有頂天。
妖怪の山を登った先にある浮遊する大地。
天人が住んでいる天界の世界の一つで、冥界の中に存在する。この冥界への入り口は、
地上と同じように草木が生え、山があり谷があり川が流れる。地上と少し違うのは空気の薄さだろう。しかし、そこに住まう天人の力によって、高度三千メートルほどの薄さ程度に留まっている。それだけではない。気温もまた、地上と同程度に保持されている。
どうして、地上と同じような環境にしているかと言えば、天人は成仏した幽霊や修行して欲を捨てた者が行き着く先で、生前と同じ環境を望み作り上げたからだった。
この天人となる流れに例外はある。比那名居天子がその一人である。
正確には彼女の一族が、である。
天子の一族――比那名居一族の上に位置する名居一族が天人となったため、勝手に彼女も天人になってしまった。それは普通喜ばしいことなのだが、天子はそうではなかった。
比那名居天子は今日も永江衣玖の家にいた。
彼女はよく衣玖の家に遊びに行く。
自宅にいても周りは歌を歌い、踊って酒を飲む生活だ。しかし、歌も踊りも天子には興味がなかった。
何より酒がそんなに好きではない。酒を飲むことなく、天人となったことが原因なのか――
とにかく天子にとって家は退屈なのだ。
衣玖はキッチンで料理をしていて構ってくれない。
先日作った桃――仙果と呼ばれる天界の桃――のタルトを改良しているそうだ。
どうも私のせいらしい。
この間、彼女が作った焼きたてのタルトを食べたとき、おいしかったのだが何か物足りないと率直な感想を言った。
あれを試しこれを試しと、なにやら試行錯誤している。
今に限ったことではない。家で食事をすることより、衣玖の手料理を食べる事の方が多い。
手持ち無沙汰の天子はキッチンを離れ、衣玖が整理してある本棚へ向かう。
料理ができれば相手をしてくれるだろうと、それを待つ間は本でも読んでいようと考えた。
自分でも読めそうな本はないか。
本以外にファイルが一つ。
天子はそれを手に取り、テーブルの上で広げる。
それは数十枚の新聞記事だった。
たいした内容のない幻想郷の出来事が書かれた記事。
そのとき窓から風が舞い込んだ。
天子の青い長髪がなびき、一枚の記事がひらりと床に落ちる。
天子はそれを拾おうと手を伸ばし――
――↑↓――
「総領娘様。一つ焼き上がったのですが、試食なさいますか?」
焼き上がった桃のタルトを持って、永江衣玖は天子に声をかけた。赤いフリルの付いた薄桃色の上着に、黒のロングスカート。服を汚さないように白いエプロンを着けている。
「遠慮しとく。ちょっとやることが出来たから」
天子は仙果の付いた帽子をかぶると、喜々とした表情で出て行った。まるで何かいたずらを思いついた子供のようで――
天界での退屈な生活が不満で、文句ばかりの天子。
感情は豊かでコロコロと表情を変えるため、見ているこっちは楽しいのだが。
もう少し天人としての自覚を持って頂かないと――
けれど、自身にはそれと相対する感情もあった。
まあ言っても聞かないだろう。
その兆候でも出ない限りは――
テーブルの上にはファイルとばらまかれた新聞記事。
相変わらずの自分勝手。
一枚の新聞記事が落ちている。
衣玖はそれを拾い上げる。そこには天狗が書いた最近起きた異変を解決した内容と、東の巫女の写真を貼った記事だった。
◇◆◇◆◇
三途の河は深く底は見えない。周囲は霧で覆われ、昼夜の判別のつかない世界が広がっている。
岸の間を行き来する渡し舟の航路から外れると、そこには尖形の岩々が川面から飛び出していた。
舟を漕ぎ、彼女は彼岸から此岸へと戻る。
「一度休憩でもするかな」
誰に言うでもなく一人独りごちる。
肩をまわし、指で揉んで肩コリをほぐす。
小野塚小町は、増えつつある仕事にげんなりしていた。
最近霊の数が増えてきている。
彼女の仕事は、三途の河の渡し守だ。
舟は大きくはないはないが、幻想郷という狭い世界が彼女の管轄範囲なので、平素はさほど忙しくは無いのだが、この量では、一日がかりでは足りない。いや三日はかかりそうだ。
余り仕事が遅いと上司から雷が落ちる。
こんな時にはもっと大きな舟があればと、小町は思う。
そう例えば――
タイタニック……ではない。
確かに大きい船だが、沈んでしまうきらいがある。
た行ではなかった。
さ行だったような――
さ……し……す……せ……せ……
「せいれいせん。そうだ、聖輦船だ」
確かそんな名前だった。
