【霊夢の見た夢】
「全く、なんでこんな大事な時に……」
重い頭を手で押さえ、霊夢は低い声で呻く。
霧雨魔法店を出たときに感じた体の小さな違和感は、神社に戻った頃には大きなものとなっていた。
頭がずきずきと痛む。
とりあえず、常備薬の頭痛止めを飲む。
少し体を休めたいが――その前に、と一枚の護符を展開した。
護符から出てきたのは、自分と同じ顔を持つ巫女。
「一体、何が起きて……って、あんた顔色悪いけど、大丈夫なの?」
彼女は外へ出ると、深刻そうな顔をして霊夢を見る。
「少し横になれば、楽になるとは思うんだけどね……」
「里の医者の方にでも言った方が……」
「それは、まずい気がするの……勘……だけどね……」
「あんたがそう言うなら止めないけど」
「薬は飲んであるから。貴女に頼みたいことがあるの」
霊夢は複数枚の護符を彼女に差し出す。
「気が進まなかったんだけど、貴女……達を複製したの。理由は……」
「それは何となく分かるわ」彼女は天を仰ぎ見る。
「この四方から感じる嫌な感覚が……解決するには、私一人じゃ恐らくどうにもならないと思ったから」と、苦しげに息を吐く。
「ここから北と、西と、上。大別するとその三カ所。ほぼ同時だとしたら、まずいわね」
「ええ。できれば、私達だけで解決したいんだけどね……」
「…………」
自分と同じ顔を見つめ、彼女はため息をつく。
「まあ、私はあんたの指示に従うわ。私も嫌な気分だし、この状況は、ね――」
「あと、貴女に伝えたい事があるの――」
そして、霊夢はもう一つの護符を取り出し使い方を説明した。
◇◇◇◇◇
「うわあ~い!」
私は狐色の尻尾に飛びついた。
もふもふとした柔らかな毛並み。
ほんわかとした暖かな熱。
私は藍の尻尾が大好きだ。
いつも寝ている布団よりも柔らかな感触が肌を包み込む。
◇◇◇◇◇
「もう帰っちゃうの?」
私は紫お姉ちゃんのスカートを掴む。
日暮れにはまだ早い。空はまだ赤くはない。
「こら、わがまま言わない」
お母さんが私の頭を軽く叩き、私はスカートから手を離す。
「また明後日には来てくれるわよ。ねぇ?」
「…………ええ」
ため息をひとつ零し、紫お姉ちゃんは返事を返した。
「ばいばーい」
私が手を振ると、お姉ちゃんは微笑み、藍と共に一瞬で消えてしまった。
◇◇◇◇◇
お母さんと長い銀髪の女性と話していた。
ここは里の中にある、女の人の家。
お母さんに連れられ、ここに来た。
飾り気のない質素な家で、二人は話があると言って、私は本を渡され待っていた。
その絵本を読み終わっても二人は話し続けている。
退屈だったので、本を抱えたままお母さんの元に駆け寄る。
「……おおよそ、私が記録したものと相違はありませんね」
紙の束を見つめ、銀髪の女性が呟く。
「もうご本読んじゃった」
「霊夢、もうちょっと待っててね」
「もう読み終わったのかい? それじゃあ別の本を用意しよう。私達の話はこの子には退屈だろう」
「すみません」
お母さんが私の持っている本を女性に渡す。
彼女はそれを受け取り、立ち上がった。
本棚から本を数冊取り、私の前に並べる。
「貴女の好きな本を選んで。貴女のお母さんのお話にもう少し時間がかかるの」
私は頷き、一組の少年少女が描かれた本を手に取る。
「相違点についてだが――」と、銀髪の女の人が話し始めた。
◇◇◇◇◇
「――そこには何もないわよ」
お母さんは拝殿の中を覗き込もうとしている人に言った。
その人はびくりと体を震わせた。
私はお母さんの後ろに隠れている。
綺麗で桜の花びらのような髪の色。
怪我をしているのかその人の右腕は包帯がぐるぐると巻かれていた。
「いえ、私は別に……」
「捜し物? 見たいなら見せてあげるわ」
そう言って、お母さんは拝殿の扉を開け、中を改めさせる。
「ご覧の通り、からっぽ。昔は何かを奉ってたようだけどね。ええっと、茨木華扇……だったかしら」
「……ええ……どこかでお会いしましたか?」と、訝しむ表情を見せる。
「いいえ。風の噂でね」
拝殿の扉を閉め、お母さんが私の元へと戻る。
「噂ですか。どんな噂か聞いてもいいですか?」
「――大したものじゃないわ。変わった仙人がいるって事だけ」
「……そうですか。私もここの噂を聞いた事があるんですけど。聞いていた以上に寂れていますね。もっと賑やかだと思ったんですけど――」
「みな、亡くなったの。流行病でね。今はこの子と二人だけ」と、お母さんは私の頭を撫でる。
「それは――」
「別に気にしてないわ。それより霊夢。珍しい参拝客よ。ちゃんと挨拶しなさい」
私はお母さんの後ろに隠れ、こくりとお辞儀をした。
「こらっ。きちんと挨拶しなさい。ごめんなさいね。あんまり私以外の人と会わないから」
「いいえ。こんにちは霊夢ちゃん」
「……こん、にちは」
母の後ろから覗き込むような形で、私はその人物に挨拶を返した。
「貴女は今何歳?」
「……」
私は黙って、手で歳を示す。
「そう。大変ですね。一人で子供を育てるのは」
「まあね」
お母さんは私の頭を撫でる。
「でも、時々手伝いに来てくれる人もいるから……」とそこで言葉を切り、「貴女の捜し物が、幻想郷にないとしたら、”外の世界”にあるのかもね」
