莱山輝夜、因幡てゐ、鈴仙・優曇華院・イナバ
の四名だ。
八意永琳。レイセンに地上名を授けた人物。そして、蓬莱山輝夜。八意永琳とともに月から地上へと堕ちた罪人。
因幡てゐ。地上の兎の長。見た目の幼さに比べ、彼女は鈴仙より年上だ。少しばかり金に汚く、何を聞くにしても金を要求した。
地上の金銭も持たず、右も左も分からない鈴仙は彼女に従うほかなかった。
返済方法は彼女の仕事を手伝うことだった。玉兎の姿を隠し、人里で薬を売る。それが彼女の仕事となった。
◇◆◇◆◇
鈴仙はてゐと共に花見から永遠亭へと帰る。
永遠亭に戻ると、薬の売り上げを永琳に報告し、ラフな格好に着替え、夕食の準備をする。四人揃って夕食を食べ、後片付けをした後、三人が入った後の風呂に入る。
それが終わり、ようやく自分の時間になる。
空に浮かぶ月での生活とは全然違う。あそこでは、専ら主人の一人――豊姫と一緒だった。鈴仙は使用人の玉兎とは違った。豊姫と一緒に買い物に行き、勉強をし、食事をし、床に就く。仕事はしない。時々、戦闘訓練に参加する。玉兎の性格故、その事で妬まれることはなかったが、鈴仙は心苦しく、主人の部屋の掃除をさせてもらえるようになった。
脚の低い机の前に座り、鈴奈庵で借りた本を広げる。
井伏鱒二の山椒魚と、てゐ向けに借りてみた本。
本を読んでいると、襖を開けて因幡てゐが入ってきた。
「この本なんですけど」
「ふーん」
借りてきた本をてゐの前に出す。ぱらぱらと捲る。
「私はこんな難しいのは医学書だけで十分よ」
と言い、興味なさげに本を返した。
「こっちの本はどうですか?」
もう一つの本を渡す。
「全てのページに挿絵が載っているんですよ。漫画って言うそうなんですけど」
本を受け取ると、敷いていた布団に寝転び、てゐはぱらぱらと捲る。
「漫画くらい知っているわよ」
「やっぱり有名なんですか?」
「外の世界じゃ、こんな本沢山あるみたいよ」
「そうなんですか。凄いですよね。手間がかかりすぎですよね」
鈴仙の声を無視し、てゐはぱらぱらと本を捲っている。
「上でもこんな本はないのか?」
「ええ。あんまり種類がないんですよ。本を読むのはほとんど月人ばかりなので」
「じゃあ、鈴仙は変人か」
「え?」
「陰気だよねぇ、鈴仙は。本ばかり読んで閉じこもっちゃってさぁ」
鈴仙は押し黙る。
てゐから見た鈴仙はあの騒動で打ちのめされた後から、僅かながら口数が減っているように感じていた。
あのチビ妖精にいいようにされて、強い抵抗も出来ていない。押し付けたてゐにも原因があるのもしれないが――
とはいえ、ずっと辛気くさい状態が続くのはしんどい。
「八意永琳が言っていたわ。玉兎も素兎も変わらないって。噂好きで、ぐーたらだって」
「……」
「別に責めてるわけじゃないの。聞いてた話と違ったから、聞いてみただけ」
てゐは鈴仙の事をほとんど知らない。月から落ちてきた彼女を、ただ同類である月人の永琳に案内すれば、解決するものだと思っていたからだ。
しかし、蓋を開けてみれば、彼女は月へ戻ることなく、ここから出て行くこともなく永遠亭に住むことになった。その事に対して、異を唱えることはしない。元々、二人の月人との契約にそれはないのだから。
人間を寄せ付けなくする代わりに兎達に知恵を授ける事、それが契約内容だ。
月人が張る空間を歪ませる結界に、てゐの人間を幸運にする能力でもって強化する。
輝夜の妹紅に対する激しい感情、人――正確には月の追手――に対する攻撃性、その感情の毒気に当てられないように人間の幸運性を上げ、より隠匿性を高める、といった感じの説明を赤青薬師にした。
実際にはそんなことは嘘――この間この永遠亭に何人もの人間が入り込んだ――なのだが、結果として、素兎達は知識を得、薬売りの仕事を持つようになった。
面倒だった薬師の仕事を鈴仙に押し付けることが出来て、てゐとしては非常にラッキーだった。
鈴仙はこの先どうするのだろうか、と因幡てゐは思う。あの万能薬師なら、月へ戻る方法も知っているだろう。月へ戻るのか、それとも――
ページをめくりながら、自分より一回り背の高い玉兎を盗み見る。俯き押し黙っている。
てゐは嘆息し、鈴仙に聞く。
「鈴仙、この続きの本は?」
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「あんたはさ、生まれたときから紫の式神だったの?」