昔そんな名前の船が幻想郷にあったそうだ。小町自身それを見たことがない。あの舟を見た幽霊は皆大業にその様子を語っていた。
同時に小町は思い出す。
そして霊が増殖した原因を思い出す。
およそ六十年周期で発生する異変。
小町は地上に降りて確認することにした。
◇◆◇◆◇
姫海棠はたては山の中腹にある一本の大きな木の枝に腰を下ろし、幹に背中を預けて手持ちのカメラをぽちぽちと触っていた。
つい先日もここの日陰で涼みながら、記事にできそうな言葉を打ち込み検索していた。
ここからの景色は、以前見た景色はかなり変わっている。
守矢神社が見えた。
みすぼらしい博麗神社とは違い、拝殿には大きな注連縄が飾られ、拝殿自体も博麗神社より一回り大きい。
そして、大きな湖もある。一部では吸血鬼異変の再来かと思われたが、天狗の長――天魔に対して二柱の丁寧な挨拶もあってか大きな騒動は起こらなかった。
はたては知らないが、過去にこの山は天狗と鬼との縄張り争いがあった。連日の如く続いた戦いは月面戦争で終わりを迎える。八雲紫が新たな土地を求めて月面 その誘いに多くの鬼達が乗り、結果敗走。鬼達は地下に追いやられた。地下、通称地底界は鬼達の世界となり、地上で虐げられ忌み嫌われた能力を持つ妖怪を迎え入れ、今では地底界の全貌を知るものは地上ではほとんどいないと言う。
「あ、いたいた、はたて」
暢気な高い声。見なくても相手は分かる。射命丸文だ。
「へぇ、ここはなかなか絵になるわね」
声をかけたわりに、こちらを見ず山に新設された神社の方を見て呟く。
文ははたてと同じ方向を向き、写真機を構えた。
清潔さ感じされる短い黒髪には紅玉色の兜巾。赤い瞳。白いシャツに黒のミニスカート。動きやすい格好で、清潔そうな白い半袖シャツから健康的な二の腕が覗く。
彼女の記事にある魔法使いと同じく白と黒の配色の衣装だが、あちらに比べ、白地が多いため明るさが感じられる。
「そう……かしら。別にあっちにある神社と変わりないと思うけどね、私は」
うっかり肯定しそうになり、否定する。
「うーん、そういう意味で言ったわけじゃないんだけど、まあいいか」
知っている。構図が、だろう。
神社とその周りの鎮守の森。その先にある湖と六角の柱が点々と湖面から生え出ている。
少し前では考えられないような景色ができあがっているのだ。
落ち着いた緑の瓦と金縁の意匠。栗色の御柱。
「この間の写真、ありがとう。とりあえず、残りの一人はがんばって撮ってみるよ」
「記事はもうかけたの?」
「ええ。あとは写真だけね」
文が言っている写真とは、先週に起こった月の異変の事で、スキマ妖怪――八雲紫に頼まれ、事件の首謀者達の写真を現像した。
ここ一年で起きた異変の記事を彼女は記事にしている。紅霧異変、春雪異変。彼女の書いた二紙は読んでいる。春雪異変の方では、魔法使いの宣伝も載っていた。恐らく頼まれたのだろう。
この鴉天狗曰く、今回の異変は永夜異変と名付けている。
永夜、ながい夜。何でも夜を止めて、異変解決に望んだらしい。
あの夜、星々が弧を描いて光ったそうだ。止まっていた夜が元の時間軸に戻るために、高速で動いた結果だという。
はたては見ていない。だが山に住む妖怪達のいくつかは目撃している。
「ここに来たのはもう一つあってね。花見に行かない?」
文は話題を変えた。
「花見?」
「南の方で、四季折々の花が同時に咲いているんだって、どうかな?」
「遠慮しとくわ」
はたては素っ気なく言葉を返す。
「知ってるでしょ。これ」
手に持っている黄色い携帯電話をかざす。キーワードさえ打ち込めば、それに関連した画像がオートで表示される。
「知ってるわよ。そんな狭い中の花を見るんじゃなくて、広々とした所で花を眺めるのも楽しいんじゃないかと思ってね」
「別に今ので、私は十分よ」
夏は始まったばかり、これからどんどん暑くなる。こんな時に遠出なんて面倒だし、様々な花が同時に咲くと言うなら、それは異変だ。恐らく碌でもないことが起きる、とはたては根拠のない憶測を巡らす。
少し言葉を交わし、文は南の方へと飛んでいった。はたては何気なくそれを目で追った。
健康的な太腿と、ちらりと白い――下着が見えた。
すぐにはたては視線をそらす。
顔が赤くなるのが自分でも分かる。
「ホント、碌でもない」
はたてが日陰から出るのはまだまだ先だった。
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美鈴は門番の仕事をしない