「……そう……あっいいえ。別に探しに来たわけじゃあ……」
慌てて、その人はお母さんの言葉を否定する。お母さんは笑う。
「まあ、参拝客は歓迎するわ」
◇◇◇◇◇
「ひぁあっ」
「ほら、動かないの」
「だって、染みるんだもの」
お母さんとの稽古で擦りむいた膝の傷に、ゆか姉が消毒薬の染み込んだ脱脂綿をポンポンと押し付ける。
「こんな事して、意味なんてあるのかしら?」
「体術、護身術、そして霊力――力を制御する事は、大事な事よ。生きる上でも、戦う上でも」
「こんなに天気で、平和なのに?」と、私は雲一つない空を見上げる。
「普遍、永遠なんてないわ。平穏が突然終わることはあるの。なんの前触れもなく――ね。どこかで貴女が人の為に戦うことになるわ。必ずね」
「そうかしら。お母さんは妖怪退治の話なんてしていないし……」
「それは貴女の家系が代々、邪な妖怪を調伏してきた成果。だからといって、その抑止力がずっと続くわけじゃないわ」
包帯を巻きながら、昔話を話すかように語る。
「……抑止力ねぇ……ゆか姉が代わりにしてくれればいいじゃない? ゆか姉の異次元移動使えばあっという間でしょ?」
「あんなことは貴女が出来ることに比べたら大したことじゃないわ」と、嘆息しゆか姉刃続ける。「私にはできない。立場上もあるし……それに、私より霊夢、貴女の方が強いのよ……」
「嘘よ。私、あんなことできないわ」
「貴女は私以上のことができるの」
「本当かしら?」
「ええ……はい、これでいいわ」
包帯を巻き終え、ゆか姉は私の頭を撫でる。
「貴女は……私以上に……何でもできるのよ」
◇◇◇◇◇
拝殿の中には申し訳程度の小さな台が置いてあった。
神棚の上には二つの榊が生けられた白い花瓶が二つ。
その間に赤い杯が一つと白い小皿が一つ。
杯には透明な液体が注がれている。
小皿には小さな和紙が敷かれ、その上に小豆程度の大きさの二つの錠剤が置かれていた。
「………………」
その前で母が大幣を構え、祝詞を唱えている。
私はその後ろで正座をし、黙っていた。
「………………」
この儀式は、皆××歳になったときに行っているそうだ。
振り返り、ちらりと外を伺う。
時刻は昼過ぎ。
ゆか姉は外で日傘を差し、儀式の様子を見守っている。
顔を戻すと、ちょうど祝詞を唱え終わっていた。
大幣を置き、両手で小皿を持ち、私の前に置く。続いて杯も。
「後はこれを貴女が飲み干した儀式は終わりよ」
静かに母は告げる。
私は黙って、錠剤二つを口に含み、杯の液体を飲む。
杯に顔を近づけたときに分かったのだが、それは酒だった。
私はこの時初めてお酒を飲んだ。
何となく、私はそれを静かに飲み込む。
お酒は美味しかった。
ゆっくりと杯を直す。
母は小皿と杯を元に戻し、こちらを見た。
それが数秒――
「これで儀式は終わり。お酒でこれを飲むには初めてだけれど……大丈夫みたいね」
表情を和らげ、母が安堵の息を漏らす。
「えっ! ちょっと何言って……んっ」
私の抗議の声は途切れる。
「何……これ……」
体が、頭が、瞼が重い。
急激に睡魔が襲う。
「大丈夫。貴女が目を覚ました時には全て終わっているわ」母が微笑む。「そして、新しい始まり」
母のその言葉を最後に、私の意識は落ちた。
◇◇◇◇◇
「ううーーんっ」
母は最近ずっとテーブルに向かって唸っている。
原因はテーブルの上に散らばっている紙だ。
昔に作られた決闘方法――命名決闘法について。
その中を覗いてみれば、様々な事柄が書かれている。
特に多いのは数字。頭が痛くなるような数式がいくつも並んでいた。
「それって昔に作られたものでしょう? そんなの今更纏めてどうするの?」
お茶と煎餅を出して、私は母に聞く。
「ありがとう。これ作られたんだけど、結局広まらなかった。原因はどこにあるのかなぁってね」
「布教でもするの? 今は昔と違って妖怪のトラブルがほとんどないのに?」
「そうよ。これは貴女の為にもなると思うわ。だって私達より、妖怪の方が強いんだから」
母はお茶を一口飲む。
「彼らは多少の傷はもろともしない。対して私達は怪我はできない。多少の傷なら体の治癒力を高めて素早く直すことはできるけど、手足の切断なんて事になったらどうしようもない」
「切断って……」
「彼らの思考と私達の思考は全然別。向こう側のルールに従うのは不利なの」
母は煎餅をひとかじりする。煎餅が砕ける音が少しばかり響いた。
「だからなんとかしてこちらのルールに従ってもらうのよ。霊夢、貴女だって命のやりとりなんて嫌でしょう?」
「妖怪に負けるつもりなんてないわ。けど本当に異変なんて起こるものなの?」
「さあ、どうかしらね。ただ、私は――」
◇◇◇◇◇
強烈な破壊音が響き、母の声が掻き消える。
体に痛みが走り、私は目を開ける。
暗くて何も見えない。
酷い圧迫感と息苦しさ。
しばらくすると眼が慣れる。
出鱈目にばらまかれた建造物の破片が周りを覆っていた。
「――――」
誰かの声が聞こえた。
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ナズーリンはロッドを構え――