八雲紫
「まったく、子供をつくってほしいんなら、当人にそう言えば良いのに……」
呆れた調子で言い、青白の巫女は畳の上に座布団を半分に折り、枕代わりにして寝転ぶ。
「そうすれば、こんな面倒なことにならなかったんじゃないの?」
半目で、この家の主――八雲紫に目を向ける。
十畳ほどの広さで、寝室として使用している部屋だった。すでに寝るための布団は敷いてある。巫女は最近こちらに住むことになり、布団は用意されてはいなかった。彼女には睡眠は必要ではないからだ。しかし、この世に存在するだけで、体を構成する霊力は少しずつではあるが消費されていく。動かない方が消費は少ない。
部屋にはこの家の住人全員がいる。布団の上に、だ。部屋の入口側から八雲紫、八雲藍の式神――橙、八雲紫の式神――八雲藍、巫女の順に川の字の状態で寝ている。妖獣あるいは化け猫の橙はすでに寝ている。時間的に就寝の時間に入るからだ。主の式神は巫女がこの部屋に入ることに反対だった。理由は寝首を掻かれるのではないかと言うことだ。これまでの八雲紫が博麗霊夢に行った行動を見れば、そう考える。しかし、紫はこちらを警戒することはなかった。
紫は巫女の質問には答えない。
「言ったところでそうもならないか……契りのいろはの本でも置いといた方が良かったかもね」
巫女は独り言のように喋る。
「うるさい。もう消灯だ」
式神――八雲藍が苛立つように言い、部屋で明かりを消した。部屋は巫女側にある窓から差し込む月明かりを残して、暗闇になる。
式神が苛立っている理由は紫には分かっている。
嫉妬しているのだ。巫女に対して。
橙はすぐに博麗霊夢の姿をした巫女になついた。巫女の方もまんざらではない様子だった。もちろんわざと、なのだろう。
昼間、神降ろしの稽古で藍は模擬戦を行う。それに対する発破なのだ。
結果は藍の負け。挙げ句、「あんたは、自分の能力に頼りすぎなのよ」と、言われる始末。
力を御し、妖を負かす。
それが、妖怪が人間を襲う抑止力となる。
それが、博麗の存在理由。
とはいえ、主人の前で負かされるのは、屈辱だろう。あまり感情を出さず、表情を変えない式神は、彼女の式神――橙のように表情を表に出すようになってきていた。
皆が布団に入り、しばらくして、巫女は目を開ける。懐から一冊の本を取り出す。それはここに来る前、本棚から借用したものだった。月明かりを頼りに本の中身に目を通す。ぱらりぱらりと静かにページをめくっていると紫の式神が、「何を読んでいるんだ」と小声で聞いてきた。
「うわっ」と、青白の巫女は悲鳴を上げそうになった。
「あんた、寝たんじゃなかったの」
「毎日そうやって何を読んでいる?」
小声でやりとりをしつつ、本の表紙を見せた。
「その知識が必要なのか?」
「さぁ? せっかく自由なんだし、色々したいのよ……んー……ばれちゃったし……この本のことで聞きたいことあるんだけど」
「なら、場所を変えないか?」
八雲藍はリビングの照明をつけ、対面する形で椅子に座った。
巫女はページを開き、疑問の箇所を指差し、式神はそれをすらりとよどみなく答えた。ついでにページをめくり「ここの部分を理解していれば、簡単に分かるはずだが」と嫌味のように付け加えた。その言葉に巫女は呻く。
妖狐の指摘を、ページをめくり確認する。藍が口頭で再度説明する。
何度かページを比較し、巫女は嘆息した。
「あんたはこういう事のほうが似合っているわね」
「? どういうことだ?」
「稽古の時よりいきいきしてるってことよ」
「それは、お前が挑発するからだろう」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど……」
言葉を切り、巫女は背もたれに体重を預け、伸びをする。
「あんたは紫に、意見したりしないの? こっちのほうがいいですよ、とかさぁ」
「しますよ」
「なら、あの二人を緊縛して、合体させたほうが早いとかさ、あんたは思わない?」
「さぁ、興味ない」
すっぱりと切り捨てる。
「ふうん……中途半端なのよねぇ、やってることが」
巫女は頭の後ろで腕を組んだ。
「あんたはさ、生まれたときから紫の式神だったの?」
「……いや、助けられたの。罠にかかってた所をね」
「あの紫がねぇ」
「お前が紫様の何を知っている」
「いや、知らないけど。っぽくないのよねぇ」
「私が有能だからだろう」
有能だったら、罠なんかにかかんないでしょ。そう思うが、巫女はその言葉を飲み込む。
「他に聞きたいことは?」
八雲藍は面倒くさげに聞いてきた。
「まだ、付き合ってくれるの?」
「見えないところでコソコソされるのが嫌いなだけよ」
「ふーん。まあいいや。ありがと」
と言い、巫女は柔らかな笑みを妖狐に向けた。
全てを包み込むような闇。その漆黒の帳にただ一人抵抗するかのように、月が輝いていた。
有明月、あるいは二十六夜。その身の大半を闇に食われ、僅かに残った鋭く光る体はあと数日で全てが闇に飲み込まれるだろう。
ぱらりと紙を捲る音が静かな夜の世界に響いた。微かに聞こえるのは二人の呼吸音。二人だけの世界。
「どう? これで紫も料理できるでしょう?」
紫の隣に座っている女が聞いた。そこにはたどたどしい字で書かれた、二人で食べた料理の作り方が書き綴られている。
「そうね。ありがたく頂くわ」
八雲紫は笑いもせず、女の問いかけに答えた。
しばらく沈黙が続き、女が激しく咳き込んだ。
二人の間にあった、人一人分ほどの間をなくすように紫は女の方に近づき、背中をさすった。
女の髪は艶をなくし、頬は痩けている。さする手から感じられるのは、微かな体温と骨張った感触。袖から覗く手首はやせ細り、背中をさする反対の手で握った彼女の手は、強く握れば砕けてしまいそうなほど弱々しく冷たい手だった。
か細い月の光に照らされ白い浴衣は、青白く見えた。
やがて、女の咳が治まり、女の黒い瞳が紫を見つめ――
「ねぇ、ゆかり――」
◇◆◇◆◇
「紫ぃ-、朝よー」
女の声がその声にかき消され、八雲紫は夢から覚めた。
甲高い耳障りな声と同時に体が重くなった。
あの巫女が覆い被さってきたようだった。胸をまさぐる感触がある。
「紫様、朝ですよ-」
何処か甘ったるげな声と同時に頭が重くなった。
藍の式神が巫女の真似をしたのだろう。
しかし、橙は主人によってすぐに引き離された。
「コラ橙、霊夢の真似なんかしない」
続いて、藍が巫女を紫から引き剥がす。軽くなった体を起こし、彼らに続きリビングに入った。
「これ、ぜーんぶ霊夢が作ったんだって」
橙がニコニコと言うそれを、テーブルに並べられたそれらを見る。
夢の中で見た、あの紙に書かれたものはなかった。
もくもくと料理を食べる紫に対し、藍と巫女がなにやら言い合っていた。
本を開き、指さし、デオキシリボ拡散粒子だとか塩基配列だの隔世遺伝など――生物学だったろうか――の話をしている。
「あんたたち、いつのに仲良くなったのよ?」
「どこがよ!」「どこがですか!」
紫の言葉に対し、二人はその言葉に不服といった感じで相手を睨んだ。
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「いずれ取り返しがつかない事になるわよ」